おまけシナリオその4――季桃さん編
レギンレイヴを倒してから約1年が経過した。既に僕たちはいくつかのパラレルワールドでレギンレイヴを倒すことに成功している。そのパラレルワールドの次のタウィル・アト=ウムルは誰になったのかというと、実は空席になっている。
てっきり、すぐに次が決まるものだと思っていた。僕たちが最初にレギンレイヴを倒したパラレルワールドでは、僕の世界のヒカルがタウィル・アト=ウムルになったから。
しかしどうやら、それはかなり特殊なケースのようだった。おそらくヨグ=ソトースはレギンレイヴが消滅したことを理解していないのだ。僕の世界のヒカルをレギンレイヴだと思い込んで、そのままタウィル・アト=ウムルを任せている。
「本来ならタウィル・アト=ウムルになるために、ヨグ=ソトースに謁見しないといけないんじゃないかな。確証はないけど」
と僕の世界のヒカルは言う。
文字通り次元を超えた上位存在であるヨグ=ソトースと対面してしまえば、普通は精神が耐え切れず発狂してしまう。中には例外もいるだろうが、99.9%以上の存在はそうだ。
オーディンはおそらく素で耐えきったんだろう。レギンレイヴについていえば、彼女は複数の精神が歪に結びついた存在になっていたので、結びついた精神の一部を矢面に立たせることで全滅を免れたんじゃないかと思う。
発狂死する危険をおかしてタウィル・アト=ウムルになろうとする者は僕たちの中にいなかったので、僕たちが新たに救ったパラレルワールドは、タウィル・アト=ウムルを空席にしておくことに決まった。
いずれは誰か信頼できるをタウィル・アト=ウムルにした方がいいんだろうか。それともヨグ=ソトースとの謁見に耐えきれる者なんてそうそういないので、空席のままにした方が無難だろうか。その辺りはまだ結論が出ていない。
ちなみに僕の世界のヒカルは新しくタウィル・アト=ウムルを増やすことについて、普段の彼女からは考えられないほどの権幕で猛反対していた。理由については今度僕に話してくれるらしいけれど、まだ聞けていない。
前置きが長くなったが、本題は季桃さんは出身パラレルワールドに帰ったことについてだ。
季桃さんの出身パラレルワールドのレギンレイヴは倒し終えたし、僕の世界のヒカルのおかげでスコルの子に襲われる問題も解決した。認識阻害魔術についても一応の解決はできた。だから季桃さんは出身パラレルワールドに帰った。大体半年くらい前のことだ。
認識阻害魔術の解決が一応というのは、まだ根本的な解決には至っていないからだ。オーディンが用意した仕組みだけあって、まだ解除はできていない。
代わりにどうしているのかと言えば、認識阻害魔術の上から他人になりすます魔術を重ね掛けしている。要するに『季桃さん以外に見えている季桃さんを季桃さんに見えるようにしている』という複雑なことをしている。特殊メイクを2重に重ねて元に戻しているみたいな。
この魔術の開発はなかなか大変だった。それに欠点もある。魔術の効果時間が最長でも2か月くらいしかないのだ。定期的にかけ直さないと効果を失ってしまう。
そういうわけで、僕は1か月おきに彼女の出身パラレルワールドへ訪れて、彼女に魔術をかけ直しているのだった。
「久しぶり、季桃さん。元気だった?」
「ばっちりだよ。結人さんも元気そうでよかった」
今は早朝のまだまだ暗い時間帯で、場所は晴渡神社の境内だ。神社の一日は清掃に始まり清掃に終わるとも言うらしい。季桃さんもその例に漏れず、神社に勤める巫女として境内の清掃業務をこなす必要がある。その清掃業務が始まる少し前くらいに時間を取ってもらった形だ。
神社の決まりなのか知らないが、参拝客もいない時間帯なのに季桃さんは巫女装束を身に着けていた。コートが必要な冬場としては相当な軽装に見える。エインフェリアだから大して気にならない寒さだと思うけど。
「傍から見るとすごく寒そうだね」
「えっ? ……そうか! エインフェリアだからか! 今年の冬はあまり寒くないなぁとか思ってたよ」
どうやら気づいていなかったらしい。季桃さんは腑に落ちた様子で言葉を続ける。
「例年の冬だと、私はこっそり普通にコートを着て朝の清掃やってたんだよね。でも理不尽なことに、巫女が神社の仕事をするときは巫女装束を着ろって決まりがうちにはあってさ。客もいないし神事でもないんだからいいじゃんって私は言ってるんだけど、許してもらえなくて」
そういえば季桃さんが北欧神話に詳しかったのは、日本神話を勉強しろと両親に言われて、それに反抗して別の神話を見てたから……だったはずだ。季桃さんに初めて会った初日にそう言われた覚えがある。
古い組織には謎のルールが残っていたりする。きっと先ほどの巫女装束の件みたいに、他にも季桃さんと両親の間では何度もバトルがあったのだろう。
「お正月とかは仕方ないかなーって思うけどね。参拝客がたくさん来るからさ。巫女装束は寒いから、内側の防御を固めておくんだよってバイトの子にも毎年注意しているの。こっちのパラレルワールドの優紗ちゃんと心子ちゃんもお正月だけバイトに来るよ」
「そうか、こっちのパラレルワールドにも心子さんがいるのか。このパラレルワールドはもう大丈夫だって教えてあげないとな」
こちらの心子さんはパラレルワールドの存在は知っているけど、晴渡神社が魔術結社ではない影響で魔術師になっていない。だから急に魔術とか言われてもどこまで理解できるかわからないけれど、彼女のことだからきっとすぐ飲み込めることだろう。
「お正月ってやっぱり忙しい?」
「この世の地獄だよ。地獄はお正月の神社にあるんだよ……」
神の社に地獄があるとか、巫女が言ってはいけない気がする。
「正月どころか年の瀬からもうやばいよ。みんなはクリスマスとかあるかもしれないけど、神社にクリスマスは無いんだよ……。忙しいとか関係なく宗教的に神社にクリスマスはないけど……」
この流れはまずい。実は優紗ちゃんから「季桃さんにクリスマスの話題はNGですよ。大変なことになります」と忠告されたことがあった。すぐさま話題を変えようと思ったけれど、間に合わない。
「クリスマス中止! 今年のクリスマスは中止です!! はぁ妬ましい……。妬ましいよぅ……。私もサンタさんからプレゼントが欲しかったよぉ……」
「サンタが理由なの!?」
てっきりクリスマスのカップルが目障りとかだと思ってた。人のことは言えないけど、季桃さんって異性慣れしてなくて恋人できたことないらしいし。
「学校に行ってさ、みんなが『サンタさんから何もらった?』とか話してるときに何も貰ってない子の気持ちがわかる!? 仲良い子にさ、『プレゼント貰えなかったって、季桃ちゃんは悪い子なの?』とか言われた気持ちがわかる!? 妬ましい……。羨ましいよぅ……」
神社の娘ならではの苦労があったらしい。今どきは神社の子でもクリスマスプレゼントをもらえる場合があると聞いたことがあるけれど、晴渡神社には適用されなかったようだ。
「ていうかさ、私がエインフェリアとして別のパラレルワールドに拉致されていた間さ、こっちのパラレルワールドから見れば半年くらい私が失踪してたことになるじゃん? 心配はしてたらしいけど、12月に失踪したからってクリスマスストライキって呼ぶの酷くない? クリスマスのために失踪したみたいじゃん」
口にはしないけど、たぶん普段の行いのせいじゃないかな……。優紗ちゃんが僕にわざわざ忠告してくるくらいだし、毎年クリスマスが近づ度に荒れている季桃さんの姿が想像できる。
あとは季桃さんのお祖母さんが家出同然にアメリカへ旅立った過去があるのも影響しているんだろう。事実はさておき、お祖母さんも神社が嫌になって飛び出したことになっているらしいし、季桃さんの失踪もその類と思われたに違いない。お祖母さんと季桃さんは行動原理が似てるそうだし。
「季桃さんはサンタからプレゼントをもらえるとしたら、何が欲しかったの?」
「うーん……。お菓子がぎっしり詰まったブーツかな。クリスマスっぽいし」
具体的に欲しいものがあったというよりは、サンタからプレゼントをもらえたという事実が欲しかった感じだろうか。その憧れの象徴が、お菓子入りのクリスマスブーツなのだろう。
「あっ。そろそろ時間かな。境内のお掃除を始めないと。結人さん、初詣するならこっちのパラレルワールドにおいでよ。そっちのパラレルワールドの晴渡神社は倒壊してるしさ」
「そうだね。そのときはヒカちゃんたちも連れてくるよ」
「うん、待ってるね。……来るならピークは避けてね!? 初詣って実は三が日までに来る必要はないから! 松の内っていう1月7日までとか、もしくは立春の前――だいたい節分の日くらいまでならセーフだから!」
僕は季桃さんと別れを済ませ、銀の鍵を通じて僕の世界のヒカルに連絡する。
パラレルワールドを超える転移なので、タウィル・アト=ウムルに補助してもらわないと狙ったパラレルワールドに跳べない。でももう何度も行き来しているから慣れたもので、僕は僕の世界のヒカルがいるパラレルワールドへ無事に帰ってきた。
◇
「ねぇヒカル。これを季桃さんの枕元に転移してもらってもいいかな? 季桃さんが寝ている間にね」
「クリスマスブーツ? なるほどね、いいよ」
僕はヒカルに頼んでクリスマスプレゼントを送ってもらうことにした。これで季桃さんの気が少しでも晴れるといいけど。
後日、僕がヒカちゃんたちを連れて初詣に行ったときのことだ。「サンタさんって空間転移でプレゼントだけ送ってくるんだね。ありがと、結人さん」と季桃さんが笑っていたのが印象的だった。
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