第6章 第8話 孤児院にて マリとワウカの対話
「そもそも、協力を無理強いするのは良くないと思います」
「それは…分かっていますわ」
マリは真剣な表情になって、記録に目を通していた。彼女自身はワウカに会ったことが無いので、どういう人物か見極めているのだ。
「元々、桃香という方がマスターを務めていたギルドに所属していたのですね。彼女を通じて、有益な情報を得られないでしょうか?」
「分かりました。そろそろ子供達は夕食の時間ですし、呼んでみましょう」
ーー
「それで、アナザーアースにログインしてって事だね。ここの通信環境どうなの?」
「良いとは言い難いです…」
マリ達に頼まれた桃香は早速ヘッドデバイスにユーザー情報を入力して、ログインの準備を済ませた。電波の調子も確認したが、普通にストリートを移動するだけなら問題は無さそうだ。
「じゃあ行ってくるよ。マリさんも来る?」
「そうですね。私もギルドのメンバーに聞いてみましょう」
そしてマリは桃香と共に、アナザーアースへログインした。秋亜はログインせずに、子供達の相手をするみたいだ。
「建物を見学してもいい?」
「もちろんですわ。015にしか無いタイプの建築物ですもの」
鼎は孤児院の建物を見て回り、時々写真を撮っていた。孤児院の子供の1人が、そんな鼎の様子を陰から見ていた。
「知らない人がウロウロしてると、やっぱり気になるよね」
「あ、いえ…さっき、マリ先生が教えてくれたから…」
鼎を陰から見ていた子供は、大人しそうな少年だった。鼎はあんまりしつこく色々聞くのは良くないと判断した。
「あれ、秋亜さんも…」
「鼎さん。子供達と話してみるのも楽しいと思いますわ」
ーー
「ここが月食エリアですか…」
「アルティメット気持ち良すぎだろギャラクシーのギルドハウスはこっちだよ」
マリはギルド名に少し引きながらも、桃香と一緒にギルドハウスに入った。ギルドハウスの中にはメンバーが数人いて、その中にはハンターもいた。
「あんた新入りじゃ無いな。何しに来た?」
「ワウカという方の事情を聞きに来ました」
マリは自己紹介すらせず、いきなり本題に入ろうとした。ハンターは怪しそうに見ていたが、他のギルドメンバーの方に目を向けた。
「俺はワウカの事はよく知らん。あいつらなら知ってると思うから、聞いて来たらいいんじゃないか?」
「分かりました。ありがとうございます」
「…なんだあの女。お前の知り合いか?」
「ついさっき会ったばかり…ワウカちゃんとの関係を修復したいんだよね」
「てかどっからログインしてんだ」
「エリア015」
「昨日もだったけど、微妙にアバターの動き悪いのそれが原因じゃねえのか?015に行った目的は観光か?」
「ボクにも色々あるんだよ」
ハンターと桃香がそんな会話をしている間も、マリは話を聞いて回る。最初は渋っていたギルドメンバーも、真摯な態度を見て話し始めた。
ーー
「ワウカさんはエリア047の外縁部出身との事です」
「確かに鼎サンとそんな話してたかも…」
エリア047は003ほどでは無いが、観光地があるので栄えている。だが外縁部にあるのは、老人が多い限界集落だ。
「ワウカさんは地元から出るために、アナザーアースで男漁りをしていたみたいです」
「それで、取り巻きの男達に自分の身を守らせていたって事だね」
ワウカはギルド内で自分のファンの男を集めて、自分を囲わせていた。だが特定の男と付き合っているという話を聞く事は無かった。
「限界集落から出たいって気持ちは…分かる」
「でもこの前秋亜さんと交戦してから、ログインしていないみたいですね…」
桃香に撃退されて以来、月食エリアでワウカを見かけた者はいないらしい。連絡を取ろうとしたメンバーもいたが、メッセージを送っても返信が無いみたいだ。
「…これ、連絡を取るの難しいんじゃ無いかな」
「諦める事はありません。相手が変われば、メッセージに応じる可能性もあります」
ーー
「エンシャント財団として、ワウカさんと連絡を取る…」
「ボク達が知ってるのはlunar eclipse project内でのプレイヤー情報だけだよ?連絡取れるの?」
ワウカはギルドメンバーだったので、プレイヤーとしてのデータを確認するのは不可能ではない。しかしゲームにログインしていない相手に、現実世界で連絡を取るのは困難だろう。
ーー
「どのエリアに住んでたのか、教えてくれる?」
「エリア013!」「007…」「047から来たよ」
鼎が出身地を聞くと、子供達はすぐに答えてくれた。他のエリアから来た子もいれば、015生まれの子もいる。
(013から来た子が多いのかな?)
エリア013は鼎が知っている中で、特に治安が悪い土地である。エリアの上層部である管理局も無能で、数多くの犯罪組織が野放しになっている。
(孤児の面倒を見る大人もいないって事ね…)
鼎はそう考えつつも、孤児院の子供達の顔を見る。皆、一目見て孤児だとは分からない程に、明るい表情をしていた。
(この子達は、孤児だとしても一生懸命に自分の人生を生きようとしている…)
鼎が考え込んでしまったので、周りの子供達は不安そうな表情になった。いつの間にか来ていた秋亜が、その様子を横から見ていた。
「鼎さん、どうしたのでしょうか?」
「…ああっ、秋亜さん…」
鼎は驚いた様子だったが、子供達は秋亜の方に集まって行った。彼らはエンシャント財団の代表である秋亜の存在にも慣れているみたいだ。
「秋亜さーん」
「私は鼎さんを呼んでくる様に院長先生に頼まれましたので…」
「あ、はい。何か動きがあったんですか?」
「詳しくは院長室で話しますわね…あなた達も部屋の中に戻っていてください」
「はーい」
「…素直な子達ですね」
鼎は秋亜から、ワウカと現実世界で連絡を取る方法の案を聞いた。かなり強引だと思った鼎だったが、余計な事は言わなかった。
ーー
「だからエンシャント財団が調べる…それ大丈夫なの?探偵の鼎サンに頼んだ方が良くない?」
「いや私ハッカーじゃないから…個人のユーザー情報を確認するなんて無理」
「私も頼まれてもやらないから!セキュリティが甘かったとしてもユーザー情報を盗むのは犯罪だから!」
「大丈夫ですわ。エンシャント財団であれば、正規の手続きで情報を取得出来ます」
ログアウトしたマリ達から話を聞いた秋亜は、すぐにアナザーアースの運営にユーザー情報についての問い合わせを行った。返信を受け取った秋亜は、孤児院にあったモニターの一つを使って運営側のオペレーターに直接事情を説明した。
「エンシャント財団の代表なら、無下にされる事は無いのね…」
「やっぱりアナザーアースの運営も、注目してるのかな?」
エリア015でアナザーアースを利用できるのは、エンシャント財団の手腕によるものだった。その財団の代表からの依頼を無視する事は出来ないのだろう。
「ワウカさんのデバイスのIDが分かりました。これでメッセージを送れますわ」
「怪しまれないかな?」
「詐欺だと疑われるかどうかは…ワウカさんのネットリテラシー次第ですわ」
「相手次第って事じゃん…反応が無かったら終わりだね…」
鼎も桃香もかなり不安だったが、秋亜はワウカからの返信が来ると信じていた。約1時間後、エンシャント財団のアカウントに返信が届いた。
『マリって人が私について嗅ぎ回っていたと聞いたのですが、エンシャント財団の回し者ですか?』
「これ伝えたのギルドメンバーだよ!」
「連絡が取れないというのは、嘘だったんですね…」
「まだですわ。本気で嫌だと感じたなら、わざわざエンシャント財団にメッセージを送るはずがありません」
秋亜はエンシャント財団の代表として『マリはエンシャント財団には所属していない』と返信した。財団は孤児院に援助しているだけなので、間違いでは無い。
「お互いの声を聞ける状態で対話したい…とメッセージが来ました」
「誰がやり取りするの…私や桃香が説得するのは、無理あるでしょ」
「私が話してみます」
「財団の代表である私よりも、適切かもしれませんわね」
そう言ってマリは、ワウカのデバイスに電話をしてみた。鼎や秋亜も聴けるように、スピーカーとモニターにデバイスを繋げる。
「こんばんは…ワウカさんですか?」
『…あなたは?』
「私はマリ、エリア015で孤児院の院長を務めています」
『ああ…あたしの情報を聞いて回ってたって人、あなたでしょ?』
向こうは明らかにマリに対して、不信感を露わにしていた。だがマリは動じる事なく、彼女に対して事情を聞く。
『何言ったって私はあなた達に協力しないよ。私の事情もそれなりに把握してるんでしょ?』
「はい、あなたが外縁部の限界集落出身である事は知っています」
ワウカは明らかにマリを拒絶する様な態度になっていた。マリは落ち着いて、ワウカにとって有利な条件を示す事にする。
「エンシャント財団がMMORPG“lunar eclipse project”のNPCであるペルタを探しているのは存じていますね」
『知ってる…それであたしにも協力しろって言ってたじゃん』
「協力して頂けるのであれば、エンシャント財団がエリア移住の援助をします」
『お金の事…面倒な手続き…全部やってくれるの?』
「秋亜サン、本当に大丈夫なの?」
秋亜は神妙な表情になって、何かを考え込んでいる様だった。彼女はワウカという特例を作って良いのかと悩んでいるのだ。
『047を抜け出して015に行ける…それも簡単に…』
ワウカは魅力的な提案を聞いて、かなり悩んでいる様子だった。エンシャント財団の代表である秋亜にとっては、かなりの譲歩だった。
『…駄目。ここで努力をやめて誰かに頼る訳にはいかないよ』
「エンシャント財団の手を借りるのと、自分の取り巻きの男性に手伝ってもらう事の違いは何でしょう…?」
『努力しないで大きな財団に全部やってもらったら、その後も努力出来なくなっちゃう』
「そうですか…」
マリはワウカを説得することを、既に諦めていた。ワウカはエリア047を出る為に、大きな組織に頼る気は無いのだ。
『それじゃあ、アタシはアタシで頑張るから』
ワウカはそう言って、一方的に通話を切ってしまった。マリはしばらく黙っていたが、やがてモニターの電源を切った。
「ワウカさんは自分で現状を何とかしようとしています。下手に私たちが手伝わない方がいいでしょう」
「そうですわね」
「ちょっと待って!ペルタを探してくれる人が増えなかったじゃん!」
「ワウカに関してはどうしようも出来ない…それは分かったけどね」
ワウカについて知る事が出来たマリは満足していたが、桃香は不満そうだった。結局協力者は増えず、彼女に取っては無駄足に終わったからだ。
「ゲームのNPCが連れ去られたから救出を手伝って…なんて言われても手伝う人なんて少ないとは思ってたけどね」
「うーん…やっぱり財団が人員を増やしてよ!」
イライラしている様子の桃香は、秋亜に対して八つ当たりしていた。その一方で鼎は、孤児院の子供達について考えていた。
(あの子達は暗い表情にはなっていなかった…それでも今を生きるのが大事で、他の誰かの心配はしてられない…)
「人員は十分ですわ…後は巴さんか桃香さんが新たな手がかりを得れば…」
「私ブラックエリアに行くのは嫌だよ」
エンシャント財団の調査は手詰まりになりつつあった。その為、秋亜は積極的に調査に協力してくれる人物を探していた。
「マリさん、ワウカさんと話してくれてありがとうございました。お陰で、私も彼女の心情を知る事が出来ました」
「いえ…少しでもお役に立てたなら…」
マリとしては、ワウカの話を聞いただけという感覚だった。だが鼎は、自分ではワウカの本心を聞き出せなかったと思っていた。
「夜も遅いのでここに泊まって行ってください。広くはありませんが職員用の浴場もあります」
「ホテルに色々荷物置きっぱなしだけど…エンシャント財団に何とかして貰えるかな?」
「分かりましたわ、こちらで手配します」
「ちゃんと個室用意してくれるんだよね…」
マリは3人それぞれに、ベッドがある小さな部屋を用意した。鼎達はベッドの側に荷物を置いて、寝巻きに着替えて寝る事になる。
普段広い家に住んでいる桃香は文句を言いたそうだったが、エンシャント財団の代表である秋亜は気にする事なく浴場へ向かった。鼎は最後に浴場へ向かう事にして、ベッドに寝転がった。
(アパートの部屋より狭いかな…)
エリア007のアパートの部屋はもう少し広かったが、鼎には文句を言うつもりなど無かった。彼女は秋亜と桃香の後に、風呂を使うつもりだった。
ーー
「風呂出たよ〜鼎サン大丈夫?」
「大丈夫…ちょっと疲れただけ」
鼎はそう言って、職員用の浴場の方へ向かった。浴場は小さかったが、十分な大きさの湯船があった。
(財団の人達もいつまで協力してくれるか…)
そう考えているうちに眠りそうになってしまった鼎は、さっさと体を洗って風呂を出た。鼎は寝る前に、改めて孤児院の建物を見て回った。
(煉瓦造りだけどあちこちに補強が入っている…これなら、壊して建て直すのは勿体ないよね)
エンシャント財団は、そもそもエリア015を豊かにする為の財団である。ペルタの協力に人員を割り当てるのも、限界があるだろう。
「私や巴…桃香だけで何とかする方法も考えないと…」
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