選び取った答え

 いつもより随分と遅いふたりに新聞片手にコーヒーを啜っていた父親がのんびりと声をかける。


「随分と遅かったなぁ。車で送ってくか?」

「ううん。大丈夫」


 いつもならどこか遠慮がちで居心地が悪そうな華乃のサッパリした反応に彼はコーヒーと新聞をテーブルに置いて華乃を見た。

 それはお弁当の用意をしていた母親も同じで華乃の顔を凝視している。

 そして手を握ったままの紫月の表情に気付いた母親はガクガクと震え、真っ青になりながらペタンと床に座り込み、いやいやと首をふった。


「お母さん」

「いや! 嫌よ。貴方はわたしの子どもよ。

 私がお腹を痛めて産んだ、私の可愛いたったひとりの娘……」

「うん。

 たくさん困らせてごめんなさい。

 産んでくれて、育ててくれてありがとう」

「イヤ!いやよ!! 貴女はあの女じゃなくて私の娘よ! そうでしょう!?」


縋るような母の視線を受け止めて華乃は言葉を紡ぐ。

駄々を捏ねる幼子に言い聞かせるように柔らかく、けれど、真剣に。


「私は還らなくちゃいけないの。

 ずっとずっと私を待っていてくれる人がいるから還らなくちゃいけないの」

「母さん、ちょっと……大分早いけど華乃はお嫁に行くんだよ」


ひどく大人びた顔で困ったように言葉を紡ぐ華乃と紫月に母親は大きく目を見開き、くしゃりと顔を歪めて項垂れた。


「えーっと、お父さん、話についていけないんだけど……。

 それに華乃をお嫁に出す予定なんてまだまだこれっぽちもないんだけど」


その様子にひどく戸惑いながら気まずそうに声をあげた父親を制したのはキリッとした祖母の声だった。


「紫月の言う通りじゃ、華乃は他の娘より少し早く他所よそに嫁ぐ。

 華乃が華乃でいられる場所へお嫁に行くんじゃよ。本当に笑える場所に」


 祖母に諭すように肩を抱かれてそれでも嫌だと首を振って華乃に手を伸ばそうとしてくれる母親に華乃はこの世界に産まれてはじめて彼女を自分の母親だと認識したような気がした。


「お母さん、お父さん、今まで育ててくれてありがとうございます。

 だけど、私はどうしても行かなきゃいけない。

 ずっとずっと泣いているから。

 こんな私にまだ手を伸ばしてくださるから。

 私はその手をとって涙を止めて差し上げないといけない。それが私の役目だから」

「……よく、わからないんだが、華乃はそれで本当に僕たちに見せられなかった本当の華乃でいられるのかい?

 作り笑いじゃない笑顔で本物の笑顔で幸せに暮らせるのかい?」

「はい」


 迷いなく言いきった華乃に彼はふうと小さく息を吐いて困ったように微笑んだ。


「なら、行っておいで。

 君が君でいられる場所に。本当に君が求めている場所に」

「お父さん」

「だけど、忘れてはダメだよ。

 君は僕と千佳の娘だ。可愛い可愛い大事な娘だ」

「……うん。ありがとう」


その言葉を噛みしめるように華乃は笑った。

諦めを滲ませて笑う父親と泣き崩れる母親を見る。

違和感だらけの世界で変わらない愛を注いでくれた人たち。

ずっと華乃と向き合い続けてくれた人たち。

この世界の華乃の大切な両親。


「華乃!!

 ………悲しみも幸せも桜が連れてくる。貴女を運ぶのもきっと―――――」

「おかあ、さん」


涙で濡れた顔をあげた母親の言葉に華乃はくしゃりと顔を歪めた。

この人は、知っていたのか。

兄とも祖母とも違う形で、ずっと知っていて、それでも、華乃を我が子として愛してくれていたのか。手放したくないと泣いてくれるのか。

たくさん困らせたのに、たくさん迷惑をかけたのに、こんなにも愛してくれているのか。

大きな手がそっと華乃の背を押した。


「行っておいで。僕の可愛い華乃いもうと

「行ってきます」


 きっともう会うことはないけれど、それでもこの時代に、世界に、生を受けて、全てを拒絶するしかできなかった華乃をずっと守ってくれていた人たちを忘れない。

 ずっと頼りぱなしになってしまった紫月あににも、何も言わずに見守ってくれていた祖母も、必死にコミュニケーションをとろうとしてくれた父母にも心の底から感謝している。

 だけどどちらかを選ばなければならないのなら私は迷いなく貴方を選ぶ。

 だからどうか待っていてください。すぐにお側に戻ります。

 華乃は制服姿のまま桜の丘へと走り出した。

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