ミルクティーとレモンティーとを一遍に飲むのはやめておくべきらしい

 送り火当日の午後。時刻は2時をやや過ぎたところ。送り火が灯火されるのは夜八時だから、小宮たちとの約束までには余裕がある。

 常盤が柳澤から指定されたのは船坂山公園のほど近くにあるカフェ。船坂山は五山送り火の定番鑑賞スポットのひとつで、ちょうど行こうと考えていた場所だったので都合はよかった。

 カフェに到着して、常盤は店内を見渡す。すでに柳澤は奥のテーブルで待っていた。柳澤が常盤に軽く手を振って合図してきたので、常盤は帽子をとって、ぺこりと会釈して応える。

 ティータイムのカフェはお客さんでおおむね埋まっていた。店内は質素だがどこか懐かしさを覚えるレトロな雰囲気。香っているのは紅茶の葉っぱの匂いだろうか。

 常盤は柳澤の座るテーブルまで移動すると、向かい合う形になって腰を下ろした。


「来てくれてありがとう。ごめんね、突然連絡して」

「全然いいですよ。ちょうど夕方から送り火を見に行こうって話してて、この近くで見る予定だったので」


 メニュー表を受け取ると、柳澤から「今日はおごるから、好きなの頼んで」と声をかけられる。好きなのを頼んでいいと言われると、常盤は飲み物だけでなく、ついデザートメニューにも目を走らせてしまう。


「それも頼む?」

「いいんですか?」

「そういえば常盤さん、甘い物、好きだったよね」

「それじゃあ、お言葉に甘えさせてもらいます」


 意外と言われることもあるのだけれど、常盤は甘党で、小宮が辛党なのだった。先輩の言葉に甘えて、常盤は紅茶に加えて抹茶パフェも注文する。

 柳澤は公共政策論基礎ゼミで一緒になった、法学部2回生の男子。知的でクールな印象のある先輩だ。

 基礎ゼミは全学共通科目(一般教養科目:通称パンキョウ)のひとつ。1班3~4名に分かれてグループをつくり、自分たちが選択したテーマについて調べて、発表にまとめるというタイプの授業だった。

 パンキョウは学部専門科目と違い、全学的に開講されるので、他学部の人とも縁ができる。だから学部がバラバラな常盤、小宮、柳澤の三人もこのゼミで同じ班になったのだった。


 加えて柳澤は小宮のバイト先のトラブルについても力になってくれた。いわゆるブラックバイト問題。小宮がバイトしている個別指導塾で、過剰にシフトを入らされるということが続いていた。

 シフトが強制されるのが嫌で辞めていくバイトも少なくなく、その抜けた穴は残ったバイトがカバーしなければいけなかった。そうやってシフトが増えると辞めるバイトも増えるという悪循環。

 小宮だって4月から始めたばかりのバイトなのに、5月に入ってからはカバーに回されるほどだった。任された生徒への責任感もあって、小宮もなんとか頑張っていたようだったけれど、大学の期末試験期間になっても全然休めないのがいよいよヤバいとなって、相談につながった。

 柳澤は法律相談部で活動していて、以前にもブラックバイトの相談を受けたことがあったという。そのときのツテでブラックバイト・ユニオンという団体を紹介してもらい、小宮の問題は改善に向かったのだった。


「小宮のブラックバイトの一件のときは、本当に助かりました」


 常盤は改めてお礼を述べる。小宮のキツそうな様子を見かねて、柳澤に相談を持ちかけたのは常盤だった。


「いやいや、僕はユニオンに繋いだだけで、たいしたことはしてないから」

「いえ、柳澤さんのおかげです。おいらはどうしていいか分かんなかったし、こんなに早く解決するとも思ってなかったんで。ほんと、柳澤さんに相談してよかったです」

「ユニオンの人に聞いたら、あそこまで即座に状況が好転するのは珍しかったみたいだね」

「そうなんですか」

「交渉の場で大学生協の名前を出したのがかなり効果的だったらしいね」


 その塾は大学生協を通じてバイトの求人募集をしていた。

 偏差値の高い京徳大生が直接指導してくれるというのは、塾の売りのひとつでもある。バイトの離職率が高いのにその塾が経営を続けてこられたのは、自転車操業のように新規バイトを雇入れていたからだ。

 大学生協が行なっているバイト紹介だからと、信用してしまう学生も少なくなかった。生協のほうも求人票のチェックはしているようだが、職場の実態まではチェックが行き届かなかったらしい。

 ユニオンは、今の状況が続くなら生協にかけあって、その塾の求人を停止させると訴えた。交渉材料としてこれが功を奏したとのことだった。塾側としても京徳大生のバイトが雇えなくなるのは手痛いということだろう。


「でも、珍しいですよね? 小宮抜きで話したいことがあるって」


 基礎ゼミの授業以外で集まる時間がなかったわけじゃない。ゼミは各班ごとに発表があったので、その準備で集まることはあったし、ブラックバイトの件でも時間をとって相談したことがあった。

 だが、そういうときは小宮も一緒か、少なくとも小宮に声はかけていた。どうしてもバイトが抜けられなくて、常盤と柳澤二人だったことはあるけれど、初めから小宮を呼ばないのは珍しかった。いや、もしかして初めてだろうか。

 柳澤は今回、〈小宮さん抜きで話をしたい〉と言って常盤を呼び出したのだった。


「じつはこの前糺森ただすのもり神社の古本まつりで常盤さんらしき人を見かけたんだよね」

「え、じゃあ柳澤さんも来てたんですか」

「ということは、やっぱりあれは常盤さんだったんだ。連れ合いの人もいたから、声かけるのは遠慮しちゃったんだけど」


 考えてみれば、古本まつりで常盤はほとんどの時間、近藤と一緒だった。


「もしかして、会話とか聞こえました?」

「会話?」

「あ、いや何でもないです」


 短歌のこととか、デートに誘ってしまったこととか、知り合いに聞かれるのは恥ずかしい内容だった気がする。

 注文した抹茶パフェがテーブルに届く。紅茶は常盤がレモンティーを、柳澤がミルクティーを頼んでいた。


「柳澤さん、」

「ん、なに?」

「もしよかったら、ミルクだけ少し分けてくれませんか? レモンティーとミルクティー、どっちも飲みたい気分なんですよね」


 常盤のわがままに応じて、柳澤は紅茶についてきたミルクを常盤に渡す。

 このあと常盤は、紅茶にミルクとレモンを同時に入れると、ミルクが凝固してしまっておいしくならないということを学ぶことになるのだった。




ミルクティーとレモンティーとを一遍に飲むのはやめておくべきらしい

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