怖いよ君
淫魔にとって、夢の中でも現実でも異性と交わるという行為はある意味で日常的なモノであるのは確かである。
里に居るサキュバスはもちろん、里の外で主に活動しているサキュバスもまたそういった行為には非常に開放的なのも確かだ。
ナナリーさんに聞いたことがあるけれど、人の世に溶け込むのと情報収集のために表向きは人間が運営してはいるものの、その実体はサキュバスが運営する高級娼館というのも存在しているのだとか。
(……懐かしいな。まさかこうしてまた会うなんてな)
さっきも言ったが淫魔はそういう行為に対して例外を除き嫌には思わない。
それは俺も同様で、流石に誰でもというのは無理だが……淫魔としての本能と、相手を救いたいという気持ちが一致した結果――俺は一度だけ、人間の女性の相手をしたことがあった。
それが目の前の彼女――現れた俺を嬉しそうに見つめる少女だった。
「魔族様! また会えて光栄です!」
「お、おぉ……」
端正な顔立ちの上に喜びを前面に押し出しながら彼女は俺との距離を詰めた。
腰ほどまである長い金髪と、アリアよりも少し大きいくらいの胸元を揺らして彼女は駆け寄ってきた――基本的に俺は夢の中で相手の名前を知ろうとはしなかったのだが、彼女に関しては別れ際に一方的に名乗っていたので知っている。
(聖女エクシス……一番魔族と仲良くしちゃいけない相手なんだよな)
そう、彼女は聖女と崇められている存在だ。
ラグナディア王国という大きな国、そこの聖女として祭られている少女……決して魔族と相容れない立場筆頭とも言える少女なのに、俺は彼女と夢の中で関係を一度だけ持った。
夢の中なので俺が負けることはあり得ないが、それでも魔族が苦手とする浄化の魔法を扱う彼女なので怖くはあった。
「また……お会い出来ましたね♪」
「……せやな」
でも大丈夫だろう。
だって彼女、満面の笑顔だし……まあすぐにここから逃げても良いのだが、引き寄せられるように入り込んだ夢に彼女は居た。
それなら少しだけ、一度関わった者として言葉を交わすのも良さそうだ。
「その様子だと元気にしてるようだな? エクシス」
「あ、私の名前を……ぅん♪」
「おい」
「申し訳ありません! あなたから名前を呼ばれるとあの瞬間を思い出してしまうのです♪ 私にとって全てが変わった日、あなた様に体を捧げたあの日のことを♪」
「……………」
聖女ということで彼女は清楚な印象が先立つ見た目なのに、興奮しているかのように身を震わせる姿はちょっと……いや、かなりエッチである。
サキュバスよりもサキュバスらしいは言い過ぎだけど、それでも彼女がこんな風に明るくなってくれたのは良かった。
少なくとも、最初に出会った彼女を知っていればいるほどな。
「俺は基本的に何か特別なことがない限り一度会った奴と会うことはない。でも、またこうして顔を合わせたのも縁だろう。今日はエクシスの夢の中で過ごすかね」
「本当ですか!? 凄く嬉しいです!」
なんか、犬みたいな子になってしまったな。
もしも尻尾があったら忙しなく動かしていそうなほど。
(……ほんと、元気になったもんだな)
俺が初めて彼女に会った時、彼女には表情と言えるものが存在していなかった。
生きることに絶望すら抱けないそんな雁字搦めの運命に居た彼女に出会い、夢だからこそ聞くことの出来る彼女の声に俺は応えた。
(王国と聖女……異世界ファンタジーにはありがちな設定なのに、彼女が受けたものは正直に言ってこの世界の闇みたいなもんだった)
聖女として崇められている……それは確かにそうだった。
しかしエクシスの場合は少しだけ違い、彼女は生まれながらにして聖女であることを運命付けられ、同時にその魂に隷属の呪いを掛けられていた――王族によって。
聖女は国の希望であり人々を導く灯……だが同時に強い力を持っているからこそ王族たちは保険のためにエクシスの魂を縛り付けたのだと、全てを諦めていたエクシスは俺に語ってくれた。
『私は生まれながらにして自由がありません……私が自由になれるのはこうして見ることの出来る夢の中だけ……ふふっ、魔族の方に会えるとは思いませんでしたけど不思議ですね。あなたからはどこか、優しい人の気配を感じます』
夢はその人の全てを曝け出す――故に嘘は吐けない。
だからこそ彼女がその身に受けた呪いと境遇は偽りではなく、果たして意志を必要とされない飼われているだけの人生は生きていると言えるのか……俺は魔族として生まれ変わり感性は少し変わったが、それでも彼女の人生は残酷だと思えた。
「本当に元気になってくれて良かったよ。実は少し気に掛けていたんだが、その様子だと全然大丈夫みたいだな?」
「はい! 何も心配はございません。今までの鬱憤を晴らすようにイキイキしていますからね!」
「そうか」
鬱憤を晴らす……何をしているのかは聞かないでおこう。
しかし……あの時は俺も考え足らずな部分はあったものの、こうして彼女が元気になったのならそれは成功していたわけだ。
俺が何をしたのか、それは夢の世界だからこそ淫魔としての力をフルに活用することで、彼女の魂にこびり付いていた呪いを引き剥がした。
ただ俺だけでソレが出来るかと言われたらそうではなく、絶望に心が沈んでいた彼女を引き上げる必要があったのだ。
『夢だし……良いか。なあ聖女さん、俺に賭けてみないか? 一度しかない人生、そんな飼われただけの人生なんてごめんだろ? だから俺が助けてやる――ただ少しだけ、魔族らしい助け方にはなるけどな?』
『っ……私はまだ、希望を持てるのですか?』
『おうよ。どうする?』
『私……自分の心を持ちたいです。私、人並みに生きたいです!』
俺がやったのは単純だった。
淫魔としての力をある程度使うだけでも、一切経験のなかったエクシスを蕩けさせるには十分だった。
全てを諦めていたからこそ、エクシスは俺の全てを受け入れてくれた。
夢の世界であること、感度を少し高めたこと、優しい言葉を掛けたこと、とにかく彼女の心の隙間を埋めることで呪いを喜びと快楽によって消滅させる――バカみたいな話だが、それが淫魔の俺には可能だった。
そうして新たに心に刻まれた感情によって呪いを引き剥がし、エクシスは完全に解き放たれたわけだ。
「しっかし、エクシスを見ていると王族ざまあみろとは思うよ。奴らもまさか、エクシスを救ったのが魔族だとは思わないだろうし」
笑いながらそう伝えると、俺の腕を抱きしめるエクシスも微笑んで頷いた。
「そうですね。人間と魔族は争うものだと認識は凝り固まっています。なので私を変えたのが誰であるか、呪いを解除したのが誰なのか……無駄なのに王族の方々は城中の人間に審問をする勢いで聞き回っていました」
「くくっ、そいつは傑作だなぁ!!」
慌てて色々と駆け回る姿が目に浮かぶようだった。
まあ人間界のことに俺がこれ以上手を出すこともないし、自分を取り戻したエクシスは凄まじい使い手のようなので力づくも通用しない……なんだかアリアのような子だなとも思える。
「魔族様」
「なんだ?」
「現実では……会えないのでしょうか?」
「それは無理だね」
あっけらかんに答えるとエクシスはぷくっと頬を膨らませた。
別に会いたくないからというわけではなく、夢の中での出会いだったからこそ価値があるわけで……それになんだろうね。
(なんか……現実でこの子に会うとマズいって本能が言ってるもん。俺の淫魔としての本能が会ったら最後って警鐘を鳴らしてるもん)
だから現実では怖いから会わない!
「エクシス、俺なんかを気にするよりもほら……王子はまともなんだろ? 昔から心配をして声を掛けてくれてたって教えてくれたじゃないか」
「あんなのどうでも良いです。確かに私のことを気に掛けてくれましたけど、実際に助けてくださった魔族様には及びません。性格の悪い女だと言われても構いませんよ私は」
これ……何気に一つフラグを叩き折ったのかもしれない。
この世界には数多の主人公属性を持った人間と、そんな主人公とシンパシーを感じさせる悲劇のヒロインが多く存在している。
もしかしたら呪いに苦しむエクシスを救う王子という世界線もあっただけに、そのフラグを俺は完全に潰してしまったのかもしれない。
「それに……私、忘れられません――魔族様が愛してくださったこと、私の体に触れてくれたことも……私の中を貫いてくれたこと、何もかもが愛おしい思い出なのですから♡」
ニコリと笑ってエクシスは俺を押し倒した。
咄嗟のことに反応出来なかったものの、エクシスの目がガンギマリ状態になっていて怖かったので、俺はすぐに夢から逃げる形で彼女の元を離れた。
しかし、チラッと夢から出る瞬間に俺はエクシスの表情を見た。
「……ひえっ」
逃がしません、必ず見つけ出しますと……そう口元が動いた気がした。
▽▼
目を覚ましてすぐ、俺は傍に居たアリアに思いっきり抱き着いた。
「アリア……俺、ちょっと怖い夢を見ちまったよ」
「そうなの? よしよし、こうしてあげるから安心して」
あぁ……幼馴染の温もりって最高だ。
俺はしばらくアリアに抱き着いたまま、懐かしい再会の後に訪れた恐怖をゆっくりと忘れていくのだった。
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