愛を愛と知らないで
さすがに広すぎはしないだろうか……。
ぼやきながら、この世界のありとあらゆる迷路を継ぎ足したような、知識の海が広がる本棚の壁を彷徨う。
世界が知識で埋まったらきっとこれ以上に幸せなんだろうなと、意味もなく脳裏をよぎるくらい感傷的になる。
本屋特有の静けさと、香り――
本の虫特有のふつふつとした興奮感に支配される。
タイル張りの某ピアノゲームみたいな白と黒の複合譜面を、指を滑らすように歩いていく。
微生物学の棚を探しながら歩いていると。
ぽふんと後ろから――
ふわりとした百合の香りを携えた
――可憐な衝撃が。
咄嗟のことで本が床へ散らばる背徳的な音を聞きながら、後ろを振り向くことしか出来なかった。
そこには高校生になるだろうか、というくらいのとても可愛らしい、大人へ移り変わりゆく美しさも垣間見える少女が、十数冊はある本をばら撒いて、座り込んでいた。
「っ!……大丈夫ですか?」
僕には不可抗力とはいえ、心配になってそう発す。
「……大丈夫です。周りをよく見ていなかった私がどう考えても悪いので。申し訳ありませんでした。」
見た目よりもかなり大人びた子のようだ。
少しウェーブしたくせっ毛気味の黒いロングヘアーを揺らし、服を手で払ったあとに頭を下げた。
「全然気にしないで、えーっと、高校生くらいなのかな?受験で微生物学を?」
あまり女性と話すようなことがない上に、とても可憐な彼女を前に、絡まり合う思考を加速させ、なにか話題を探すように床に落ちた本を一瞥して焦る様に言葉を繰り出す。
そのため彼女の表情の変化に気づくことが出来なかった。
「…………本気で言ってますか?私21ですが?」
「人の前に壁のように立ちはだかった挙句、チビでお胸がぺったんこでお子様体型だと言いたいんですか?」
初対面で何を言ってるんですか、セクハラですよ。
と捲し立てるようにプンプン怒る彼女に気圧されてしまう。
何を言われてるか分からず、混乱した頭で必死に言葉をひねり出した僕を褒めて欲しい。
「あ、あの。えっと……すみません。チビでぺったんでお子様体型とか……そんなこと思ってないです……えぇ、はい」
少し間が開き、少しの恐怖を携えて、怖々と顔をのぞきこんだ。
「……ふふっ、安心してください。あなたがチビでぺったんでお子様体型なんて言ってないのは分かってますよ。冗談です、冗談。アメリカンジョークですよ」
しまった言いすぎた、という顔をした後に落ち着きを取り戻したようにぎこちなく微笑んだ。
ジョークに見えない怒り方でしたよなんて口が裂けても言えないし、ちょっとばかし腑に落ちないが、地雷を踏み抜く趣味はないので納得しておこう。
2人で床に散らばる色鮮やかな知識の塊を回収して、それではありがとうございました、さようならと言葉を紡ぐ彼女を前に
「あ、その、一応何か怪我とかあったり本に損傷あったら申し訳ないですし、何かあったら連絡して欲しいので連絡先の交換とか大丈夫ですか……?」
なんて言いながら自分が京都大学の院生であり、微生物学を専攻してる事などを説明しつつ、彼女のさようならの言葉に続けた。出来の悪いナンパみたいな文言になってしまったが、あまり女性経験のない僕にしては上出来……のはずだ。
そんなことを言われた彼女は少し揺れた瞳を隠す様に左下に目元を伏せて答える。
「そう……ですね、知らない人と連絡を交換する趣味は持っていないので申し訳ないですがお断りします」
「ですが……この後食事でも同席すれば、もう知らない人では無いかもしれませんね」
なんて、僕が気を落としたのを察したかのように続けた彼女は根は悪い人では無いようで。
考え方も見た目に沿った可憐な人なのだろうと頭の片隅で感じた。
「んんっ。では、食事でも行きませんか?僕も微生物学を学ぶ学徒の端くれなので、良かったらその話でもしながら自己紹介も混じえて」
咳払いをして気持ちを整え、彼女から自己紹介を受けていないことを今更思い出して。
でもお互いそんなことすら気にならないくらい、理由もない居心地の良さを感じていた。
「えぇ。勿論です。エスコートお願いしますね、研究者のお兄さん?」
キザなことを言う高校生にしか見えない彼女を、エスコートに何をすればいいのかよくわかってない僕が、彼女の手を取り歩き出す。
驚きながら顔を紅く染めた彼女を伺う余裕もなく、僕はおすすめのカフェへの道を思い返した。
初めて来た本屋からの道が分からないことすら、解らない。
心が少し昂って。
携帯で道を調べるの、なぜか恥ずかしくてできないや。
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