夜明けのゴブリン

二晩占二

第1章 ゴブリンたちの旅立ち

第1話 鉱掘ザクロと巨人ハッサク

 ゴブリンたちの夜は早い。


 ノコギリ山のふもとの洞窟から、小さな魔物たちは這い出てくる。暗くて冷たくてじめじめした洞窟から。

 這い出たゴブリンたちは細くて長い腕を三日月にむかって突き出し、大きく伸びをする。


 気持ちのいい夜。

 さあ、仕事のはじまりだ。


 ある者は果樹園に実ったリンゴやオレンジをむしり取る。

 ある者は牧場の牛や羊のミルクをしぼり尽くす。

 ある者は人間の家に忍びこみ、きれいに整った台所を泥だらけにする。

 ある者は街道にかかげられた道標を逆向きにつけ直す。


 人間たちへの嫌がらせやいたずら。そして搾取さくしゅ

 それこそがゴブリンの本業だ。

 魔物の本能だ。


 異論、あるまい。


 だが、森羅万象に例外はつきもの。

 ぽかぽかした月光には見向きもせず、暗い洞窟にとどまり続けるゴブリンもいた。


 そのひとりが今、懸命に土を掘り、岩を砕き、鉱石を集めている。


 彼の名は、ザクロ。

 後に英雄として歴史に名を残すゴブリンだ。




 卓越したツルハシさばきで、ザクロは鉱掘かなほりをすすめていく。


 ひと振り、岩の心臓を貫く。

 もうひと振り、岩の骨髄を砕く。


 そのたびに掘り起こされる、色彩豊かな鉱石。


 シルバー。

 ゴールド。

 プラチナ。

 オパール。

 エメラルド。

 サファイア。

 ダイヤモンド。


 暗闇をうっすら輝かせ、麻袋へ放り入れられる。


 トテカンカン、トテカンカン、トテトテカンカン、トテカンカン。


 心地いいリズムが曲がりくねった洞窟に反響する。


「ザクロ!」


 そんなリズムの隙間に、ザクロを呼ぶ声が割り込んだ。

 ツルハシを置いて振り向く。掘り進んだ坑道あなみちが、ずっと向こうまで伸びている。


「小鬼」とも通称されるゴブリンの中で、ザクロはひときわ体が小さい。

 熊の子どもよりも更にひと回り小さい。

 自然、彼の掘る坑道あなみちの天井はとても低かった。


 そんな細く狭い土の道を、膝と腰と首を曲げて無理やりに、ひとりのゴブリンが近づいてくる。

 ザクロとは対照的に、とても大きなゴブリンだ。


 筋骨隆々。


 ゴブリン帝国一の巨人、ハッサクだった。

 一歩、一歩、踏み出すたび、盛り上がった背中が天井をこする。土や岩が削られ、小石と砂ぼこりが舞った。


 ザクロはツルハシを置いて、親友に挨拶を投げる。


「よう、変態兄弟クイア・ブラザー

「やっほう、変態兄弟クイア・ブラザー! いい月夜だね。とってもいい月夜なんだって。最っ高の月夜らしいよ、今日のお外は」


 狭い通路にぎゅうぎゅう押し曲げられた巨体から発される、人懐こくて幼い口調。同じ言葉のくりかえし。

 ザクロは自然と微笑み、そうらしいな、と相槌だけを返す。

 ハッサクにはまだ、言いたいことが残っていそうだ、と察したのだ。


 うすのろ巨人。


 それがハッサクのあだ名だった。

 帝国一の体躯を持ちながら、帝国一のばか野郎。

 頭の中は食べ物のことばかりで、まともに会話すらできない。


 そんな嘲りをこめての蔑称べっしょうだった。


 だがザクロは知っている。

 いざというときのハッサクはとてつもなく勇敢で、仲間のために戦う猛者であることを。

 二人が変態兄弟クイア・ブラザーの契りを交わしたあの夜は、忘れることのできない思い出になっていた。


 ハッサクはたどたどと話をつづける。


「今日も鉱掘かねほりしてんの? そんなに頑張らなくてもさ、ねえ、ザクロ。リンゴもオレンジも月明かりを吸いこんで甘ーくなってるって。ねえ、食べたくない? 食べたいねえ?」


 ザクロは笑う。

 頭の中は食べ物のことばかり、という点については認めざるを得ない。


「食いたきゃ食ってきていいぜ、ハッサク。こっちは俺がやっとくからさ」

「えーっ、ひとりー? つまんないよー。なんでそんなにその、真面目なのさ、ザクロは」


 ふてくされ、唇をすぼめるハッサク。

 ザクロは麻袋に手を突っ込み、ダイヤモンドをひとつ取り出す。

 大ぶりの宝石は、かすかに漏れ射す月光を反射して、暗闇にうっすらと輝いた。


「見てみろよ、ハッサク」

「わあ、すごい上質のダイヤ! きれいだねえ」

「だろ。きれいだろ。でもそれだけだ」


 ザクロがダイヤモンドを放ると、ハッサクは縮こまった姿勢のまま受け取った。


「俺たちゴブリンは、きれいだって言うだけでダイヤの価値もわかっちゃいない。シルバーや鉄鉱石との違いもよく知らない。お気に入りの大きさのやつを部屋に飾ったり、アケビ婆さんの店でスカスカの果物や酸っぱいミルクと交換するのが精一杯だ。『土の中に棲まう魔物、鉱石の番人たるべし』なんて、ノームは言うけどさ。番人のくせに、ゴブリンは鉱石を全然うまく利用できてないんだ。人間たちはもっと大胆に使うぜ。これひとつで家と交換できる。十個もあれば村が買える。百個あったら城だって手に入るのかもしれない」

「……なんか、よくわかんないけどさ。むずかしいけどさ。でもさ、でもさ、人間の話なんてやめてよ、ザクロ」


 込み入った話でパニックになったのと、人間に対する生理的嫌悪感とで、ハッサクが身じろぎする。

 狭い坑道あなみちをじたばたと巨体が揺るがし、地響きが起きる。天井の一部が崩れて、ゴブリンたちの石頭に落石が降り注いだ。


「すまんすまん、悪かった!」


 ザクロは慌てて謝る。

 ゴブリンの頭はおそろしく硬いから、少々の落石や崩落程度なら問題にならない。が、このまま暴れられて生き埋めにでもなったら面倒だ。さすがの穴掘り名人ザクロでも一苦労するはめになる。


 ゴブリンたちは、人間が嫌いだ。


 帝国に伝わる神話では、人間たちが司る地上は不秩序ふちつじょで汚染されているから関わってはならないとされている。ゴブリンたちが地下に棲むのは、土の精霊ノームが不秩序ふちつじょな地上から保護してくださったからだ、とのことだ。


 ザクロはその神話を信じていない。


 人間たちは秩序ちつじょをもって地上を繁栄しつづけているように見える。政治、経済、農業、狩猟。すべてにおいて、魔物にはない工夫が見られる。

 一方でいたずらと嫌がらせにしか脳のないゴブリンたちは団結力に欠け、衰退の一途をたどっていた。

 地上と地下の隔離がどちらに不利益をもたらしているのか。考えるまでもない。

 このままではゴブリン帝国はいずれ滅びる。それを避けるため、人間と交渉しなければならない日が来るのではないか。ゴブリンに生存価値を認めさせなければならない日が。


 ザクロの蓄える鉱石は、そのときに備えた交渉材料だった。


 ――と、いった計画を親友に語っても理解できないだろう、とザクロは断念する。

 今はまだ。

 時がくるまで。

 胸のうちに秘めておくことにする。


「今日はもう、行っていいぜ、ハッサク。こんな晴れた三日月なんて、めったにないんだ。存分にうまいリンゴを喰ってきな」


 ザクロが言うと、ハッサクは「やっぱり、ひとりかあ」と寂しそうに麻袋をお腹に抱え込んだ。

 それから、はっと気づいた表情で飛び上がる。


 ハッサクの大きな石頭が坑道あなみちの天井を貫く。

 大きな振動。

 麻袋から鉱石が散らばり、トテカントテカンと慌てた音を響かせた。


「違う! 違った!」


 天井に頭を突っ込んだまま、ハッサクが叫ぶ。


「どうした、何が違った?」


 がらがらと大きめの崩落が起こり、ザクロも動転する。


「ぜんぜん違った! 違う話だったんだよ!」

「だから何が?」

「思い出したんだ!」

「だから、何を!」


 ザクロは力任せにハッサクの頭を天井から引き抜いた。

 土と石ころとシルバーがごろごろと転がり落ちる。


「果物じゃない。果物じゃないんだ、ザクロ。そんな話をしに来たんじゃなかった。うっかりしてた。もっと大事なことがあったんだ」


 ようやく親友の口から発された本題に、ザクロは目つきを変える。

 ハッサクが、食べ物よりも大事だと判断した出来事。



 それは、緊急事態を示していた。



「コボルトだよ、ザクロ! 死にかけのコボルトが洞窟に来てるんだ! 僕らに助けを求めて!」

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