人の価値、人の色
曇戸晴維
人の価値、人の色
この国は、変わった。
いつからともなく、変わったのだ。もしかしたらそれは、どこまでも規定路線だったのかもしれない。私たちは政治的思想や宗教から離れることを望み、叶えた。
メディアでは日々、専門家たちが緩やかに議論を繰り広げることに変わりはないが、恐らくそれはもう建前でしかなくて、私たちはもうこの国でしか生きていけない。
義手や義足、機械の身体が一般化され受け入れられるのは早かった。
詳しくは専門外なので知らないが、脳へダイレクトに伝達できる技術の開発は身体的障害をなくすことはもちろんのこと、まるでファッションのように若い世代に浸透していった。
一部批判やスポーツ競技のルール改正、神への冒涜だなんだとそんなものは問題にもならなかった、と祖父がよく言っていたのを覚えている。
一方、それに興味のない人たちもいた。
彼らはネットワーク上の仮想空間を仮想の身体で行き来し、仕事さえも仮想空間での作業で済ませてしまう。
仮想の世界の感覚は、頭部に付けられたウェアラブルデバイスを通して現実の身体に作用する。
今や、性行為は仮想空間で行い、子を作るタイミングさえも選べ、生まれながらの生物的性別など関係なく遺伝子の掛け合わせで人工的に造られるサービスなのだ。
人はウェアラブルデバイスに与えられた国民番号によって管理され、科学技術によって埋め込まれた電子網膜に映像を移し、ネットへのアクセスも、金銭の管理も、なにもかもこれで行われる。
これには、理解を得られるまで時間がかかったと父が言っていた。
身体能力は望めば望むだけ手に入り、日々の生活は科学によって自動化され、我々は「知を謳歌する」だけの存在となった。
しかし、人間とは欲深いもので、これだけの自由を得ても満足はしない。
匿名性に溢れた街に不信感を覚え、陰謀論を唱え、この世の仕組みに不安を感じ、機械の熱では人を感じられぬと嘆き、意味もなく悪行を働き、他人を蹴落とし、蔑む。
匿名性と情報過多という相反した状況に右往左往し、隣近所にはどんな輩がいるのか、はてさて自分の家族ですらどんな仕事やどんなコミュニティの中にいるのかすらわからない。
そして起こるのは、他人への不信感と現状への危機感だった。
そう国民の誰もが心の中で感じたとき、ある法案が通った。
「臣民法」。
正式名称「国民総心身健康法」と銘打ったこれは、あらゆる思想信条の垣根を越え、国において「国家と共に歩む臣民として望ましい道徳心」と「国家を構築する臣民として望ましい健康的な身体」を選択幅を可能な限り増やし、その自由を与え、かつ、責任を追求しない形で賞賛される。
つまり、まじめに真っ当に生きようとする人、健康を維持しようとする人には国が国として手厚い保障と、頭を下げて感謝をしてくれるのだ。
下手に出まくったといってもいいくらいの低姿勢で与野党連立で全力で国民の理解を取りにきたこの政策は、それはもう不自然なほどに自然に、通った。
変わったのは教育だった。
語り尽くされた言論の中で、どうあがいても現役世代には道徳心の向上には難がある。
それぞれがそれぞれに生きてきた人生と社会の中で、人はそう変われない。
並々ならぬ努力によって変わろうとする人たちは皆、講習やセミナーに行くような事態となった。
「昔、あったんだ。英会話だのマナー講習だの。あの流れに似てるな。」
ニュースを見ながら誰に聞かせるでもなく呟いた私の叔父こそ、この法案を通した立役者だと知ったのは、ずいぶん後になってからのことだ。
そうこうしながら義務教育は9年間になり、教育課程に倫理道徳がことあるごとに組み込まれ、成績に大きな影響を及ぼすようになった。
成績に影響を及ぼすだけならいざ知らず、我々が求めたのはさらなる知的向上であり、その結果が「バッジ」というシステムだ。
国民の98%がつけていた頭部のウェアラブルデバイスを改良し、「国民的規範行動に従事しているかどうか」で、はっきりと識別できるように色が変わるものである。
それは数十年かけて洗練化させた教育課程、平等の元に全員がトップを目指しそれを成せる、言葉通りの「全員一位」を体現させるシステムとなるはずだった。
そのシステムの評価課程は本人の道徳心まで入り込み、幾重もの防護策によって、「平和で温厚な国民」が闊歩する国が誕生する予定だった。
この評価システムは当初、国民からの猛反発を受ける。
しかし、現実的に考えたとき、いくら洗練された教育を受けようとも、平等に順位など気にせず育った学生たちが学生を抜けた時点で競争の最中に巻き込まれていく事実は変わらない。
特別なことは何もなく、「競争というものがあるというくらいの認知に収まる幅」と「向上心にしかつながらないシステム」は一考の余地があるように思えた。
がんばれば、褒められる。評価が上がらなくとも、蔑まれることはない。
なぜなら、蔑んでしまえば評価が落ちるのだ。
道徳心の評価は一定の支持を集めた。
洗練された教育といっても、学習能力には個体差が存在する。
しかし道徳心においては情操教育の過程によって相当なコントロールが効く。
誰かが入れそびれたゴミをゴミ箱に戻した。
街で道に迷っている人を道案内した。
重い教材を持っている学友を手伝った。
たったそれだけで、評価が上がる。
性善説を体現したそれは、理解が進むにつれ、国民に求められ始めた。
平等の元に教育された世代が、生産性を落としていることもあって、この政策はほどなくして施行された。
新型デバイスを付けられた子供たちを、大人は「新世代」と呼んでいる。
新世代達の活躍はめざましく、5段階の色わけをされ、普通を2段階目と定めた中で、平均は3を超えた。
産まれた段階から2を維持し、小学四年生の段階で3になるものが3割、中学の段階で5割となった。
特に清く正しい数%は4に到達し、行ったり来たりを繰り返しながら4を維持するものも出始める。
道徳心もすくすくと育ち、級友達と切磋琢磨を繰り返し、2は3に憧れ、3は4を目指し、嫉妬の心を向上心に変え、かつて大人達が大人になってから悩むような自分の中の資質や時間の使い方、成長速度などを子どものうちから学び、消化し、充実した人生の準備期間として相応しいものになったのだ。
そしてその教育を受けた子どもたちが社会に出始め、モラルというものはそれはもう鰻登りに高くなっていく。
まあ、専門家が言うには「この国のモラルは発展途上国どころかスラム街と変わらない」らしいので、当然といえば当然である。
ほどなくして、街中に溢れかえるのは光り輝くゴールドやプラチナのデバイスをつけた若者たち。
私にとって嬉しい誤算は、この若者達に憧れる大人たちも多くいて、次々と新型デバイスへの適合手術を行う人が出てきたことだ。
私は、ほどよい疲労感と達成感を胸に、この光景を眺める。
自然に溢れた公園では人々が笑顔で語り合い、幼子といえどケンカをするような子もいない。
近年の労働体系アンティークブームに乗っかる店では、店員と客が楽しそうにやり取りしている。
清掃ロボットはもはや働くことはない。
誰かが不意に落としてしまったゴミでもすぐさま誰かが見つけ、拾い、ゴミ箱へ捨てる。
それに気付いた人は、拾った人をすばらしいと褒め称え、笑顔で握手をして別れる。
私の家系は親子三代に渡り国の重要機関に勤め、デバイスを開発したのも祖父だった。
早くして研究に命を捧げ切ってしまった父が死に際に放った一言が「遂に父親を超えられなかった。お前は祖父を超えろ。」だった。
幼い頃から、祖父に褒められ、父親に褒められた彼は、努力の喜びを正しく知っている。
家族は、私の頑張りをきちんと見定め、どこが良く、どこが悪かったのかをきちんと判断してくれた。
私が悩むと耳を傾け、適切なアドバイスをくれた。
母はこの時代に珍しく、現実世界での料理を趣味にする人で、私が落ち込んでいると決まってアップルパイを焼いてくれたものだ。
私にとって、この新型バッジは原初的な「褒めて伸ばす教育」に近いと言える自信作だった。
しかも道徳心にまで作用するため、決して妬む、腐るといったことは許されない。
まさにこのデバイスは私が生きてきた「努力をすれば成果があがる世界」への招待状なのだ。
研究を終え、一線から退き、この光景を眺める幸せは何物にも変えられない。
研究者気質が極まったせいかパートナーには恵まれることはなかったが、もはや当たり前となった遺伝子バンクによって、私の遺伝子は時の為政者の手によって有効に活用してもらえるだろう。
私は、父の言葉を守れただろうか。
果たして、祖父のことを超えられたのであろうか。
そんな疑問が、ふと胸の中に小さな水滴のように落ちてきて、それは波紋のように広がる。
そんな中、世界は私に悩みを突きつけてくる。
最近、よく見るニュースだった。
昔からある社会問題だ。しかし、私にとっては他人事ではない。
『新世代達の無気力化』
確かに、賢い子ども達は増えた。
確かに、妬みも嫉妬もなくなった。
確かに、生産性はあがった。
それ以上に、諦める子たちが現れた。
どうせどれだけやっても変わらない、なんて腐り方ではない。
受け入れてしまったのだ。
大人達が求めた基準に達する評価を。
低い高いなど関係がない。なにごとにも動じず、自分は努力している。相応に褒められた。
だから、このままでいいのだ、と。
問題はそれだけではなかった。
新世代の自殺率。
それはなんと30%にもなった。
早々に人生の成長と楽しみに見切りをつけ、それを受け入れてしまう。
なぜこうなってしまったのか。
いくら考えても、答えはでない。
私は正しいことをしたはずだ。父や、国の期待に応えられることができたはずだ。
なのに、なぜこんなことに。
悩みながら歩いていたため、私はなんでもないところで躓いた。
久方ぶりに感じる膝へのコンクリートの衝撃と、手で感じた自分の重量に現実に引き戻され、無性に恥ずかしさがこみ上げる。
「大丈夫ですか。」
若い、爽快な声が聞こえてきた。
一瞬、自分にかけられた声だとわからず、またも羞恥の念にかられる。
「ああ、いえ、ぼーっとしていたらこのざまです。」
なんとか、よくわからない返事をしながら顔を上げると、声に違わない青年がいた。
彼の頭には、煌々と輝くゴールドのデバイスが見えた。
「いい天気ですからね。そうもなりますよ。さあ、お手をどうぞ。」
差し出された手を掴む。
差し出された手を軽く掴むと、青年はぎゅっと、若々しさを感じる力強さで私の手を握り、引っ張り上げた。
「すまないね。ありがとう。」
絞り出すように声を出し、青年の顔を見る。
青年は穏やかな顔で、その黒々とした純粋な目で私を見つめていた。
「いえ、お気をつけて。」
青年はそう静かに言うと、振り向き歩き出した。
私は、絶句していた。
振り向き際の、彼の横顔には笑顔などなかった。
帰路につき、無事に家に着く。
ウォーターサーバーからコップに冷たい水を注ぐと、それを一気に飲み干した。
考えはまとまらない。
何が足りなかったのか。
こんなに平和で清廉な世の中になったのに、なぜ自分や世間は不安を抱えるのか。
なぜ、彼らは世に絶望してしまうのか。
なぜ、子ども達は諦めてしまうのか。
なぜ、私は今、こんなにも落ち着かない不安と焦燥感に苛まされているのか。
「確か、この辺に入れたよな。」
雑多に置かれたものの中からひとつのケースを見つけ出す。
記念品として持ち帰った、新型デバイスの試作品だ。
実験段階で、色の変化をテストしたときの成功品のひとつで、頭部につける形ではなくブレスレットタイプである。
おもむろに、私はそれを腕に装着した。
オフモードを示す黒色のブレスレットはたちまちスタートアップをはじめ白に明滅する。
やがて落ち着いて、輝く銀にその色を変えた。
それの変化をなんとなく見つめながら、思考の海へと自分を投げ出す。
子ども達は不幸なのだろうか。
ふと、そんな思いが胸によぎる。
不安は心を蝕み、先ほど助けてくれた青年の顔が浮かんだ。
柔らかな笑みに、まるで何かを見透かしたような、悟った目。
いや、あれは悟った目だったのだろうか。
去り際の彼の無表情な横顔。あの黒々とした瞳に輝きはあっただろうか。
まるで、ドラマや映画に出てくるようでいて自然は仕草。
あの時、感じた羞恥心は身を潜め、彼のことを鮮明に思いだす。
心底、心配していたからの行動だったのだろうか。
あの張り付いた笑顔は彼のなんだったんだろうか。
思考は止まらない。
かつての自分の子供時代。私はあんな顔をしていただろうか。
家族は、父や母は、あのような人間になってほしいと思って私に教育したのだろうか。
あんな人間になりたくて、私は努力していたのだろうか。
あれではまるで…
「私は…とんでもないことを…」
思わず口から出そうになった言葉を隠そうと、私は口を手のひらで覆った。
なんてことだ。なんてことを。
動悸が止まらず、呼吸が苦しい。
その瞬間、視界の隅には、あの青年と同じ、金色が映った。
「うわ!!!!」
口元を抑えた手につけていたブレスレットを力任せに引き剥がす。
私は、バキン、と音を立てて割れたそれを壁にむかって投げつけた。
私は気付いてしまったのだ。
作ってはいけなかった。
こんなもの、作ってはいけなかったのだ。
自分の価値。他人の価値。
誰もが確かな判断が欲しくて、しかし絶対に知りたくないもの。
我々は、さまざまな価値を下される。
仕事、勉強、肉体、精神。
試験結果や能力に関するもの。
人との付き合い方や言葉使い。
果ては思想や考え方。
それらを見られたときに価値が決まる。
しかし、それらには逃げ道があった。
「頭がいいからといってなんだ」「金を稼いだって幸せにはなれない」「足が早いからといって生活が楽にならない」「思想じゃ腹は膨れない」
そんな風に逃げられる。
人の価値なんて、言葉の上でどうにだってなって、本当は計測できないのだ。
計測できてはいけないのだ。
だが、あの新型デバイスはどうだ。
これが価値だと定めてしまった。
全員が、あれを絶対なる評価だと認めてしまった。
大人たちは子ども達をバッジの色でしか評価しない。
同時に子ども達にとってもバッジの色でしか他人を測れない。
これでいいんだと信じてしまった。これこそが完璧なシステムだ、と。
完璧すぎたのだ。
どうしようもなく、完璧すぎた。
私は、あの青年の顔を思い出す。
私は、彼そのものを奪ってしまったのだ。
私は、この国の未来を、何億という人々の人生を。
気付きたくなかった。
気付いてしまった。
後悔と謝罪が押し寄せる。
そうして、認めてしまった。
自分は間違っていたのだと。
流れる涙と嗚咽をそのままに、千鳥足でキッチンに向かっていた。
ロックの掛かった引き出しに指を当て、解除すると、一本の包丁を取り出した。
安全を考慮され尽くした世界で、珍しく、料理が趣味であった本格派の母が遺した包丁だった。
刃こぼれひとつない、研ぎ切られた包丁に映る自分の顔は、涙で滲んで見えなかった。
しかし、私の黒々とした両面は、まるで去り際に見せた彼の目のようにも見えた。
なにもかも、どうでもよかった。
どうしようもなく悔いていた。
どうしようもなく、逃げ出したかった。
そうして、私は、まるで枯枝を落とすようにその刃で、自分の首に薙いだ。
どれくらい経っただろうか。
真っ赤な噴水は勢いを失い、身体中から何かが抜けていく。
ごとり、と倒れた私の視線の先に、腕から外れきれなかったブレスレットがある。
「ああ、ごめんなさい。」
力なく閉じる瞼と涙で滲んだ私の目には、煌々と輝く黄金色が朝日のような眩しい白金に変わっていくのが見えた。
人の価値、人の色 曇戸晴維 @donot_harry
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