第9話 あの頃と今、これから


それは、二人の仙人が二区で大暴れをしていた同刻。ボスが六区に出向き、元仙である三浦タツマを尋ねた時の事だった。


「久しぶりに尋ねてきたと思ったら、まさか、マドカと同じ力を持つ“たまご”がねぇ…」


タツマは所謂仙権を剥奪された“天下り”とは違い、自ら仙をやめた人物で、現在は文化や芸能、様々な企業の中枢が集まるこの六区に身を置いている。主に異形の地位向上や彼らの生活のサポートなどの社会貢献に務めていて、その活躍は目覚ましい。そして彼もまた、200年前の惨事を知る人物の一人だった。


「どう思う?今度は二区が封鎖されるのかな…?」


と尋ねて来るボスに対し、タツマは顎に手を当て、少しばかり考えた。200年前、タツマはまだ仙になったばかりで、直接一区封鎖の計画には関わっていない。故に憶測でしか話せないのだが、どう答えたら良いものか。また同じ事が起こるのでは?とボスは心配している。彼がその考えに至るのは無理もないが、正直なところ、タツマは些か大袈裟ではないかと思っていた。


「さあな。あの時とは少し状況が違うし、天仙が二区の封鎖に踏み切るかどうかについては、少し疑問だな」


「……どうして?異形殲滅は仙の最終目標じゃないか。“たまご”が見つかったのは連中にしてみれば、絶好の機会だろう?」


「一部過激派の話だろ、そりゃあ」


タツマはそう言って眉を顰め、それからギシギシと音を鳴らしながら深く椅子に腰掛け、続けた。


「異形殲滅の為の封鎖なんて、そんな簡単に実行できるものじゃないだろ。大体、土地が減って経済活動が縮小するデメリットの方が大きいし、下手に隣接区域の奴らの恐怖心を煽って、異形が増えても困る。積極的に二区の封鎖を進める意味が分からない」


そうは言ったものの、タツマも自身の見解に100%の確信を持てているわけでは無かった。なんせ、タツマが仙を辞めたのは数十年も前の話。その姿も考え方も、仙だったあの頃と比べれば、だいぶ変わってしまった。仙を辞めてから、これ程までに時の流れが早いとは。そんな事を思いながら、タツマは皺の深い手で懐からタバコを一本取り出すと、火をつけた。ノロノロと一本の煙が宙に伸びていく。彼は遠くの景色に昔の光景を重ね、窓の外を眺めていた。


「…………その“たまご”には何か別の目的があるのかも。そもそも、一区封鎖も妥協案だったって言うのが当時の仙の認識だからな」


「妥協案ね…」


ふと、タバコの煙が横に流れ始めた。ハッとして、タツマが椅子ごと振り返れば、ボス周りに風が静かに巻き起こっている。事務所の机に置いてあった数枚の書類がふわりと舞い上がり、ペラペラと音を立てて床に落ちた。


「その妥協案で、マドカは犠牲になったんだよ…被害をくい止める為に封印の要になって……」


ボスの声色はまだ冷静さを保っているようだったが、側の湯呑みがカタカタと震え始めていた。


「あいつが、マドカをあそこに縛ったんだ…」


(相変わらずだな……)


彼は今でも当時の怒りを覚えているのだ。普段はのらりくらりとしてるくせに、彼女の事になると、どうにも激しく取り乱す。


(愛ゆえの苦しみか……。さっさと捨て置けば良いものを…)


まぁ、それが出来ないからボスなのだが。哀れな彼を見て、何だかタツマまで切ない気持ちになったが、湯呑みが割れる前に彼の怒りを鎮めなければ。こんな所で暴れられたらひとたまりも無い。六区に住まう人間は、異形を見たこと無い連中ばかりなのだ。術で人らしく見せることは出来ても、こんな不思議な光景を目の当たりにしてしまったら、絶対驚くだろう。


「…はぁ。まあ、落ち着けよ、宮守。その話はもう何百回もしたろ?」


タツマは未だに当時の怒りを露わにするボスにうんざりしながらも、彼の身に起きた不幸な出来事に思いを馳せるのだった。

曰く、あの日、ボスこと、まだ若かりし宮守は、マドカに言われるまま二区へと向かう列車に乗ったのだ。200年前の当時、一区では人と異形の関係性は緊張状態にあり、互いの不満は膨れ上がる一方だった。そんな中、とある事件をきっかけに争いが勃発。呪いが爆発的に弾けた。一区封鎖が始まったのはボスがそこを離れたすぐ後の事だったらしい。


「思い出すと辛くて苦しいんだろうが、泣いて何かが変わるわけじゃない」


「……うん」


ボスは半べそをかきながらも、タツマの言葉でいくらか落ち着きを取り戻したようで、こくりと返事をした。当人としてもやるせ無いのだろう。ボスはマドカに知らぬ間に助けられ、マドカは呪いを食い止めるために自らを犠牲にした。彼はそんな彼女を救えなかった事をずっと悔いている。200年も経っているのに、彼女を失った悲しみの傷が未だに癒えていないのだ。癒えない傷は膿が溜まり、そしていつの間にか、その姿を化け物に変えてしまった。なんとも哀れな話である。タツマは深いため息をついた。


「ったく。いつまでメソメソしてるんだ!シャキッとしないか!マドカの二の前にするつもりか?」


その言葉にボスはハッとした。


「そのメグルって子を救う為に、今日はここに来たんだろ?」


「……うん」


「だったら、どうするべきか、一緒に考るぞ。話はそれからだ」


「うん……」


ボスは前を見上げた。目の前には老人が、200年前と同じ真っ直ぐな眼差しでこちらを見つめていた。年老いても彼は彼だった。『二区を一区の様にしない為に、“掃除“をしたらどうか』と提案してくれた若い仙人は、こうして今も変わらず、自分を励まそうとしてくれる。なんだか懐かしくて、ボスがふふっと笑いを溢すと、タツマは訝しげにこちらを睨んできた。


「何笑ってる」


「いや、さすがタツマさんだと思って。気を悪くしないで。感謝してるんだ。君の前向きな姿勢にはいつも助けられてる。私も出来れば君のようになりたいと思うのだけど、結局、あの頃となんも変わっちゃいない。だから、呪いに飲まれてしまったんだろうね…」


ボスはそう言って、黒く長細い自分の指を眺めた。もう慣れたもんだと思っていたが、異形化の事も少なからず嘆いているのか。そんな哀れな友人を前に、タツマは眉を下げ、深いため息を漏らした。


「はぁ。それ以上、自分を責めるなよ。確かに、怒りで本来の目的を忘れるのは悪い癖だが、お前は良くやってる。掃除、頑張ってるらしいじゃないか」


「……」


タツマの手がボスの肩に程よい重みでのしかかる。かつて、ボスに掃除屋になる様に勧めた時のように。あの時の若々しい手は、今はもう骨の形が浮き出ていて、目元には深い幾つもの皺が刻まれている。タツマも随分歳をとったと思った。変わりゆく友人。変わらない自分。その差に寂しさを覚えた。


「以前に比べて、二区の瘴気がマシになっているのは周知の事実だ。優秀な掃除屋の噂は界隈では有名だぞ」


タツマはそう続けた。


(優秀な掃除屋か……)


瘴気を祓うと決めてから200年。悲しみを紛らわすぐらいのつもりで、黙々と続けてきた。そして、いつの間にか“掃除屋”なんて呼ばれるようになって、気がついたら仕事になっていた。


「……私だけの力じゃ無いよ。今いる部下が頑張ってくれてるんだ」


「そうか」


「自慢の息子なんだよ。ちょっと生意気なところもあるけどね」






「まあ、こっちもこっちで色々あって、タツマさんにメグルちゃんの事について相談して貰ってたってわけ〜。みんなが揉めてる時に居なくてごめんよー」


「いや、そんな軽いノリで言われても…」


さて、話はメグル誘拐未遂事件後の二区に戻る。先日の一件を受けてボスが話があるからと、セイタ達はフィオの家に集められた。彼らが大変な目にあっている間、ボスは何をしていたのかというと、あの有名な元・仙、三浦タツマに会いに行っていたという。二人でメグルと二区の今後について話し合ったそうだが、曰く、現時点では二区封鎖はメリットよりデメリットの方が大きい。土地も経済的にも縮小するし、呪いの瘴気だって、今すぐ遮らないといけないほど濃くは無い。との事だった。

だが、これだけの説明では流石に疑問が湧く。セイタは眉を潜めながら、ボスに向かって尋ねた。


「“封鎖が起こらない“ってなら、向こうはどうしてメグルを狙うんです?」


「ちょっと待って。封鎖は起こらないってのは、あくまで、その元仙の考えでしょ。私の先生は、ありえない話じゃ無いって言ってたけど…」


そう突っかかってきたのはサイカだ。彼女の瞳には焦りが見え隠れしていたが、そりゃ無理もない。二区が封鎖されるかも知れないと思い、自分の夢を犠牲にしてまで、彼女はメグルを守ったのだ。なのに、“実は封鎖なんか起きません”と言われてみろ。彼女にしてみれば、とんだ骨折り損だ。


「うーん、現役の仙人がそう言ったってんなら、まあ考えものだけどねぇ」


すると、ボスは腕を組んでそんなふうにこぼした。


封鎖の可能性は低いってタツマさんは見てるだけだからね。そもそも、仙の時間感覚はアテにならないし、状況が変われば、封鎖せざるを得ない事にだってなるかも知れない」


「どんな状況よ、それ」


とサイカ。


「呪いの瘴気が強くなった時とか」


「……そうならない為に、あなたたち掃除屋がいるのよね?」


サイカのその鋭い指摘に、ボスとセイタは目を点にし、それから互いに視線を交わした。


「……まあ」


気の抜けた、自信のない返事が彼らから漏れる。すると、サイカの口から深いため息が呪詛のように漏れた。


「はぁ。馬鹿馬鹿しい。封鎖の件と関係ないなら、メグルちゃんは天仙様に返すのが筋なんじゃないの?」


そして、放たれた衝撃的な一言。セイタはその瞬間、思わず立ち上がり、眉を吊り上げた。


「はあ!?あんた、どっちの味方だよ!!」


「味方も何も、私は二区封鎖に反対だっただけよ。そもそも、天仙様の目的がどうの以前に、メグルちゃんは元から天仙様のものだもの。メグルちゃんと封鎖に因果関係がないなら、余計な事しないで早めにお返しするべきよ!」


「メグルの事、モノとか言うのやめろ!!」


セイタの怒気が益々強くなった。仙や仙女ってのはこんな奴ばかりで、つくづく嫌になる。サイカも今は仙では無いにしろ、結局その根底には仙の考えが染み付いているのだ。


「大体、天仙はメグルを別の目的の為に利用しようとしてるかも知れないんだぞ!」


「だから、その話自体、憶測の域を出ないじゃない!大丈夫よ、天仙様なら私達を悪い方に導いたりしない筈だわ」


「あんたの言う“私達“の中に、二区の連中は含まれてるのかよ!?」


「それは……」


サイカは言葉に詰まってしまった。いくら天仙でも無闇に異形を殺すような事はしない。でも、一区封鎖の際、多くの異形と幾らかの人間と仙が犠牲になったのは事実だ。


「下層区の連中は異形を忌み嫌ってる。私も、天仙が態々異形たちを助けるような行動を取るとは思えない」


神妙な面持ちで今まで黙っていたフィオもそんな事を言ってきた。確かに、彼らの言い分も一理ある。サイカはしゅんとして、肩を落とした。そんな彼女に追い討ちをかけるようにセイタは付け加えてきた。


「フィオ姉ぇの言う通りだ。前例がある以上、目的が分からないなら、メグルを渡す事なんて出来ない」


家族が酷い目に遭うのはもうごめんだ。特に、仙が絡んでいるなら尚更。憎しみか、はたまた執着か、何とも言えないドロっとした思いがセイタの胸に渦巻き、眉間の皺がどんどん深くなる。そんな時、彼の目の前にブラシがひょいっと現れた。何だよと、ブラシが倒れてきた方に視線を下げれば、メグルが小さな両手で彼を支えていた。


「こらこら、セイタ、その辺にしておけ。一旦落ち着いて話そうぜ」


いつもはキイキイ、耳に刺さる様な喋り方ばっかりな癖に、こういう時のブラシは本当に冷静だ。その優しい声に、セイタも自然と身体から力が抜ける。

彼の気が静まったのを確認したブラシは、ふうっとため息をつく様に毛束を萎びらせると、くるりとサイカの方を向いた。


「サイカ、まあそう落ち込むな。俺たちはお前さんに感謝してるんだぜ?」


「でも…私は正しい事をしたのかよく分からない」


彼女は伏せ目がちに呟いた。


「正しいかどうかは、結局その人の基準だからな。少なくとも、メグルにとっては正しい選択だったと思うぞ」


ブラシが言うと、メグルも「うん」と頷いた。


「メグルは“せん”にはつかまらないの。かかさまとのお約束だから」


「…約束?」


「うん。かかさまは“せん”に捕まっちゃったんだって。だから本当はメグル、生まれちゃダメだったんだけど、白い世界がやぶれちゃったの」


「なんの…話?」


サイカの目に不安が宿る。隣で聞いていたフィオも疑問に思ったのか、ボスやセイタに視線を流す。だが、彼らもそれに応えてやれるほど、余裕はなかった。


「繭の中での、記憶か…?」


「うん…えっと、ね…」


メグルは言葉を紡ぎ出すのに精一杯だったようで、その声はボソボソと小さくなっていく。


「かかさまが、泣いてて、うっくっ……それで、セイタに、ついて行けって…ひっく、うぅ、ううわぁん」


「あー、あー、大丈夫だから、ほら、メグル」


嗚咽混じりに話していたメグルは涙をボロボロと溢し、とうとう声を上げて泣き出してしまった。慌ててセイタはメグルを抱き抱え、背中をポンポンと叩いてやる。メグルはセイタの腕の中で、その小さな拳で服をギュッと力強く握りしめ、顔を埋めていた。


「ブラシ、知ってたのか?」


と、セイタは何となく聞いてみた。すると、ブラシは毛を萎びらせる。


「いやぁ…知ってたってより、メグルがいた場所、変だったろ?」


「まあ…」


「どんな所に居たのよ?」


とフィオが訪ねてきたので、ブラシはまた毛束をしならせると、あの時のことについて語り始めた。


「三区の廃工場の秘密のプラント、とでも言えば良いのか。部屋の入り口には、呪い除けの紋様がびっしり描かれていてな。おまけにセイタが“天仙のものだ”って言うから、余計変だと思ってな」


「…どうして?というか、よくそれが天仙様の紋様って分かったわね」


とサイカが眉を顰めるが、「何だっていいだろ。そこは重要じゃ無い」とセイタは一蹴した。


「下層区なら兎も角、三区みたいな上層区に天仙が関わる程の何かがあったら、それだけで異常事態なんだよ」


「…ふーん」


サイカは納得していない様子だったが、渋々ブラシの話を黙って聴くことにした。


「ま、そういう事。んで、覗いてみたら中には大きな繭があって、すげー濃い瘴気が充満してた。それこそ耐性持ちの奴らでも、呪いの影響を強く受けるほどにな」


「え?」とサイカがまた眉を顰める。じゃ、何でセイタは人間のままなのか。彼女は咄嗟に彼の姿を確認したが、やっぱりどこもかしこも人間にしか見えなかった。


「そうだ、サイカ。セイタには一切効いて無かった。護符もしてなかったのにだ」


「……どうして?」


「俺は、その理由はあの呪いを発してた繭にあると思う。あれが、メグルの言う“かかさま“だとしたら?メグルの母親は仙人たちの脅威からメグルを守ろうとして異形になったんじゃないか?」


「…あの繭が、異形?」


「……そうだ。異形にはそれぞれ違った特性や能力がある。例えば、あの瘴気が仙だけに、あるいはメグルを狙う者だけに強く効くものだとしたら、セイタが影響を受けなかったのも説明がつく。繭の呪いの瘴気のせいでメグルに手を出せなくなった仙人たちは渋々、繭ごとあのプラントに封印した…」


「なるほど、ブラシ。一応筋が通ってるね。でも、それだと天仙はメグルちゃんが生まれる前から……」


ブラシの考察にウキウキ気分で応えていたボスが突然言葉を詰まらせた。どうしたのだろう。セイタが「あの」と声をかけると、ボスの雑面がパキッと変な音を立てた。


「いや、何でもない…。ただ、メグルちゃんの出生は計画的なものだったんだと、思って……」


そう続けるボスだが、なんだかぎこちない。ブラシの仮説に則れば、その答えに行き着くのもあり得る話だ。なのに、ボスは何を怯えているのだろう。手が若干震えていた。


「まー、憶測はこの辺にして、本題に入りましょうか」


空元気のように声が響く。一同はしんと静まりながら、ボスに視線を向けた。


「と言うわけで、このままじゃ、天仙に良いようにしてやられるかも知れない。メグルちゃんの安全は保証されない。なので、天仙に喧嘩を売ろうと思うの」


「喧嘩って?」


「メグルちゃんの存在と二区封鎖の陰謀論をばら撒くぞって脅しかけるのよ」


「…はあ?」


全員の声がボスの提案にシンクロした。


「何考えてるんです、ボス?そりゃ、信じる人もいるかも分からんですけど、タツマさんの見立てでも可能性は低いんでしょ?意味あります?それ」


「まあまあ、セイタ。この際、封鎖が真実かどうかは問題じゃない。私達にはメグルちゃんを家族として守りきる状況と力が必要なのさ。だから二区の連中に手伝ってもらう」


「つまり…封鎖で、二区の民衆の不安を煽って、メグルを八区に渡せない状況をつくるってわけか」


「流石、ブラシ!そう言う事。この子の存在に、封鎖が絡んでるってなれば、異形達も黙ってないでしょ?みんな、自分の今後に関わる事なんだから」


「そう上手くいくかしら?私はセイタの言うとおりだと思うわ。二区封鎖を信じてるのって、それこそ200年前を知る、ごく少数の異形ぐらいでしょ。現代人は、ポンとでた情報に流されるほど馬鹿じゃないわよ」


と、フィオが難色を示してきた。確かに、封鎖の噂自体は昔からあったものだし、いつ起こるかも分からない事に常日頃から不安を感じるほど、二区の連中は繊細じゃない。だが、ボスはヒラヒラと手を仰いで余裕たっぷりに応えた。


「その辺は大丈夫よ。言ったでしょ?これは、あくまで脅しなの」


「……それだけの抑止力があるの?」


「こう言うのは圧力が掛かるだけで十分なの。八区にとっては民衆の不安を煽られるのは都合が悪いのは確かだよ。もう先方には連絡してあるわ」



——天仙へ

あんた、メグルちゃんの事、どーーーーしても欲しいみたいだけど、また200年前と同じような事する気なら、ただじゃおかないから——


「何だ、この手紙は?」


八区。天仙は手元の紙をギュッと力一杯に握りしめた。お陰でその紙は、深い皺が入り込みぐちゃぐちゃに。先日の作戦の失敗の報告を受け、天仙は機嫌がすこぶる悪かったのだ。おまけに、作戦に失敗したその景吾の師である葛城が、弟子の代わりにのこのこ現れたと思えば、ふざけた手紙を寄越す始末。わなわなと震える主君に、葛城は深々と頭を下げた。


「は、任務に向かった弟子の懐に紛れていた様でして」


すると、葛城が全てを言い終える前に、ビリビリと破れる音がこだまする。流石の天仙も堪忍袋の緒が切れたのかと思って、葛城が様子を伺う様に顔をあげると、ちょうど天仙の頭の位置に紙吹雪が舞っていた。


「おのれ」


散り散りになった紙くずはスルスルと宙を舞い、不自然な動きを見せたかと思えば一箇所に集まりヒトの口の形を模す。一体何の術なのだろうと思った束の間、それは急に調子のいい声で話し始めた。


『やっほー、天仙。久しぶりぃ。また、呪いを肩代わり出来るたまごが見つかって良かったねぇ。今度は二区を封鎖するのカナァ?』


「なっ…!」


と声をあげる葛城。天仙は微動だにせず、“口“をただ睨みつける。


『私たち、流石にまたあんな風に殺されそうになるのは嫌だからさ。この際、“たまご”の存在と、封鎖の危機が迫ってる事、みんなに公表しようと思うのよね』


神殿内の空気が張り詰める。葛城はごくりと喉を鳴らした。


『そしたらまた、人と異形は争い合うのかしら?きっと、“たまご“も無事じゃ済まないわね…ふふ』


「……目的は何だ」


すると、“口”はにっこりと口角を上げた。


『……話が早くて助かるわ』




「つまり、メグルちゃんを人質にして、かつ、民衆の混乱を引き起こさない代わりに、こちらには手を出すなと…」


ボスの話を受けて、フィオが渋い顔をしながら応えた。


「ま、そんなとこ」


「……」


果たして、こんな案で良いのだろうか。セイタの中にある不安は大きくなる一方だ。あちらがどれだけメグルを欲しているかにもよるが、それこそ、このまま緊張関係が続けば、いよいよ本当に仙と異形の全面戦争になるかも知れない。勝手に事を進めようとするのはボスの得意分野だから、今更何も言う気も起きないが、メグルの事を世間に晒すのは、返って敵を増やしそうな気がしてならない。


(こいつが呪いを肩代わり出来るって知ったら、異形たちはどうするんだろう…)


人間に戻りたい奴、異形化を止めたい奴、そんな奴は星の数ほどいる。そんな奴らから、自分はこの子をちゃんと守れるだろうか。メグルの方を見つめれば、泣き疲れたのか彼女はセイタの腕の中ですやすやと眠っていた。

すると、またフィオが、怪訝な表情でボスに物申す。やっぱりこの作戦には不安要素が多いのだ。


「…そりゃ、メグルちゃんがこちらにいる事で、ある程度は圧力は掛かるかも知れないけど、民衆を動かすだけの力が私たちにある事を証明できないと難しくない?」


彼女の言う通りだ。封鎖の件を知ったところで、二区の連中が実際に行動に起こすかどうかはまた別の話。脅し自体が成立しない事だってある。だが、チッチッチとボスは指をふる。


「私が帰ってきた日、サイカさんともう一人の仙人が暴れてくれたろ?あれが結構効いてるみたいなんだよね」


「効いてるったって…」


「ほら」


とボスが差し出してきたのは、三区で刊行されている民報誌『民報さんくす』だ。大きな見出しにはこう。


——仙人、二区で大暴れ!?——


3日未明、二区上空にて、八区からやってきた仙の二人が派手に暴れ回る姿を確認された。駅周辺で争いが勃発し、異形十数名を巻き込む事態に。特に駅の屋根の損傷が酷く、被害額は——


「——数百万レイに及ぶって…」


そこまで読み上げたフィオの声がだんだんと詰まる。内容を聞いている間、ずっと眉をひくつかせていたサイカは、まるで古くなった機械人形の如く、首をギチギチと捻らせ、ボスに尋ねた。


「掃除屋さん、兄さんを退かせる時、確か報道は口止めするって…」


「うん。でも、三区の民報誌についてはタツマさんの管轄外だし。て言うかこれ、三区の記者が勝手に書いたものだし」


「な、何それ!?」


「あの場に紛れてたんだろうね…気付かなかったなぁ」


わざとなのか、本当に知らなかったのか、どっちとも付かない飄々とした態度をとるボス。たぶん、わざとなのだろう。だから、そんなに呑気なのだ。この記事は、きっと明日には、八区でいいゴシップ扱いされているに違いない。サイカはサーっと顔を青くして、頭を抱えた。この記事を見て目を丸くする景吾と先生の顔が容易に想像できる。すると、そんな彼女の横で、追い討ちをかけるようにフィオが徐に続きを読み上げ始めた。


「…街の人によると、今回暴れた仙は、調査名目で二区を訪れていたようだ。二区では長年、封鎖の可能性が示唆されてきたが、いよいよその線が濃厚に——…って!」


段々と早口になったかと思えば、ダンっと民報誌をテーブルに叩きつけるフィオ。その音に一同、びくりと肩を振るわせた。


「良いの、これ!?」


フィオが怒鳴る。すると、ボスは得意げに返すのだ。


「三区の連中は、誰よりも異形私たちを恐れてるからね。火種の準備は万端さ」

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二区の掃除屋 おかもと瑛 @0kamotoEi

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