3・契約夫婦の開始

 すべてが急ピッチで進み、婚約の翌月に大聖堂で挙式をとりおこなうことになった。準備期間がほぼなかったにも関わらず、両家が総力を挙げたために名だたる名家が列席し、私にはひと月で製作されたとは思えない婚礼衣装が用意された。


 その美しい衣装をまとった私に、演技過多をやめる気がないシルヴィオが恥ずかしくなるほどの褒め言葉とキスの雨を降らせ、それを見ていた両親は開式前から喜びの涙を流していた。


 招待状を受け取った私の友人たちは驚きながらも祝ってくれたし、シルヴィオの友人たちは会うたびに『こいつをもらってくれて、ありがとう』と感謝する。


 状況に戸惑っているのは、私だけ。

 もちろんそんな気持ちはおくびにも外には出さないけれど。



 ◇◇



 ひと月前には侍従について進んだ通路をお父様と一緒に歩く。床には赤いカーペットが敷かれ、その先にはシルヴィオが待っている。


 契約をしたとはいえ、私は本当にあの意地悪シルヴィオと結婚するのだわ。

 十五年も前に掌にカエルとトカゲを乗せられた恐怖を、今も生々しく思い出せるのに。


 祭壇前に到着し、お父様が席につく。ヴェール越しに見えるシルヴィオは、固い表情をしていた。この一ヶ月、人前では常に笑みを浮かべていたというのに。やっぱり彼も、私との結婚は本意ではないから表情を繕えていないのね。


 司教の祈りを聞きながら、そういえばシルヴィオには想いを寄せる女性はいないのかしら、という疑問が湧き上がった。彼が結婚しない理由の噂に、そんなものがあった気がする。


 あまりに怒濤の一ヶ月すぎて、本人に尋ねる――というか疑問に思う暇すらなかった。もし密かに想う相手がいるのなら、お祖父様を安心させるための結婚といえど、挙式には複雑な思いだろう。

 私は恋をしたことがないから、わからないものの暗澹たる気持ちというところかしら。


 と、どこからか叫び声が聞こえてきていることに気づいた。大聖堂のすぐ外のようだけれど――


「式は中止だ!!」


 怒声が堂内に響き渡った。振り返るとウズリーが駆けてくるのが目に入った。必死の形相をしている。

「なんのご用ですか!」

 お父様が通路に飛び出すけれど、ウズリーは突き飛ばして私たちの目前まで来た。シルヴィオが私を庇うかのように前に出る。


「イレーネ! 貴様を許してやる! 僕と結婚しろ!」

 まあ。

 尻もちをついていたお父様が立ち上がり、ポテンテ公爵と共にやって来た。

 どうやらウズリーは自分の置かれた状況を、ようやく正しく理解したみたい。


 ウズリーは昔から自己中心的で、少しばかり頭が悪かった。ゆえに議会は彼が次期国王になることを不安視し、息子を溺愛する陛下が考えた策が私との婚姻だった。ベルトゥッチ家がウズリーの後見人となり彼をサポートをするという条件のもとで、彼の立太子が許可されたのだ。


 ウズリーは説明を受けているはずだけれど、ろくに聞いていなかったのだろう。陛下は君主としては立派だった。でも親としては最低で、息子を甘やかし続けていたから。


 そうして愚かな息子は父の配慮を理解せず、愚かにも私との婚約を破棄して、知らないうちに自ら王太子の資格を捨てたのだ。彼を愛する人は父親と愛人ターニャしかいなかったため、誰も助け舟を出さなかったみたい。

 今や、彼が王太子の位を失うことと、次の国王には陛下の末弟がなることが決定している。


 どうやらこの事実をウズリーもようやく知って焦ったらしい。だからといって私に復縁を迫るなんて。プライドがないのかしら。


「ほら、いくぞイレーネ! 婚約をし直しだ」とウズリー。

「おことわ――」

「お引取りください」私を遮り、シルヴィオが言った。「私たちの大切な挙式を邪魔しないでいただきたい」

「だから中止だと言っている!」

「殿下にそんなことを言う権利はありません」


 シルヴィオが私の腰に手を回し、ぐいと引き寄せた。

「あなたはもう彼女とは無関係で、彼女の婚約者は俺です。殿下もお認めになったでしょう?」

「状況が変わったのだ!」

「だから? なにがあろうと俺はイレーネを手放すつもりはありませんよ」


 また!

 シルヴィオがまたも演技過剰になっているわ!

 公爵様やお父様が、尊いものでも見たような目であなたを見つめているわよ! 

 というか私の友人たちもあなたの友人たちも、身悶えしているじゃない! 私がいたたまれないわ……


 一方でウズリーは凶悪そうに顔を歪めている。

 と、その手を私に伸ばした。

 すかさずシルヴィオが払う。

「俺の妻に触れるな!」

「僕は王太子だぞ!」

「ならば貴族の規範となる行動をとってください」

「生意気な! たかが公爵の孫のくせに!」


「いい加減にしろ」

 最前列から立ち上がった列席者がたしなめる。

「叔父上!」

 ウズリーがやや怯んだ。そう、次期国王の王弟殿下だ。ベルトゥッチ家の招待客として列席している。


 そこへ聖堂の入口から何人もの侍従と近衛兵が駆け込んできた。

「お前たち、イレーネを連れていけ!」

 と、気持ちを立て直したらしいウズリーが叫ぶ。


 だけれど近衛兵は従わず、彼の首筋に手刀を入れた。崩れ落ちるウズリー。

「申し訳ございませんっ」侍従たちが床につきそうなくらいに頭を下げる。「またしても後手に回ってしまい、お詫びのしようもございません」

「まったく、ちゃんと監視しているように言っただろうが」と王弟殿下。それから私たちを見て、「愚かな甥がすまない」と謝った。


「とんだハプニングではありますが、おかげで良いものが見れました」とお父様。

 笑顔で同意するポテンテ公爵。

 三人の視線は私たちに向けられている。それを平然とシルヴィオは受け止めて、殿下に事態の収拾の礼を言った。でも私はいたたまれないわ!


 ウズリーが近衛兵に荷物のように肩に担がれて連れていかれる。平身低頭の侍従たちは『どうぞお幸せに!』との言葉を残して帰っていった。


「では続きを」とシルヴィオ。

 司祭はなにもなかったかのように、式を再開した。

 騒然としていた堂内に静けさが戻る。ただ、中断前よりも熱い視線を感じる。きっと誰もがシルヴィオの振る舞いに感じ入っているのだわ。


 演技なのに!


 みんな思い出して。彼は完璧主義なの。良き婚約者を立派に演じているだけなのよ。



 ……私も忘れそうになってしまうけれど。





 ◇◇




 婚姻は波乱の幕開けだったものの、始まったあとにあったのは穏やかな日々だった。

 ポテンテ公爵夫妻は私をとても可愛がってくれている。曾孫を期待されていることが辛いけれど、それ以外にストレスはない。


 とくにお祖母様のヨランダ様は、私に公爵夫人として必要なことを優しく、ときには毅然と教えてくれる。このままならば私は、きっと素晴らしい公爵夫人になれること間違いない。

 ……そんな日は来ないから、申し訳ない気持ちになってしまう。


 一番の問題はそんな罪悪感よりも、シルヴィオよ。彼の演技はより磨きがかかって、本物の新婚夫婦のように振る舞っている。どんなに疑い深い人だろうと、私たちが契約結婚だと見破ることはできないだろう。


 私だって、たまにわからなくなるもの。見せかけだけの関係を思い出すのは、就寝のときだけ。寝室にふたりきりになったとたんにシルヴィオの顔からは笑顔が消えて、寝台ではお互いに端に寄って眠りにつく。シルヴィオはたいてい私に背を向けている。会話もほとんどない。


 これが本当の私たちの関係。

 寝室外でのとろけるような笑顔や歯の浮くような甘い言葉、雨あられと降ってくるキスはすべて演技。完璧主義である彼の努力の賜物。


 一年後にはすべて消えるものなのよ。

 そうでしょう?



 ◇◇



「シルヴィオが結婚できて良かったよ」

「本当に。一生独身かと心配していた」

「初恋を貫き通すとはな。恐れ入ったよ」


 シルヴィオの友人たちが口々に言う。休日にポテンテ邸の応接間に集まって、仲良くカードゲームをしている。三人とも学園の同級生で、私もよく知っている人たちだ。


「イレーネが求婚を受けてくれたおかげだ」

「感謝しかない」

「フラれたら自死していたかもしれないぞ」

 三人はそう言って笑う。婚約が決まったときからずっと、彼らには祝われ喜ばれている。みんな良い人たちだ。

 学生のころも気づいてはいた。シルヴィオには素晴らしい友人たちがいる。それはきっと、シルヴィオが悪くない人となりだから。不思議だわ。子供のころの彼は最悪だったのにね。


 私は契約に従って、椅子に座る彼の元へ行きその肩に手を乗せた。シルヴィオが私を仰ぎ見て微笑む。どこからどう見ても、幸せいっぱいの新婚夫婦よね。


「お熱くて妬けるね」

「仕方ないさ、八年に及ぶ片思いが実ったんだぞ」

「よく待ったよ」


 八年?

 友人を見ると彼は私に微笑んだ。

「これだけ思われたら、ほだされるというものだな」

 私は曖昧にうなずく。恐らく『シルヴィオの私への片思いは八年に及ぶ』ということなのだろうけど、私はそんな設定は知らない。きっとシルヴィオと友人たちが会話する中で、そうなってしまったのね。


「ウズリーが婚約を破棄する可能性は高かったが」

「陛下は結婚を強行する可能性もあったものな」

「人生を掛けた大博打にシルヴィオは勝ったわけだ」

 友人たちが声を上げて笑う。


 ……こんなに喜んでいる彼らまで騙す必要があるのかしら。ポテンテ公爵のための嘘だと説明すれば協力してくれそうなのに。


 シルヴィオが私の手をとりキスをする。

「イレーネはもう戻って構わないぞ」

「そうさせてもらおうかしら」


「おいおい、俺たちの話は終わってないぞ」

「お前たちは俺を肴に楽しみたいだけじゃないか」とシルヴィオ。

「いけないのか? 俺たちがどれだけ心配していたと思う?」

「そのとおり!」

 楽しそうな友人たちが顔を見合わせる。


「なんだっけ? 委員会だっけ?」

「そうそう、懐かしい」

「彼女の『他人が嫌がる役を率先して引き受ける心根に惹かれた』んだよな」

 と、友人たち。


「あまり言わないでくれ。俺がイレーネに少しずつ打ち明けたいんだから」

「失敬!」

「これは余計なことをした」

「仕方ないだろう。俺たちだって、お前にようやく幸せが来たから浮かれているんだ」

 それに答えるかのように、シルヴィオが私の手にまた口づけた。


 委員会だなんて。本当、懐かしい。いったいどれだけ設定を掘り下げたのかしら。あとで確認をして、忘れないように契約書に書き込んでおかないといけないわ。だけど……


 あの頃シルヴィオは、私をそんな風に思っていたの? 不思議なことに、嬉しく感じてしまうわ。

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