27:トートの剣

「貴方は幻夢境ゲンムキョウ……? という所に住んでいる猫の神様なんですね。ヨグ=ソトースの娘が封印から解き放たれることを察して、この近辺の猫を避難させにやってきた、と」


 優紗ちゃんは僕たちにも内容が伝わるように、バーストから聞いた内容を声に出して反芻してくれる。


「……どうして私に力を貸してくれるんですか? お姉ちゃんと違って、私は魔術なんかも使えない、普通の子なのに」


 優紗ちゃんは困惑気味にバーストへ訊ねる。


 バーストは猫を避難させたら幻夢境に帰るつもりだったらしい。

 猫以外はどうでもいいと考えているが、優紗ちゃんは猫に有益な存在だから力を貸すことにしたという。


 猫の神だけあって、人間のことは基本的に眼中にないのだろう。

 優紗ちゃんが無類の猫好きで、人並外れて猫を大切にしていたから例外的に気にかけてもらえたようだ。


 バーストは小さく鳴き声を上げる。すると優紗ちゃんの目の前にある空間が光り始めた。


 目が眩むような閃光が収まると、そこには1本の神々しい長剣が浮かんでいた。


 青みがかった半透明の刀身、黄金に輝く柄。柄の先端部分は奇妙に湾曲しており、鳥のくちばしを連想させる。


「これが私に貸してくれる力? 私にしか使えない剣? この剣を握ればいいんですね」


 優紗ちゃんが一歩前へ進み、剣を握る。

 その瞬間、優紗ちゃんを中心に強い風が巻き起こった。


 おそらくは剣の持つ凄まじい魔力が解放されたために起こった現象だ。

 今まで僕は魔石以外から魔力を知覚できたことがなかったが、あまりに魔力が強いからか僕にもはっきりと感じることができた。


「優紗ちゃん、なんだか本当に勇者みたいだね」


 つい、そんな言葉が口から漏れる。

 優紗ちゃんは僕の方へ振り返って、少し照れた様子を見せた。


 そして僕たちが再びバーストへ視線を向けたとき、そこには何もない空間が広がるばかりだった。


 バーストがいないことに気づくと、優紗ちゃんは僕たちの方へ駆け寄ってくる。


「いなくなっちゃいましたね。もう私への用事は済んだみたいです」

「その剣はいったい何なのかな?」

「トートの剣というそうですよ。邪神を倒すための、特別な剣だそうです」


 洞窟の奥にいたヨグ=ソトースの娘は、確かに邪神と呼ぶにふさわしい風貌をしていた。


「この剣、すごいんですよ! 持っているだけで力が湧いてきます。私はトートの剣を振るうために生まれてきたような気さえしてきます!」


 優紗ちゃんはトートの剣をもらえたことが本当に嬉しいようで、興奮を隠そうともしない。


 魔術的な知識や経験が浅い僕にも、トートの剣が秘める魔力が伝わってきたほどだ。凄まじい力を持つ剣であることはよくわかる。


 僕がトートの剣に圧倒されていると、ヒカルが難しい顔をしながら優紗ちゃんとトートの剣を見つめていた。

 そして何かに気づいたのか、ヒカルは驚きの声を上げる。


「あれっ!? もしかして優紗ちゃん、北欧の神々から取られた大切なものが戻ってきてるよね!?」

「どうだろう? 大切なものが戻ったかはわかんないや。何が取られていたのかすらわかっていなかったし」

「そっかぁ。でも戻ってきてるのは間違いないよ。そのための魔術が感知できないの」


 北欧の神々が仕掛けた魔術を打ち破ったというのか……!?

 それが本当だとしたら、トートの剣は僕が思っている以上に強大な力を持っているようだ。


 優紗ちゃんは何かを取られていた自覚がないため、魔術を打ち破った認識もないみたいだけど、ヒカルがそういうなら間違いないだろう。


「もしかしてトートの剣を使えば、ユウちゃんや季桃さんの大切なものも戻ってくるのかな?」

「私にしか使えないって言ってたけど……。結人さん、季桃さん、一応試してみますか?」

「そうだね、試してみようか」


 僕は優紗ちゃんからトートの剣を受け取ろうとする。

 しかし凄まじい強さで剣が僕を拒絶し、鋭い痛みを伴いながら僕は弾かれてしまった。


「ユウちゃん大丈夫!?」

「ああ、大丈夫だよ。やっぱり優紗ちゃん以外の人は、トートの剣を使えないんだね」

「大切なものを奪う魔術もそのままだね。弾かれたからダメだったみたい」


 残念な結果に終わったが、勝手に解除しまくっていると北欧の神々にいい顔はされないだろう。

 ヨグ=ソトースの娘を倒せれば大きな戦功として扱われるはずだ。正規の方法で神々から信頼を得て、そうして記憶を取り戻せばいい。


「たぶんこれからは、優紗ちゃんに対するカラスたちの監視が厳しくなると思うよ。北欧の神々がかけた魔術を破っちゃったわけだからね」

「心子さんもカラスに追い回されているわけだし、姉妹そろって神々を翻弄してるな」


 僕がそう言うと、ヒカルは呆れた様子で僕を見る。


「……他人事みたいに言ってるけど、ユウちゃんも記憶が戻ったらその枠だからね。心子さんが持っていたスコルの子を捕獲する道具って、たぶんユウちゃんが作ったんでしょ」


 スコルの子の捕獲道具を作った人物は、もちろん魔術師だろう。


 僕も記憶を失う前は魔術師だったらしい。


 久世結人という名前で、魔術師で、一般的には行方不明の扱いだけど、死亡していると心子さんに思われている。そんな人物が2人もいる可能性はとても低い。


 実感がわかないが、素直に考えれば僕がスコルの子の捕獲道具を作ったということになる。


「さてと、他に何か優紗ちゃんに変わったところはないかな」


 ヒカルはトートの剣と、その所有者である優紗ちゃんの解析を再開する。

 それをなぜか優紗ちゃんが中断させた。


「ねぇヒカルちゃん。ちょっと耳貸してくれない?」

「えっ? いいけど、どうしたの?」

「内緒話があるの」


 エインフェリアの聴力でも聞こえないように、優紗ちゃんはヒカルを連れて離れたところへ移動する。


 しばらくすると、話し終わったのか2人は戻ってきた。

 そして、なぜかヒカルの目元に涙の跡が微かに残っている。


 いったい何を話してきたのだろうか……?


「えっと……。トートの剣の解析はこれで終わりってことで……」

「大丈夫……?」

「大丈夫ですよ。ねっ、ヒカルちゃん」


 優紗ちゃんが「大丈夫だよね」とヒカルにいうと、ヒカルは無言で頷いた。

 優紗ちゃんにならヒカルのことを任せられる。涙の跡について、今は追及しない方がよさそうだ。


 ヒカルはごしごしと目元をこすってから、トートの剣についてわかったことを教えてくれた。


 トートの剣はヨグ=ソトースの娘に対して非常に有効な力を3つ持っているらしい。


 まず1つ目。トートの剣で邪神やその眷属を斬った場合、普通の剣よりも深く傷を負わせることができる。


 これまでに得た情報から考えると、ヨグ=ソトースというのが邪神の名前で、ヨグ=ソトースの娘は邪神の眷属に相当するのだろう。


 ヨグ=ソトースの娘には再生能力があるから、短い時間に多くのダメージを与えることが重要だ。

 トートの剣で攻撃することで、再生能力を上回るスピードでヨグ=ソトースの娘に与えられるかもしれない。


 続いて2つ目。トートの剣には治癒の力がある。


 トートの剣の力を開放すれば、ヒカルが使って見せた『異常状態を正す魔術』と同じようなことが可能なのだ。

 ルーン魔術とは別の方法でヨグ=ソトースの娘が吐き出す毒液に対応できるメリットは大きい。


 そして最後、3つ目。トートの剣には所有者を守る力がある。


 物理的な攻撃および、魔術的な攻撃に対して耐性を得るという。

『打たれ強くなる魔術』の物理・魔術両用版が常時発動しているようなものだろう。


 トートの剣を持つ優紗ちゃんは、多少無理をしてでも攻撃をしかけて再生能力を上回る速度でダメージを与えなければならない。

 所有者を守ってくれるのであれば、優紗ちゃんの安全性が高まるはずだ。


「まあ要するに、ゲーム風にまとめると、

 『1.ヨグ=ソトースの娘に対する特効武器を入手』

 『2.状態異常回復技を習得』

 『3.防御系パッシブスキルを習得』

 って感じです! 私、とっても強くなりました!」


 そんな言葉で優紗ちゃんがまとめてくれた。

 攻守共に万全に思える。


 これは本当にヨグ=ソトースの娘にも勝てるかもしれない。


「せっかくなので試し切りとかしてみたいですね。スコルの子でも出てこないかな」

「最後に出てきたのは洞窟に入る前だから、もう結構時間が経ったよね。そろそろ出てくる頃じゃない?」


 噂をすれば影といったところか、優紗ちゃんがブンブンと剣を振り回していると、スコルの子が3体現れる。


 それを見た優紗ちゃんは意気揚々とトートの剣を構えて、スコルの子たちへ向かって行った。


「いいところに出てきましたね! 剣の錆にしてくれます!」


 流れるような動きで、優紗ちゃんがスコルの子を一刀の下に斬り捨てていく。

 10秒に満たない間に、スコルの子は3体とも尖った箇所から逃走していった。


 これまで僕たちはスコルの子に安定して勝ってきたとはいえ、これほどスコルの子が弱く見えたのは初めてだ。


「スコルの子に使うにはトートの剣は強すぎますね……。全く相手になりません」

「というか、スコルの子にも特効効果があるんだね」


 トートの剣はバースト曰く、邪神を倒すための剣だ。


 もしかするとスコルの子も、ヨグ=ソトースとは別の邪神の落とし子なのかもしれない。


「トートの剣は雑に扱っても強いので、使っていると戦い方に変な癖がつきそうです。とりあえず、戦闘経験を積みたいときはトートの剣を封印しますね」


 武器に頼って本人が弱くなったら本末転倒だ。優紗ちゃんがそうしたいならそれがいいだろう。



 僕たちはそれから数日の間、ヨグ=ソトースの娘を討伐する作戦を考えたり、時折生み出される落とし子を駆除したりして過ごした。


 今はヒカルと季桃さんはシャワーを浴びに行っているところだ。

 そのタイミングを狙って優紗ちゃんが話しかけてくる。


 僕はずっと、それを待っていた。


「結人さん、今お時間よろしいですか?」

「もちろん。優紗ちゃんから声がかかるのを待っていたよ。ヒカルのことだよね?」

「はい。ヒカルちゃんが泣いていた理由をお話ししたいんです」


 トートの剣について調べていたとき、優紗ちゃんがヒカルと内緒話をして戻ってきたときにヒカルは泣いていた。


 優紗ちゃんのことだからヒカルに悪いことはしていないだろうが、心配なものは心配だった。


「一応、ヒカルちゃんから口止めされているので、今から話すことは聞いてないことにしてくださいね」

「そうなんだ。いいの? 話しても」

「ダメですけど、結人さんも知っていた方がいいと思うんです。ヒカルちゃんのお兄さんなら、何も知らないふりをしながらヒカルちゃんをケアするくらいできますよね?」


 優紗ちゃんは薄く笑みを浮かべながら、僕の返事を待たずに先を続ける。

 僕が何と返事をするか、わかっているのだろう。


 生前からヒカルを通じて聞いていた評価込みなのだろうが、僕がヒカルを傷つけることはないと優紗ちゃんは確信しているようだった。


 なんというか、僕と優紗ちゃんは年は離れているけど、相棒のような感覚がある。

 ヒカル親衛隊というか、ヒカルを守る会というか。


「トートの剣で解除できたのは、大切なものを奪う魔術だけではないんです。認識阻害魔術も破ることができました」

「やっぱりそうか。どちらも北欧の神々がかけた魔術なんだから、片方が解除できるならもう片方も解除できるよね」

「それでヒカルちゃんは予想した通り、周囲を不幸にしてしまう呪いにかかった、私の生前からの友達だとわかりました」


 周囲を不幸にしてしまう呪い……。

 それも親しい人ほど、呪いの効果が強く降りかかってしまうという恐ろしいものだ。


 そのせいで生前のヒカルは周囲から孤立していたという。

 自分が死ねば呪いは消えるとヒカルは言っていたらしい。


「ヒカルの呪いが今の僕たちに効果を及ぼしていないのは、ヒカルが一度死んでいるから?」

「そうらしいですね。ただ、それ以上は北欧の神々から信頼を得ているエインフェリアにしか話せないと言われてしまいました」

「逆に言えば、北欧の神々が呪いに関与していることが確定したわけか」


 呪いの原因はまだよくわからないが、僕たちは北欧神話の女神フレイヤが持っていた黄金の首飾りが怪しいと睨んでいた。


 我ながら無理のある推理だと思っていたが、意外と的を射ていたのかもしれない。


「どうして認識阻害魔術を突破できたとき、ヒカルと2人きりになったの?」

「認識阻害魔術のことを知ったとき、私たちが生前の友達だとヒカルちゃんから話してくれなかったからですね。言いにくい事情があるのではないかと考えました。特に、結人さんの前だと言いにくいのかなと」

「僕……? どうして?」


 優紗ちゃんは順を追って説明してくれた。


 まず、ヒカルが優紗ちゃんに生前の友達だと打ち明けなかったのは、呪いが原因で優紗ちゃんが死んだと思っていたかららしい。


 認識阻害のことと、呪いで不幸を起こした自己嫌悪が複雑に絡んで言い出しにくかったそうだ。

 自分の呪いで殺してしまったのに、生前のように友達でいて欲しいなどと言えなかったのだろう。


 もしかすると、僕に対して当初は初対面設定を貫こうとしていた真の動機も同じなのかもしれない。


「そして、結人さんに違和感があるそうです」

「違和感ってどういうこと?」

「やっぱり記憶を失う前後で多少の変化があるんでしょうね。要するに、記憶を失った結人さんが呪いのことを知ったとき、拒絶されないかヒカルちゃんは確信を持てないわけです」


 拒絶されたくないという気持ちは、裏返せば仲良くしたいということだ。


 もう僕は呪いについて知っているし、ヒカルを拒絶することはありえない。

 けれどヒカルが僕に違和感を覚えているのであれば、僕の思いがヒカルに伝わるとは限らないだろう。


 確実にヒカルを安心させるなら、記憶を取り戻す必要がある。

 少しでも早く記憶を取り戻したい。


 焦る僕を優紗ちゃんが宥めてくれる。


「まだわからないことも多いですけど、それでもいろいろなことがわかってきました。ヒカルちゃんは私の大切な友達です。結人さん、一緒にあの子を守りましょうね」


 ヒカルに優紗ちゃんのような友達がいて、本当によかった。

 僕と優紗ちゃんの2人でなら、きっと何とかなる気がしてくる。


 僕は以前、新たなエインフェリア仲間を求めて街中を探索していたときに、優紗ちゃんと交わした約束を思い出していた。


『約束してくれますか? 私と一緒に、ヒカルちゃんと季桃さんを守ってくれるって』

『もちろんだよ。約束する。僕たちで2人を守ろう』


 思えば僕と優紗ちゃんの関係は、この約束から始まったのだと思う。


 僕にとって、約束はとても重要なことだ。


 もうずっと昔のことになるが、僕の両親はすぐに帰ってくると僕に約束して、そのまま行方不明になった。

 何かの事故に巻き込まれたのか、それとも意図的に約束を破って僕を置き去りにしたのかはわからない。


 僕は帰ってこない両親をいつまでも待ち続けていた。


 約束は一度破られると、それまで積み上げた関係や信頼をすべて破壊して、破られた側の心に酷い傷跡を残すのだ。


 だから僕は、結んだ約束は必ず果たすことにしている。


「優紗ちゃん、僕は必ず約束を守るよ。一緒にヨグ=ソトースの娘を倒そう」

「はい! こちらこそよろしくお願いしますね、結人さん」

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