送り火に焦がす心を重ねつつ夜に染まりし古都を歩いた

 大文字だいもんじの火が消えて、どちらからともなく立ち上がる。お互いの詳しい下宿先は知らないけれど、古本市の帰りのときに、だいたいの場所は把握していた。途中までは同じ帰り道になる。


「小宮、ちゃんとコテ巻いてたよね」


 そんな話題を振ってみる。左隣の近藤は「え?」とあいまいな声。


「ほら、今日の小宮の髪形。毛先ふんわりしてたじゃん?」

「マイナーチェンジ以前に、フルモデルチェンジが驚いたんだけど」

「あ、そっか。髪明るくしたの見るの初めてだっけ?」


 小宮がカラーリングしたのは期末試験明けだった。さりげない感じでハイライトも入れていて、明るいルックスが増していた。


「違う、そうじゃなくて。そもそも短くしてるのが初見だったよ」

「え? だってショートにしたのは……」


 常盤が4月に再会したときには、小宮はすでにセミショートだった。近藤が知らないということは、短くしたのは高校を卒業してからということか。そして、それ以来、小宮と近藤は顔を見ていないということでもある。

 “ビミョーな距離感”というワードが頭をよぎる。


「しかも後ろ姿だったから、最初別人かと思って」

「だからおいらの名前だけ呼んだんだ。小宮だと気づいてなかったから」


 常盤はかぶっていた帽子を脱いで、それを見つめる。古本市に出かけた際にもかぶっていた黒メッシュのキャップ。近藤はさきに常盤に気づき、小宮の存在にはあとから気づいた。


「まあでも、ああいう髪形も似合うよな、小宮って」

「え?」

「なんだ、常盤は違うのか?」

「あ、いや、おいらも髪形いいなって思ってたけど、そうじゃなくて……。なんか珍しくない? 近藤がそうやって誰かの容姿を褒めるのって」

「そうか?」

「じゃあ今度小宮に会ったときに伝えとけばいい? 近藤が小宮のキュートさに驚いてたって」

「それ、だいぶ意訳になってるぞ」

「誤訳とは言わないんだ?」


 常盤がからかって言うと、近藤はぽんっと頭に手刀をお返しする。冗談と分かったうえでの他愛のない会話。この距離感が心地いい。

 

 川筋に沿った道から離れると、街の光量はつとに寂しくなった。

 道路を通る自動車がぐっと少なくなり、脇に入った道はコンビニも立地しない。街灯の灯がまばらに連なるだけだ。生活道路というか、通勤・通学経路なのだろうけれど、一本奥に入っただけで、急に景色が変わる。まるで表から裏に世界が切り替わったかのように。

 ゆるゆると、とりとめのない会話をしながらの帰り道だった。「たまや~」と「かぎや~」のどっちの掛け声をするかとか、ぼた餅とお萩は何が違うのかみたいな、くだらない議論もした。

 きっと数週間もしたら、あのときどんなことを話したかなんて、忘れてしまうような内容だ。けれどもそういう雑談が、かけがえもないようにも感じる。情報を交換するのではなく、情感を交わらせるような、そんな時間。


「そういえば、二人で帰るってシチュエーションは、中学のときはなかったよね?」

「家の方向的にどうしてもそうなったもんな」

「どう? 女の子と連れ立って夜道を歩く気分は?」


 なんとなく、小宮のいたずらっぽい言い方をマネしてみた。しかし近藤は軽く鼻で笑ってあしらう。


「どうせ揶揄うなら“かわいい女の子と二人っきりで”くらい言えよ」

「なっ、」

「おおかた、自分で自分のことかわいいとは言えなかったんだろ。かわいらしいやつめ」


 近藤はすました顔でそんなことを言ってくる。「かわいらしい」という言葉に、常盤は紅潮しそうになるのをぐっとこらえる。


「ズルいよね。そんなセリフを……」


 言いかけて、途中でやめる。

 ひと呼吸して区切りを入れた後、常盤はわざと棒読み風に発する。


「ズルいよね、そんなセリフを、恥じらいも、ためらいもなく、女子に言うって」


 近藤は一瞬考えるような顔をしたが、すぐにふふっと笑い返した。


「なるほど、57577か。即興の短歌だな」


 短歌と言われると恥ずい気もするが、57577のリズムを常盤は好きなのだった。だからだろうか、常盤の詠む歌には極端な字余りや字足らずが少ない。


「返し歌は?」


 和歌を贈ってもらったとき、返事として詠む歌を返し歌とか返歌という。英語で言えばアンサーソング。

 近藤は少し考えるようにしてから、答える。


「ためらいも、恥じらいもなく、言うわけじゃ、ないんだけどな…………俺だって」


 結句の部分はワンテンポ遅れ、字足らずになっている。即興で詠んだから、言葉がうまく思い浮かばなかったのかもしれない。


「ふ~ん」

「なんだよ。ちゃんと返し歌になってるだろ?」

「“恥じらいもなく言うわけじゃない”なんて、ほんとかなぁって思って。全然恥ずかしがってるようには見えないんだけど?」

「短歌っていうのは作品なんだから、多少は脚色があるだろ。古今和歌集とかだって、大袈裟な誇張やウソも技巧としてあるし。サラダ記念日だって、サラダじゃなくてから揚げだったし、7月6日でもなかった」


 作品は記録でも日記でもない。小説や詩が事実そのままとは限らないように、短歌もまた作品なのだ。

 近藤はそういう言い方をして、はぐらかす。なので常盤は切り口を変えて質問してみる。


「昔はそういうこと、あんま言わなかったよね?」

「そういうことって?」

「さっき言ったみたいなこと」

「ん?」

「だから……“髪形が似合う”とか“かわいらしい”とか、そういうセリフっ」

「別に今だって、だれかれ構わず言ったりしねーよ。気の許せる相手にか言わないから」


 またさらっとセリフを言ってくるじゃん、と常盤は感じたけれど、それは口には出さないようにした。

 交差点に差し掛かったところで、近藤と常盤は足を止める。気づくとずいぶんな距離を歩いていた。帰り道が分かれるのはこのあたりだ。


「夜道を歩く気分……か」


 立ち止まったまま、近藤は口を開く。


「夜の街の景色って、わりと好きなんだよな、俺」


 近藤がゆるりとあたりを見渡す。繁華街からは離れ、信号の灯もなく、街灯がけなげに照らすほかは光源に乏しい住宅地。うら侘しいという言葉のほうが似合いそうな光景。

 古都の景観を維持するため、条例で建物の高さや派手な広告が規制されている。ギラギラのネオン広告などないから、夜の闇によく染まる。


「“こく洞々とうとうたる夜”だから?」


 常盤は頭に浮かんだフレーズを口にした。黒洞々たる夜。『羅生門』で覚えた言葉だ。そういえば、この街を舞台とする小説だった気がする。


「なんて言うんだろ。普段とは違う顔を見せてる感じって言うのかな。明るい時間帯の訪問客には見せない夜の顔というか」

「昼と夜とじゃ、同じ場所の景色もぜんぜん違って見える……ってこと?」

「そうそう。見慣れてるはずなのに、見たことないような光景に思えて。それが不思議な感覚を湧かせるんだよな、なんとなく」


 近藤がぼんやりと空を仰いだので、つられて常盤も夜を見上げる。月の明るさが街灯といい勝負を演じている。

 上空を見つめたまま、常盤はつぶやいた。


「だとしたら、この宇宙が有限であることに、感謝でもしておきますか」

「……どういうこと?」

「もし宇宙が無限に広がってたら、無限の星の光に照らされて、夜も眩しくなってたはずだから。オルバースのパラドックスね」

「へえ。さすが京徳大生」


 自動車が1台交差点の角に進入してきて、二人の横を通り過ぎていく。

 会話が途切れて、なんとはなしにその様子を眺めていた。なぜだかどちらも歩きださない。とくに意味のない数秒間の沈黙。


「じゃ、またね」


 常盤が先にさよならを言って別れようとしたとき、近藤は「待って」と引きとめる。


「なに? どうしたの?」

「1個、頼みごとしてもいい?」

「へ? 頼みごと?」


 意外に感じて、声がふにゃっと出てしまう。


「こんど時間あったら、京徳大学を案内してほしい。見学してみたい」

「そんなの、別においらに頼まなくったって……」

「“少しのことにも先達はあらまほしき”って言うだろ?」


 近藤は両手を合わせるポーズをとった。お願いを表すポーズか、あるいは仁和寺の法師のジェスチャー。

 断る理由があるわけではない。常盤は挨拶の言葉を返すように、了承の返事をした。




送り火に焦がす心を重ねつつ夜に染まりし古都を歩いた

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