運がいい 古本まつりでちゃっかりと恋した人に会えたんだから

 こういうとき、私は素直になれない。素直でない女なのだ。

 素直でない性格は自覚していた。だからせめて正直になろうと思った。嘘をつかないようにしようと決めたのはそのためだ。

 でも、かえってひねくれた人間になってしまったかもしれない。これだから厄介だ。


 私は二人の人間を同時に好きになってしまっていた。でもどちらにも好きという気持ちを告げることができないままでいた。どのように気持ちを伝えたらよいのか、迷ったままずるずると時を過ごしてしまった。どちらか一人を選べていたら、まだしも気は楽だったのだろうか。


――ウソをつくいちばんうまい方法は、真実を適量だけ語って、あとはだまってしまうことだ


 彼女から彼のことを好きかと尋ねられたとき、私は素直に答えることができなかった。答えてしまうと、ウソになってしまう気がしたからだ。

 彼のことが好きだ。彼女のことも好きだ。でも、片方だけ告白してしまうのは、もう片方への気持ちを押し殺してしまうようで、できなかった。


――お互いいばらの道だよね。恋してくれない人に恋しちゃうなんてさ


 たぶん彼女は誤解しているだろう。私が彼のことだけでなく、彼女のことまでも好きだとは気づいていない。

 彼を好きなのは事実だ。けれどそれを認めれば、もうひとつの本音は余計に言い出しにくくなってしまう。彼への気持ちを事実上肯定しながら、それでもはっきりと断言しなかったのはそのためだ。

 彼のように、カミングアウトすべきなのかもしれない。自分がバイであることを告白してしまえばいいのかもしれない。でも臆病な自分は勇気に押さえ込んでしまっていた。変化よりも現状維持を望んでいるからってことになるのだろう。告白して今の関係性が失われてしまうくらいなら、このままでいたほうがいい。


 出会いは中学1年生。彼女と仲良くなったきっかけは、実はよく憶えていない。クラスの席が近かったとか、そんな感じ。大した理由はなかった気がする。初対面のときにしていた、ポニーテールのリボンが可愛らしかったのは、印象に残ってるんだけど。

 入る部活を決めるとき、彼女から相談を受けた。なんでも文芸部に入るかどうかで悩んでいるとか。聞けば、読書がこれといって好きなわけでもなく、小説や詩を書くわけでもないらしい。なのにどうして文芸部なのかと問いかけたら、惚れている相手がいるのだとわかった。恥ずかしがる表情は妙に愛おしく、同時にちょっぴりヤキモチした。一緒に見学に付き添うくらいの気分だったのに、成り行きで私も入部することになっていた。私もあんまり読書はしなかったのだけれど。

 彼のことを見知ったのは文芸部の見学をしたときだ。ぱっと見た感じ、強い印象を抱いたわけではない。どちらかといえば寡黙で、地味そうな男だと感じた。整った顔立ちではあるけれど、いわゆるイケメンという感じでもない。人見知りというわけではないけれど、どこか他人との接し方に距離感があるようにも思えた。それが彼の第一印象。

 私にとっては、案外それが良かったのかもしれない。彼は私のフルネームを耳にしても、特異な反応は示さなかった。そしてさも実務的に「苗字呼びでいい?」とだけ訊いてきた。

 それが「お互いを苗字で呼ぶ協定」のはじまりだった。


 私は自分の下の名前が嫌いだ。いわゆるキラキラネームというやつで、下の名前を名乗らなければならない場面にほとほとうんざりしていた。ぽかんにしろ、きょとんにしろ、へぇにしろ、皆なにかしらの好奇の反応を示す。肯定的でも否定的でも、一度は聞き返されるのが常だった。なのに彼はありふれた名前でも聞いたかのようなリアクションだったので、こちらが拍子抜けしたくらいだ。

 想いが高まるようなできごとが、とくにあったりしたわけじゃない。けれど文芸部の活動を経ていくうちに、彼に、あるいは彼女に、焦がれる気持ちは強まっていった。

 彼はあまり感情を表に出すタイプではなかったけれど、親しくなった相手には冗談も言ったりするやつだった。それに、作品のなかではのびやかに自己表現していて、作品を読むのは彼の内心に触れているみたいでウキウキした。彼女もまた作品内では妄想をたくましく繰り広げていて、読んでるこっちのほうが面映ゆくなることもあったくらいだった。ヘンテコな文章を笑いあったり、かとおもえば熱く論じたり、ときには壮大に脱線したりして、そういう日々は楽しくてしかたがなかった。

 まあでも、二人がお似合いの関係だと思ったから、私は一歩退いたポジションでいいかなと考えていた。二人が楽し気である様子を眺められたらそれでいい。だいたい私は、自分の感情をうまく説明することなんかできていなかった。彼女のことが好きで、彼のことも好きだった。それが恋なのか、恋じゃないのか。そんな少女マンガみたいな自問自答に、私は気づかないフリをしていた。

 それに、彼女は彼のことが好きなのだった。その一途さに、私はとても勝てるまいと観念した。彼女の恋心はまっすぐで、ピュアで、彼だけに向けられていた。だったら、二人がくっつくのがいちばんハッピーだ。いつのまにかそう考えるようになっていた。彼女が報われてほしいという願望に嘘偽りはない。自分の気持ちをごまかすわけではなく、私はそう願った。


 彼女が彼に告ったのが中3のときで、私が彼のアセクシュアルのことを知ったのも中3だった。彼女から告白された彼が、私に相談を持ちかけたのだ。「どうしたらいいと思う?」なんて、そんなの私にだって分かるわけなかった。いずれ告白して、そして二人は付き合うのだろうと、勝手にそう予期していたのに。私の好きな人が、私の好きな人から告白されて、その相談をされているという状況だけでもフクザツなのに、「たぶん俺、アセクシュアルなんだよな」と告げられて。どう答えるのが正解だったんだろう。「難しく考えなくてもいいんじゃない?」と私は中身のないことをさも助言であるかのように言った。難しく考えたくなかったのは、たぶん自分のほうだった。

 結局、それらしいことを言って、先延ばしにしただけなのだ。二人は恋人同士の関係にはならなかったけど、将来的な含みも残した。彼女のほうはひとまずそれで納得したようだったし、本人たちで分かりあっている以上、私が口を挟むのはためらわれた。


 彼が志望校を変更すると言い出したのはそんな折だった。私は理性的というよりは、感情的に反対した。反発する気持ちが先行していて、それはむしろ私情というべきだったのだけれど、もっともらしい理屈だけは並べた。感情的になった理由はほんとうのところはシンプルで、彼が羨ましかったのだと思う。

 好きな人と一緒の高校に行きたい。私自身もそういう想像をしたことはある。でもそんな発想はとうに捨て去っていた。二人の偏差値は開いていたから、どちらかの志望校に合わせればもう片方は諦めることになる。私はどちらとも決めることはできかねた。それに、自分のレベルと違う志望校をあえて選ぶ、その理由を説明することは難しかった。まさか好きな人と同じ学校に行きたいなどとは言えない。親や先生はでっちあげた理由でも説得できるかもしれないが、二人には隠しおおせない。だから私はそんな選択肢は、頭の中から除外していた。

 それなのに彼は、私ができなかった決断をした。恋愛感情がありながらもできないでいた選択を、彼は恋愛感情なく選択した。堂々とそんな行動をとろうとする彼がまぶしく、そんな行動をとってもらえる彼女のことも羨ましかった。私はそのときの気持ちを腹立たしさとしてぶつけたのだ。

 今ならわかる。もし彼が受験するのが彼女の志望校ではなく、私の志望校だったなら、あんなふうに怒ることもなかったはずだから(事実、彼が大学を再受験すると言ったときは内心うれしかった)。


 さて、二人は同じ高校に行くことになり、私は二人とは別の高校に進学した。そして私はそれを区切りとすることに決めた。私は二人に同時に恋をし、どちらかに想いを絞ることもできず、しかも二人とも自分を恋愛対象として見ていない。卒業はいい機会だった。

 私は彼女ほど一途ではない。たった一人の人間をいつまでも恋い慕うタチではない。この恋が叶わないなら、また別の恋をすればいい。

 当時私はケータイを持っていなかった。距離を置くにはむしろ都合がよかった。ケータイがないおかげで、連絡を取りあわないことがそれほど不自然と思わせないようにしてくれる。


 ケータイを持っていなかったのにも一応理由はあった。

 小学校のとき。転校したから中学は別々になってしまったけれど、仲の良かった友達がいた。当時はラインのサービスが普及し始めの時期で、あとになって学校だかPTAだかが注意喚起を盛んにしていたからよく憶えている。その子はライン上でイジメに遭ったのだ。

 遭った「らしい」と記すべきか。私はラインなんてやってなかったから、間接的にしか知らない。イジメの原因なんてあってないようなものかもしれないけど。その子の場合はジェンダーがイジられた。

 性別違和を感じている子だった。

 今にして思えば、そんな共通点があったのも、その子と仲良くなった理由かもしれない。今の私は自分を女だと認識しているけれど、バイセクシュアルという言葉に出会うまでは、性別にモヤモヤした気持ちを持っていた。

 一人称が独特なのもその子と共通していた。独特というか、性別に似合わない一人称というか。自分のことをなんて呼ぶのかを、なんとなくさまよう時期だった。

 そして私もその子も、自分の名前を忌み嫌っていた。私の場合はいわゆるキラキラネームってやつで、どうしてもそれに馴染めなかった。一方その子は古風で男らしい――はっきり言えば厳つい名前で、それを本人は嫌悪していた。「名前は親から与えられる人生最初の呪いだ」とさえ言っていた。そういう話題で共感できる相手は、私にとって初めてだった。

 どうしてその子はイジメのターゲットになり、私はそうならなかったのか。それはほんの偶然にすぎなかったように思う。理由なんて分からない。

 なんにせよ、イジメの件があったから、スマホやラインにいいイメージを持ちづらかった。もちろん、ネット社会を全否定なんかしないけれど、関わらないで済むなら関わりたいとは思わない。そんなところ。

 親には「ケータイはまだ持ちたくない」とだけ言った。深く理由を尋ね返してはこなかったから、親なりに察してくれたのだろう。そういう想像力があるのなら、キラキラネームをつけたらどうなるかも想像してほしかったのだけれど。


 ケータイを持ってないと伝えると、大抵の人には驚かれる。しつこく聞いてくる人には、イジメのことを話したりもした。文芸部内でも事情は知ってくれていたし、部活で緊急の連絡を取りあう機会はほとんどなかったから、それで事足りた。中学を卒業するときには、何人かの友人から連絡先のメモをもらい、かわりに私は家の電話番号を伝えたりもした。実際に連絡を取りあうためというよりは、なんとなくそういう儀式みたいなものとして。

 スマホを好かないところがあるのは事実にしても、それはたぶん、イジメだけが原因ではなかったように思う。人とつながることに、人とつながり過ぎることに、どこか怯えがあった気がする。そして中学時代のその失恋を封印するのにも、スマホを持っていないことは好都合だった。

 スマホを持つようになったのは、大学進学を機に地元を離れて、一人暮らしを始めてから。はじめはフリック入力もぎこちなかったけど、慣れ始めると、なるほど、便利なところもある。これを持つ前の生活を遠く感じさせるほどに。


 京徳大学に入学し、彼女とはそこで再会することとなった。違う学部ではあったけれど、全学共通科目の基礎ゼミで一緒になったから、前期の期間中は少なくとも週に一度は顔を合わせていた。

 ただ、彼の話題は極力避けられていたように思う。彼女は自分から口に出さないようにしているようだったし、私もあえては尋ねなかった。私にとっては中学時代に終わった失恋だから、蒸し返す必要もなかった。

 今になって振り返れば、彼女のほうも私に対して入り乱れる感情があったようだ。

 たとえばスゴロクで言えば、彼女はフリダシに戻されたのではなく、ずっとフリダシに止まったままだった。私はサイコロの目の出方を知っていたけれど、彼女には教えてあげなかった。だから彼女としても私に思うところがあったのだ。二人の間で彼の話題が慎重に避けられたのは、お互いになんとなくフタをしていたからなんだろう。


 大型連休が明けるころから、彼女はバイトに忙しくなった。それは勤務先の事情も大きかったようだけれど、彼女自身、のめりこむようにシフトを増やしていった面もあったように思う。まるで、せわしさの中に身を投じるかのように。しかし、しだいにオーバーワークが目に余るようになっていって、なのに仕事が調整されることはなかった。

 やつれる……とは表現したくないけれど、以前と比べて、彼女は身だしなみに手を抜いているように思えた。私自身、オシャレには無頓着な人間なので、人のことなんか言えたギリじゃない。それに、中学時代の彼女のように、毎日のようにヘアアレンジを変えるほうが普通じゃなかっただけとも言える。だから私は、彼女の表面的な変化に気づきつつも、そこに深入りしようとはしなかった。

 そんな煮え切らない態度が問題の発見を遅らせたのかもしれない。ブラックバイト状態に気づいて先輩の手を借りるに至ったころには、もう7月になっていた。


 いや、これもゴマかした言い方をしている。彼女の様子を横目にしながら、でも積極的に事情を訊こうとしなかったのは、割り切ろうとしていたからだ。一定の距離を置こうとして。ゼミは授業だからしかたないけれど、そのほかの時間はできるかぎり交わらないようにしようと考えていた。そうしないと、あのころの気持ちを思い出してしまいそうだったから。

 試験明けに彼女と話をすることになったときも、はじめはそれっきりにするつもりでいた。大学は前期・後期のセメスター制。前期の授業では基礎ゼミがたまたま一緒になったけれど、後期もそうなるとは限らない。うちの大学は一般教養の開講科目が多いことでも知られていて、取る科目が重ならない可能性も十分大きい。そうなればこれまでのように週一回顔を合わせることもなくなるだろう。だから試験明けの一回くらい……という気持ちだった。

 でも、彼との「ビミョーな距離感」の話を聞いて、胸がざわめいた。


 自分に何かできると思ったわけじゃない。なのに、知らず知らず指先が動いていた。いちどは想いを断ち切ったはずの相手。その彼の名前を検索し、いくつかのSNSを覗く。その流れでたどりついたのが、中学の文芸部時代に使った小説投稿サイトだった。

 サイトには近況ノートという機能が用意されていて、彼はそのなかで古本市のことに触れていた。いつどこの古本市に行くと書かれていたわけではなかったけど、この近辺なら糺森ただすのもり神社の納涼古本まつりの開催が有名だ。……というかまさにちょうど開催中だった。

 彼が古本まつりに来ているなら、そこで彼と再会できるかもしれない。すぐに足は糺森神社へと向かった。途中でサイフを忘れていることに気づいたけれども、家に戻る時間さえ惜しかったくらいだ。


――再会できたのは偶然ですね


 そう。運が良かったのは、あのタイミングで近況ノートの記述を目にできたことだった。




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