第一部 安針 第六章 運河 ③
鎬屋が片付けた一蔵の亡骸は、名主どうしを繋いでいた黒田屋が引き受けていた。運河の仕事を引き合わせたのは黒田屋である。行きがかり上、供養するのも黒田屋であるほうが角が立たない。抜けてしまった角屋が世話するのも「筋が違う」し、鎬屋からは何も言ってこない。普請で初めての死人だ。縁起が悪いのを何とかするためにも、しっかり弔ったほうがいいだろう。
お経は、西海寺に頼んだ。普請を休むわけにはいかないので、線香を上げにきた者は少なかった。清右衛門兄に佐吉、そして角屋の弥太郎だ。弥太郎は、「月見や」の女将からの言づても預かってきていた。
「ほんとは来たかったげな(来たかったそうだ)。どうしてん外せん用があっそうじゃ(あるそうだ)」
女将にとって、一蔵は亡くした旦那の弟だったらしい。慌ただしく葬儀を終え、翌日から佐吉は普請に戻った。
運河の普請は、一見順調に進められていた。初めの頃と違い、鎬屋の人足がずいぶん増えてきた。佐吉は石工と打合せながら足場の強さを確かめ、他の人足に指示を出している。清右衛門から頼まれて様子を見に来た安針は、佐吉の仕事ぶりを眺めながら木陰で涼んでいた。今年も、そろそろ梅雨が始まる。
佐吉が、また何か指示を出した。指示を聞いて動く人足とそうでない人足がいる。動く人足が妙に少ない。なるほど、鎬屋の人足は、佐吉の言うことをほとんど聞かない。気を利かせて動いてくれるのは、角屋の人足である。これで佐吉の顔は覚えた安針は、その場を離れた。後は透視で確かめればいい。
安針が帰り着いたのは夕方である。患者を一人だけ診て、晩飯を食う。安針は一人暮らしになって、自炊に戻っていた。土鍋に煮干しで出汁を取り、金杓子で削いだ豆腐を入れて、細く刻んだ大根を入れる。梅雨の始めに食う湯豆腐は、妙に美味い。食後に透視をするつもりでいたので、腹八分で済ませ、酒は飲まなかった。食器を片付け、腹が落ち着いたところで居住まいを正す。普請の現場にいた佐吉を思い出し、その画像を軽く「押」した。
清右衛門が気にしていたのは、引き抜かれた佐吉の安全だった。とりあえず大丈夫なようだったので、今度は「引」いてみる。佐吉の様子については、黒田屋の若い者が何人か張りついているはずだから心配は要らない。もう一つ気になっていた一蔵について「観」るため、安針は少し強めに「引」いてみた。「観」えてきた画像は、半ば予想していたとはいえ、気持ちの良いものではない。
翌朝安針は、すぐに黒田屋に向かった。黒田屋の奥座敷に、佐吉が連れてこられている。黒田屋の若い者が何か嗅ぎつけたらしい。角屋にいた例の「新米」が、いつの間にか姿を消したとの報告があった。黒鍬組の組頭にも連絡済みで、とりあえず今日の普請に影響はない。だが鎬屋がどう動くのか、予断を許さない。利吉が、清右衛門を呼んできた。
清右衛門兄は来るなり
「いちばん嫌な形じゃったごつあるな(形だったようだな)」
と切り出した。
「はい、昨晩『観』たこつは、思い出すだけで胸くそ悪うなります」
と安針が答える。
「まず佐吉の話を聞こか」
促された佐吉が、訥々とした口調で話してくれたのは、昨夜の安針が透視した内容だった。
一蔵と佐吉の引き抜きは、けんかの仲裁をきっかけにしたものだったが、けんか自体が鎬屋に仕組まれたものだったらしい。殴り合いだけでなく、匕首まで取り出したけんかだったそうだ。だが引き抜かれた後、一蔵や佐吉が現場で出す指示は、なかなか通らなかった。鎬屋で生え抜きの者から見れば、突然入ってきたよそ者が偉そうに出す指示を聞くはずもない。二人の指示の一部を、生え抜きの気が向いたときだけ人足に伝え、作業が進められていたようだ。
組頭も、そうした空気を感じ取っていた。角屋にいた頃に比べ、一蔵や佐吉がまとめる人足の働きが鈍いのだから、気づかない方がどうかしている。一蔵の死も、鎬屋の者から突き落とされた「殺し」だったと報告があった。残っていた一蔵に「新米」が声をかけ、後ろにいた鎬屋の人足が突き落としている様子は透視で確かめている。
鎬屋は、佐吉を探している。主の治兵衛も、自分の手下の不始末が分かれば揉み消したくなる。佐吉がどこまで分かっているのか探りを入れたいだろうし、できれば口を塞ぎたいはずだ。こんな風にごたつくと、運河の普請自体が遅れてしまう。勘定奉行によれば、これ以上の遅れは無理とのこと。「始末構無(しまつかまいなし)」の言質もある。明後日、鎬屋が佐藤様に目通りを願っているタイミングで、「始末」をつけることになった。
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