第4話 どこまでも、一緒に行こう

「今日は家の用事で早く帰らないと」


 放課後、クラスの女子たちと延々おしゃべりをしている静音に、そう嘘をついて春日は教室を後にした。

 気がつくと教室内に凛の姿はなく、春日は急いで学校を出る。

 凛は校門を出たところで捕まえることが出来た。


「凛ちゃん」


「何……辻村さん、私を追いかけてきたの」


 呼び止められた凛は、目を丸くした。


「春日でいいよ。凛ちゃん、今日はお迎えバス、現われるのかな」


 春日は凛と並んで歩いた。凛のほうが少し、背が高い。


「さあ……」


 凛はそっけなかった。だけど彼女は明らかに、春日の存在を意識している。そう春日は直感的に感じて、とても嬉しくなった。


「凛ちゃん、透明な壁って、分かる?」


「透明な、壁?」


「うん。透明な壁。わたしね、生まれたときから自分の周りに透明な壁を感じていたの。壁の向こうのヒトや、モノが、うーん……なんていうか、遠い感じ? テレビの向こうみたいな。凛ちゃん、分かる?」


「確かに、まあ、そういうのもあるね。分かり合えないっていうか」


「でしょ!」


 春日は興奮して凛の顔を覗き込んだ。そして、あれ? と思う。


「凛ちゃん、おでこ、怪我してる?」


 凛の額は青黒く変色していた。間近で見ないと髪に隠れて分からなかった。


「何でもな……」


 凛がそう言いかけたとき、空気が切り取られる感じがした。

 すぱって、切り取られて、何かがはめ込まれた……。


 目の前に、バスが一台、止まっていた。


 今日も現れた、お迎えバス。乗車口が音もなく開く。


「ねえ凛ちゃん、このバス、なんでお迎えバスっていうのかな」


「さあ……別に呼んでもいないのに、わざわざ迎えに来てくれるからじゃないの」


 バスが現われて、春日と凛は当然のようにバスに乗車した。

 昨日と同じ場所に座ろうと思ったけれど、先客がいた。春日の母親と同じ年くらいの中年の女性だった。

 なので、春日と凛は一番後ろの長椅子を陣取った。バスの中全体を見ることが出来る。今乗っている人は、春日達を含めて五人だ。凛の言う通りならば、五人とも、生と死のはざまにいる。

 バスが動き出した。

 発進するときと、停止するときこそ振動があるが、走行中のこのバスは実に滑らかな走りだった。道路の上を走っていないみたいだ。だから春日はこのバスに酔うことはなかった。いつまでも乗っていられそうだ。――ふと見ると、バスのフロントガラスが真っ赤に染まっている。


「まあ、綺麗な夕焼けねえ」


 中年の女性が身を乗り出すようにして感嘆した。


「夕焼けなんて、ただの自然現象なのに。馬鹿みたい」


 凛が春日にしか聞こえないような声で呟いた。


「ね、凛ちゃん。周りのみんなって、どうしてどうでもいいことに感動したり、喜んだり泣いたり、怒ったりするんだろうね? めんどくさいし、意味ないよね」


 春日は凛に同意を求めた。


「春日だって、下らないことに一喜一憂してたじゃない。ほら野上のがみさんたちと」


「ああ、静音ちゃんのこと。あれは演技だったんだよー」


 凛に名前で呼ばれて胸がきゅうと締め付けられる。


「適当に合わせないと周りがいろいろうるさくて、結局めんどくさいことになるんだよね。ああやってるのが一番楽だったからやってただけ」


 『子供らしくない。ロボットのようだ。気味が悪い』


 周りの人間は、まだ自分を偽る前の春日をそう評した。

 その言葉に春日が傷つくことはないが、両親は深刻な顔をして毎週のように春日を病院に連れて行く。同じ幼稚園の園児は「お前はおかしい」といって何かとつっかかってくる。春日は頭が良かったので、自分のふつうは他の人間のふつうと違うと、幼いながらにすぐ理解した。

 それを孤独だとか、さみしいとか、分かってほしいとか、春日は思わなかった。別に不満があったわけでもないので、死のうとかも考えなかった。


 ただ凛に出会って、初めての感覚を味わった。もう以前まえには、戻れない。


「凛ちゃん。わたしと、どこまでも一緒に行こう」


 どこまでも、一緒に。

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