初対面は友人に
少し狭い木造造りの閑静なカフェで、男女の話す声にマスターがチラリと一瞥する。
「ですから、硬化症は細胞構造を保持していないため、細菌ではなくウイルスなのです。さらに言うなら今回の硬化症を引き起こすウイルスは、遺伝情報を変化させないことが分かっています」
女性は自らの熱を示すように身を少し乗り出すと、ミルクがたっぷり入った舌が拒否するようなコーヒーが揺れる。
「もしそれが本当なら、硬化症の元を見つけられたってことになる、でも今のところそういった事例は聞いたことないよ?」
男性と彼女は硬化症についてありとあらゆる視点で語り合っているようだ。
今まで見つかったことの無い、硬化症を引き起こすウイルス。
他者からは理解されないであろう、男女の語らいとは程遠い議論が2人の距離を着実に近づけているように感じる。
日頃たくさんの人物を見てきた私にもこの手の2人組は珍しい、と意識の片隅で2人のやり取りを聴いていた。
彼女は、はぁ、とため息をつき甘みに満たされたコーヒーを啜り問う。
「愛沢さん、海外論文は読まれます?」
「あー、えっと……あはは、あんまり読まない、ですね.......」
愛沢と呼ばれた彼は、頬をかきながら少し居心地が悪そうに微笑んでいた。
同じ男として、女房に尻に敷かれている私は助け舟でも出してやるか、とおかわりのコーヒーを用意して声を掛ける事にする。
「お客様、良かったらこちらおかわりになります。お代は結構ですのでごゆっくりどうぞ」
私がカップを差し出すと、愛沢と呼ばれた彼は慌てて飲み終わったカップを渡してきた。
すみません、ありがとうございます。と頭を下げる2人に、若いっていいなぁと呟く。
黒い奇麗な大理石で出来たカウンターへ優雅に戻るダンディなマスターを眺めながら、気を使わせちゃったなぁ、と呟く僕に、まったくと言って気にした様子のない彼女。
取り留めのない雑談を交え微生物学の話をするが、彼女の知識は控えめに言っても僕なんかより圧倒的に多く、年上の面目は丸潰れだ。
硬化症を治る病気に目指したい。
その思いですら僕と同じかそれ以上に強い気がした。
僕にとって人生の彩りが芽吹く時間はとても早く、何度も時を止めたいと願ったが、無情にも気がつけば少し辺りは暗くなりつつあった。
僕が時計を意味もなく横目に見ると、釣られるように時計を一瞥し少し慌てる彼女。
「申し訳ありません、この後大学の方へ用事があってそろそろ向かわなくては行けなくて……」
ぺこりと頭を下げる彼女に、本屋でのやり取りを思い出し、咄嗟に携帯を開いて、連絡先を交換して欲しいと交渉していた。
「知らない中じゃなくなったし、今度こそ連絡先交換してくれたりしない、かな?」
目をぱちくりと瞬かせ彼女は、勿論ですよ、私もそのつもりでした。とこちらがドキリとするぐらい大人っぽく微笑んだ。
沸騰する心に比例するように、熱くなる顔がバレないように、少し顔を背けて連絡先を交換した。
――彼女と、恋ヶ崎愛と言う、自称成人済みの可憐なちびっ子と別れてからグッと背伸びをする。
明日はきっといつも通りの日常で。
例え明日がどうだとしても、今日がとても幸せだったことは間違いないと独りごちる。
それではまた、と含みを持たせ、軽く手を振り別れた彼女を思い返し、次があるかのような言葉に期待して。
僕の心のように、晴れやかに澄み渡った空に輝く奇麗な夕暮れを胸に抱いて――
珍しく野に咲く、雪のように白いエリカを端目に、ゆったり余韻に浸り帰路に着く。
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