第一部 安針 第六章 運河 ①

 伊納藩では、杉の植林が盛んで、「伊納杉」と呼ばれている。前世での歴史と微妙に違うが、他の杉より曲げやすいため、船材として優れているらしい。幸川の河口と港の間に、人間の鷲鼻に似た奇岩のそびえる鷲鼻岬があるため、切り出した杉を港に運ぶ際、不自由していた。また、台風のたびに船を避難させる場所にも困っていた。


 そこで話題になったのが、幸川と港を結ぶ運河だ。安針の前世では二年半くらいかかっていたはずである。藩の総力をあげての大工事だ。幸川は城下の東側を南に流れ、峯津の港の北側で海へ通じている。城下の西側から南側に大きく迂回して流れる小谷川は、城下の南東部で幸川と合流し、城下全体を守る天然の「壕」となっている。城下の北にある城は山を背負い、城下を見下ろす形となっている。いずれも毎年のように水害に悩まされる暴れ川で、下流の水量もかなりのものだ。その水量に耐える運河にしていくためには、護岸に使う石材もかなり要るだろう。


 伊納藩にも、他の藩と同じように、土木工事を担当する黒鍬組がある。下級藩士の位置付けで、小藩のためあまり人数はいない。城の営繕があれば大工を雇い、濠(城の周りは空壕)の補修になれば、名主や庄屋を通じて人足を集める。現場監督として、臨時社員を集めているようなものだ。当然、日頃から黒田屋とも繋がりがあり、どこで人が集まるのかを尋ねにくる。


 運河の件で人足を集めるため黒田屋にやって来たのは、組頭の猪上。身分は低いが、心月館では目録の腕前で、入門したばかりの者に稽古をつける人でもある。

「清太郎・・・・・・いや清右衛門はおるか」

入門当時から世話してきたこともあって、猪上様はなぜか清右衛門がお気に入りだ。店先で利吉と話す安針には声もかけず、奥に向かって怒鳴った。そばにいると、耳の痛くなる人でもある。利吉と同じくらいの背丈で胸板が厚く、なんだか小山が歩いているような感じだ。

「これは猪上様、そろそろお越しになるかあと思っとりました。どうぞお上がりください。わっどん(お前たち)も、いっしょに来い」

如才なく応えながら、清右衛門は利吉と安針にも同席するよう促した。


 利吉はともかく、安針は初対面だったので、まずは頭を下げた。

「初めてお目にかかります。清右衛門が弟の平太郎でございます」

清右衛門が隣から付け加えた。

「ご覧の通り僧形ですが、今は鍼医で一人立ちしております」

眉を片方だけ上げて、

「ほう、『生き神様』か」

という呟き。安針は黙って頭を下げる。


 猪上の視線を感じる。その遠慮のなさと沈黙に耐えかねて、

「あの、何かお気にさわることでも・・・・・・」

と、安針はお伺いをたててみた。すると


「鍼医いうより、武芸者じゃな。道場で見たことはないが、何をしとるとじゃ」

と返ってきた。

「そこは鷺庵先生の弟子じゃかい、体は鍛えられちょるでしょう。私んとっても頼りになる弟でございます」

猪上は、とりなす兄に向き直り、人足を集める手だてを話し始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る