それとなく帽子の角度を引き下げる 眉間のしわを隠せるように

 小川の脇はちょっとした広場みたいになってて、ボランティアの人が紙芝居つきの朗読劇を始めたところだった。子どもたちがそちらのほうへ集まっていく。

 かき氷を食べ終えた二人は、なにと言うことなく、ふたたび古本市をぐるぐる廻ることにした。


「最近書いたりはしてるの?」


 近藤が訊いてくる。「書いたり」というのは創作活動のことだろう。


「おいらはあんまり。高校は文芸部も無かったし……」

「“あんまり”ってことは、少しは執筆してるんだ?」


 近藤は言葉尻をしっかり捉えてくる。

 中学の文芸部時代は小説の執筆(といっても短いやつだけど)もした。ただ、卒業以降はめっきりだ。常盤の進学した高校に文芸部はなかったし、個人で活動したわけでもない。

 でも「まったく」ではなく「あんまり」という言い方をしたのは、短歌だけはたまに詠むことがあるからだ。


「執筆じゃなくて、短歌をたまにむくらいだよ。気が向いたときにね。とは言っても、昔ほどは詠まなくなったかな」

「俺、けっこう好きだったよ」

「へ?」

「常盤の詠む短歌、けっこう気に入ってた」


 近藤はさらりとそんなことを言い放つ。急に「好き」なんて言ってくるから、常盤はついマヌケな声をあげてしまった。他意がないとわかっていても、ちょっと気にしてしまう。

 常盤が返事を返しあぐねていると、近藤はやはりさらっと続ける。


「せっかくだし、ちょっと一首詠んでみてよ」

「ムチャぶりだなぁ」

「ダメか?」

「いつもは即興で詠んでるわけじゃないし、なんかこう……ぱっと詠みたいことがあるときに詠んでるだけだから」

「つまり……いまは短歌にできそうな題材が浮かんでこない?」


 それは……たしかに詠みたいことがないわけじゃない。むしろこういう機会こそ、なにか書きとめておきたいとも感じる。

 シイやケヤキの生える鎮守の森。軒を連ねた古書店。古い紙とインクが醸す独特の匂い。ゆるりと、しかし止まることのない人いきれ。鳴り響く蝉の声に、木立を抜けていくそよ風。日常から逃れるアジール……は言いすぎかもしれないが、そんな場所で中学時代の旧友と再会できた。

 言の葉をかたどるには、いい折りかもしれない。

 常盤はメモ帳を取り出して、そそくさと書きつける。




嬉しいな 古本まつりで久々に昔の友に出会えたことが




 書いた後で、「これはさすがに」と思って、手を止める。ところが近藤はそのメモ帳をひょいっとつまみ上げて、目を走らせた。


「ほほう」

「ちがう、それはほら、あれだよ。まだ途中って言うか、わざとヘタクソに詠んだっていうか」

「わざとヘタクソに詠んだのか?」

「そ、そうだよ。ほら、あんまり上手すぎる歌を詠んでも、かわいげがないでしょ?」

「ハハ。かわいげか、なるほど」


 笑われた。近藤が詠めって言うから詠んだのに。


「これから推敲するところだったのに」

「別にこのままでもいいんじゃないか?」

「やだよ。“嬉しいな”の初句はなんかこう、恥ずい」


 恥ずかしいという意味では、そもそもこうして自分の短歌をじかに近藤に見られるということ自体が恥ずかしいとも言えるのだけれど。

「推敲するとしたら、どんなふうに変える?」と近藤が尋ねてきたので、常盤はメモ帳を返してもらい、シャーペンで二重線を走らせる。その下に言葉を書き加えて、修正した短歌を近藤に見せる。




嬉しきは古本まつりで久々に昔の友に出会えたことよ




「どう?」

「う~む」

「すこし文語体っぽくして、結句の“出会えたことよ”で、“よ”を使ってここに気持ちが集約する感じにしてみたつもりなんだけど……」

「正直言っていいか?」

忌憚きたんなき意見をどうぞ」

「さっきのほうが良かったんじゃないか?」

「そうかな?」

「普段の話し言葉とは遠い言い回しになったぶん、感情が奥に隠れてしまった気がする」


 こんどは常盤が「う~む」と悩む。

 近藤は「貸して」と言って、常盤のメモ帳を手にとった。常盤とは筆圧の異なる文字がメモ帳に書きたされていく。




嬉しいな 古本まつりで久々に昔の友に出会えるなんて




 近藤の直した短歌を読んで、ああ、こっちのほうがいい、と心が反応する。

 語尾が“~なんて”に変わることで、初句の“嬉しいな”に対応して、はずんだ感じがよく出ている。“出会える”と現在形にしたことも、今まさにウキウキしてるってのが伝わる。

 なにより会話体に近づいたことで、素直な感情がそのまま表現されているように感じる。

 ……だけど、というか、だからこそ、余計に恥ずかしくなってくる。

 考えてみればこの歌は、「君に会えるなんて嬉しい」とストレートに詠んだ歌だ。そんなあざといセリフ、小宮ならともかく、常盤はとても言う度胸がない。

 短歌という舞台を用意されたせいで、言わないことまで言ってしまった。

 そんなことに今さら気づいて、常盤はじんわり頬が紅潮する。


「でもあれだね。真ん中の部分がもたついてるよね。“久々”も“昔の友”も意味的にダブってるし」


 常盤は近藤が手を入れなかった箇所に話をそらす。


「リズムの問題?」

「もっと軽やかにしたいかなーって」

「軽やかに、ねぇ」

「あと、これは好みの問題かもしれないけど……、“嬉しい”って感情を表す言葉をそのまま入れるのはやっぱ避けたいかも。“今日は楽しかったです”って書いちゃう、小学生の作文みたいな感じしない?」

「別に小学生の作文とまでは言わないけど」


 それでまた近藤は別案を考える。こんどは全体を書き直している。そして詠み直したのがこんな歌だ。




運がいい 古本まつりでばったりとあの日の友に会えたんだから




「“あの日の友”は少し気取ってるというか、凝りすぎてる感じもするから、違う表現のほうがいいかもしれんが」と近藤は自分で寸評する。


「いいんじゃない? おいらは好きだな、あの日の友」


 それに常盤には“運がいい”という初句は思い浮かばなかった。同じ初句でも、“嬉しいな”より“運がいい”のほうがどういう嬉しさなのかイメージが湧きやすい。ここが神社の境内ということもあってか、“運がいい”ってフレーズのほうが雰囲気に合ってる気もする。

 あと、こっちのほうが気恥ずかしさは少ないかもしれない。


「ねえ、近藤もなんか一首詠んでよ」

「気が向いたときにな」

「ちょっと」


 そういって近藤はのっそり歩き出す。でもメモ帳は手に持ったままだ。

 常盤は黙ってその後をついていく。近藤は人の頼みを無下に断ったりするようなやつではない。少なくとも中学時代はそうだった。「気が向いたときに」なんて言いつつ、考えてくれているような気がする。

 古本市にはいろんなジャンルの本が集まっていて、児童書も専門書も、古地図やパンフレット、雑誌、コミックやラノベも含めて、こんな風に並んでいるのはなんだか面白い。

 ゆっくりと歩いていたつもりだったのに、いつのまにか古本市の端っこのほうまで来ていた。近藤は立ち止まって、メモ帳に書き込みだす。書き終えると常盤にメモ帳とペンを返した。




人の金せびって買った古本を受け取りながら「やさしい」と言う




「何これ?」

「短歌だよ。知らないか? 57577の調べをベースとした定型詩」

「そうじゃなくて。この歌、おいらのことイジってるよね?」

「解釈は読み手の自由だ」

「それ、イジってるってことじゃんっ」


 常盤が不満顔をしていると、近藤が続ける。


「『ありがと』じゃなく『やさしい』ってとこがミソだな」

「どういうこと?」

「『ありがと』は感謝の言葉だが、『やさしい』は人柄を褒める言葉なんだよな」

「……?」


 それはつまりどういうことだろうか。

 たしかに常盤は「ありがとう」の代わりに「やさしいじゃん」と口にした。近藤はそれが嬉しかったということだろうか?


「眉間にしわよってるぞ」

「うるさいっ」


 常盤はむっとしてそっぽを向く。近藤はそんな常盤を眺めながら、やっぱり笑うのだった。




それとなく帽子の角度を引き下げる 眉間のしわを隠せるように

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