2・予想外の熱演

「そうなんです、初恋がようやく実りました」

 シルヴィオが祖父母に向かって言う。


 国王陛下の葬儀からわずか三日後、ポテンテ公爵家の応接間で、私はシルヴィオの婚約者として彼の祖父母とお茶をしている。なんたる早業!


 シルヴィオと私の結婚話に、両家は涙を流して歓喜し、元婚約者は興味なしで『お好きにどうぞ』と言い放ち、王宮の関係者たちは王太子の気が変わらないうちにと速攻で手続きをした。ちなみにウズリーとターニャの婚約は、まだ成立していないみたい。


「いやあ、良かった良かった」と公爵。「これでワシも安心してあの世にいける」

「まだ早いですよ」とシルヴィオ。

「そうですよ、ちょっと腰痛が悪化したくらいで大げさな」とは公爵夫人。


 ……腰痛?

 公爵が弱気になった持病って、腰痛なの? 確かに痛くて大変と、うちのお祖母様も言ってはいるけれど。今すぐ結婚をと焦るほどの病ではないような。

 それに――


 ちらりととなりに座るシルヴィオを見る。並んで長椅子に腰掛け、一応距離は保ってはいるのだけれどずっと右手を握られている。


「シルヴィオ、気持ちはわかるがそろそろ手を離してあげなさい。イレーネさんがお茶を飲めなくて困っているぞ」

 私の視線に気づいたらしい公爵が笑顔で諭し、シルヴィオが私を見る。

「ああ、悪い。つい、嬉しくて」

 そう言う彼はキラッキラの笑顔だ。名残惜しそうに、ゆっくりと手を離す。


「いいえ」

 私もがんばって笑顔をつくってから、テーブル上のカップに手を伸ばす。


「浮かれるのは仕方ないけれど、外では少し控えなさいね」とこれまた笑顔の公爵夫人。

「努力はします」と機嫌良く答えるシルヴィオ。


『あなた、本当にシルヴィオなの!?』と叫びたい。あまりに私の知る彼とは違いすぎる。


 契約結婚をすると決まってから、私たちはすぐに詳細を打ち合わせた。

 そして表向きの結婚理由は、『実はシルヴィオは長年私に片思いをしていて告白、私がそれを受け入れた』というものになっている。これを言い出したのは、シルヴィオ。契約結婚と悟られないために絶対に必要な設定だというのだ。


 そうはいってもこの理由ではシルヴィオが受けるダメージが大きすぎると思う。けれど私は困らないから構わないかと了承したのだけど。予想外にシルヴィオが、溺愛しているフリをこれでもかというほどでしてくる。


 契約には『他人がいるときは仲睦まじくする』とあるからそのつもりではいたものの、シルヴィオと私の考える『仲睦まじい』にはだいぶ差があったみたい。

 まさか手をずっと握りしめられたり、絶やさぬ笑顔を向けられるとは思わなかった。


 ――正直、調子が狂う。相手がシルヴィオでなくても、私は異性にこんなことをされたことがないもの。私がウズリーと婚約したのは十歳のときで、王太子の婚約者に距離を詰めてくる不届きな異性はいなかったし、ウズリーは逆に私と距離をとっていた。


 溺愛ごっこに内心では冷や汗ものだけれど、やると決めた以上はシルヴィオに愛される婚約者役をきちんとこなさなければいけない。


 だけど公爵夫妻もあまりに、孫の非常識ぶりに寛容すぎではないかしら。それだけこの結婚を喜んでいるのだろうな。一年後には離婚するのに……。

 今更だけど、片思い設定は良くなかったと思う。


 私の後悔とは別に、お茶席は和やかに、つつがなく進んだ。シルヴィオは本当に嬉しそうに振る舞っていて、彼にこれほどの演技力があったことに驚いてしまう。


「そうだわ」公爵夫人が手を叩く。「イレーネさん、温室を見ない? 早咲きの薔薇が盛りなの。とても綺麗なのよ」

「ああ、それはいい」とシルヴィオは言うが早いか立ち上がり、私に手を差し出す。

「では、ぜひ」夫人に答えてから、婚約者に「ありがとう」と言ってその手を取る。


 このようなエスコートは、友人がされるのならば何度も見てきたけれど、まさか自分がされる日が来ようとは。相手がシルヴィオとはいえ、なんだか面映ゆい。


 複雑な気分で立ち上がると、すっと腰に手を回された。

 思わずびくりとする。


 ちょっと! 

 いくらなんでも、やりすぎではない!?


 非難を込めてシルヴィオを見るけれど、彼は笑顔を返すだけ。

「おやおや、未婚の男女にしては近すぎるのではないかね?」

 公爵が苦言を呈する……って笑顔だわ! 全然怒っていない。


「お祖母様が『内では良い』と許可してくれましたよ」とシルヴィオ。

 いつよ!? 絶対に言ってないわ!

「あら、私は『外では少し控えましょうね』と言っただけよ」とこれまた笑顔の公爵夫人。

「ほら。外でなければ構わないのでしょう?」

「詭弁だな」

「まったく、浮かれすぎよ」


 夫妻はそう言いながらも孫を本気で咎めるつもりはないようで、にこやかに扉に向かう。


「シルヴィオ!」

 彼らに聞こえないよう囁くと、やりすぎの愚か者は『ん?』と余計に密着して顔を近づけてきた。

 いくら不仲とはいえ、異性にこれほど近寄らるとドギマギしてしまう。心持ち後ろにそり返る。

「演技過剰じゃない?」

「でも祖父たちは喜んでいる」

「そうだけど」


 先を行く公爵夫妻を見る。ふたりは七十を幾つか越したお年だ。心配の種だった孫の結婚に安堵し舞い上がっているというのはよくわかる。でもいずれはがっかりさせてしまうのだ。きっと曾孫を楽しみにもしているだろうに。


 シルヴィオが久しぶりの真顔になった。

「心配するな、うまくやる」

 と、公爵が振り返った。すかさず彼は私の額に口づける。

「なにをしているのかと思ったら。まさかお前がこれほどまでに人目を憚らない恋愛脳だとは思わなかったよ」

「本当ねえ。結婚を了承してくれたイレーネさんには感謝しかないわね」


 夫妻はとても嬉しそう。

「すみません、幸せすぎて」と答えるシルヴィオ。


 あなたはどうして、そんなに普通に演技ができるのよ。

 罪悪感もそうだけど、羞恥心というものがないの?

 私はちょっと……いえ、かなり恥ずかしいわ。


「こんなに赤くなって」シルヴィオが言う。「なんて可愛らしいんだ」

 え? まさか私のこと?


 彼を盗み見ると控えていた執事に、『なあ?』と同意を促していた。

 そこまでの演技が必要なの?


 私、いたたまれないわ。



 ◇◇



 ポテンテ邸から帰宅した晩、部屋にひとりきりになるとシルヴィオと交わした契約書を取り出した。




『結婚に関する契約


○この婚姻が契約に基づくものであることは、イレーネ・ベルトゥッチとシルヴィオ・ポテンテだけの秘密とする


○契約期間は一年。期限がきたら速やかに離婚する


○離婚はシルヴィオに非があるものとし、イレーネに慰謝料の名目で契約金を支払う


○対外的な設定、『片思いをしていたシルヴィオの求婚をイレーネが了承した』を遵守する


○他人がいるとき(特にポテンテ公爵夫妻)は、仲睦まじい夫婦を演じる。身体接触あり、ただし唇へのキスはなし


○実質的な夫婦関係は結ばない。ただし寝室及び寝台は同一とする。ここでは人目がない限り、絶対に相手に触れない


○不義(手つなぎ以上)絶対禁止

                       ……』



 内容についてはふたりで話し合ったのだけど、私は、ずいぶん細かいことまで決めるなと思っていた。ただ、学生のころのシルヴィオには完璧主義な一面があったから、あえて反対はしなかった。


 三年間の学生生活で、一番彼と関わりがあったのが一年生のときだった。クラスは別だったけれど、委員が同じだったのだ。

 私を含めた全員が当たりくじを引いてしまったために委員になっただけで、みんなが仕方なしに仕事をこなすなか、シルヴィオは口では文句を言いながらも誰よりも積極的に務め、委員会を完璧にまとめていた。


 そんな彼は記憶にある少年期のシルヴィオとは別人のようだった。けれどそれくらいでは、いじめられた怒りは消えない。私はなるたけ彼を避けていた。それは彼も同じようだった。もしかしたら過去の悪行を知る私を警戒していたのかもしれない。


 彼と初めて会ったのは、家族で訪れた避暑地のホテルでだった。彼も、まだ健在だったご両親とのヴァカンスだったらしい。他にも滞在している貴族はいたけれど、公爵家で子供がいるのは両家だけだった。しかもあちらはひとりっこ。私のほうは年の離れた兄と弟。ということで必然的にシルヴィオと私はふたりで遊ぶようになったのだけど、すぐに彼のいやがらせが始まったのだ。


 小川に引き込んだり、頭から葉っぱをかけたり、よくわからない実を無理やり口に押し込んできたり。中でも一番酷かったのは、私の手にカエルとトカゲを乗せたこと。


 この恐怖に私は限界を超えてしまった。


 その日を境に部屋から出ることを止め、二度とシルヴィオに合わないままヴァカンスを終えたのだ。

 その年の冬に彼の両親は事故で亡くなり、翌年以降、避暑地にシルヴィオが来ることはなかった。


 再会した彼にかつての暴君ぶりはなかったけれど、それでも私はシルヴィオが嫌いだった。あんなことをされたのだもの。当然よね。


 ……そういえば委員をしていたとき、私に割り当てられた仕事が終わらずひとりで残ってやっていたらシルヴィオがやって来て、無言で手伝ってくれたときがあった。

 完璧主義の彼は進行に遅れが出ることが嫌だったみたい。本人が、そんなことを言っていた。


 今日のシルヴィオが、片思いが叶った青年を熱演していたのも、完璧主義だからなのだろうな。

 温室でこっそり『恥ずかしくないの?』と尋ねたら、心底不思議そうな顔で『なにが?』と訊き返されたのだから。


 よくも『咲き誇る薔薇といえどイレーネの前では、ただの雑草にすぎないな』なんて歯が浮くようなセリフが言えたものだわ。

 思い出すだけで恥ずかしくて顔が熱くなる。他にもあれこれ言っていたし、額と手に何度キスをされたことか!


 シルヴィオはやりすぎよ!


 私はそこまで演技はできないと伝えたけれど、問題ないと返されてしまったし。あれは言葉のチョイスが悪かったわ。次は演技をもう少し控えめにしてと頼もう。


 契約書を見返した限り彼の行動に違反はないから、私の意見は通らないかもしれないけれど。あんなに溺愛しているフリをされたら……




 私の心臓が一年後まで、持たないもの。

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