第一部 安針 第六章 運河 ②

 規模の小さい普請(工事)なら、名主が金を出して大工を雇えば済む。だが、運河ともなれば、護岸のため石工の力も要る。人足も、庄屋に命じて出させるだけでは足りない。農繁期も挟んでの大仕事だ。専任の手配師が必要になった。


 町の火消しとして働く者は、日頃は鳶職。祭りの時の顔役も兼ねる。いざというときは忙しいが、日頃は暇なことが多い。城の建設が始まる頃、こんな者たちの中から、普請のための人足を集める手配師が生まれた。角屋の弥太郎と鎬屋の治兵衛である。名主を務める大店(おおだな)が分担して資金を出し、黒鍬組の指揮のもと、角屋と鎬屋が人足を集める形で調整がついた。


 手配師が集めるのは、まっとうな人間ばかりではない。軽い罪を犯した者を、職業訓練の一環で働かせる場合もある。そうした前科者が問題を起こせば、雇い主も責任を問われる。いろいろな意味で、雇い主の手腕が必要な仕事でもある。


 人足集めのやり方は、角屋と鎬屋では対照的だった。角屋は、自分の店で働く者が連れてきた人足ひとりひとりに主が会い、店の者一人に人足二〇人をあてがう形で普請に臨んだ。いわば「少数精鋭」の形である。指示系統がしっかりしていて、作業も安全に行われていた。一方、鎬屋は普請の内容に合わせて人足を集め、いわば臨時雇いの形で働かせていた。初めのうちは、人足の数が集まる鎬屋のほうに仕事が集まっていたが、護岸工事の石組みが始まると、仕事の精度が望めない臨時雇いの弊害が出てきた。石組みがうまくいかず、けが人が出てきたのだ。二年目に入って、角屋の人足が目立つようになってきた。


 土木工事が大規模になれば、たしかに人手が要る。人手を集める鎬屋の手法は間違いではなかった。問題は、臨時雇いの人足の様子を、店の主が把握できていなかったということだ。土運びなどの単純作業なら鎬屋の人足でもできた。だが、石組みの手伝いのように作業効率と作業精度を考えながらの仕事は、角屋の人足が使われることが多かった。角屋の人足は、角屋や石工の仕事を手伝いながら、手に職をつけるようになる。角屋の店は、次第に大きくなっていった。


 鎬屋は、次第に焦ってきた。じわじわと角屋の人足が増え、鎬屋の人足が不用になってくると、手配師の仕事そのものができなくなる。角屋の人足は、時間をかけて仕事に慣れてきた「ベテラン」である。その「ベテラン」の引き抜きが始まった。当然、角屋はそれを嫌がる。前科者が多い人足のこと、殴り合いや取っ組み合いのけんかも少なくない。そうしたけんかを上手に煽って、仲を取り持つ鎬屋が、言葉巧みに角屋の人足を引き入れた。特に、鳶の仕事をあらかた覚えた一蔵と佐吉の引き抜きの影響は大きかった。表向きは人足の意思での移籍だ。黒田屋の「始末」の手も届かない。


 一蔵が揉めた相手は、角屋の新米人足だった。角屋の店の者の指示通りに動かない新米を手助けするつもりで、作業に必要な足場を組むのを手伝ってやったのだ。だが、組んだはずの足場は翌朝緩んでいて、けが人が出てしまった。新米だけでなく、自分自身も叱られた一蔵は、とりあえず新米をなだめようと飲みに誘った。新米としては、兄貴格の一蔵が加勢してくれたつもりで逆に叱られ、面白くない。酒の席で言い争いになってしまった。仲裁に入ったのが、佐吉と鎬屋の人足である。佐吉は角屋に報告を上げたが、角屋にすれば一蔵が悪い。居辛くなって鎬屋に移った一蔵を心配した佐吉まで、ついてきてしまったのだ。


 角屋は、引き抜かれた人足の人数分、新たに人足を雇い、仕事のやり方を仕込んでいった。最初から仕事のできる人足が鎬屋に移れば、作業効率は悪くなる。一方、鎬屋にとってはいい話だったはずだが、初めから鎬屋に

雇われた人足よりいい扱いを受ける二人への風当たりは強かった。角屋に詫びを入れて戻ろうとした一蔵と佐吉だったが、揉めた新米と同じ足場で働くのも気まずい。しっかりした足場を組んで周りにも指示が出せる二人を、鎬屋が手放すはずもなかった。


 運河の普請は最終段階に入った。港に繋げるためには避けられない岩盤が、一ヶ所だけある。その岩盤を掘り抜けば、運河は港に繋がる。今まで以上に危険な作業だった。土を掘るのではなく岩を砕いて掘り進む。人足のけがも増えてきた。そんな作業が続くある朝、現場で一蔵の死体が見つかった。昨日は最後まで残って仕事をしていた一蔵だったが、足を踏み外したのか、掘り進めた運河の底に転落し、頭を強く打ったらしい。鎬屋の人足が一蔵の死体を片付け、作業は再開した。「わけあり」の多い人足が死んでも、役人が詳しく調べることはない。


 仕事のできる一蔵が亡くなって周りの負担は増したが、文句を言う暇などなかった。気を入れていないとけがをする。昼には、城下の小料理屋「月見や」から握り飯が差し入れされ、人足の士気も上がった。誰もが一蔵の死を忘れたように見える。だが、角屋の弥太郎だけは違った。店を抜けたとはいえ、鳶としての一蔵の仕事はよく分かっている。簡単に「足を踏み外す」のは不自然だ。


 この仕事を紹介して、黒鍬組に引き合わせてくれたのは、黒田屋だった。古着屋だが、こうした仕事の橋渡しが上手で、時には人足の手配についても相談に乗ってくれる。一蔵のことも気になったが、これからの仕事の段取りについても気になる。弥太郎は、黒田屋の清右衛門を頼ってみることにした。

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