おまけシナリオその2――心子さん&ヒカちゃん編

 平和な日だ。何が平和かといえば、スコルの子に襲われないことが平和だ。


 おさらいしておくと、スコルの子は角度の時空ティンダロスからこちらの時空へやってきた侵入者だ。タイムトラベルしたり、パラレルワールドを移動したりすると、時空にある種の綻びが生まれる。スコルの子はその綻びを利用してこちらの時空へ侵入している。


 だからその綻びを直しさえすればスコルの子は現れなくなる。残念ながら銀の鍵では綻びを正すことができなかったのだが、タウィル・アト=ウムルになら可能だった。


 襲ってくるスコルの子を退治するために見張りを立てる必要はもうない。夜も安心して眠ることができるし、趣味に時間を割くことだってできる。


 というわけで僕は幻夢境にある心子さんの魔術工房にお邪魔して、台所をお借りしていた。魔術工房は心子さんの生活スペースでもあるので、水道や照明の類はしっかり揃っている。まあ幻夢境は現代日本とは違って電気が無いので照明はガスライトだけど。水道は"門"で無理やり繋げているらしい。


 一緒に来ていたヒカちゃんが声をかけてくる。


「ねぇユウ兄、ユウ兄はクッキー作りが得意なんだよね?」


 得意というほどではないが、僕はお菓子作りが趣味だ。その中で一番自信があるのがクッキーだった。ヒカルがよく食べてくれるので、出身パラレルワールドにいた頃に頻繁に作っていた。


 ヒカちゃんの出身パラレルワールドにいた僕はゼリーの方が得意なんだっけ。ヒカちゃんをヒカちゃんと呼び始めた頃に、そんな話を聞いた覚えがある。作るものは違っても、ヒカルが良い反応を示したから凝り始めたところは一緒だったはずだ。


「材料も買ってきたから一緒に作ろうか」


「うん、一緒に作ろう!」


 僕たちが話していると、銀の鍵を通じて僕の世界のヒカルが話しかけてくる。


(ずるいー! 私も一緒がいいのにー! 完成したら窮極の門まで持ってきてね! 絶対だからね!)


(もちろん。そのために作るんだからね)


 僕の世界のヒカルはタウィル・アト=ウムルになったため、窮極の門から出ることができない。そんな暇を持て余しているヒカルのために僕はクッキーを焼くつもりだった。


 ちなみに窮極の門から出られない代わりに食事や睡眠は不要になったらしい。でもやろうと思えば食事も睡眠もとれるらしい。もはやエインフェリアとも別種の存在になったように見えるが、あくまでも肉体はエインフェリアのままで、それ以外はタウィル・アト=ウムルによる外付けだそうだ。


 僕は慣れた手つきでボウルで材料を混ぜ合わせる。本来ならそこそこ力が必要な作業だけど、エインフェリアだから全く苦にならない。


「ユウ兄めちゃくちゃ上手だね」


「何度もやってる作業だから自然とね」


 せっかくだから今後はもっとお菓子のレパートリーを増やしたいところだ。ヒカちゃんの出身パラレルワールドの僕が作っていたというゼリーにも手を出してみたい気もする。


 幻夢境には電気がないので、冷蔵庫がない。さらに言えば、オーブンもない。氷室とか薪オーブンなどの古めかしい方法が無くはないかもしれないが……。さすがに使ったことが無いのでわからない。氷室と薪オーブンは幻夢境では割と一般的なので、見たことはあるけど。


 仕方ないので混ぜ合わせたクッキーの材料を冷やしながら寝かせる工程と、オーブンで焼き上げる工程は心子さんに実家に帰ってもらってやってもらう。


 この辺りはすごく不便だ。かといって、僕たちエインフェリアは戸籍が無いので現代社会に戻れない。認識阻害魔術があるので、知人に顔を見せたりして死亡届を覆すこともできない。スコルの子の問題は解決したけど、認識阻害魔術だけは未解決だった。時空操作は関係ないのでタウィル・アト=ウムルでもどうにもできなかった。レギンレイヴは解除法を知っていたかもしれないけど、ヒカルには受け継がれていない。


 季桃さんが未だに僕たちと行動を共にしているのはこの辺りが原因だった。まあ、根本的な解決法ではないのだが、一応は解決の目途は立っている。そのうち解決するだろう。


 心子さんの実家の冷蔵庫で寝かせた材料を心子さんに取って来てもらい、僕たちで成型して、成型したものを再び心子さんに実家のオーブンで焼いてもらう。


 もう心子さんの実家で全部やった方が早いんじゃないかって気もするが、さすがにそれは心子さんのご両親に迷惑だろう。現状もどうかと思うけど。


 心子さんの名義でアパートの一室を借りてもらうとかの方がいいんだろうか……。


 僕たちの現状を経済的な面で言うと、今は心子さんのポケットマネーに加え、偽バルドルとムスペル教団から押収した資産でどうにかしている。ムスペル教団はともかく、偽バルドルの資産については意外に思うかもしれない。


 でも偽バルドルはカラスの状態で、エインフェリアたちに活動資金を提供していた。どうやって稼いでいたのかは知らないが、偽バルドルはまとまったお金を持っていたのだ。なお、資産の隠し場所はレギンレイヴから知識と記憶をもらっていた僕の世界のヒカルが知っていた。


 ひとまずはこれでどうにかなるけれど、将来的には自分たちで金銭を稼ぐ必要がある。でも戸籍を持たない僕たちが現代社会で仕事にありつくのは難しい。幻夢境なら魔術師として引く手数多なんだけど。


「現代社会での就職って、僕も難しいんですよねぇ」


 と心子さんもぼやく。


「僕って高校も行っていない上にまともな職歴もないんですよ。だから戸籍じゃなくて、学歴・職歴的に就職が難しいんですよね……」


「あれ? そういえば最初に会ったときに、探偵をしてるとか言ってなかった?」


「実はそれって魔術師として活動する際に使っていた表向きの顔でしかないんですよ。なので実態は違います。実態と違ってもいいなら、僕の職歴は探偵と晴渡神社の巫女になりますね」


 そうか、巫女もあるのか。でもこのパラレルワールドの晴渡神社は倒壊してしまって、再建の目途は立っていない。巫女として再び働くのは難しいだろう。


 それにしても巫女探偵とは。奇をてらった推理小説に出てきそうな肩書だが、再就職には致命的に向いていない職歴だった。ヒカちゃんが「巫女探偵魔術師神剣使いナイアラトテップ……」とか呟いている。


「結局、幻夢境で魔術師として生きるのが一番楽なんですよね。でも現実空間にいる両親を放っておくのも嫌なので……。その辺りの折衷を取るなら、きちんとした探偵事務所を自分で開くのが現実的かもしれません」


 このパラレルワールドの優紗ちゃんは亡くなっているので、それもあって心子さんは両親を支えたいらしい。彼女の洞察力の高さを考えれば、本当に探偵事務所を開いてもうまくいくような気がする。


 こんな話ができるのも、平和だからこそだ。つい最近までは将来の話なんてできなかった。


「将来の話といえばさ、ユウ兄って季桃さんと結婚するの?」


 急にヒカちゃんがそんなことを聞いてくるからむせてしまった。


「いや、特に考えてないよ。僕は今後も他のパラレルワールドを巡る旅に出るつもりだけど、季桃さんは出身パラレルワールドに帰る予定だしね」


「そっかー。お似合いだと思うんだけどなー」


 まあ今後も絶対ないとは言えないけど。それぞれの目指すところが違うから、道が偶然交わることがあればあり得るし、なければ無いといったところだろう。


「あぁ……。こっちでも恋愛話してる……。僕が今ここにいるのはお菓子作りの約束をしてたのもありますけど、優紗が季桃さんをいじってるのから逃げて来たのもあるんですよね」


 心子さんの意外な弱点を知ってしまった。優紗ちゃんはその手の話を好んでいたはずなのに、パラレルワールドの同一人物で逆なのは珍しい。


「そういう話を全部捨てて、自己鍛錬に全てを費やしてきましたので……。というか、パラレルワールドが違うから厳密なことは言えませんけど、優紗も恋愛経験ないはずなんですよ。あの子は人にアタックされても気づかなくて、無自覚にフラグをへし折りまくりですから!」


 心子さんの言葉にヒカちゃんが頷きまくっていた。優紗ちゃん本人に自覚はないけれど、相当酷いエピソードがあるらしい。


 優紗ちゃんは明るい性格をしている上に、アイドル並みの容姿を持っている。趣味もインドアとアウトドアの両刀で幅広く、頭も良い。そういうわけでやたらとモテる。でも優紗ちゃんは自分の恋愛に興味がなさすぎるのか、はたまた自己研鑽に意識を割きすぎているのか、自分への好意に全然気づかないらしい。


 ……これ、優紗ちゃんに心子さんのことを聞いたら同じ言葉が返ってくる気がする。心子さんは優紗ちゃんよりも出会いは少ないだろうが、本人が気づいてないだけで色々とやらかしてそうだ。自己研鑽に重きを置きすぎるのも、少し問題があるのかもしれない。



 ◇


 クッキーを焼き上げた僕たちは、僕の世界のヒカルが待つ窮極の門へ転移する。


「やったー! ユウ君のクッキー、久しぶりだね」


 ヒカルは嬉しそうだった。喜んでもらえると作った甲斐がある。


 僕は用意していた紅茶をカップに注ぎ、ヒカル、ヒカちゃん、心子さんへ配る。紅茶の準備も手慣れたもので、温度や茶葉の蒸らし時間も最適に調整してあった。


 そんな僕を心子さんがぽーっと見つめてくる。


「どうしたの心子さん。何かあった?」


「……っ!? い、いえ。見事なお点前ですね」


 心子さんは結構な紅茶愛好家だ。そんな彼女が褒めてくれたなら、僕も自信を持っていいはずだ。


 ヒカちゃんとヒカルが小声でひそひそ話している。エインフェリアの僕には聞こえているけれど、心子さんにはたぶん聞こえていないだろう。


「これって脈あり?」


「うーん……。判定△。無くはないけど様子見段階」


「そうだね。リモ姉とかココ姉と呼ぶ日がいつか来るのかなー」


「ユウ君を婿に出すときは私を倒してからにしてもらう」


 タウィル・アト=ウムルを倒せる人なんているのか……? それはさておき、別に心子さんはそういうつもりじゃないと思う。幼い頃にこんな感じで別の僕に給仕してもらったことがあって、それを思い出していたんじゃないだろうか。


「窮極の門でお茶会って、冷静に考えるとかなり罰当たりな感じがしますね……。ヨグ=ソトースと面会しようと思えばできる場所でお茶会してるんですよね」


「窮極の門は私の空間だから、主である私がOKなら問題なし! ヨグ=ソトースは高次の存在だから、私たちがここで何してようが気にしないし」


 僕の世界のヒカルが窮極の門から出られないので、どうしても会場はここになる。心子さんは少し不安げにしていたが、やがて気を取り直して紅茶を楽しみ始めた。


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