絡み合う文字式を解くシャーペンは恋の悩みも知らなさそうだね

どうしてさ あいつはずっと、ただずっと一途に好きでいるんだろうか




 リズムをつけたり、意味を強調したりするために同じフレーズを繰り返すことをリフレインと呼ぶ。

 近藤の歌は「ずっと」「ただずっと」のは部分がリフレインになっている。「一途に」と合わせて「ず」の音が続くのも、歌の印象に連なっているかもしれない。全体が疑問文になっていて、その疑問の核心が「ずっと」のところにある。濁る音はざらりとした感触を添えている。

 ……分析的に言語化したらこうなるだろうか。

 ただ、常盤はノートのほかの部分が気になった。なんとはなしにページをめくると、数式っぽいものが並んでいる。


「なにこれ?」

「数学の問題だな」


 そう言って近藤はリュックから数学の問題集も取り出してみせる。

 常盤はノートに目線を戻して、パラパラと眺めた。問題はそれほど難しくない。

 常盤は経済学部なので、大学でも「経済数学」という講義があり、線形代数や行列式をやらされる。けれど近藤は文学部だし、難易度も高校の基礎レベルじゃないだろうか。

 リメディアル科目というやつだろうか。新入生向けに高校レベルの数学や英語などの補習的な授業を行うことをリメディアル教育と呼ぶ。


「公務員試験とかでも数的推理の問題が出題されたりするだろ? ちょっと勉強しとこうかなと思って」


 常盤が口に出さなかった疑問に対して、近藤が先回りするように説明する。


「意地を通せば窮屈だ」

「国語じゃなくて、数学の問題なんだけど?」

「ゴツゴツした解き方してるなーと思って」


 常盤はノートにあった近藤の解答を指し示す。数論の問題だった。5で割ると3余り7で割ると2余る3桁の正の整数はいくつあるか。

 近藤はN=5n+3=7m+2と置いたあと、式を変形、nが整数であることを利用して分数を整数kと置き、さらに今度はmについて同様の操作をして……という解き方をしていた。正解にはたどりついているものの、回りくどいように見える。


「この問題なら、変数を3つも4つも使う必要ないんじゃない? っていうか、こんな解き方してたら、途中で混乱しそう」


 常盤が近藤のノートの余白を借して、別の解き方を説明し始めると、近藤は「ちょっとまって」と言って、席を移動する。

 それまで向かい合わせに座っていたが、その向きだと分かりにくいからという理由で、常盤の左隣の位置に座り直す。

 近藤がノートを覗きこむようにしてくるので、肘がぶつかり合うくらいの距離になった。


「どうぞ、続けて」

「あ、うん……。えっと、7の倍数は7,14,21,28,35……だから、7で割ると2余る数は9,16,23,30,37……になるでしょ。このうち5で割ると3余るのは23。だから求めるNは、」


 常盤はN=35n+23と記す。あとは100≦N<1000となる整数nがいくつあるか求めればよい。


「ごめん、35はどこから出てきたの?」

「5と7の最小公倍数」

「えっと……」

「任意の正の整数NはN=35n+m(n,mは非負の整数。m<35)で表せるでしょ。35は5と7の公倍数だから、35nは5でも7でも割り切れる。だからNを5と7のそれぞれで割った余りは、mについてだけ考えればいい」


 なおも常盤が解説を重ねていくと、ようやく近藤は理解したようだった。


「近藤の解き方でも解けないことはないけど……」

「スマートな解き方をしたほうが、計算も楽だし、ミスも減るよな」


 こんなのは頭の良さではなくて、しょせんはテクニックの問題だ。似たような問題を見たことがあって、解き方を憶えていれば、あとはただの計算問題。


「一つ訊いてもいい?」


 質問しようとして常盤が左に向けると、想像していたよりも間近に近藤の顔があって、一瞬ぴくりとしてしまう。


「なに?」

「あ、いや……」


 常盤はテーブルのメニュー表へと目をそらす。


「紅茶、おかわりしようかなと思って。近藤はどう?」

「あ、じゃ俺も頼むわ」


 空になっていたスコーンセットのお皿を下げてもらって、追加の紅茶を注文する。近藤はもとの場所には戻らず、常盤の隣に座ったままだった。数学の問題集を開いて眺めている。


「近藤ってさ、」

「ん?」

「……京徳大学に落ちたのって、数学ができなかったからでしょ」

「まあ、そうだな。数学がもう少し出来ていたら、合格点には達してたと思う」

「このノートを見るかぎり、京徳の入試問題より手前のレベルで苦戦してる感じだよね」

「文学部受けるようなやつは、みんな数学できないだろうと思ってたんだがな」

「文学部だからこそ、むしろ数学で差がついちゃうんじゃないの?」

「……かもしれない」


 近藤は先ほどの問題の解説部分に目を通している。その様子を常盤は頬杖をつきながら眺めた。じーっと見つめていても、その視線が気にならないくらいに集中している。

 常盤は近藤のノートのすみっこに、小さな字でこっそり落書きしてみたが、近藤はそのことに気づかなかったくらいだ。




絡み合う文字式を解くシャーペンは恋の悩みも知らなさそうだね

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