コーナーに追い詰められて逃げ場なくお腹の真ん中見せさせられてる
「そういえば、このまえ静原さんに会ったんだってね」
なに食わぬ顔で小宮は口にしたが、静原の名前が出たことに常盤は内心どきりとする。
「よく知ってるね」
「風の便りってやつでね」
「風、ね。空恐ろしいもんだね、情報の伝わる速さってのは」
風の便りの差出人は近藤だろうか。あのときの出来事を知っている人物となると、近藤か、あるいは静原自身しか考えられない。
常盤の疑問を察したのか、小宮がスマホを取り出して画像を表示した。
河川敷に座った常盤と近藤の写真だった。
「夕映えが美しく撮れてるね」
常盤は写真のことは素人だが、実際うまく撮影できていると感じる。アングル的に、橋の上から望遠で撮ったもの。表情までくっきり写しだしているのは性能あるカメラのなせる技だろうか。
この写真を撮ったのは望遠鏡型カメラを持ち歩いていた人物=静原だろう。
「あんまり人物写真は撮らないって聞いてたんだけどね。ラインで送られてきたのを見たら近藤とときちゃんだったから、ちょっと驚いちゃった」
「いい写真だね。隠し撮りじゃなければ、だけど」
「ときちゃんの連絡先知らないから、代わりにわたしのところに送ってきたんだよ」
「なんでおいらの連絡先を知らなかったら、小宮に送ることになるんだよ」
「わたしに送れば、ときちゃんに転送してもらえるでしょ」
「だったら転送してよ。転送された憶えないんだけど?」
小宮はアハハと笑ってごまかす。天然なのか、わざととぼけているのか、絶妙のトーンだ。
「静原さんとは結構連絡取りあったりするの?」
「ラインくらいはフツーにやりとりするよ? わりと気軽に連絡してきてくれるタイプかな。ときちゃんもこれくらいマメに送ってくれたら嬉しいんだけどな」
「あ、えっと、その……、どういうラインを送ったらいいか、悩んじゃうんだよね」
「わたし、けっこう寂しがり屋だから、いっぱい連絡くれると嬉しいんだけどなぁ~」
「……前向きに検討します」
「ふふ。ときちゃんって、そういうとこマジメだよねぇ」
小宮はそう言っておかしがる。
それにしても、小宮と静原がフランクにやり取りする間柄であることに、心ならず拍子抜けした。
話しているうちに、小宮のアパートに着いた。
小宮の住むアパートはせせらぎをそよめかせる
小奇麗に手入れの行き届いた部屋は突然の来客にも恥ずかしいところがない。部屋の中央に、シックな色合いの、足の短い帯びたテーブルがある。こういうのはちゃぶ台じゃなくて何て呼ぶんだろうなどと考える。……ローテーブルか。
「ゴメンね。明日古紙回収の日だから」
部屋の隅で束ねられていた新聞紙を見ていたら、小宮に先んじて謝られた。
「あ、ううん。別に全然いいよ。っていうか、新聞取ってるんだね。いまどき珍しい」
「大学生なんだし、新聞くらい読んでても不思議じゃないでしょ」
「むしろ大学生は読まないんじゃない? 読んだとしても紙じゃなくて電子とか」
「え……。昭和の日生まれのときちゃんにそんなツッコミを受けるなんて、ショック……」
「いや、昭和の日関係ないでしょっ」
そういえばさっきスーパーで牛スジがお買い得だと小宮は言っていた。どうやら折込チラシの情報だったようだ。
そんなことを言っているうちに小宮は買い物の品をエコバッグから取り出して、調理の準備に取りかかり始めている。常盤も手伝うことを申し出たけれど、「キッチン狭いから、部屋で座ってて」と促された。実際、一人暮らし用のキッチンは手狭なスペースで、たしかに常盤がいたらジャマになりそうだ。お言葉に甘えて、常盤は部屋で待つことにする。
小宮ははらりと赤い三角巾をかぶって調理にとりかかり始めた。
「お吸い物、インスタントでもいい?」
キッチンから小宮の声が届く。
「どて煮があるなら、お吸い物は別にいらないけど」
「わたしが食べたいんだよ」
「そう。じゃあ、おいらもお願い」
「は~い」
常盤はすることもないので、見るともなしに本棚を眺める。
整頓された本棚は収納スペースというよりインテリアのような趣だ。本棚に人柄が表れるのか、本棚が人柄をつくるのか。どちらにしろ、持ち主の個性というものを感じる。
一方で、そんな本棚の一角には、不揃いに本が並んだ箇所があった。本の大きさがそれぞれ違うし、ジャンルや作者も異なっている。フランクル『夜と霧』。これはこの前読んだと言っていたやつだ。朝倉かすみ『平場の月』。山本周五郎賞受賞の帯がついているところを見ると、購入したのは比較的最近だろうか。新海誠監督の過去作品のノベライズもある。今年新作が公開されてたし、そのタイミングで買ったのだろうか。
一言ではまとめにくいポートフォリオだが、雑多な本の並びのほうが親近感を覚えてしまうのは不思議でもある。常盤の本棚はもっと乱れ散っている。
「和綴じの本もあるんだ」
本棚の中にはふっと目が留まってしまう本もあった。和綴じされている本もそのひとつ。普通の人は持っていないタイプの本だと思うが、実家がお社ともなれば、この手の本も持っているものなのかもしれない。
常盤が「ふぇっ」とマヌケな声をあげてしまったのは、暗号みたいなその文字列を読みとこうとして、本とにらめっこしているときだった。ふいに耳もとに息を吹きかけられたのだ。
いつのまにか赤い三角巾が背後に迫っている。
「へへ。やっぱりときちゃんの反応っておもしろいね」
常盤が顔を半回転させながら、小宮をじろっと見る。顔の距離が近い。
「あのねぇ……。急に耳にフーしないでよ」
「ときちゃんの後ろ姿見ると、なんかやりたくなっちゃうんだよなー」
「さっきも膝カックンしてきたばっかじゃん。……てか、どて煮つくってたんじゃなかったの?」
「あとはしばらく煮込むだけだし」
キッチンの様子をちらりとうかがうと、鍋が弱火にかかっている。本に気を取られていて気づかなかったとはいえ、準備が早い。料理し慣れている手際の良さに違いない。
小宮はひょいと笙の譜面本を取り去って、つぶやくように言う。
「最近ちょいちょいホウガク部に顔出ししててね」
単語が一瞬聞き取れなくて訊き返す。
「法学部? 柳澤さんのとこ?」
「そっちのホウガクじゃなくて。アラブ首長国連邦って書くときの“邦”」
「あー、ソビエト社会主義共和国連邦の“邦”か」
邦楽部のことだと常盤は理解する。詳しくは知らないが、三味線や箏を演奏するイメージの部活。たしか小宮の実家にもそういった楽器があったはずだ。
……ということは、邦楽部に入ったのは家のことが関係しているのだろうか。
疑問が顔色に表れていたのか、小宮は常盤の表情を見て、先回りして語る。
「家のこととかは関係ないよ。関係なく、楽しめたらいいなと思って参加してるんだよね」
「前は反発してなかったっけ、笙とか吹かされるの」
「うん、昔はね。ムリヤリ習わされるのは嫌いだったかも。どうしてだろう、一人暮らしになって距離ができたからかな。自分からやってみようって気が起きたのは」
「こっちで習うなら、妹さんと比べられることもないしね」
「たしかに。それはあるかも」
習い事を無理やり習わされる。その手の話はよくあるけれど、小宮の場合は家が家だけに、よりプレッシャーがあったりするのだろうか。小宮はあまり恨みごとを漏らさない
小宮は譜面を閉じると、元あった場所に丁寧に戻す。
「そうだ、ときちゃん」
「ん?」
小宮は両手をパチンと合わせて、まるで名案でも思い付いたかのような顔をする。
「久しぶりに、おへその見せ合いっこしよっか」
「ふぇ?」
いつのまにか小宮がすぐそばに寄っている。心なしか、顔の距離がとてもとても近い。
小宮は満面の笑みをたたえるや否や、その手を常盤のシャツの裾に伸ばす。
とっさのことに戸惑った常盤だったが、ちらりとお腹が見えかけたところで、なんとかその手をガードした。さっと身体を翻し、臨戦態勢を整える。
「待って待って、小宮。なんで急に、おへそ?」
「ほら、ときちゃんってキレイなおへそをしてたじゃない?」
常盤は困惑した。常盤にはへその美醜がわからぬ。
「理由になってないし。ていうか今、見せ合いっこじゃなくて、一方的においらのへそを見ようとしてたでしょ? 見せ合いっこだって言うなら、小宮が先に見せなよ」
「うん、いいよ。見せてあげよっか?」
小宮がじりっと一歩詰め寄り、常盤は一歩後退する。
常盤は自分の戦術ミスを悟った。少しは恥ずかしがるかと思ったが、小宮はまったく動じるそぶりを見せない。
小宮がまた少し距離を詰める。常盤は後退しようとしてはっとする。知らぬ間にコーナーに追い込まれていて、もう後ろがなかった。
二階の角部屋。余分な家具のない室内。どて煮が十分に煮込むまではたっぷりの時間がある。入り口側は小宮に押さえられている。空間的に逃げる場所も、物理的に隠れるスキも、時間的に逃れる余裕もない。
「は、恥ずかしいんだけど」
常盤は最後にそう呟いて抵抗したが、小宮はなにも答えず、ニコッと笑いかけてきた。
コーナーに追い詰められて逃げ場なくお腹の真ん中見せさせられてる
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