第一部 安針 第五章 始末二 ③

 久しぶりに、安針は黒田屋で茶をもらっている。手代の利吉と世間話をしていたら、清右衛門がやってきた。

「これはこれは『生神様(いきがみさま)』の安針先生、ご高名はかねてより存じ上げておりまする」

「兄さん、からかうのは止しちくだい(止してください)。お清は元々目が見ゆる『たち』じゃった。本人の勘違いがねなったかい(なくなったから)見ゆるごつなっただけじゃが」

清右衛門の隣で、利吉もニヤニヤしている。最近の黒田屋では、お馴染みのやり取りだ。もちろん、安針が遊びに来たわけじゃないことは分かっているので、すぐに真顔になる。

「で、今日はどんげな話を拾うてきた?」

「お清の親父さん、知っちょりますか?」

「甚助さんか?」

「ええ、その甚助さんの店で、簪ばっかい(ばっかり)買って行ったやつがおるそうです。同じ形のも構わんで買うて行ったちゅう話でした」

ほうっ、という声が聞こえそうな顔をして、清右衛門が片方の眉を上げた。

「買い上げていったとは全て一本軸ん真鍮製。細けえ細工にはこだわっちょらんかったようです。髪飾りとして買うたわけではなさそうじゃな」

「真鍮じゃなくて竹ん簪なら、細工も綺麗なのがあったろうに。妙な買い方じゃね」

「まこち(まったく)そん通り。兄さんの方は、何か変わった話があったですか?」

もう一杯、お茶をもらいながら水を向けると、今度は城の話題になった。


 黒田屋の取引先である呉服屋からの話によると、城で買い上げる着物が増えているという。お世継ぎの妹様の縁談が近いのではという噂だ。黒田屋の主人としての威厳を身につけた清右衛門、

「妹様の母君は正室、お世継ぎの母君は側室じゃ。周りん者が揉めるじゃろね。おっと、これは独り言じゃ」

と言って、最近覚えた刻み煙草を煙管に詰めた。


 伊納家の正室が剣呑な方だという話は、聞いたことがある。殿様が側室に走ったのも、たぶんそのせいだろう。清右衛門は続けた。

「こないだの心月館の一件、一人帰ってこんがった(こなかった)ろう。あれも正室派じゃ。心月館の門人には、側室派が多いっちゃげな(多いそうだ)。側用人の鳥飼様は一応中立じゃが、江戸表の殿様と連絡を取り合うとる。『お世継ぎ』という立場を軽う見るお人じゃない」


 話を聞いていた安針の口から、ふいに言葉が滑り落ちた。

「真鍮の簪じゃったら、研げば非力な女にも扱える得物・・・・・・」

「利吉!」

清右衛門の声に利吉が立ち上がる。

「今の話、奉行の佐藤様にお伝えしろ。柏木様あたりじゃ、らちがあかん。急げ!」

全ての始末に「構いなし」の黒田屋の知らせは、よほどのことがない限り奉行に届く。殿様とお世継ぎの安全に関する限り、噂のレベルでも警戒する仕組みが出来上がっている。


 翌日には、城内全ての簪が集められた。「藩の新たな特産品として、簪を始めとする小物を工夫するための一旦召し上げ」という長い名目である。一部に先を尖らせた簪も見つかり、何人かの奥女中が里に帰された。お世継ぎの妹様の縁談は順調に進み、来月には輿入れと聞く。安針としては、これ以上、内情を知りたいとは思わない。ただ、甚助の簪の評判が良くなったのは、嬉しかった。娘の清がこっそり持ち出す簪が増えたことは、内緒の話である。

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