第八帖 書肆

梅雨空になんとはなしに読む本にだれかの顔が浮かんでしまって

 ショッピングセンターのビル、地下フロアを占める大型書店で、常盤はブラブラと店舗内をめぐる。

 ずらりと並ぶ本の陳列は圧巻として気持ちいい。大学生協の書籍コーナーより何倍も品揃えが豊かだ。とりたてて目的の本を探すわけでもなく、ただ本の森を漂う時間。そういう時間を常盤はわりと気に入っている。

 常盤は気分をリフレッシュしたいときも、書店や図書館のなかを散歩することがある。未知の世界、未体験の出来事がこんなにもたくさんある。そう感じることができるのが心地いい。パソコンやスマホの画面に潜っているときには味わえない感覚だと、常盤は思っている。


 羨ましかったのかもしれないな。


 常盤はふと考える。小宮を応援し、柳澤の背中も押そうとした。矛盾した行動かもしれない。でも、もしかしたら、羨ましいという感情があったのかもしれない。誰かのことを素直に好きと表明できてしまえることを、心のどこかで羨ましいと感じていたのかもしれない。

 柳澤は小宮のことが好きで。小宮は近藤のことが好きで。その近藤はアセクシュアルだ。こういうのも三角関係と呼ぶのだろうか。呼び方より解き方を知りたいだけなんだけど。三角関数でも連立方程式でもなく、模範解答もない。

 本の列を縫い歩いていると、思考があちこち漂っていく。あるいは小宮もそうだったのかもしれない。たとえば梅雨のじめじめした季節に、こんなふうに悩みごとをしながら本棚を眺めて、フィーリングで何冊か手にとっては元に戻し、たまには気分転換にこういう本を読んでみようとか考えながら、そうして巡り合った『夜と霧』を読んでみて、全然内容とは関係ないのになぜか近藤のことを考えてしまうというような、そんなことがあってもおかしくはない……と常盤は勝手に想像を膨らませる。

 常盤の心の中で短歌が一首、形になる。




梅雨空になんとはなしに読む本にだれかの顔が浮かんでしまって

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