第一部 安針 第五章 始末二 ④

 脇差しに簪と、偉い人たちの都合に振り回されてきた。黒田屋の始末は全て「構いなし」だが、お上の都合で使われるばかりでは、商売に差し支える。一連の関わりで、黒田屋は今や側室派の末席に位置づけられてしまった。今後どう距離を置くのかが問題である。


 距離を置くためには、別の仕事での存在感が必要になる。清右衛門は、各地域の名主と繋がりを深めていくことにした。特に町名主は、商家で利に敏いため、いったん関わりを持つと反応がいい。だが農村部の名主は、反応が鈍かった。そこで考えたのが、農村部の子どもを、商家で一時預かる仕組みだ。


 農家の子だくさんという。飢饉になれば、隣の赤ん坊さえ殺して食うのが近世という時代だ。農家の子どもたちに読み書きができれば貸本屋も潤い、農家の生活を反映した読み物も生まれる。年貢さえ納めておけば侍は文句を言わない。賢い農家の生産性は、自ずと高まる。


 商家の一時預かりは、先々雇い入れる可能性のある子どもへの先行投資になった。生産性の向上した農家であぶれた子どもは商家に奉公し、即戦力として動き出す。商家と農家との関係は、スムーズな税収を望む侍にも受け入れやすかった。農家だけでなく、名主になっている網元にとっても、同じようなうまみがあった。名主の話では、いちばん喜んだのが材木商だという。網元と材木商だけは、子どもに読み書きを教えようとはしなかったのが、少し気になるところではあったが。


 網元も材木商も、労働力として期待するのは体力だ。漁師自体が体力勝負だし、材木商は切り出した伊納杉を港に運ばねばならない。切り出した杉は筏に組み、川に流して港に運ぶ。川底が浅い所もあって、増水を待っての川下りとなる。流れも速く筏がばらけることも少なくないのだ。命がけの仕事で、下手に賢くなるよりは素直に言うことを聞く人材の方が都合がいい。ばらけた杉のせいで橋が壊れることもあるくらいだ。無事に港に運べれば大儲けだが、ダメなら大赤字。網元の仕事も「板子一枚その下地獄」の漁師稼業だ。気持ちが分からなくもない。


 黒田屋は、名主どうしの関わりに、必ず立ち会った。必要に応じて連絡調整もしてきた。対価として望んだのは、情報だけだ。そうした情報の積み重ねは、時としてお城からの依頼に待ったをかけることにもなり、わずかながら黒田屋の発言力を増すことにもつながった。預けられた子どもとの関わりも増えた。読み書きそろばんの世話は、行商で訪れた黒田屋の者にもできるのだ。子どもの噂話は馬鹿にできない。ただ、網元や材木商に預けられた子どもについては、安否確認くらいしかできなかった。


 子どもの具合が悪くなってほったらかしになると、預けた農家の信用がなくなる。黒田屋では、そうした子どもへのケアにも気を遣っていた。ほとんどの商家では健康管理にも配慮してくれたが、網元と材木商に預けた子どもは生傷が絶えない。若い衆も体を酷使する仕事なので、こちらは安針も関わることにした。漁師の若い衆とは交流のあった安針だが、材木関係の若い衆とは面識がなかった。漁師同様、稼ぎを酒で使い果たすことが多い彼らは、古着すら買おうとしない。その分、黒田屋としても情報が入りにくかったのだ。安針が出入りするのは、黒田屋としても願ったり叶ったりだ。


 モノやカネの流れと人の噂話さえ分かれば、もめ事は事前に防ぐことができる。黒田屋は、城に出入りする商人の動向もつかんでいた。殿様の「耳目」として重宝されるうちはまだいい。知り過ぎて切り捨てられてしまう前に、上手に距離を置くことも大切だ。ゆえなくして側室派になったわけではない。自分たちの暮らしが安定するために声を上げ、それが藩政にもプラスになる。侍たちが自らそう思えるように、清右衛門は誠意をもって働いた。黒田屋の始末は全て「構いなし」だったが、それは侍階級だけの認識ではなく、名主たちの総意にもなりつつあった。


 いつしか、与力の柏木や配下の同心が、黒田屋で時間をつぶすようになった。そんな皆様のお召し物のほつれが気になって、黒田屋の商いの話まで発展してしまうのは、また別の話である。

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