残り香

 藍色の羽織を抱きしめる。

 持ち主の匂いは遠の昔に消えた。

 それでもこれが一番心を落ち着けてくれる。

 女々しいと思いながらもどうしてもやめられないそれに腹心も諦めてとがめる事をしなくなった。


「紫月……」


 夢を、見なくなった。

 少し前まで紫月が見慣れない着物を纏い女の格好で現れていた。

 伸ばした手が届いたことなどなかったが、届かないと知りながらも応えるように手を伸ばしてくれるのが嬉しかった。

 たとえ夢での出来事でも求めているのは自分だけではないと安心できた。

 想いは変わらない。

 自分の特別は父から紫月を貰った日からずっと彼だけだ。

 性別も年齢もどうでもよかった。

 ただ、紫月が笑って側にいてくれたら、それだけでよかった。

 なのに……!!



 俺のつくる国が見たいというからこの座についた。

 民の笑っている姿が好きだというから、彼らを守ることにした。

 死ぬなというから追いかけることをしなかった。

 それなのに、どんなに努力してもお前がいない。

 笑って褒めてくれるお前がいない。

 それが苦しくて悲しくて寂しくて堪らないのに、何度呼んでもお前は応えてくれない。

 こんな自分を見たら紫月はどうするだろう。

 叱るのだろうか、悲しむのだろうか、それとも――――。


「華、か」


 夢を見なくなったこのタイミングで出会った紫月とよく似た彼女。

 年齢を考えると辻褄が合わなくなる。

 でも、あの香りは、あの声のもたらす安心感は、忘れるはずのないものだった。


「調べる価値はある」


 どうか、この光を奪わないでほしい。

 あの夢がなくなった今、自分でもどうなるか分からないから。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る