六年の想いうごめく恋心「友達じゃダメ?」って言われてもなお

 そこそこ歩き疲れたところで、休憩を挟もうとカフェを見つけて入店することにした。いわゆるサードウェーブ(?)と言うらしい小洒落こじゃれたお店だったが、豆の違いが分かるような嗜みを常盤は持ち合わせていない。入りづらそうな雰囲気だったら敬遠していた気がするが、若者客もわりと多く、尻込みせずは済みそうだ。


「なんか落ち着けそうな場所だね」


 座席と座席のスペースをゆったりと間をとってあり、BGMには和やかなジャズが流れている。

 常盤たちは空いていたテーブルについて、ひとまず涼をとる。


「こんなに暑いとイヤになっちゃうよね」

「盆地だもんね。内陸性の気候、夏は暑く冬は寒い」

「温暖化のせいでもあるんじゃないの?」

「直接的にはヒートアイランド現象とかフェーン現象とかが大きいのかなぁ」


 小腹を空かせていたため軽食を注文することにする。悩んだ末、カツサンドとハンバーグサンドを注文して二人でシェアすることになった。

 運ばれてきたのは、パンの部分より具の部分のほうが分厚そうなサンドイッチで、それが一皿に4切れ。ボリューミーという和製英語を使いたくなる。

 小宮がさっそくカツサンドを頬張り始めたので、常盤もハンバーグサンドに手を伸ばす。


「それで、なにか話したいことがあったんじゃないの?」


 と小宮は何食わぬ顔で(いやサンドイッチを食ってはいるんだけど)尋ねてくる。


「え、どうして?」

「だって、ときちゃんのほうから誘ってくれるなんて珍しいじゃん? ……それに近藤から連絡もあったし」

「近藤から?」

「謝られちゃったよ。ときちゃんにいろいろ打ち明けちゃったからって」


 小宮は近藤に振られたことを隠していた。少なくとも常盤に対して積極的に話さなかったのは事実だ。けれど、近藤は常盤がすでに事情を知っているものと思って漏らしてしまった。近藤はそのことをラインで謝ったそうだ。

 小宮はラインの画面を常盤に示す。近藤に大学案内をした日の日付。しかも午後5時を少し回った時刻だ。あのあと常盤と別れてからすぐさま連絡を取ったということだ。


「えっと、……ごめん」

「ときちゃんが謝ることじゃないでしょ。謝ってほしいわけでもないし」

「でも、わざと伏せてたんだよね? 静原さんのことを話したのに、近藤に振られたことは言わなかった」

「いわゆるレッドへリングってやつ?」


 少し後ろめたそうな顔をして小宮は言った。

 燻製ニシンの虚偽レッドヘリング。ミステリ小説などでよく使われる手法のひとつだ。読者の注意を真犯人やトリックから意図的に逸らすために用いられるニセの手がかりのことだ。

 小宮は、近藤が静原とデートしたという事実を伝えて“ビミョーな距離感”になっていると説明した。そうすることで近藤から振られたという事実を覆い隠した。


――ウソを吐くコツは、事実を一部だけ語り、あとは沈黙してしまうことだ


 常盤はこの前自分が言ったセリフを思い出す。小宮にうまくやられていたわけだ。

 けれど騙されていたという気は起きない。むしろ常盤は、語りたくなかったという小宮の気持ちのほうに共感する。


「ごめんね、黙ってて」

「いや、それこそ小宮が謝るようなことじゃないでしょ。っていうか、言いたくないことの1つや2つ、誰だってあるでしょ。人間だもの」

「ふふ。ときちゃんって、やっぱやさしいね」


 そう言って小宮はいつもの表情に戻ると、再びカツサンドに手を伸ばしている。


「近藤は“友達のままじゃダメか?”って発言したんだよね? 近藤も言ってたけど、それって小宮とはこれまでどおりの関係を続けたいってことなんでしょ? だったら……」

「ときちゃん、もしかして慰めようとしてくれてる?」

「え、あ、いや……」


 小宮が笑顔を浮かべて言うので、常盤は言葉に詰まってしまう。

 近藤は、小宮とは友達として関係を続けたいと考えている。そのことは小宮自身も知っている。たぶん、常盤が考える以上に悩み抜いたことだろう。

 小宮は食べていたカツサンドの残りをぽいっと口に放り込んだ。まるで燃料を補給するかのように口をモグモグする。


「ときちゃん、アセクシュアルって知ってる?」


 その一言は静かに告げられた。「この曲知ってる?」みたいな自然な言い方で、小宮はそう言った。


「え、あー、うん。聞いたことはあるよ。……無性愛って訳されるやつだよね?」


 異性愛や同性愛と同じく、性的指向を表す言葉だ。


「彼、アセクシュアルみたいなんだよね。正確にはアロマンティック・アセクシュアル」


 常盤は思わず言葉を詰まらせてしまう。

 要するに近藤は、他者に対して恋愛感情や性的魅力を抱かない人だということだ。


「わたしと付き合えないっていうのはさ、わたしをカノジョとして選べないって意味じゃなくて、そもそも恋愛感情一般を感じないってことだったらしいんだよね」

「らしいんだよねって……」


 そんなことをしゃんしゃんと言われても、反応に困る。


「近藤がアセクシュアルだってのは、確かなの?」

「確かだと思うよ。本人の口から確かめたから」


 常盤は近藤の発言を思い起こす。


――小宮からは、正直に気持ちを話してほしいって、これまでになく真剣に頼まれた。切実そうな声でな。……だから、俺もありのままを話すことにした。俺が小宮に対してどう感じてるのか


 あれは単に小宮を振ったということだけじゃなくて、自分がアセクシュアルだということをカミングアウトしたという意味だったようだ。


「でも、近藤本人がそう言ってるからって、それが本……」


 途中まで出かかった言葉を制止して、常盤は言い淀む。


「本人がそう言ってるからって、それが本当だとは限らない?」


 言葉を継いだのは小宮のほうだった。


「彼はそういう嘘を吐くタイプじゃないよ。それはわたしが一番よく分かってるつもり」

「うん。おいらも、近藤が理由もなく嘘を吐くようなやつとは思わないよ」


 小宮にとってセンシティブなことならば、なおさらだ。

 もっとも、近藤が本当にアセクシュアルであるかどうかはこの際あまり重要ではない。嘘であろうと本当であろうと、脈ナシという点では違いないから。

 常盤は小宮が近藤のそばで過ごしてきた時間を思う。

 一目惚れで始まった片想いから6年。中3の秋に告白してからでも3年以上の年月だ。高校時代の関係については直接知っているわけではないけれど、その年月の重みは、常盤にも沁みるほどに想像できる。だからこそ、そのぶん反動は大きくなった。中高6年間分の重みとなって。

 その時間を近藤の近くで過ごせたことは幸運だったのかもしれない。それでも、近藤はけっして振り向いてはくれないのだ。

 店内を流れるジャズの曲調は穏やかなままだった。




六年の想いうごめく恋心「友達じゃダメ?」って言われてもなお

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