第24話
「山辺彦さまのお知り合いですか? 」
タケオがおずおずと聞いた。里の衛士頭が何のためらいもなく座へ加えた男の正体を知らぬものたちが、タケオに倣って山辺彦を見た。ヒノクマだけはにやにや笑っている。これは容易ならぬ男が来た、と面白がっているらしい。
山辺彦は自分に向いた目があまりに多いので、拍子抜けしたようにみなを見返した。
「知り合いも何も、三月前まで戦をしておった相手じゃ」
「おいおい」
男はどさりと鹿を下ろし、愉快そうに言った。
「わたしはおまえたちの顔を覚えているぞ。頼むぞ、せっかくあんな重たい兜を頭に乗せて前にいたのだから。顔ぐらい覚えてくれよ」
「晴山王? 」
双葉がぽかんとした口ぶりで言い当てた。晴山は何度も頷いた。
「そう、そうだよ。ふうん、おまえはなかなか鋭いことを言うが、わたしが現れたぐらいで驚くあたりまだまだ若いな。戦には出たか? 」
「今度のには出なかった。その前のは、後ろの方で見ていた」
双葉は王とも思えない風体の男が言葉に品を欠かないことや、実は上等な布地の衣を着ているのに気がついて悔しそうな顔をした。
「前に一度見たときやけにぴかぴかしたやつだと思った。そんなのが狩人に化けてきたんじゃ分からないや」
「化けたのではないのだ。たまたま狩りをしに来ていたら、おまえたちの話が聞こえてきたのだ」
晴山は目の前の男が王だと知れても敬うようすを見せない双葉を不思議そうに見つめ、笑って見守っている山辺彦へ尋ねた。
「この童は肝が太いのか? 礼を知らんのか? 機嫌が悪いのか? 」
「礼は知っている」
山辺彦はすかさず義理の甥を庇いにかかった。
「晴山さまが大武棘さまよりご立派なので、むくれておるのじゃ」
「まあ、わたしなら里を守る巫女は大切にしようと心がけるがな」
晴山は気づかいのある声をかけた。双葉はついと顔を背けた。
「伊織のことは、おまえたちの話を聞くまでもない。ほら、わたしの里と伊織と、それからもうひとつ山を越えた先の里のものが集まる市があるだろう。商いをやるものの口は、どうしてああも早いのか……」
「王が市に行かれるのですか」
タケオが尋ねた。根が呑気な若者なので、その少しの鈍さがときに豪胆な気性となってふいに現れる。
晴山はぞんざいな双葉にも丁寧なタケオにも変わらずに気さくだった。
「おまえが今尋ねたとおりだ。な、王が市へ紛れているとは、誰も思わんだろう。案外気づかれぬものだ。だがあまり宮を空けると、うるさく言うのがいてな」
「義姉上みたいだ」
双葉が呟いた声は、山辺彦にしか聞こえなかった。
晴山はふと険しい顔をした。
「伊織のものはなかなかよい布を織るから、あちこち見て回っていたのだ。大武棘が何か企んでも、物売りの口から漏れてくるものだからな。そうしたら、伊織の巫女の宮が焼き討ちにあって、巫女が連れ出されたとか言われているではないか」
「連れ出さなきゃ殺されちまってた。衛士が間に合ったって、あのウカミに何をされたか分からない」
人聞きの悪いことを言うなと言いたげな目で、双葉が晴山を見た。ヒノクマがぼそりと言った。
「ウカミめは、まさか巫女が里の外へ逃げ出すとは思っていなかったのだろうな。噂で里人の信を落とし、その隙に男王の下へ従えてしまおうという心づもりだったのだろう。その、巫女の夫になった衛士が宮に訪れなくとも、我々は巫女を襲い、肌を暴くようにと言われていたのだ。里人の目につくくらいに派手に衣を乱せとな。……それはあまりの仕打ちと、迷っている間に祟り騒ぎや逢引き騒ぎがあり、里人が宮に火をつけたのだ。……結局巫女の行方は分からなくなってしまった。それであやつは焦っているのだ」
「何を焦ることがある」
晴山がとぼけた。ヒノクマはじろりと晴山を見上げた。
「あなたも分かっているのだろう。逃げ出した巫女というのは、あの山崩れを夢で悟った娘じゃ。おまけに、そばに衛士の兄弟がふたりくっついている。たまたま狩りに来たなどと言って、本当は彼らを探しに来たのであろう。ウカミは巫女に力があるのを知っておるから、外に逃げられた以上は他の里に入られるのを一番に恐れているはずじゃ。恐らく、焼き討ちまでは思っていたとおりだったのだろうが、そのあとで事情が変わったのだ。大武棘の方は、恐ろしいものが里の中にいなくなってよかったと思っているかもしれんな。まるで分かっておらぬ」
「うむ、そうなのだ。まいったな」
晴山は悪びれもせずに頬を掻き、双葉に問うた。
「双葉、おまえはさっきから巫女を連れ出した本人のような語り口だが、とすると、衛士兄弟の一方なのかな? 」
「……弟だ」
「兄上と巫女殿はどうした? ――いや、義姉上というべきか」
山辺彦が口を挟んだ。
「そなた、肩を切っておるな。途中で襲われたか」
衣の上から傷を見破られて、双葉は咄嗟に肩を押さえた。
「ふたりとは、北の山の岩屋で別れました。しばらくしたら小棘王子が来て、人をやるから少し休めと言われて。兄上たち、王子に逃がしてもらったんだと思います。三日くらい匿ってもらって、山を出てもう二日になります。兄上たちを追おうと思ったんだけど、結局迷っちまった」
「どこへ行ったかは分からぬか」
双葉は首を振った。
「分かりません――ただ、川を辿っていくとは言ってましたが」
ヒノクマが双葉に声をかけた。
「おまえの兄は強い。夜半、北の山へ忍んで宮を窺っていたら、気づかれてしまったことがあった。月の細い晩で――引き上げて、それでもしばらく見ていたら、巫女媛が表へ出てこられてな」
双葉が目を剥いた。
「じゃあ、あんたがウカミを呼んだのか? あの晩衛士はみんな宮に呼ばれて、曲者だって言われて兄上を追っかけたんだぞ」
兄と義姉の潔白を晴らせなかった双葉の怒りは治まらなかった。
「あんたたち、あのふたりを売ってまで何が欲しかったんだよ! 」
「おまえの言うとおりだ」
山辺彦が間に入ろうとするのを、ヒノクマ自身が止めた。目を細めている。暗いものに手を染めずに生きていられる双葉の若さが、眩しかったのかもしれない。
「言い訳はしない。我々には我々の事情があるが、分かってもらおうとは思わぬ。だが、ウカミを呼んだのは我々のいずれでもない。これは本当じゃ。はなから、あやつめは宮で待ち構えていたのだ――毎晩、毎晩、じっと巫女媛に変わったことがあるかどうかを見ていたのだよ。いざとなったら、我らを曲者として突き出すつもりであったろうさ」
ヒノクマの声は高まっていったが、だんだんと勢いがなくなっていった。車座の目が、すべてヒノクマに集中していた。
「おれが言いたいのは、おまえの兄は強いから大丈夫だろうということじゃ」
ヒノクマは顔を背けた。
「――あまりおれを見るな。おれは人目から忍ぶのが仕事じゃ」
「話はまとまったかな? 」
晴山がみなの顔を見回した。
「さて、ではみな里へ帰ろうではないか」
晴山はさっさと立ち上がり、どこからか弓矢を拾ってきた。持っていたら入れてもらえないかと思って隠しておいた、などと平気で言う。
双葉は山辺彦に叩頭した。
「叔父上、おれ兄上たちを探しにいきます。里には戻れないし、いつ追いつけるか分からないけど」
「いや、それがのう」
山辺彦は頬を掻いた。
「わしも伊織には戻れぬのじゃ。どうにもよんどころないわけがあってな」
「すまん」
ヒノクマが頭を垂れると、緑衣の民たちがそれに倣った。
誰も自分についてくるものがいないと知って、晴山が振り向いた。
「なんだ、行かぬのか? 出てくるときに、宴の用意を頼んであるのだ、ちょうどいい。早く来い」
「なに? 」
「だから、早く来いと言っているのだ、双葉。里へ戻らぬものは、わたしの里へくるがいい」
この申し出は、みなの度肝を抜いた。豪胆な王とは聞いていたが、よもやここまでとは!
タケオが呟いた。
「こんなひとと戦をしていたのか……」
「伊織の衛士の力は、あなたもご承知であろう」
山辺彦は丁重な口ぶりで先方の真意を測りにかかった。
「戦では役に立たぬ。里へ迎えても大きな得はないと思うのじゃが」
「いや、それは違うぞ」
晴山は上目遣いに山辺彦を見た。
「弱いのではなく、王が戦下手なのだ。大武棘が一番後ろで指揮をしていて、その周りに腕の立つものを集めすぎてはおらんか? 攻め入るのはさほど難しくもないのだが、王まで行き着けたことがない。巫女王の衛士殿もそこにいたかもしれぬな。兄者は強いのだろう? 」
「ああ、強いさ。でも、あのひとはもう戦になんか行かないんだ」
双葉は不信を隠しはしなかった。兄と義姉への害がまだ増えるというなら、どうあっても食い止めるつもりなのだ。
「あのふたりは、伊織を出てやっとちゃんとした妹背になれるんだ。あんたなんかにやらないぞ」
晴山は双葉の気勢に押されたかにも見えたが、一瞬のち、いかにも愉快そうに声を上げて笑い出した。
「そうか、では、ひとつわたしと賭けをしないか」
哄笑が収まってもなお、くくく、と喉を鳴らしながら、晴山が言った。
「おまえの兄と義姉が、どこへ向かったのか。わたしより先に探し当てられたら、おまえの言うとおり、ふたりには何もしないよ」
「どっちも外れだったら? 」
「そのときは、賢い身内のいることを誇ればよい。弟にも暴けぬところへ逃げおおせた、とな」
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