もしほかに好きな相手ができたらさ わたしのことは捨てていいから

 図書館の前で解散してまもなく。ころあいを見計らっていたかのようにスマホが振動する。小宮からの着信だった。

 念のため周囲をきょろきょろ確認してから、常盤は通話に出る。


「もしもし常盤です。どちら様ですか」

〈オレオレ〉

「詐欺の電話だったら切るよ。そもそもコール画面に名前表示されてるんだから、なりすましはできないよ、小宮」

〈だったらときちゃんも、“どちら様”なんて無意味な質問しないでよ〉

「で、どしたの?」

〈喋り足りなかった分の女子トークでもしようかなって〉

「喋り足りなかった? 偽ったの間違いじゃなくて?」


 小宮がふふっと笑い声を漏らすのが、耳もとのスマホから伝え聞こえる。


〈えー、ひどいなぁ、そんな言い方〉

「だったらなんで近藤が小宮に惚れてることにしたの?」


 本当は逆だ。近藤が小宮に惚れているんじゃない。小宮が近藤のことを好きなのだ。しかもゾッコンってやつだ。


――だって、近藤が惚れてる相手はわたしだからね


 小宮がこともなげに嘘を言いのけたとき、常盤は「よく言うよな」とおののきそうになった。でも、その発言を訂正はしなかった。直前に小宮から頼まれていたからだ。

 図書館に柳澤が姿を現す前。小宮はしんなりした態度で頼んできたのだった――自分の嘘に付き合ってほしい、と。


「小宮ってそういうの隠すタイプだっけ?」


 人に恋心を知られるのは恥ずかしいっていうのはある。けど小宮は告白して以降は片想いを公言していたし、高校でもそうだったと聞いている。嘘をついてまで隠そうとするのは意外だった。


〈それはほら、あれだよ。信仰上の理由というか〉

「どんな信仰よ」

〈勘違いさせるのって、なんか面白いじゃん?〉

「おーい。なに言ってるの? この子、頭だいじょうぶ?」


 理由のバカバカしさに、常盤のセリフは棒になる。


〈面白いって理由だけじゃダメ?〉

「ダメでしょ。……え、おいらの感覚がおかしいの?」

〈まあ、さすがに面白いって理由だけじゃないけど〉

「なら、そっちの理由を聞かせてよ」

〈そんな〜! わたしになんてことを言わせる気?〉


 小宮はドロドロした昼ドラでも演じるみたいな大仰な声を出した。その熱演につきあうべきかどうか迷っていると、耐えられなくなったのか、小宮は自分で吹き出して笑った。


「自分でボケて自分で笑わないでよ」

〈だって、ときちゃんがツッコんでくれないんだもん〉

「あのねぇ」

〈分っかんないかな〜、この気持ち〉

「分かんないよ」

〈分かんないかな〜〉

「だから分かんないって」

〈分かんない……かな? ……見栄を張っちゃうこの気持ち〉

「え?」


 小宮が急に声のトーンを落としたので、常盤は一瞬とまどってしまう。


〈柳澤さんが最初、ときちゃんと近藤の仲を勘ぐってたって話、したよね?〉


 船坂山公園で鉢合わせになり、常盤は近藤の手を引っ張ってその場を逃げ出した。柳澤はそれを見て、「今のって近藤くんだよね?」と小宮に確認した。そして「あの二人って、そういう関係なのかな」とつぶやいたという。


〈わたし、その場で否定したんだよね。“ときちゃんと近藤は付き合ってないよ”って〉

「うん」

〈だけど柳澤さん、“どうして断定できるの?”って重ねていてきたんだよね。すっごい真顔で。

 ほら、柳澤さんは古本まつりで二人が一緒にいるところを目撃してたでしょ? ときちゃんも“遠くて近きもの”なんて意味深なこと言うし。

 わたしは中学時代の二人のことを知ってるし、近藤とは高校も一緒だった。けど、大学生になってからは近藤とは会えないでいたから。“ここ最近付き合い出した可能性は否定できないんじゃないの?”って言われちゃった〉

「ははは。法律家目指してる人だし、厳密な事実関係とか気にしちゃうのかな」

〈わたしのほうもさ、ちょっと悔しくて、ムキになっちゃったんだよね〉

「それで?」

「それで、“だって近藤の好きな相手はわたしだから”って言っちゃった〉

「……言っちゃったんだ」

〈うん。言っちゃった〉


 そして小宮は説明したという。中3のとき告白されたこと。OKはしなかったけれど、友達以上恋人未満として良好な関係にあること。高校も同じ学校に行き、そのまま関係性が続いていること。

 それはおおむね事実のとおりだ。片想いの方向が近藤→小宮ではなく小宮→近藤であることを除けばだが。


「なんか意外だね。小宮がそういうとこでムキになっちゃうなんて」

〈そんなことないよ。だってわたしさ、ずーっと近藤と付き合いたいって思ってきたんだよ。それなのに、わたし以外の相手と付き合ってるって勘違いされたんだもん。ちょっと心外じゃん?〉

「気持ちは分からなくもないけど。ムキになったからって、嘘までく?」

〈ムキになったんだから、嘘くらい吐くでしょ?〉

「少なくともおいらだったら、あんな嘘は吐かないよ。せいぜい、事実に反しない程度のウソにとどめておくね」

〈なにそれ? 事実に反しないんだったら、嘘って言わなくない?〉

「ウソを吐くコツは、事実を一部だけ語り、あとは沈黙してしまうことだ」

〈え?〉

「最近読んだハインラインの小説に、そんなようなことが書いてあった」

〈受け売りかよ〉

「ま、とにかく。あんまり見栄を張り続けるのはよくないと思うよ」

〈はいはい。柳澤さんには後で謝っておくよ。しばらくしてから、ね〉


 しばらくしてから。小宮はタメをつけた言い方をした。

 考えてみれば、柳澤にとってもこの嘘の意味は大きいはずだ。小宮に好きな人がいるのと、小宮を好きな人がいるのとでは。


「柳澤さんとは、結局どうなの?」

〈どうって?〉

「付き合う的なこと」

〈どうだろうね。柳澤さんは付き合いたいって気持ちもあるのかもしれないけど、とりあえずは自分のキモチを伝えられればいいってだけ考えてたみたいし〉

「小宮的にはどうなの?」

〈わたしは近藤に一途だから〉


 迷いなく「一途だから」と言える小宮に、常盤はすこしばかりひるみそうにもなる。


「ビミョーな距離感になってるんじゃなかったっけ?」

〈どうなんだろうね。自分でもよく分かんない。彼と一緒にいたいって気持ちが強い一方で、モヤモヤしてるっていうか、戸惑ってる部分もあるんだよね。それにさ……〉


 そこで小宮の言葉は途切れた。なかなか言葉が戻ってこない。


「小宮?」

〈あ、ううん、なんでもない。ひょっとしたら、いままでの状態がさ、居心地が良すぎたのかもなぁって思ったの〉

「いままでって、友達以上恋人未満がってこと?」

〈たとえ振り向いてはくれなくても、そんな状態をけっこう気に入ってたんだよね、たぶん〉

「……不満足なソクラテスみたいな?」


 満足した愚者であるより不満足なソクラテスであるほうがいい。そんな金言がある。

 ちなみにソクラテス自身は悪妻を持ったことでも有名だ。「ぜひ結婚したまえ、良妻を得れば幸福になれるし、悪妻を得れば私のように哲学者になれる」などという名言(迷言?)を残している。


〈う~ん。ちょっと違う気がするなぁ〉

「振り回されるのが好き?」

〈振り回すのも好きなんだけどね。……って、あー、またわたしのワルい性格バラしちゃったな〉

「だいじょぶだよ。そんなのとっくに知ってるから」

〈えー、ヒドイなぁ、ときちゃん〉

「じっさい小宮は、沈黙が花ってとこあるよね」

〈あれ、もしかしてめられてる?〉

「いや、褒め言葉じゃないから」


 スマホを通して、互いの笑い声が行き来する。

 二人の笑いが収まったところで、一休みするような沈黙が訪れる。気まずい沈黙ではなく、安心するような心地いい沈黙。

 そのあとで「あのさ」と口を開いたタイミングは、くしくも二人一緒になった。お互いに「どうぞ」「たいした話じゃないから」と発言権を譲りあう。譲りあってどちらもなにも言わずじまいになり、そのぎこちない沈黙を、また二人で笑った。


「なにか用件があったんじゃないの? そっちから掛けてきたんじゃん」

〈用事がなかったら電話しちゃダメなの?〉


 思いっきりシナをつくった猫なで声で、寂しがるような演技で小宮は言う。


「またそんなメンドーな恋人みたいな言い方するね」

〈うふふ。まあでも、用件らしい用件があったわけじゃなくて。ただ、ありがとねって言おうと思っただけ〉

「ありがとって何が?」

〈わたしの嘘に付き合ってくれて、ありがとってこと。初めてなんだよ? あんなふうに偽るのって。なんか、カレシ自慢してるみたいで楽しかった〉

「あんまり毒の味を覚えないようにね。中毒にならないように」

〈うん。気をつけるよ〉


 じゃ、またラインするから。こんど買い物にでも行こうね。小宮はそう告げてから通話を切った。

 暗くなった手許てもとのスマホの画面を見ながら、常盤は小宮のことを案じる。

 ムリして明るく振る舞ってるわけではなさそうだった。けれど不安定さを感じないというのとも違う。

 つくづく不思議な関係でもある。小宮はもはや片想いの気持ちを隠すこともないし、近藤もそれを知りながら恋人未満で通している。その状態を小宮は不満に感じるでもなく、そのまま高校3年間を過ごしてきた。

 常盤は中3のとき――小宮が告白したときのことを思い出す。小宮が近藤に対して言った言葉。近藤と付き合いたい一心で放った言葉。本気なのかもしれないけれど、もしかしたら、それが今も小宮を縛りつけているのかもしれない。だからややこしくなってるのかもしれない。ふと、そんなことを考える。




もしほかに好きな相手ができたらさ わたしのことは捨てていいから

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