仲の悪い令息から契約結婚を持ち掛けられたのですが、いくらフリでも溺愛しすぎではないでしょうか?

新 星緒

1・持ち掛けられた契約結婚

 国王陛下の葬儀を執り行う大聖堂の参列席はほぼ、埋まっている。式の開始までもうあまり時間はない。

 共に入場するはずだった王太子が集合場所に現れなかったため私は案内役の侍従と共に通路を進み、用意された席に向かった。着席している人たちの視線を痛いほど感じる。


 最前列にたどり着いたとき、前を行く侍従の嘆息が聞こえた。私が座るべき席ーー王太子ウズリーの婚約者席にはすでに他の令嬢がいる。彼のお気に入りである男爵令嬢ターニャが。


 ふたりはひと目もはばからず密着して、不謹慎な動きをしている。

「ウズリー殿下」

 と侍従が声を掛けるとようやく動きを止め、こちらを見た。

 ウズリーが『ああ』とバカにしたような声を出す。

「父上は死んだ。イレーネとの婚約は破棄する。今日から僕の婚約者は、愛しいターニャだ」


 不必要なまでの大声で言って、ウズリーは恋人の頬にちゅっと音を立ててキスをする。葬儀の場であるのに。周囲の貴族たちがざわついているけれど、まったく気づいていないみたい。


「承知しました。ではそのように」

 私は王太子に礼をして、侍従に

「末席で構わないから席を用意してちょうだいな」と頼む。

「かしこまりました」と答えた侍従について、来た通路を戻る。お父様たちが心配そうにこちらを見ていたから、大丈夫という気持ちを込めてうなずいてみせた。


 遅かれ早かれ、ウズリーは婚約破棄をするとわかっていた。私たちの婚約は陛下がお決めになったものだったけれど、息子であるウズリーはずっと不満を口にしていたから。陛下が病に倒れてからは当てつけかのようにターニャを可愛がり、私をないがしろにしてばかりだった。

 さすがに葬儀で行動を起こすとは思っていなかったけれど、彼が集合場所に現れなかった時点で予想はついた。私も、侍従たちも。


 だから、すでに私のための予備席は用意されている。


 ひそひそと話す参列者たち。知らぬは自分たちばかり、と心の中で思う。


「イレーネ!」


 突然、名を呼ばれた。抑えられてはいるけれど、鋭い声。ポテンテ公爵家のシルヴィオだった。通路からほど近い席に座り、眉を寄せ不機嫌な顔をしている。といっても私に向ける顔はいつもこうだから、おかしなことではない。


「あとで話がある。式が終わったら、帰らず待っていてくれ」


 なぜ?


 疑問に思ったものの、立ち止まり話す時間なんてない。小さくうなずいて、通り過ぎる。 

 案内された席は末席ではなかったけれど、ベルトゥッチ公爵令嬢に相応しい場所ではなかった。侍従が平身低頭で謝るので、

「急だったから仕方ないわ。あなたのせいではないでしょう? 気にしないで」

 と伝える。


 侍従たちは、王太子の暴挙を事前に止められなかったという点では責められるべきかもしれない。だけどいくら愚かだからって、国王の葬儀で問題を起こすなんて誰も考えないもの。彼らには同情してしまう。


 着席して、前を見る。高いところに設置された国王の棺。もし陛下があそこから堂内を見ていたら、愚かな息子の振る舞いに涙していることだろう。


 ――参列席に並ぶ頭の中で、飛び抜けているひとつが目についた。首と耳を隠す程度の長さの、波打つ銀髪。シルヴィオだ。

 こんな日にいったいなんの話なのかしら。ろくに会話をしたこともないというのに。


 彼とは、十六から十八歳の貴族の子女が通うことが義務付けられている王立学園の同級生だった。知り合ったのはもっと古く、八歳のころ。といってもこのときは嫌な思い出しかない。シルヴィオはひどいいじめっ子で、私は毎日のようにいやがらせをされた。消してしまいたい記憶だ。


 学園で再会したときにはマシな性格になっていたようだけど、私はかつてのことを許せなかったし、シルヴィオも変わらず私を嫌いなようだった。三年間の学園生活中、二年間同じクラスだったけれど必要最低限の会話しかしたことがない。周りも私たちの不仲を知っていて、なにかと協力してくれていた。


 卒業してから四年。シルヴィオも私も都に住んでいて、顔を合わせることも多い。だけど昨日までは『ああ』『どうも』程度の挨拶しかしてこなかった。


 それで話があると言われても。なんの件なのか、ちっとも予想がつかないわ。



 ◇◇



 シルヴィオは眉間にシワを寄せて、ますます不機嫌な顔をしている。

 ついて来いと言われて連れて行かれたのは、ひとけのない大聖堂の裏手。壁や背の高い木々で囲われている。


 こんなところで、なんの話があるというのだろう。

 まさか決闘でも申し込まれるの?

 心当たりはこれっぽっちもないけれど、私は彼を怒らせるようなことをしたのかもしれない。


 私を睨むばかりでなかなか話し出さないシルヴィオに痺れが切れる。

「用件はなにかしら。家族が心配するから早く戻りたいの」

 ウズリーの件をまだ簡単にしか説明できていない。


 シルヴィオは観念したかのように、息を吐いた。

「お前、殿下に婚約破棄されたよな?」

「そのようね。まだ書面での確認はできていないけれど」

 もしかして嘲笑うための呼び出し? でも私たちは悪口を言い合ったことすらない冷え切った関係だから、それもしっくりこないし。


「それなら」とシルヴィオ。「俺と結婚してほしい」

「……」


 け……?

 シルヴィオの顔は変わらず険しいまま。となると聞き間違いかしら。彼が私に結婚を申し込むはずがない。いくらお互いに婚期を逃した年齢だからといって。


「……結婚といっても、契約結婚だぞ」とシルヴィオ。

「契約結婚」

 阿呆のように言葉を繰り返してしまう。


「……困っているんだ。じいさんが、独り身の俺には爵位を譲らないと言い出して」

「あなたが直系なのに?」

 顔をしかめたままうなずくシルヴィオ。


 彼の祖父であるポテンテ公爵にはふたりの息子がいた。けれど彼らとその妻たちが乗った馬車が事故に遭って全員が亡くなってしまい、あとには長男のひとり息子シルヴィオと、次男の息子と娘が残された。


 三人の子供は祖父母に引き取られて一緒に育った。とはいえ法律にのっとったら次の当主になるのは直系であるシルヴィオだ。でも公爵が次男の息子を養子にしてしまえば、彼に爵位を譲ることが可能になる。


「じいさんも本気でそうしようと考えているわけじゃない」とシルヴィオ。「最近持病が悪化したせいで、俺の結婚を元気なうちにすませたいと思っているみたいなんだ」

「つまり公爵様を安心させるために、契約結婚をしたいということ?」

「そう」

「ならば私でなくても」


 と言いつつ、脳内の貴族名鑑をチェックする。ポテンテ公爵家に釣り合う身分で、未婚かつ婚約者のいない令嬢……。


「条件に合う令嬢がいない」とシルヴィオ。

「そうね」


 他の選択肢は十二歳の大公令嬢か、二十歳ではあるけれど悪い噂が絶えない侯爵令嬢くらい。公爵の安心というのが前提なら、どちらもちょっとばかり不釣り合いだわ。

 その点私なら王太子に婚約破棄された身といえども、非があちらにあるのは周知の事実で、身分は公爵令嬢。仲の悪さを考慮しなければ、一番適していると言えるかもしれない。


「一度でも結婚すれば、じいさんも納得すると思う。だから期間は一年間でいい」

「あなたの事情はわかったけれど、私にはデメリットしかないもの。お断りするわ」

 シルヴィオの渋面が更に深まる。

「イレーネだってこのままなら生涯未婚か、格下との結婚になるぞ」


 確かにその確率は高い。年頃の異性がほとんど売約済みであるのは私も一緒。

「どちらも嫌ではないもの」

 シルヴィオが目を細める。怒ったのか、困ったのか。私には、どちらでも構わない。

「良い相手がみつかるといいわね」

 そう言って踵を返す。

「待て! メリットはあるぞ」

「なにが?」

 まったく思い浮かばないわ。


「……離婚したら慰謝料を払う。生涯、生活に困らない程度だ。もし未婚のままで過ごすなら、実家に頼るか仕事を持つかだろう? 実家は、代替わりをすればオールドミスを厄介に思うだろうし、働くにしても勤労経験のないご令嬢がどれだけ稼げるかわからない。手持ちの資金があるにこしたことはないはずだ」

「私にお金であなたに買われろと言うの?」

「ただの契約だよ」

「だいたいあなたに自由に使えるお金がそんなにあるの?」

「両親の慰謝料。全額じいさんが俺にくれたし、手をつけていない」


 シルヴィオをみつめる。お母様譲りの銀色の髪と、お父様から受け継いだ水色の瞳。初めて会ったころの彼は嫌な奴ではあったけれど両親に深く愛されていたし、彼も父母を大好きなようだった。

 その慰謝料を手放すなんて。


「……あなたはそんなに困っているの?」

「でなければイレーネに声をかけない」

「そうね」

「頼む」シルヴィオが頭を深く下げた。「俺と結婚してくれ」

 くせの強い銀髪がさらりと落ちる。


「ひとつ質問。答えなくてもいいわ」

 頭を上げるシルヴィオ。

「どうして今まで結婚しなかったの?」

 彼はポテンテ公爵家の跡取りで容姿も良く、学園での成績は常に首位だった。当然のことよくモテる。だというのに、異性関係での浮いた話はほとんど聞いたことがない。


 そんな彼が婚約すらしないことに対しては、様々な噂があった。


 シルヴィオが視線を遠くに向ける。

「……人間いつ死ぬか分からないのに、子供時分から婚約なんてしても意味はないだろ? 成人したらと考えていたんだが、そうしたらフリーの令嬢がいなくなっていた」


 この理由は、彼の友人たちがよく口にしているものだ。


「世間では秘密の恋人がいるからなんて言われているけれど――」

「いない!」

 私の言葉を遮って、シルヴィオは否定した。

 それが本当かどうかはわからない。


 ただ、彼が子供のころにご両親を亡くしたことは気の毒だと思っている。

 お祖父様を安心させたいという気持ちも、わからないでもない。


「それにメリットはもうひとつ、ある。俺と結婚すれば、ベルトゥッチ公爵夫妻もひとまずは安心するだろ?」

「否定できないわ」

 両親は私とウズリーとの婚約を陛下に懇願され了承してしまったのだけど、そのことをいたく後悔している。だいぶ以前から、秘密裏に私の新しい結婚相手を探してもいる。


 もし私がシルヴィオと仲を改善して結婚すると告げたなら、泣いて喜ぶに違いない。

 私も負い目を感じている両親を、安心させてあげたい気持ちはある。


「わかったわ。契約結婚、引き受けましょう」


 そう言うとシルヴィオの顔はみるみる力が抜けていき、心底安堵したような、そんな表情になった。



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