弟の心配

 静かに自分に頭を下げる華乃に柚稀は助けを求めるように父を見た。

 しかし、黎季は既に諦めた様子で首を振る。

 何となくこうなる気はしていた。

 華乃あねがまだ“紫月兄上”だったころから雅冬は彼女の特別だった。

 それこそ優しい姉がまだ幼かった自分に嘘を吐き通すことをいた程に。

 そんな華乃が未だ“紫月”に執着をみせる雅冬を放っておけるわけがない。

 自分だって無力感に駆られる度に何度も彼女の存在を乞い、願ったのだ。

 どうか雅冬様のお側にもう一度、と。

 なのに、それが現実になりそうな今、素直に喜べないのは理解してしまったからだろうか。

 雅冬が抱く紫月への執着も、狂おしい程の思慕も、大きすぎる想いがいつか大切なものを壊してしまうであろうことも。

 年を重ねることで幼い自分が理解できなかったことを、分かってしまったからこんなにも躊躇ためらうのだろうか。


「姉上」

「勝手を言ってることは分かってる。だけど、お願い。

 きっと私はその為にここにいるの」


 意思を灯した強すぎる瞳はあの頃と変わらない。

 勝てるわけがないのだ。

 どれだけ年を重ねようと、例え彼女より年上になったとしても、母の変わりに自分を育ててくれたこの人に。

 彼女が敬愛する兄よりも鮮明に記憶に残る憧れの人の真っ直ぐなそれに折れるのはいつだって自分や父なのだ。

 それでも今回ばかりはどうしても素直に頷けそうにない。


「しかし、」

「柚稀には迷惑をかけないように気を付ける」


 迷惑だなんて思わない。

 ただ、怖いのは優しい姉が傷つくこと。

 でもそれは、彼女には伝わらない。

 必死に言い募る華乃を眺めながら溜息を噛み殺す。


「……くれぐれもお気をつけください。

 あの方は姉上が思っているよりもずっと簡単に貴女を見つける」


 それはたがえようのない事実だ。

 きっと雅冬はすぐにでも華乃を見つけてしまう。

 そして再びその存在を手に入れたその時、もう二度と離しはしないだろう。

 たとえどんな手を使ってでも。


「ありがとう、柚稀」


 嬉しそうに笑う姿にズキリと胸が痛む。

 この笑顔がかげることのないまま、主のしがらみが断ち切られればいいのに。

 きっと叶わないと知りながらも願わずにはいられない。


「そのかわり、私にもお茶を淹れてくださいね」


 雅冬の心に気付いた時、混乱に陥るであろう姉が弱音を吐ける場所を作る為に柚稀は微笑んだ。

 目を瞬いてにっこりと微笑み返す姉を今度こそ守ろうと思う。

 自分もまたその為に強くなったのだから。

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