晴山
第22話
まったく、どうしたものか。
山辺彦はついに刃の欠け出した剣を鞘に納めた。
戦が収まって三月がとうに過ぎたというのに、これではちっとも里へ戻れぬではないか。
ことの初めはこうだ。
晴山王との戦が終わったあとで、山辺彦とごく数人の衛士たちは人探しに出かけた。傷ついて動けなくなったものを助けてやるという目的もあったし、せめて髪なり骨なり、櫛の一本でも、里へ返してやるという目的もある。
少年たちに剣術を教えるとき、必ず野辺で死んだときのことを話しておく。たとえば、首や腕の飾りのことを。戦に出て命を落としたときに備えて、身につける飾りは各々で工夫し、それを周りにも見せておくよう教えるのだ。
師の語り口があまりに朗らかで、戦と飾りものという不釣り合いなものの話題が面白く、少年たちは大抵笑いながら話を聞くが、戦に駆り出されたとき初めて師の教えの意味が分かって口を噤む。
体がどんなに損なわれても、それで間違いなく身元が分かるのだった。
山辺彦も自分の師からそう教わった。その師もあるとき、鏡のついた首飾りになって戻ってきた。
「山辺彦さま」
山辺彦の背を守っていた衛士が呼んだ。少し離れた草地を指している。平野だというのに背の高い草が多く、見通しが悪かった。
「またか」
山辺彦はうんざりとした面持ちで首を回した。
初めは、死者の身につけていた飾りを狙った盗人かと疑った。だが、違う。
敵は集団で、周到に草地に溶け込む緑の衣を着てくる。鏡の光で合図を取り合っているらしく、音も立てずに近づいてくるのだ。
相当な手練れの刺客だった。この三月で、山辺彦に従ってきたものは半分より少なくなった。
「ほれ」
山辺彦は近くの衛士に自分の首飾りを投げ渡した。渡された衛士はきょとんとして師の顔を見つめた。双葉と同じくらいの、若い顔だった。
「何でしょう? 」
「分からんか。――よいか、死んだものの体からそういうものを外すのはなかなかに勇気がいる」
「はあ」
「だから、先に外してやったのだ」
衛士はようやく飾りを渡されたわけを察して、そのまま倒れそうなほど青ざめた。このタケオという若者は衛士になってからもおっとりした気性が抜けず、少しだけ鈍いのが悪目なのだ、と山辺彦は苦笑した。
タケオより少し歳の長けた兄弟子が声をかけた。
「何を青くなっている、しっかりしろ。それを持って伊織へ帰り、我らが戻るのを待っておればよいではないか」
「いや、そなたも行け。十八から下のものは戻るのじゃ」
「えっ」
兄弟子は、たちまちタケオと同じ顔になった。
「それは、無駄な死に方をするなということでしょうか」
「そうだ。だが、おまえたちが非力だからではないぞ」
衛士たちが何か言う前に、山辺彦は若者たちの恐れていることを打ち消した。
「本当なら、もっと人が残っているうちにそうしておくべきであった。行く側にも、残る側にも、すまぬことをした」
無二の師と仰ぐ山辺彦に頭を下げられて、衛士たちは黙り込んだ。目の端で、きらりきらりと光がちらつく。緑衣たちの鏡である。こちらをじっと窺っているであろう連中に向かって、山辺彦は呼びかけた。
「少し伺いたいのだが」
草地がわずかにざわついた。こちらから声をかけたのは初めてだった。
ややあって、鏡の光が特に光っていた辺りに、男がひとり立ち上がった。
顔は別に似ていないが、似た人物を探すとすればオタカかな、と山辺彦は考えた。今は刺客と標的という間柄だが、卑劣な手を使うような男ではなかろうと思えた。
男は山辺彦を見つめ、おうと答えた。太い声だった。山辺彦は尋ねた。
「お主らは何者だ? 伊織のものではなかろう」
男は黙って聞いていたが、口を開いた。おうと言ったからには、答えるつもりらしい。
「我々は伊織のさる男子の縁者である。居は持たぬ。山々を巡るのが常じゃ」
「ほう。そういえば、お主らのようにいつの間にか人のそばへ寄る術を心得ているらしき男子がいるが、もしやそれかな」
ウカミのことである。どこからか流れてきたことは確かだが、いつから里にいるのか思い出せないのだ。
「見たところ、そなたほど勇猛な男とも思えないのだが」
「そうだな。気持ちのよい男ではあるまい」
縁者と名乗るその男が苦い顔をして呟いたとき、山辺彦は自分と彼とが同じ人間を思い浮かべていることを確信した。ウカミをあのガマ爺、と呼ぶとき、心ある衛士はそんな顔をする。
「我らの縁者は、一族から追われたものなのだ。我ら一族に伝わる術は、私欲のために用いてはならぬという決めごとを破ったのだ、あのものは」
「我らを襲わせたのはそやつか? 」
山辺彦はざくりと切り込んだ。男は初めて下を向いた。
「そうだ」
「なぜそなたほどのものがそれに従う。我らの行いが、人の道に背いているとでも思ったのか? 」
男はこれまでで一番強いまなざしを山辺彦に向けた。
「我らには里はない。だが、民はいるのだ。守らねばならぬ民が」
「何で雇われた? 米か、布か、それとも命か」
「すべてだ。あなたに恨みはないが――」
男は手首の布をかすかに動かした。剣子が仕込んであるやも、と山辺彦はそちらをひそかに確かめた。
「しくじれば民を失うのだ」
「狙いはわたしひとりか」
「そうだ」
「わたしが同じだけの報酬を出し、民人を助けると言ったらどうする」
「あなたの弟子を何人も殺したろう」
男はタケオたちの方を見て呟いた。タケオは見られただけで震え上がった。
「今さらともに戦えぬ」
「そうか」
やはりこいつはオタカだ、と山辺彦は思った。
双葉ならば「では頼む」と頷き、高嶋ならば「考えさせてくれ」と一度身を引く。
大水葵ならば「頼む」と頷いたあとは相手を疑わない。そこが、あの兄弟の一番の違いだ。双葉は、なかなか相手を見る目を緩めない。
大水葵には、幼いころからその甘さでも生きてゆけるだろうと山辺彦が思うくらいに腕の伸びしろがあり、現に並ぶもののいないほどの剣士になった。だから姪を任せた。
わたしに案ずることは何もない、と山辺彦はひとりごちた。
「狙いはわたしにあると言ったな」
「言った」
「では、お主とわたしと、一対一で勝負をつけぬか。お互い、自分がいなくなったあとのことまで考えねばのう」
伊織の衛士たちも、緑衣の民たちも、これには黙っておれなかった。双方から声が上がった。我々もともに、というものから何をうまいことを、というものまで、様々だった。
しかし最後には、緑衣の頭がまたおう、と答えた。
「それで構わぬ」
「うむ」
山辺彦は衛士たちみなを下がらせて言った。
「次の衛士頭は、ヤスオに任せるつもりじゃ、よいな。……何にせよ、彼らを助けてやれ。伊織の衛士として、剣を持つとも心あるものであれ」
緑衣の民たちはこれを聞いて押し黙った。頭はみなを下がらせ、山辺彦たちに叩頭した。
「かたじけない」
「最後にひとつよいか」
「うむ」
「お主の名を聞きたい」
「おれの名か……」
男は髭面を撫でた。照れているのだろうかと、山辺彦は思った。
「おれはヒノクマという」
「そうか、勇ましいな。伊織の山辺彦がお相手申す」
「いざ」
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