第2話 岩叩きモモと傷ついたコボルト

 ……カァ――ン、カッ……、カカァ――ンン……。



 遠くで、岩を叩く音が響いた。


「モモか」


 坑道あなみちを抜け出ながら、ザクロは音の主を推測した。


「そう、モモだよ、モモがいるんだ。コボルトのとこに。ケガしてるからね、コボルト。血まみれだからね。モモがついてくれてる。大丈夫、モモだもの。コボルトを見つけたのもモモだよ。モモが見つけたんだ。僕はたまたま通りかかっただけ。それでモモに頼まれて、ザクロのとこへ行ったんだ。でも途中で外に出てくゴブリンがたくさんいて。僕と反対向きにうきうき走っていくもんだから、どこへ行くのーって聞いたら、今日は三日月だからオレンジとリンゴがまんまるになってて美味しいよーって話で、それで」


「ああわかった、もういい」


 ハッサクの説明が脇道に逸れはじめたので、ザクロはあいまいに打ち切った。

 坑道あなみちの出口で詰まった巨体を引っ張り出してやる。


 モモは、岩叩きノッカーのゴブリン少女だ。

 恥ずかしがり屋で無口。

 そのかわり、美しい音色で岩を叩く。


 ザクロは、彼女の叩岩音ノックが好きだった。

 幼いころから何度も聞いてきた。


 そのうち、彼女の感情や意思や表情まで、音色から読み取れるようになった。

 ゴブリンの中でもずば抜けて穴掘りが上手いモモは、鉱脈を見つけるのも得意で、秘密の鉱脈をこっそりザクロに教えてくれる。


 いつの日か、叩岩音ノックはふたりの暗号通信になっていた。



 ……カァ――ン、カッ……、カカァ――ンン……。



 もう一度、岩を叩く音が響いた。



 ――曲がりくねった細道――鉱夫のドクロ溜まりを抜けて――青い川沿いに出口へ向かって――東の小部屋。



 叩岩音ノックの暗号は、彼女とコボルトの現在地を示していた。

 ハッサクが一度通っているはずだが、とザクロは巨人の親友を振り返る。


 天井付近から見下ろしてくる、つぶらな瞳。


 納得した。

 おそらく、ハッサクは道順を覚えていないのだろう。

 モモも、それを察したのだ。


「こっちだ、行こう」


 ザクロは進路を告げ、あるき出す。

 すぐ後ろをハッサクが、のしのしとついてくる。


 ハッサクは腕っぷしと食いっぷりに秀でた勇敢な戦士で、親友。

 それだけで、十分に最高のゴブリンなのだ。




 ノコギリ山の鉱脈は廃れてきている。


 日々立ち入る鉱夫の数は黄金期の十分の一ほどまで減っていた。

 洞窟を訪れる人間の数が減って、ゴブリンたちも萎えていた。


 寂しさや恋しさのせいではない。

 落石や落とし穴で人間たちを困らせる機会が少なくなったからだ。


 もちろん、鉱脈自体が枯渇したわけではない。

 人間たちの採掘が下手すぎるのだ。


 だが、それを抜きにしても、洞窟内には老朽化の傾向が見て取れた。

 あちこちに蜘蛛の巣が貼りめぐり、水は濁り、壁は割れている。場所によってはが洞窟の外まで貫いて、昼間には光が漏れ射していた。


 夜行性のゴブリンにとって、居心地の悪いこと、この上ない。


 鉱脈の有無は関係ない。

 環境の悪化は、ゴブリン帝国自体が衰退の途をたどっていることの証といえた。




 ザクロとハッサクは、曲がりくねった細道と鉱夫のドクロ溜まりを抜けて青い川沿いに出口へ向かって東の小部屋、に到着した。


 部屋のまんなかに、コボルトが倒れている。

 ふさふさの毛並み。至る所が、血に染まっている。

 肩口と出っ張った鼻には包帯が、ぐるぐる巻きにされている。その白い布地も血まみれだ。が、すでに止血は成しているようで、したたってはいない。


 ザクロは小部屋の中を見渡した。


 一見、誰もいない。

 だが、いるはずのだ。


 ハッサクと同じほどに気心の知れた親友が。


「モモ、着いたぞ」


 ザクロは小部屋の壁に向けて、片手を差し出した。

 ごつごつとした岩肌。

 黒っぽく、ぬめぬめして、苔の生えた岩壁。


 その壁から、貫くでも割るでもなく、ぬうっ、と突然に手が生えた。

 ザクロの手を控えめにタッチして、すぐに引っ込む。 


 恥ずかしがり屋のモモは、滅多なことで人前に姿を表さない。

 つねに岩や土の中を、泳いでいる。

 ノームの祝福を受けたとされる岩叩きノッカーは、自由自在に地下を泳ぎ回るのだ。ツルハシもシャベルもなしに移動し、穴を開け、鉱脈を見つける。


 ザクロは倒れたコボルトの隣にかがんだ。


 息が荒い。

 意識はない――いや、あるのか。

 少なくとも命に別状はなさそうだ。


 そう判断し、話しかける。


「聴こえるか、コボルトさん。地上の魔物。人間の犬。光の種族が、なぜこんな暗闇に。何を求めてここへ来た?」


 ザクロの声に反応して、コボルトはぴくっと耳を動かした。耳たぶが丸い。めすコボルトの目印だ。


 咳き込みながら、こぽっ、と血の塊を吐き出した。

 せきを切った気道が、ひゅー、ひゅー、とかすれた呼吸を奏でた。


 やがて息が整うと、コボルトは片側の目を見開き、一気に話し始める。


「リンリン、助けて。仲間。ゴンゴン。夫。ゴンゴンと仲間。捕まった。リンリン、逃げた。ゴンゴンたち、救けたい。ゴンゴン、大事。愛してる。リンリン、弱い。助け、必要。ゴンゴンたち、助ける。ゴブリン、弱い。けど、ゴブリン、多い。リンリンたち、助ける。お願い」


 助詞の抜けた要領を得ない説明に、ザクロは拍子抜けした表情になる。


 コボルトは肩から上の構造がほぼ犬だ。

 よって、発声や発語には向かない声帯をしている。

 長い文章をしゃべることはもってのほか、話のまとまりにも欠けている。


「ね、ね、ザクロ。助けを求めてるんだよ。何言ってんのかわかんないけど。助けてほしいんだよ、このコボルトは。ね、ね、ザクロ。なんとかしてあげようよ」


 お人好しのハッサクは、熟慮しない。

 今すぐにでも出発せんばかりの勢いでザクロの肩を揺さぶる。


 カァ――ンン……。


 モモが岩を叩く。

 詳細が不明すぎる、慎重に判断すべし、という意味が込められていた。


 ザクロは頭をひねりながら言葉を選んだ。


「ええっと、リンリン、ってのが君の名前か? 仲間がどこかに捕まった、ということはわかった。助けが必要ってことも。だが、情報がたりなさすぎて……その、よくわからない。すまん」


 謝罪の言葉を受けてリンリンは、くううん、と喉を鳴らす。

 ザクロは、それに、と続ける。


「それに、大勢のゴブリンを動かすとなると、すぐには決められない。ゴブリンは王政だ。俺たちは王の指示がなければ、地上に出れない。今夜みたいな三日月は特別だ。しかもその特別のせいで、ほとんどのゴブリンが出払ってる。相談のしようもない」

「でもさでもさ、それじゃどうすんのさ、捕まってる仲間たちは! このまま見殺しにしちゃうのかい、ザクロ! あんまりだよ!」


 ハッサクが興奮して岩壁を叩く。

 洞窟が揺れて、いくつかの岩の塊が転がり落ちた。

 ザクロはリンリンの体を石頭で守りながら、口早に打開策を叫ぶ。


「落ち着け、ハッサク! 明日だ。明日まで待つんだ。リンリンさんも、悪いが明日まで待ってほしい。ちょうど、明晩は上弦の月。国王演説の日だ。そこで可否を問えばいい。今夜は体をやすめてくれ。そして、できればもうちょっと話をまとめておいてほしい」


 ハッサク、お前も果物を食いにいってこい。そう付け加えると、お人好し巨人は振り回す腕を収め、るんるんと月夜へと躍り出ていった。


 カカンッ、と短く岩を叩く音。

 ほっと胸をなでおろすザクロ。


 その横で、コボルトはまぶたを閉じ、深い眠りに堕ちていった。

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