第2話
9月16日 - 台風18号が愛知県豊橋市に上陸、気象特別警報運用開始後初の発令。
呂宋と竜崎はラオスにやって来た。残間は日本に残っている。ラオスはメコン川が横断する東南アジアの国で、山岳地帯、フランス植民地時代の建築物、山岳民族の集落、仏教の僧院などで知られている。首都ヴィエンチャンにある仏塔タートルアンには、仏陀の胸骨が収められているとも言われている。その他にも凱旋門アヌサーワリー パトゥーサイや、食べ物、衣類、工芸品の店がひしめき合うタラートサオ(朝市)がある。
仁太の遺体はメコン川で見つかった。
メコン川周辺には小さく平地が広がっている。メコン川はラオスを貫いて流れており、ミャンマーと、またタイとの国境をなしている。タイとの国境線の3分の2はメコン川である。また、国境として隔てるだけでなく、人や物が行き来する河川舟運にも利用されている。1866年にフランスは、雲南とサイゴンを結ぶ通商路としてメコン川を利用しようと探検隊を派遣した。探検隊は中国まで到達はしたが、カンボジアとラオスとの国境にあるコーンパペンの滝が越えがたかったので、通商路としての可能性は否定された。それでも今日(2000年代)、ヴィエンチャンと雲南・景洪(中国とラオスの国境にある)との間で物産を満載した船が行き来し、大切な交通路となっている。
メコン川の乾季と雨季の水位の差は、ヴィエンチャンで10メートルを超えることもある。乾季の終わりの4月頃には最低の水位になり、小さな支流では水がほとんどなくなってしまい、メコン川本流でも驚くほど水位が下がってしまう。しかし、5月の雨季とともに水量が増し、8 - 9月には自然堤防を越えるほどの水量になり、低地を水で覆うほどになる。
メコン川は栄養塩類が少ないが、雨季に洪水となる後背地・氾濫原の底土からの栄養塩類を受けられる。そのため藻類やプランクトンなどが多く発生し、草食性・プランクトン食性の魚類の藻場になっている。このようなことから川には魚が多く、周囲の人たちの漁場になっている。
仁太の右胸には銃痕があった。
「殺し屋の仕業に間違いね~」と、竜崎。
「散々悪いことをしてきたんだ、自業自得だ」と、呂宋。💀残り8人
9月19日 - JR北海道函館本線大沼駅構内で、貨物列車が脱線する事故。同事故を機に行われた調査により、レール幅が脱線を防ぐ「整備許容値」を超過しながら放置されていたことが判明、同月25日までに同社管内で約270箇所の異常地点が発見される。
ブンミー・クンタニットって青年はイライラしていた。仕事になかなかありつけない。ラオスはメチャクチャ貧しい。ラオスの貧困地域の大部分は、インフラが未整備であり、焼畑農業と自然採取を主な生業とする山岳少数民族が暮らす地域である。 政府は、地理的要因を貧困の主たる原因と捉え、彼らを経済・社会インフラへのアクセスが容易な平地へ移住させることが、ケシ栽培撲滅と焼畑削減、ひいては貧困削減につながると考えているようである。
ブンミーは逃がし屋をしていた。ある日本人をこっちに連れてきたが、何者かによって殺されてしまった。
午前9時50分頃、ブンミーの私邸に、蔵里酢が操縦するPA-28-140型機(機体記号:JA3551)が突入し爆発炎上、蔵里酢は死亡した。突入による火災でブンミー邸の2階一部が類焼し、母親が負傷したが、別室で就寝中のブンミーは無事であった。
JA3551機はセスナ172M型機(機体記号:JA3732)とともにヴィエンチャン飛行場から午前8時50分に離陸していた。JA3732機には機長とカメラマンら3人が搭乗しており、両機は直前まで編隊飛行をしつつJA3551機の写真撮影を行っていた。その撮影を終えた帰途に突入したものである。
ブンミーが経営する組織の役員を務めていたチャンタサック・ダオヴィーサイは、「私が行ったときはまだ飛行機が庭先に突っ込んでいて、操縦士が特攻隊の真似をして、そのままうつ伏すように死んでる奴を見た」と話した。チャンタサックは男性だ。
💀残り7人
9月20日 - 東京駅八重洲口の再開発エリアに、南北の2棟から構成される超高層ビルグラントウキョウの双方を結ぶペデストリアンデッキ「グランルーフ」が竣工。
『週刊マリオネット』の記者、上杉久美子は蔵里酢って高橋克典に似てると思った。『只野仁』は面白かったな。
「お宅、小田茜に似てるな?」と、呂宋。
「『いちご白書』面白かったな〜」と、竜崎。
「安室奈美恵が出てたんだよ」と、呂宋。
「タメ口やめろよ」と、竜崎。
「いや、上杉さんに言ったんです」
9月26日 - 大阪地方裁判所、大阪市立桜宮高校で自殺した生徒に体罰を加えていた元バスケットボール部顧問に対し、傷害と暴行の罪で懲役1年、執行猶予3年の判決。控訴期限の10月10日までに控訴せず、有罪判決確定。
ラオスの人々の生活は生活様式に至るまで仏教の影響を大きく受けている。ラオスの人々は忍耐と受容を教えこまれる。仏教は人々の連帯をつなぐ唯一のものであり、過去法が整備されていなかった時代に、善人であれ、間違ったことに手を染めるなと説いてきた。
ラオスで最も重要とされる祭りは1年に1度行われるブン・パウェートである。この祭りは国全体で行われる2日間の仏教の祭典である。伝統的に、ブン・パウェートは1月もしくは2月に開催される。祭りの期間中、僧侶は布施太子本生経の全章にわたる説法を行う。
ラオス料理は美味かった。昼飯は友人宅で食べた。東南アジアのラオスの料理である。他の東南アジア国とは異なり、ラオスではもち米を主食としている特徴があり、もち米は手で食べられる。南姜、レモングラス、パーデークはラオス料理の最も重要な材料。ラオス料理を代表するメニューはラープであり、刻み肉とハーブとライムジュースとスパイスから作られる。もう一つのラオスの主要産物はオーラムと呼ばれるスパイシーなハーブと肉を煮込んだ料理である。
東南アジア唯一内陸国であるラオス料理には、ハーブなど山と川の幸をふんだんに使った素朴でヘルシーな料理が数多くある。
ラオス人の主食はカオ・ニャオ(もち米)で、カオ・チャオと呼ばれるうるち米はごく少数。カオ・ニャオは、鶏、牛、豚などの肉料理や川魚を使った魚料理、パパイヤのサラダなどの野菜料理、ディップ、スープなどのおかずと一緒に食べられる。
ラオス人の主食カオ・ニャオは、ティップ・カオと呼ばれるふた付きの丸い籠に入れて出され、おかずと一緒に、手を使って食べる。
チェオと呼ばれる、炭火で焼いたトマトもしくはナス、唐辛子、コリアンダーから作ったディップはラオスの食卓には欠かせない。
また、ラオス料理には「モック」と呼ばれる、魚(もしくは、魚卵・川海苔)等を野菜・ハープと混ぜて、バナナの葉で巻いて蒸したもしくは炭火で焼いた料理も多い。
「龍臣、ウチの娘を助けてくれぇ」
ブンミーは泣きながら言った。
裕福な中国人との偽りの結婚話で騙され、売春をさせられる女子高校生が増加していると地元メディアが報じた。以前より結婚や就職を隠れ蓑にしてタイへ少女を売る被害が報告されていたが、このタイルートに加え、近年は中国ルートが増加していることが人身売買を調査しているNGO団体職員により判明している。被害少女の多くは高校2、3年生が主体で、結婚のために学校を中退する。中国人は首都ヴィエンチャンを含むラオス全土で少女らに声をかけており、ラオス政府も事態を把握している。旧来から存在するタイルートでは役人への賄賂が常習化し、一つのビジネスとなっているが、中国ルートも同様になっている可能性が高い。ラオス国内の人身売買の実態は公式の調査が行われず、正確な被害数すら把握されておらず、人権団体の調査も政府機関の不透明な対応で妨害されがちであるという。
ブンミーの娘が行方不明になったのは、9月21日の夜だ。
9月27日
神戸地方裁判所、2005年のJR福知山線脱線事故で業務上過失致死傷罪で強制起訴されていたJR西日本元社長ら3人に対し、いずれも無罪の判決。
金融庁、みずほ銀行が提携ローン会社オリエントコーポレーションを通じて暴力団構成員らに融資していた問題で同行に業務改善命令。10月8日、同行から金融庁への当初の説明と異なり、暴力団への融資について同行の経営陣にも報告が行われていたことが判明。
ラオスは19世紀半ばにフランス人がインドシナ半島に進出し始めた頃には、ラオスの3国はタイの支配下にあった。が、ラオスの王族はフランスの力を借りて隣国に対抗しようとし、1893年に仏泰戦争が起こる。その結果、ラオスはフランスの保護国となり、1899年にフランス領インドシナに編入された。ルアンパバーン王国は保護国、それ以外の地域は直轄植民地とされた。
19世紀後半、英仏間の雲南問題が清仏戦争によって解決したが、フランスは新たに雲南より南に位置するインドシナへの進出を画策した。イギリスも同時期にビルマ側からタイ北部のシャン地方へ進出を試みていたため、イギリスに遅れを取らぬように、フランスもベトナム領から当時のタイ領ラオス地域への進出を急いだ。1886年5月7日にフランスは鉱山業・林業における優先権を確立するためルアンパバーンに領事館を設置、宗主国タイとの間でルアンパバーン条約を締結した。
1887年、西双版納(シップソーンパンナー)においてパンゼーの乱の残党のチン・ホー族による反乱が起きたため、フランスはルアンパバーン王国領内に兵を進め、1888年にはシップソーンチュタイ(現ライチャウ省。中心地はディエンビエンフー)を掌握していた。これ以後、橋頭堡を築いたフランスは「ルアンパバーン王国の宗主権はベトナムにあり、ベトナム領を有する仏領インドシナがルアンパバーンの宗主権を持っている」という立場を主張してタイ軍駆逐を図り始めた。
1892年、オーギュスト・パヴィが仏ルアンパバーン領事に任命されると、以前からタイ政府が提案していた交渉による国境画定案を拒否するとともに、タイ軍にルアンパバーン王国領から撤退するよう求めた。これを受けて、タイ政府側のラオス中部のカムムアン県知事・プラ・ヨートムアンクワーンとフランス軍とが衝突した結果、フランス人将校が戦死し、インドシナに軍事的緊張が走った。フランスは、プラ・ヨートムアンクワーンを捕らえ、国境画定交渉を拒否していたにも関わらず「平和交渉時に将校を殺した」という有罪判決を出して投獄した。フランス国内では「タイは国際常識を無視した」というプロパガンダが広がり、タイへ武力行使を行うという世論が高まった。衝突を機により大きなパークナム事件が勃発することになる。
9月28日〜10月14日 - スポーツ祭東京2013(第68回国民体育大会・第13回全国障害者スポーツ大会)開催。
28日の早朝、ブンミーの娘、ノイの遺体が見つかった。舌が抜かれていた。遺体が見つかったのはルアン・パバンの町だ。ラオスの世界遺産の一つでルアンパバーンの旧市街地のことである。メコン川とナムカン川の合流点にある。1995年にはユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。
歴史的建造物としては、1560年にセーターティラート王によって建てられたワット・シエントーン、1513年に建立されたラオス最古の寺ワット・ウィスナラート、町を一望できるプーシーの丘には1804年にアヌルット王によって建立されたタート・チョムシーと呼ばれる仏塔などがある。 町の中心部に位置する旧王宮はルアンパバーン国立博物館として利用されている。
プーシーの丘にブンミーはやってきた。王宮博物館の向かいの小高い丘。300段以上の階段を登った先に小さな寺院があり、タート・チョムシーと呼ばれる金色に輝く仏塔が建つ。夜間にはライトアップされる。小さな丘の頂上からは町が360度一望できる。メコン川に沈む夕日のビューポイント。
朝焼けの街にブンミーの泣き声が響き渡った。
💀残り6人
9月29日 - 大阪府の堺市長選挙で、民主党が推薦、自民党が支持した現職の竹山修身が、大阪維新の会公認の西林克敏を破り再選を果たす。大阪維新の会の公認候補が大阪府内の首長選で敗れるのは初。
9月30日 - NHK連続テレビ小説『ごちそうさん』放送開始(〜2014年3月29日)。
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