先輩女中が言うことには

 雪雅と黎季の裏工作と柚稀の口添えで城に上がれるようになった華乃は耳にした話に目を瞬かせた。

 華乃の指導についた先輩女中いわく『殿がまた政務をほっぽりだしてお逃げになった』そうだ。

 『鬼の形相の柚稀様が後を追われている』とか『またお二人の鬼ごっこがはじまった』という話も聞いた。

 政務をほっぽり出すのは頂けないが、教えてくれた先輩たちの顔はどれも微笑ましそうなものだったので華乃の表情も自然と綻ぶ。

 紫月が連れださなければ息抜きの仕方も知らなかった雅冬を知っているから妙な安心さえしてしまう。

 追いかけて政務をさせなければならない柚稀には申し訳ないが、心の底から良かったと思ってしまう。

 雪雅の屋敷で未だに紫月を気にする様子を見た時は焦ったが、それほど心配することはないのかもしれない。

 当たり前だが自分がいなくなっても雅冬の時間はちゃんと進んでいる。

 生まれかわった世界で見た悲痛な様子の雅冬の姿だってただの夢でしかないのかもしれない。

 でもそれなら、どうして私は還って来たのだろう。

 今まで考えないようにしていた疑問が急に胸を締めつけて華乃は無意識に唇を噛む。


「こら、そんなに強く噛んでは切れてしまうよ」

「雪雅様、」


 かけられた声に目を見開いて驚く。


「雅冬に呼び出されてねぇ。仕事を盾に取られたら来ない訳にはいかないからね。

 あの子はまだ若いし、おじさんは出来る殿さまだったからね!」

「……」

「無言で冷ややかな視線を向けるのはやめようか」

「無理です」

「即答!?

 ……それより華乃、お茶を淹れてくれるかい?

 呼び出した癖に雅冬ってば柚稀と鬼ごっこしてるんだもん」


 オッサンが頬を膨らませたところで全く可愛くない。というか気持ち悪いだけだ。

 雪雅の後ろで控えるげっそりとした父に心底同情しながら、華乃は呆れ顔で是と頷いた。

 雪雅のお気に入りの部屋にお茶と茶菓子を持って目指す。

 先輩たちからアンタ一体どういうコネ持ってんの!? と羨ましがられたり、絡んでくる雪雅の面倒くささを知っているベテラン女中たちからは同情の視線を頂いた。

 全く嬉しくない。


「失礼致します」


 声をかけると同時に開けられた障子に目を瞬いて開けてくれた父に微苦笑混じりに頭を下げる。

 ムッと眉を寄せただけで文句を言わなかったのは流石と言うべきか、それとも女中ごときに気を使って障子をあけてしまう親バカ加減に呆れるべきか迷いながらお茶を出す。


「どうだい?女中としての城勤めは」


 美味しいと茶をすすりながら優しく問うてくる雪雅に華乃は何ともなんとも言えない顔で笑った。


「楽しいし、新鮮です」

「そうか。それはよかった」

「誰かにいじめられたりしていないか? お前に女子の世界は生きづらいだろう」

「父上、それどういう意味ですか。私とて女子です。

 ……皆さんよくしてくださいますよ」

「ではどうし」


 どうしてあんなに思い詰めた顔をしていたのかと問う前にスパーンと襖が開く。


「親父!今日は早かった、な」


 清々しい程勢いよく襖を開けた雅冬は語尾をすぼませ目を見開いてある一点を凝視する。

 凝視されている華乃はその視線から逃れるように頭を下げ続ける。

 藍堂親子はそれぞれの主の後ろに控えて頭を抱えた。


「どういうことだ?」


 低い声と共に鋭い視線が雪雅を射ぬく。

 頭を下げてその声が誰に向けられたものか分からなかった華乃はビクリと肩を跳ねさせた。

 怯えるように跳ねた肩に雅冬は何故かいいようのない罪悪感に駆られて慌てて違う! と声をあげる。


「アンタに言ったんじゃねぇ!

 いや、どうしてアンタがここにいるのかは勿論気になるんだが」


 しどろもどろに弁明する息子の珍しい姿に、ピシリと固まっていた雪雅が微笑ましそうに目を細めた。


「この子はね、花嫁修行の一環でここの女中をすることになったんだよ。

 主殿に甘やかしてしまうから預かってほしいと言われてね」

「だったら、」

「私もこの子にはすこぶる甘くてね。だから柚稀に頼んだんだ。ね?」

「はい」


 おい、聞いてねぇぞ。という雅冬の視線に柚稀は言う前にお逃げになったのはどなたですかとシレっとした顔で答えた。


「華、と言ったか?」

「はい」

「……俺にも茶を淹れてくれねぇか」

「雅冬?」

「話はここでする。問題ねぇだろ?」

「うぅ、華は私のなのに」

「では、準備してまいります」


 抱きつこうとする雪雅の腕を軽やかにかわして華乃はぎこちない笑みを浮かべて下がった。

 雅冬様はご立派になられた。紫月をまだ気にかけてくださっているのは雅冬様がお優しいからだろう。

 惚れた女といのは、あれだ。きっと、思い違いだ。

 それなのにどうしてあの時、あんなに焦ったのだろう。

 遠くから見守るだけでも問題などなさそうなのに。

 お側にいないと、なんてやっぱりただの自分の我が儘だったのか。

 自嘲の笑みをのせて華乃は雅冬と柚稀のお茶を用意するべく廊下を歩き出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る