サキュバスは温かいんだから

 基本的に俺が夢で知り合った人間たちがその後どうなったか、それを窺い知ることはない。

 そもそも俺が潜ろうとする夢は無数に存在し、それはこの世界に生きる人間の数だけ存在しているからだ――具体的な数は覚えていないが、俺は毎日こういうこをしているわけではないので、夢に潜った数なんてたかが知れている。


(ま、夢の名残から探し当てることは出来るけど……こういうのはよっぽど気になった奴くらいだもんな)


 以前にも言ったことはあるが一度夢に潜った相手のことは覚えているので、また悪い夢を見ているなら必然的にその匂いを感じることはある。

 しかし匂いを感じないのであれば悩みから解放されたとして、特に気になった相手でもなければこちらからアクションを掛けることはない。


(一期一会ってのもありだもんなぁ)


 一期一会、その言葉が表すように基本的に二度目はそんなにない。

 仮に仲良くなったとしても現実世界で会うこともない――俺はまだ過保護な母さんたちに守られている子供なので、基本的にサキュバスの里から出ることはなのもあって俺の日々はサキュバスのみんなによって彩られている。


「……はっくしょん!!」


 そんなあまりに平和を謳歌しているからか呑気にくしゃみが出た。

 これはナナリーさんから聞いた話だけど、サキュバスは見目麗しい女たちで構成されているため、愛玩の意味でも他の魔族や人間の中で手に入れようと考えている者が居るらしい。

 しかしそうならないのは単純にサキュバスが強く、襲い掛かっても返り討ちに遭うから大丈夫だとのことだ。


「……まあでも、確かにサキュバスで強いのって結構珍しいよな。俺の知ってる作品のほとんどでもサキュバスってそこまで強くないイメージだし」


 主にエロ方面で書かれていたからこそではあるが……。

 まあ、そんな風にエロ方面にはめっぽう素晴らしい描き方をされるサキュバスではあるものの、この世界のサキュバスはそれはもう凶悪だったわけだ。


「強くてエロい……良いねぇサキュバスって」

「うふふっ♪ ありがとうライア」

「っ!?!?」


 俺っち、突然聞こえた声に驚きその場から飛び去った。

 淫魔としての力は普通の人間と比べ物にならず、そっとその場から離れようとしただけでも翼もあってとにかく速度が速い。

 しかし、そんな俺も背後に現れたサキュバス――母さんの前では無力である。

 強くその場から飛び退いたはずなのに、俺の顔面はとてつもなく柔らかいモノに包み込まれ捕獲された。


「はぁい捕まえた♪」


 頭の上からそんな声が聞こえ、背中にもガッシリと腕が回り完全に逃げられない。


(いやいや、別に逃げるつもりはないけどさ。さっきのは驚いただけだし)


 母さんを前にして逃げるようなことはしない。

 今の俺の母さんはサキュバスの女王であり最強の魔族の一角……しかし、息子の俺にはかなりかなり親馬鹿で逃げようものならすぐに泣いてしまうほどだ。

 サキュバスの長として自覚はないのかと、不思議とそう言われないのは母さんの人柄とサキュバスという種族の温かさとも言える。


「今日はアリアちゃんも来ないでしょう? 私も仕事はないし……ねえライア、お母さんは今日あなたと一緒に過ごしたいわね」


 おっぱいに顔が埋まっているが、俺は何とか分かったと頷く。

 母さんは嬉しそうに翼を揺らす音を響かせ、俺を抱きしめたまま寝室のベッドまで連れて行った。

 普通だとこういう時ってソファなんかに座るだろうに、サキュバスはそういう瞬間も基本的にはベッドの上なのはもう分かり切ってることだ。


「息子との語らいは母として最高の瞬間よ。あなたの存在が私の力になるし、日々を頑張ろうって思わせてくれるんだもの」

「……そうなんだ」

「えぇ――だからありがとうライア。私の元に生まれてきてくれて」

「っ……」


 不意打ちだ。

 母さんはよくこうやって不意打ち気味に愛を囁く……その言葉に俺は弱く、息子として母さんへの気持ちが刺激されてちょっと瞳が潤むのだ。

 サキュバスの女王である母さんは俺を含め、全ての同胞たちを愛している。

 それは正に無限に振り撒かれる母の愛のようなものだ――そんなものを一身に注がれる身としては、どんな思春期を迎えようと反抗期は訪れそうにない。


「母さん……なんで母さんってそんなに優しいんだ?」

「あなたが息子だからよ? 何よりも大切で、何よりも守らなくてはならない大切な存在だから」

「……へへっ、なら俺が大きくなったら母さんを守るさ――絶対に」

「ライア……♡♡」


 瞳にハートマークが浮かび、母さんは俺を強く抱き寄せた。

 再び胸元に抱き込まれる形になったが、母さんはその状態で俺の額に無数にキスを落としてくる。

 こんな風にキスが当たり前なのも、息子相手に僅かながら発情してしまうのもサキュバスの特性らしい……母さん曰く。


「もうダメねライアったら。そんなことを言われたら嬉しくなってついつい体が火照ってしまうじゃないの。我慢する身にもなってちょうだいね?」

「そういう意図はないんだけど……」

「分かってるわ。でもライアがそういうことに興味を持ったらいつでも誘ってね。人間の中だと家族相手は禁忌みたいだけど、私たちは別に――」

「やめい!」

「あんっ!」


 堂々とした近親オーケー発言に俺はビシッと軽くチョップをしておいた。

 どうやら母さんからしても今の発言は二割ほど冗談だったらしく、ごめんなさいと苦笑してそういえばと話題が変わった。


「でもライアも成人を前にそういうことは経験しておくべきよ? 人間を相手しても良いしサキュバスを相手しても良いしね」


 そう言われた時、俺の中で一人の女の子の顔が浮かんだ。

 以前に一度、完全に支配されてしまっていた女の子に出会い、夢の中で色々と致してしまったことがあるけどそれは他のサキュバスの誰も知らないことだ。

 現実ではなく夢の中、しかし俺たちサキュバスにとっては夢は第二の現実と言っても過言ではないので、まあ機会があったらその内伝えても良いかもしれない。


(でも……凄かったよな。そういうことの知識はないはずだったのに、淫魔だからなのかすぐに色々と何をすべきかが分かったんだから)


 そのおかげで王国の聖女……コホン。あの子は解放されたわけだけど俺にとってはあれもまた人生相談であり人助けであり、こう言ってはなんだが一つの思い出だ。

 母さんはそんな俺の内心を気に留めるでもなく、クスッと笑ってこんなことを口にした。


「アリアちゃんとか程よい相手じゃない? 将来のために吸精の経験は確かに必要だけれど、ライアが相手すればその必要もないからね」

「な、何言ってんだよ……っ」

「あれだけ仲が良かったら誰だっていずれそうなると思うものよ。アリアちゃんもサキュバスとして覚醒はしてるけど、男の夢に潜って一切そういうことをしないのはどういうことか、一度しっかりと考えてみることね?」

「……ぐぬぬっ」


 唇を噛んで視線を逸らした俺を母さんは笑った。

 よしよしと頭を撫でながら言葉を続ける。


「まだまだ若いしゆっくりと考えなさいな。まあ、人間たちの中では誤解されているけど私たちは別に精を吸わなくてもいける。けれど夢の中で一方的に仕掛けられるのは大きな力になるわ。それはちゃんと覚えておくこと。これは母からの言葉であり、先輩サキュバスとしての言葉でもあるからね」

「分かった……うん。分かった」


 頷くと、母さんはパンと手を叩いた。


「それじゃあお堅い話はここまでよ。もうすぐ夕飯だし一緒にお風呂に入りましょうか……ぐへへ」

「おい、母親がぐへへってやめろ」

「良いじゃないのよぉ♪」


 ……自分、淫魔ですけどいつ母に喰われるのか不安で仕方ないです。


▽▼


「言ったはずです――奴隷制度は完全に撤廃だと」


 それは鋭い声だった。

 場所はラグナディア王国――ライアが転生した世界における一つの国だ。


「し、しかし……私の一存では――」

「私の一存では……なんですか? あなたはこの国の王ですよ――あなたはただ命令すれば良いのです。何故それをしないのですか? あなたのその肩書はお飾りなんですか? だとしたらとんだ役立たずです」

「……貴様――」

「何か言いたいことでも?」

「っ……」


 王はひれ伏す……本来ではあり得ないことだ。

 玉座に座る王が目を向けるのは一人の少女……しかし、その少女が放つ雰囲気は圧倒的強者のものだった。

 全てを威圧し、全てを拒絶するかのような雰囲気は可憐な少女に似合わない。

 だが彼女はまさに強者だった――彼女の雰囲気に王だけでなく、全ての者が直視出来ないほどに、少女が放つ圧は鋭かった。


「何故……どうしてこうなったのだ。彼女は支配されたのではなかったのか……」


 それは誰の声だったか、虚空へと消えて聞き届けたものは居ない。

 国を治める王の姿すら小さく見えるほどに、少女はただその場に在り続けるだけ。


「ではそのように――二度と、私の手綱を握れるとは思わないことですよ」


 彼女の名はエクシス・バース――ラグナディア王国の聖女であり、かつて王族に飼われていた少女だった。

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