第一部 安針 第四章 始末二 ①

 宗右衛門と鷺庵が帰ってきた。素知らぬふりをしていたが、清太郎から聞いたのだろう。安針に、少しだけ上物の焼酎が届いていた。甕に何年か仕込んだまろやかな味の焼酎だ。前世で飲んでいた「甕雫(かめしずく)」を思い出す。不器用な父親だ、と安針は思った。不器用といえば、今回の「始末」で、宗右衛門は手傷を負った。右手首だ。少し痺れが残っているらしく、鷺庵がつきっきりで診てくれている。始末屋としての仕事からは引退するらしい。これを機に隠居して、店を清太郎に譲ることになった。三代目・清右衛門の誕生だ。見合いの話もあるらしい。


 古稀を過ぎての立ち回りで、師匠の鷺庵も疲れたとみえる。宗右衛門の手首を診ながら碁を打つ生活となった。診療所にあった荷物は、黒田屋の若い衆が引き取りにきた。患者は、全て安針が引き継いだ。名に恥じぬ仕事が求められる。


 引き継いだ患者の中に、視力の低い娘がいた。左目は見えるのだが右はほとんど見えない。遠近感がつかめず、針仕事も料理もおぼつかない。家の者も持て余していた。櫛や簪などの小物を扱う店の娘で年は十五。名を清(きよ)という。


 弱視の治療は、幼いころからしておかないと間に合わない。本人が大人しかったこともあって発見が遅れたらしい。清の場合、斜視のため二重に見えるのを脳が拒否して、右が見えなくなったと思われる。この時代、眼病の知識はあまりない。見えるはずの者が見えないままというのも少なくないのだ。


 母親のお里に付き添われた清を仰向けに寝かせ、安針はとりあえず小指の付け根を指圧した。これで目の回りの血行が良くなる。呼吸を落ち着かせながら右目を開けるよう促した。焦点が合わない。清の呼吸に合わせて自分の呼吸を深めているうち、清の眼球が透けて見えた。視神経の繋がりさえしっかりすれば、少しはマシになるはずだ。安針は、糸を寄り合わせるイメージを送り込む。指圧を続ける清の掌が、汗ばんできた。

「あっ、明るい」

右目だけ開けた清が、小さく呟いた。


 内心驚いたのは、安針自身だった。「透視」と「念動」を同時に使ったのは初めてだ。とりあえず本人に目を閉じさせ、

「もう夕刻。続きは明日にしましょか」

と言って施術を終える。今まで見えなかった右目に光を感じたのは、大きな進歩だ。右目だけ手拭いで覆って安静を指示しておいたが、帰りしなに母娘から伏し拝まれた。


 同じ施術を続けて十日目、右目で大まかな輪郭が分かるようになった。「透視」で確かめながら「念動」で血行を良くしてやる。視神経のほうもいい具合だ。左目を覆って右目で見る稽古をさせ、一ヶ月で軽い「近視」程度の視力まで回復。斜視もずいぶん改善されてきた。よほど嬉しかったのだろう。親子三人でお礼に来てくれた。父親の甚助は、畳に頭を擦りつけるようにお辞儀して

「安針先生、清の目が見えるごつなるなんて、夢のようじゃ」

と涙ぐんだ。

「清さんの右目は、ほんとは見えるはずやったとよ。何かん弾みで、見えんと思い込んじょったっちゃろ。これで針仕事もできるようになるはずじゃ」

正直な気持ちだった。母親のお里も

「これで胸張って嫁に出さるっはずじゃ」

と言う。すかさず

「馬鹿言え。ちゃんと仕込まにゃ、誰も貰っちゃくれんど」

と甚助が口を挟むと、後ろに座っている清が、顔を赤らめた。

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