エリカの様な君

最近上がった研究へのモチベーションと引き換えに、講義へのモチベーションが下がっている気がする。

元々真面目に受けてないんだけどね、なんて誰にともなくおどけてみせる。


癖のようにペンをくるくる回しながら、ルーズリーフのA4キャンパスに、ポインターに表示された幾何学模様のような文章を書き写す。


今日は珍しく、時間の概念を失っているのでは無いかと思われる学も、時刻通り講義に来ていた為、いつもなら1人虚しく端っこで受けていた授業も少しばかり華がある。


男二人で華も何もないのだけどね。

自分で自分に否定を入れて、欠伸をしながら携帯を弄る学を見つつ、はぁ、と溜め息をつく。


眠くなるおじいちゃん教授の声をバックグラウンドに聴きながら、雲ひとつない青空を眺めて、研究室へ向かうための時が過ぎるのをただ待った。


――気づけば講義も終わり、眠気と研究欲を堪えながら学食で何を食べようかと考える。

たしか今日は日替わりランチがハンバーグ定食だった気がするし、日替わりにしようかなと足取り軽く講義室を出ると声を掛けられた。


「恋! 一人で行くなって、俺も行くに決まってんじゃん待ってくれよ!」


荷物を慌ただしく片す学に、仕方ないなぁとぼやきながら、たくさんの机たちを縫い歩き学の元へ行く。


「よし、おまたせ、行こうぜ!」

元気に前を歩いて先導するような学に、置いてかれないように気持ち歩幅を大きく歩く――


「あちゃ、遅かったかぁ」

「まぁ仕方ないよ、誰の所為とは言わないけどね?」

いつも食べてる大好きな麻婆丼が無くなっていて、肩を落とす学に、僕はいつものように軽口を叩く。

そんな僕をジトっとした目で睨み返してくる学を、これまたいつものように見て見ぬふりして日替わり定食を注文する。


「ちぇ、妥協してカレーでいいかぁ」

カツも追加で! と威勢よく注文する学に恰幅のいい学食のおばちゃんもあいよ! と気持ちよく返事を返す。


人に溢れた食堂を、空席を探しながらふらふらと巡ると、そこ空いてんじゃん! と学が折式教授の座る4人がけの丸テーブルに向かって歩き出す。


おはようしっきー! と学が声をかけると、パソコンに向けていた視線を僅かに此方へ向けたあと、もうこんにちはだがね、と少し手を挙げ挨拶を返してくれる。


「2人とも座るかい?私はそろそろ行こうと思っていたのでね。」

ずい、と立ち上がりパソコンを片す教授に、良かったら少し話をしましょう、と僕が声を掛け、3人で席に着く。


うん、今日の日替わり定食は当たりだ、これで340円はコストパフォーマンスの塊すぎて自炊する気にならないんだよなぁと外食ばかりの言い訳をしながら、豚の風味を感じない、牛の肉汁迸る塊を奇麗に食べていく。


「食事中で済まないが、この間話したマサチューセッツ工科大学から来る人物の件、覚えているだろうか?」

正確には特別教授扱いらしいがね、と続けながらパソコンを閉じる。

「えぇ、覚えてますよ。21歳の天才だとか」

えぇ! 俺聞いてねぇ……と独りごちる学をよそに教授は少し大袈裟にリアクションを取る。

「チョベリグ、だね愛沢くん。その彼女なんだが今日からうちの研究室に参入するらしい。自己紹介などもあるだろうから講義がなければ早めに来てくれると嬉しいよ」


これまた時代錯誤な言葉を残して、では私は彼女の案内があるので失礼するよ、と言い残し席を立った。


彼女、か。

上手く協力体制を、なんて言っておきながら、相手のことを知る努力をしていなかったことを今更ながら自省する。


学は呑気に、21歳の女の子かぁ、きっとグラマラスなアメリカ人なんだろうなぁ。彼女欲しい……と聞いてもいない勝手な情報を付け足しながら切実に呟いているが、これでもやるべきことはきちんとやる男だし問題ないだろう。


胃の中に収納された牛肉の塊と、緊張を――

沈める様に。

鎮める様に。

ゆっくりとお茶を飲み、食べ終わったトレイを返却する。


2人して少し緊張した面持ちで、奇麗に清掃された白いタイル張りの床を越え、大学院の敷地から研究室へ向かうのだった。


雑居とした研究棟を潜り目的地へと急ぐ。

少し物音がする辺り、既に先客が居るようだ。

果たして上手くやって行けるだろうか、なんて挨拶をしようかと複数の思考が交錯する。


すぅ、と無意識に深呼吸をして、今の心のように重い、研究室の扉を開くと既に教授は居た。


どこか見た事のある後ろ姿を携えて――


一瞬目にした光景を認識できなかった。

理解出来なかった。


認識した時、脳に、心に、ふわりとした衝撃を感じる。

今回はぶつかった衝撃なんかじゃない。

驚き――。

喜び――。

色んな感情が綯交ぜになって。

「また会いましたね。愛沢さん」

なんて、エリカみたいに小さく、可愛らしく。

小悪魔みたいに悪戯っぽく――


前会った時と異なり、サイズの合わないオーバーな白衣を着て、ちょっと癖のある內跳ねした胸元くらいまでの長さの髪を撫で付けながら。


――本屋で出会った君は笑ったんだ。

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