第4話 レッドキャップ

 馬鹿! アホ! 犬! 裏切り者!

 馬鹿! アホ! 犬! 裏切り者!

 馬鹿! アホ! 犬! 裏切り者!


 怒り狂ったゴブリンたちが、合唱する。

 貧困なボキャブラリー。悪態がコーラスを奏でる。

 立ち並ぶ石頭の先から、感情が沸騰していた。


 集会場の中に、怒りの嵐が充満していく。


 むせ返るような空気を吸いながら、ザクロはただひとり、小さく笑みを浮かべていた。


 チャンスだった。


 彼が密かに企む、人間との交渉。

 帝国復興への足がかり。

 ゴブリンの存在価値を地上に知らしめること。


 それを、貢ぎ物なしに達成する、またとないチャンスだった。


 ダイヤモンドやサファイアをチラつかせる交渉は、有効だがリスクを伴う。

 ゴブリンたちが、ただの鉱石集めの下僕としてこき使われるはめになる、リスクだ。

 値切られ。

 脅され。

 足元を見られ。

 主従関係の「従」に成り下がってしまう可能性があった。


 囚われた人間の救出は、無形の恩以外に何も売らない。

 必要なのは、勇気。

 それと、暴力。


 いかにも、ゴブリン向きだった。



 がちゃがちゃがちゃ、とシャベルを打ち鳴らす音が合唱を邪魔する。

 いつの間にかふたたび壇上にのぼっていたボンタンが、何かを怒鳴った。


 ブーイングの音量が少しだけ減る。

 ほんの少しだけ。

 やかましさに変わりはなかった。


 そんな喧騒の中を居眠りつづけた大王が、ボンタンに揺さぶられる。

 囁かれる。

 ぼやっと、数秒、虚空を見つめる。

 そして、寝ぼけた声で、のっそりつぶやいた。


「この件は一旦、わしが預かろう。方針が決定しだい、通達する。だから今日は、解散」


 群衆の何割に届いたかわからないその声を、ザクロはしっかりと聞き遂げた。

 そして、歯噛はがみする。

 王の決断は、彼の意向から大きく逸れていた。


 コボルトに協力する気など、一切ない。

 時間をおいて、有耶無耶うやむやにするつもりなのは明らかだった。


 事なかれ主義では駄目なのだ、とザクロは憤る。

 人間に恩を売る。

 それでゴブリン帝国の発展につなげる。

 こんなチャンスは二度とない。

 焦りが、ザクロの口先からはじける。


「臆病者!」


 よく通る声が汚いコーラスを叩き割り、群衆を黙らせる。

 壇上までの一直線を駆け抜ける。


「大王、お前は俺らの大将だろ。大将ってのは下っ端の生活を助けてやるもんじゃねえのか。なんだこの国は。あちこちボロボロ。まとまりもなく、みんな好き勝手に。かつての栄えた帝国の姿はどこにある! 地下を制圧した我らが帝国は! 取り戻すチャンスだろう。ゴブリンの栄光を。誇りを。誉れを。地位を。畏れを。恩を売るんだ、人間どもに。ゴブリンの偉大さを思い知らせるんだ。逃げてちゃ取り戻せねえ。立ち上がれよ、ゴブリン! ツルハシを取れ! シャベルを握れ!」


 いつの間にか舞台ステージではなく、ザクロを中心にゴブリンたちが円を描いて囲んでいた。

 怒り狂ったコーラスに、当惑が混ざる。


 確かに、最近つまんないよな。

 三日月の夜以外はずっと、寝てばっか。

 寝るのもさ、なんか、寝苦しいよな。

 ひび割れて、外の空気が入ってくるもんな。

 特に昼は最悪。日光エグすぎ。

 うちの婆ちゃん、日光を浴びすぎて病気になったんだ。


 ぼつ、ぼつ、とゴブリンたちの本音が漏れる。


「偉そうにしやがって。臆病者とはなんだ、ザクロ! 何の権利があってたみを扇動する! 混乱させる! 選挙権も持たねえチビゴブリンが、王を侮辱するとは……ふざけやがって!」


 ボンタンが、啖呵を切る。

 周囲の変化に動揺した様子で、シャベルを振り上げる。

 ちら、ちら、と目線はゴブリンたちの反応を伺っている。


「権利がないだけだ」

 勝利を確信して、ザクロは冷静に言う。

「ゴブリンの序列は喧嘩で決まる。喧嘩は背丈と腕力だけじゃねえ。相手になってくれるなら、証明してみせるぜ?」


 背負っていた愛用のツルハシを抜き払い、ボンタンに向かって歩み寄る。

 じり、じり。

 土と岩を踏みしめて進むザクロに、ゴブリンたちが道を開ける。


 体格差など関係ない。

 負ける気はしなかった。


 ツルハシの先端を、ボンタンの眉間に構える。

 野次馬たちが歓声をあげた。



 カーン!

 カカカカン!

 カンカカカカカカン!

 カカンカカンカカカカカカカカッ!!



 争いの火種を見て、モモが再び叩岩音ノックをかき鳴らす。


 歓声は静まった。

 が、一触即発の空気は、緩まらない。


 ザクロはツルハシを掲げたまま。

 ボンタンはザクロを睨みつけたまま。

 静止している。



「でもさあ、ザクロ」

 そこへハッサクが、空気を読まない発言を投げる。

「人間を助けるのはさ、助けるのは、僕もちょっと嫌だなあ。だって人間でしょう? 肌が白くて五本指で頭に毛が生えてて手足は短いのに背は高くて……うう、気持ち悪いよう。だいいちさ、助けなくてもさ、他の人間が助けるんじゃないの? 人間ってさ、いっぱいいるじゃん。わんさかいるじゃん。いっぱい武器もってんじゃん。わんさかもってんじゃん。自分たちでなんとかできるよ、きっと」


 うんきっとそうだうんうん、とひとり納得する親友の言葉に、ザクロははっとした。


 人間を敗り、

 捕らえ、

 監禁する。


 それほどまで強力な魔物が、ノコギリ山の付近に生息していただろうか。



「レッドキャップ」

 ザクロの心の内に湧き上がった疑問に、リンリンが正答を告げた。

「赤帽子。血塗り。人間だけ、勝てない。協力、必要」



 抑揚のない、単語の羅列で、敵の正体は明かされた。


 その名を聞いて、ゴブリンたちは。


 青ざめた。

 叫んだ。

 悲鳴をあげた。

 泣きわめいた。


 瞬時に、集会場は恐怖に包まれた。


「ザクロ、ザ、ザクロザクロザクロ、さすがに無理だ。コボルトやら人間やら関係なくなった。無理だ、無理無理! ゴブリンには無理だ。レッドキャップは。レッドキャップはまずい。勝てっこない。勝ち目のない戦を、ゴブリンはしない! したくない!」


 敵意の抜け落ちた目で、ボンタンはツルハシをつかんだ。

 完全に怯えている。威勢はひっこみ、手足が震えている。


 対するザクロは表情を変えない。

 が、全身が粟立つのを感じた。

 冷や汗が、首筋をつたう。



 レッドキャップは、凶悪な魔物だ。

 古城や廃墟に棲み着く、斧の魔人。

 風を操り、テリトリーに近づく人や魔物の背後に、音もなく疾走する。


 闇夜に輝く真っ赤な斧が振り上げられたら、おしまい。

 頭蓋を砕かれて即死できれば、まだ運がいいかもしれない。


 たいていは逃げられないように痛めつけられて、満月の晩まで監禁される。


 連中は満月の晩に、儀式を行う。

 殺した相手の血で、帽子を洗う。

 ゆえに、やつらの帽子は真っ赤に染まっている。



 リンリンの仲間が殺されずに済んでいるのは、おそらく儀式に備えてのことだろう。


 勝ち目はない。

 魔物の格が違いすぎる。


 それでも。

 ザクロは、このチャンスを逃したくなかった。

 

「だ、大丈夫だ! 勝てる! ゴブリンはきっと、レッドキャップにだって――」


 ザクロは叫ぶ。

 しかし、その雄々しき声も、今度ばかりは無駄に終わった。

 恐怖の渦に呑み込まれたゴブリンたちの耳に、届くことはなかった。

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