第8話 サイカ②

二人の仙人が寂れた駅の構内であいまみえていた。二人の間には、不穏な風が通り抜ける。


「なんだ?」


「……200年前の封鎖の話を先生にしたらね、動揺してたの」


メグルは何かの鍵を握っている。それは確かだ。でも、それが具体的に何なのか、サイカには知らされていない。


「……一体、“たまご”を回収して何をするつもりなの?」


セイタは知っている。いや、勘づいている、と言った方が良いだろうか。先生はそれを懸念していた。景吾はどうなのだろう。


「なんだ、お前。なんか悪い奴に唆されでもしたか?」


景吾の目が細く弧を描いた。優しく見えて、どこか不気味な微笑み。サイカは昔からこの目が苦手だった。


「…ううん、違うの。ただ、ここの人たちと関わってみて、少し思うところがあって」


「うん?」


景吾の瞳がサイカを捉える。サイカは一瞬どきりとした。


「あ、あの…異形達って、巷で言われてる程、悪い連中じゃないと思うの。だから、もし“たまご”が封鎖に関係してたら——」


「サイカ」


景吾の声が暗く響いた。次の瞬間、サイカの口元は物凄い力でギリギリと押さえつけられていた。


「ぐっ!」


頬が痛い。景吾の指がサイカの頬にマスクごと食い込んでくる。何が起きたのか、まるで反応できなかった。


「なぁ、お前の任務はなんだ?」


「…“たまご”の視察、と…だ、奪還」


「そうだ。余計な事は考えるな。ましてや異形に気をかけるなんて」


パッと景吾の手が外れた。苦しさから解放されたサイカの肺に一気に空気が流れ込む。その反動で、サイカはゴホゴホと激しく咳き込んだ。景吾の蔑むような眼差しがこちらに向けられている。彼は怒っているのだ。何故そこまで?と考える暇もなく、今度はうさぎの面についた両耳を引っ張られた。


「良いか、奴らは呪いにも打ち勝てないクズだ。仙になる素質もない、人間の落ちこぼれ。自分の生まれた環境をただ嘆き、碌な努力もせず、挙句望みが叶わない原因を、やれ環境だ、他人がどうのと責任を周りに押し付け、恨み呪う。そういう弱い連中が、今も尚蔓延っているから、呪いは永遠に無くならないんだ。全くもって迷惑な話だ」


「そんな言い方…しなくても」


「ふっ。サイカ、だからお前は仙として半人前なんだ。余計な感情は捨てろ。この地下世界では望みのある奴だけが生きる資格がある。お前や俺のようにな」


お前や俺。そんな限定的な言葉が、サイカの胸にチクリと刺さる。果たして自分は、本当に景吾と同じ場所に立てているのだろうか。そんな疑問がサイカの胸のうちにモヤモヤと濃い霧を渦巻いていく。景吾は学生の頃から優秀で、同年代の中では頭ひとつ抜けていた。現に、一番に仙の試験に合格したのも彼。対して、サイカは適性検査ではいつも引っかかっていた問題児。今回の仮合格だってまぐれだと言われていたのだ。仙に成れない可能性の方が寧ろ高かった。


(仮にもし、私が仙の試験に合格できなくて、只人であったら、兄さんはそれでも同じこと言ってくれたかな…)


只人であれば、呪いの影響を受けやすくなる。そのせいで、サイカが異形になったら、きっと景吾は自分を簡単に見捨てるのだろう。


「…兄さんは、異形達が居なくなれば良いと思ってるの?」


「ああ。当然だ」


竹を割ったように真っ直ぐで、迷いのない返事だった。その瞬間、サイカは「やっぱりか」という落胆の気持ちと、足元が崩れていくような失望感に苛まれた。あれだけ慕っていた兄弟子だったが、やはり、自分は彼の様にはなれないのだと悟った。考え方に決定的な差がある。広がり過ぎた溝は、もうきっと埋まる事はないのだろう。前まではあんなにその差をうめたくて、ただひたすら頑張っていたのに、今はそのことに嫌悪感さえ覚える。一体、自分は何に近づきたくて、何なりたかったのだろう。そう思ったら、サイカは悲しかった。それから、俯き、そしてボソリと溢すのだった。


「……ごめん」


それは何への謝罪なのか、正直自分でもよくわかっていなかった。ただ、いい別れの言葉が思いつかなくて、口から溢れた言葉がそれだった。


「そう言う事なら、やっぱり、“たまご”は二区ここにあった方が良いのかも知れない」


「は?」


パシッとサイカの手が景吾の手首を掴んだ。次の瞬間、サイカの左足が勢いよく景吾の頭を蹴り飛ばした。


「ぐっ!サイカ、お前!!」


その瞬間、勢い余って兎の面の片耳が千切れてしまった。せっかく良いものを作って貰ったのに残念だ。サイカは景吾の右手の中で散り散りになっていく面のカケラを見て、胸が痛んだが、悲しんでいる余裕などない。涙とカケラが宙を舞う中、サイカは咄嗟に大勢を低くした。


「っ!!」


駅の入場口から衝撃音が鳴り響く。爆風と共に辺りに飛び散る瓦礫と立ち込める砂埃。一瞬にして駅の周りは騒然とし、異形たちは突然の異変に慄いた。


「見ろ!あれ!」


誰かが闇を指差す。欠けた月提灯が宙に浮かぶ二人の人影を薄く照らしていた。


「…仙人か?」


他の二区の住民たちもその存在に気付いたようだ。


「サイカ、何の真似だ」


景吾は眉ひとつ動かした様子はなく、相変わらず冷静だった。


「……」


サイカが口からペッと塩辛い唾を吐き出せば、血が混ざっていた。口元をぐっと拭うと、お気に入りのジャケットの袖口が真っ赤に汚れる。景吾の本気の拳。さすがにただの不意打ちで勝てる相手ではないらしい。やってやろうとしたら、逆に怪我を負わされた。


(参ったな。仙じゃなかったら死んでた…)


「黙っていては分からないぞ」


「……私はここの人たちが居なくなれば良いとは思ってない」


すると、景吾は鼻で笑った。


「相変わらず甘いな。すぐ情に流されては、大義を見失う。お前は周りの為に何かしているつもりかも知れんが、結局は自分の自己満足でしかない。いつまでもそのようでは、いずれ全てを失うぞ」


「……兄さんの言う、大義って何?」


「無論、仙として、人々を呪いから解放し、より良い社会へと導く事だ。その為にはどうしても選別は必要。全員は救えない」


「だから異形を見捨てるの?」


「既に呪われた連中を生かし続けて何になる?」


「現段階で治療方法が無いのは残念な事だけど、そこまで毛嫌いする必要ある?彼らが何をしたって言うのよ」


すると、景吾はそれはそれは深いため息をついた。


「はぁ。お前は何も分かっていない。……良いだろう。この際だから教えてやる」


何を偉そうに言い出すのかと思えば、景吾はニヤリと笑った。


「そもそも、呪いに異形も人間も仙も関係ない。呪いを生むのは何かを恐れる心だ」


「どう言う事?」


「人は、仙にも異形にもなる。その違いは、自分の欲や恐怖、そういう強い感情を制御できるかできないかの僅かな差でしかない」


瞬く間に、数メートルほど離れていたはずの景吾が、サイカの直ぐ目の前に現れた。


「異形になるような連中は、大抵自分の感情を制御出来ない奴らばかりだ。特にそう言う奴らの恨みや悲しみの念は、強くて厄介なのが多い」


それから、サイカに差し出される一つ目の念の塊。一体いつの間に捕まえたのだろう。念の塊は景吾に鷲掴みにされて、バタバタと4本の足を暴れさせていた。苦しそうだと思った次の瞬間には、景吾の手に力が籠り、サイカが止める間もなく、圧力に耐えかねたその身体は、四方に散り散りになって破裂した。そして、ベチャッと嫌な音を立てて、黒い粘り気のあるものがサイカに顔にこびりつく。


——助けて

——なんて醜い。お前さえ、いなければ…

——嫌だ!見捨てないで!!

——許さない。殺してやる!!


「!?」


頭の中に悲痛な叫び声がこだまし、サイカは思わず耳を塞ぐ。一体なんだと言うのだ。


「仙になった今のお前なら、念に籠った声が聞こえるだろ?こんなのが、ここにはわんさか居るんだ。増えすぎれば、また新たな呪いを生み出すだけ。良いことなんて一つもない」


真っ黒な血で汚れた右手を払うと、景吾は常夜の街を見下ろしながら続けた。駅の前には人だかりが出来ている。異形たちは駅の惨状を心配しながらも、一部の連中は宙に浮き立つサイカたちをじっと眺めて、様子を伺っていた。


「醜いだろ、呪いに呑まれたあの姿。一度目にすれば、ああはなりたくないと人間たちは一様に思う。それだけでも害悪なんだよ」


身体中に鱗が浮き出た者。四肢が異様に長い者、短い者。目玉が多かったり、ツノが生えていたり、そもそも人の形を失っていたり、様々だ。


「……私はそう思わないわ。だって、言ってみれば異形化したあの姿は、その人の個性でしょ」


すると、景吾は眉を下げ、何故か少し悲しそうな表情を見せた。


「……そう思えるから、お前は仙になる素質があるんだ。誰でも口先だけなら簡単に言える。“異形を差別するな。元は同じ人間だ”だの、ふざけた事を言う連中も居るが、実際はあの姿を見て嫌悪感を覚えない事は難しい。異形は、どうやっても畏怖の対象になんだよ」


「だから、封鎖するの?」


「先生にも言われたんだろ?“たまご”次第だと。まだ決まったわけじゃないが、封鎖にはあの“たまご“の力が必要不可欠だ」


「……」


サイカはメグルの事を考えた。彼女は今、ワニと共に駅構内の柱の影に隠れている。あるいは、自分達が騒ぎを起こしたせいで、とっくに逃げ出しているかもしれない。


「……ごめん、兄さん。やっぱり、納得出来ないよ」


「そうか」


サイカは黒く汚れた袖口を、祈るように自らの額に押し当てた


「例え、大義を全うできずに、全てを失うことになっても、この人たちを犠牲にしてまで、私は長く生きたいと思わないもの」


「はっ。到底、仙になった者の言葉とは思えないな」


「甘いのは分かってる。でも、夢見が悪いのはごめんなの」


価値ある命と豊かな生活は、誰かの悲惨な生死の上に成り立っている。たぶん、景吾の主張は尤もなのだろう。これは、サイカのわがままだ。


「…期待に応えられなくて、ごめんなさい」


サイカが景吾にそう告げると、彼は本当に本当に深いため息をついた。


「サイカ。残念だ」


「ぐっ」


景吾は片手でサイカの首を鷲掴みにし、鋭く睨んできた。


「“たまご”はどこだ」


(心を…読まれる…!?)


純粋な仙力だけなら、サイカの方が景吾を上回っている。だが、力の使い方で言えば、景吾は同世代の中で頭一つ抜けていた。特に景吾は他人の考えを読む読心術に長けている。サイカは咄嗟に別な事を考えてみるが、“たまご”と耳にしてしまった今、あの少女の姿を連想せずにはいられなかった。


「…そうか。駅の中か」


景吾が振り返った先、崩れた屋根の陰からワニの口先がのぞいていた。ワニもこちらの視線に気がついたらしい。彼は咄嗟に口元を隠し、その場から逃げ出した。


「うっ!!」


景吾はサイカを蹴り飛ばし、その反動を使って、弾丸の如く空中から駅へと飛び込んだ。


「うわっ!!」


大きな衝撃音と風圧に、野次馬達は驚きの声をあげる。駅には濃い砂埃が再びわっと立ち込めた。


「な、ななんだよ」


メグルを庇うように、ワニはその小さな手を握りしめる。砂埃に紛れて、景吾の姿がぼんやり顕になった。


「下賤な者が、天仙様のものに触れるなど…」


間合いを十分に保っていた筈なのに、瞬く間に、景吾の姿はワニのすぐ目の前だ。


「なっ!!」


恐怖で咄嗟に目を瞑るワニの耳に、グチョッと何かがこびりつくような嫌な音がする。身体を貫かれたと思った。が、薄目をそっと開けて見ると、足元に流れ落ち大きく広がっていく生暖かいそれは、どう言うわけか真っ赤な色をしていた。


(俺の血じゃ…)


ハッと気づいてワニが今度は目をしっかり開けると、耳の折れたうさぎ面の少女がこちらに背を向けて立っていた。


「おい!お嬢ちゃん!!」


「っ…逃げて」


「でも」


「良いから!!」


サイカは自分の腹に刺さる景吾の右腕が抜けないように、しっかりと両手で掴んでいた。


「お、おう!」


ワニはメグルを抱え、その場から一目散に逃げていく。いくら仙人とはいえ、腹を貫かれているのだ。痛くないわけがないのだが、それでも必死に自分の腕から手を離そうとしないサイカを、景吾はただ真っ直ぐ、温度の無い瞳で見つめていた。


「…分からないな。そこまでする価値があるのか?」


ポタポタと落ちていく血の雫が、足元の血溜まりを大きくしていく。サイカは息を荒くしながらも、ゆっくり応えた。


「価値があるとか、無いとか……そんな事、考えてない」


「……」


「だから兄さんは、仙になってもその程度なのよ」


「っ!!」


サイカがニヤリと笑えば、景吾の表情が陰った。プライドを刺激されて怒るところは、昔のままだ。こんな状況だが、サイカはその事に少し安堵さえした。


「は、はは。何を言うかと思えば。良かろう。そんなに俗世が大事なら、人に戻ればいい」


景吾の右手が刺さる下腹に熱が籠った。咄嗟に腹に力を込めたサイカだったが、それも虚しく一気に景吾の手が自分の腹から抜かれてしまった。


「お前の合格は取り消しだ」


血飛沫と共に出て来た彼の右手には、光り輝く小さくも美しい珠が握られていた。それは、すべての仙にとってとても大事なものだった。


(ああ……綺麗。せっかく、頑張って磨いたのに……)


霞む視界の中で、珠の光が眩しく反射する。その美しさに見惚れながら、その光景と共に、サイカの意識は遠のいていく。


「……残念だよ、サイカ」


その言葉はサイカに届いたのだろうか。その場に倒れ込む彼女を見下ろしながら、景吾は呟いた。さすがに仙の修行をしていただけあって、まだ息はあるみたいだが、このまま血を失えば、やがて簡単に死ぬのだろう。景吾は右手で光り輝く珠をころころと転がしてみた。白く丸く美しい。どうやら、サイカは本当にいいものを持っていたようだ。それ故に、彼女が仙になれないのは本当に残念だと改めて景吾は思った。すると、背後から声がした。


「そう思うなら、それ、お嬢ちゃんに返せよ」


景吾が振り返ると、異形が数名、彼を睨んでいた。


「それ、お嬢ちゃんのなんだろ」


彼は景吾の右手の中にある珠のことを言っているらしい。只人なら気づくこともないだろうが、異形たちはこの珠が本能的になんなのかわかるようだった。


「……下賤の者が私に指図するとはな」


「うるせーよ!ここは俺たちの縄張りだ」

「そうだそうだ!郷に入っては郷に従えってしらねぇのか!」

「仙人だかなんだか知らねぇが、ここでは勝手にさせねぇぞ!」


「はぁ。カスどもが」


「!?なっ!!」


景吾の姿が異形達の視界から消えた。とも思えば、次の瞬間、駅上空には彼らのうち数名の身体が高く飛び上がっていた。


「ガッ!」


一体何が起こったのか。宙高く上がった彼らは、宙からなす術もなくただ落ちてくる。あまりの高さに誰も彼らを受け止める事ができず、彼らは着地と同時に地面に全身を強打し、悲痛な音と悲鳴が辺りに響き渡った。手も足も出ないとはこの事だろう。仙と異形、圧倒的な実力差。異形の血で真っ青に染まる現場に、他の野次馬たちは身体を震わせた。


「や、やべぇーよ」


誰かがそんなことを言うと、ぎろりと景吾の刺すような視線が声のした方向に向けられる。すると、彼は一言、言い放った。


「…掃除屋はどこだ?」


恐ろしい仙が二区にやってきたものだと怯えていた異形たちは、その瞬間、互いに顔を見合わせ「掃除屋?」と首を傾げた。


「お前、見たか?」

「しらねぇよ。あいつが仕事を始めるのは20時以降だろ」

「この時間は、餓鬼連れて公園にいなかったか?」


誰かの声に景吾が振り返る。すると、睨まれた異形たちはまたびくりと肩を震わせた。


「…公園?」


彼らがそんな会話をしていた束の間、駅の壊れた屋根を風の如く駆け抜ける人影の姿があった。物凄い速さで騒ぎの中心に近づいていくるそれは、高く跳び上がったと思ったら、風と砂埃を立てて景吾のすぐ目の前に降り立った。

刺すような鋭い眼光が、砂埃を透けて景吾を睨みつける。濁った視界を切るように、ブンッとデッキブラシが音を立て、景吾の側頭部目掛けてぶつかってくる。景吾は左手でそれをいなし、咄嗟に突然現れたその存在から距離を取った。


「お前…」


風が止む。徐々に鮮明になる視界の中に、作業着のようなものを身に纒う青年が立っていた。その手にはデッキブラシ。怪我を負っているのか、服の胸元が破れていて、そこから染み出した血がこびりつき、黒く乾いていた。


「メグルをどこへやった?」


「メグル?……ああ、“たまご”の事か。あれは元は俺たちのものなんだ。今日はそれを返して貰おうと思ってね」


「返す?寝言は寝ていえ」


セイタはブラシを強く握り直し、体勢を低くする。それに応えるように景吾も身構えた、その時だった。


「そこまで!!!」


ピリッと辺りに響く女性の声。セイタの振り上げた腕がピタリと止まると、集まる異形どもを掻き分けて、車椅子に座った人間の女が一人現れた。次から次へと、色んな奴らが邪魔に入って来る。今度は何だと言うのか。


「保健管理局から派遣されてるフィオよ」


「民間の派遣員…?」


保健管理局といえば、人々の生活衛生状況、健康状態を調査、管理、改善を主な活動としている民間の団体だ。こういった生活に関連した民間の企業や団体はこの地下世界にはいくつかあり、彼らは人間のためのみならず、異形のサポート支援も行っているらしい。耐性持ちの人間が度々そこから派遣され、二区で暮らしている事は景吾も知ってはいたが、実際にこうして二人の人間を目の前にすると、化け物どもの中に放り込まれた生贄のようで哀れだと、ぼんやり思ったのだった。実際彼女は足を悪くしているし、恐らく、ここで過ごすうちに、異形化が進んだのだろう。足元の膝掛けを隠すのは、そういう理由があるのかもしれない。


「何だよ、フィオ姉ぇ」


すると、セイタは、そんなフィオに対して文句を言い放った。だが、彼女はそんな彼に厳しく接した。


「いいから、あんたは退がってなさい」


「退がれって…」


「見なさい。この惨状。駅はめちゃくちゃだし、怪我人多数。異形の連中はすぐ身体がくっつくとして、そっちの女の子は今すぐ手当が必要よ」


そうピシャリと言い放つフィオ。彼女が視線を向けるその先には、蜘蛛男に抱えられてぐったりとするサイカの姿があった。蜘蛛男の糸で腹を止血しているのか、彼女の腹部に巻き付く白い糸束に血が大きく滲んでいた。一体何があったのだろう。セイタは目が覚めてから、慌ててサイカの行方を追って駅までやって来たのだが、自分を襲ったサイカが、どうして怪我を負っているのか。セイタは訳がわからなくて眉を潜めた。


「……あんた、その子の仙の権利、剥奪したわね」


すると、フィオはそんな事を言う。


「え…」


景吾を睨みつけるフィオ。彼女はセイタと違ってこの事態を把握しているらしい。


(仲間割れか?)


景吾は笑っていた。


「どのみち、情に流されているようでは、この子は八区でやっていけない」


「…ふん。だからって、やりすぎじゃないかしら?」


フィオ達が会話を交わす束の間、異形たちは倒れた同胞を介抱し、安全な場所へと移動し始めていた。列車の急ブレーキ音が遠くから聞こえる。2本に伸びた明かりが、街のどこかの鏡に反射して、一瞬だけフィオを照らした。


「この件については正式に八区の方へ連絡させてもらうわ」


「何をふざけた事を…」


「あら?いいの?わたしが所属してる団体の総監は元仙の三浦タツマよ」


数十年前、“天下り”した仙、三浦タツマは八区でも有名な人物だ。彼は民間でいくつかの事業を掛け持ちしていると言う。彼は報道局とも関わりが強い。景吾は、以前先生が彼の件でボヤいていた事をふと思い出した。

列車が走る音は大きくなり、やがてブレーキ音がすぐ背後から響き渡る。プシューと開くドアから男が1人、革靴の底をカツカツと鳴らしながら降りてきた。


「あらら、なーにこれ、凄い事になってるねぇ」


壊れた駅の出入り口から、なんとも緊張感のない声がする。セイタとフィオは深いため息をついた。


「ボス…」

「掃除屋さん…」


足場の悪い瓦礫の上を、よっこらよっこら歩いてやってくる雑面をつけた大男。彼にしては珍しくスーツを着ていた。


「ええっと…セイタにフィオ。それから、君は仙人かぁ」


指で一人一人、誰かを確認するように指し示しながら男は言う。正体を瞬時に見抜かれ、景吾は彼の方へ向き直った。


「何者だ?」


「ああ、ごめんごめん。そこの子の上司。掃除屋の社長だよ」


飄々とした喋り方。体の芯が曲がってしまってるのか、右へ左と重心をゆらゆらと揺らすひょろ長の大男。彼は辺りを見渡した。


「今日さぁ、タツマさんに会ってきたんだけど、これ、本人連れてきた方が良かったねぇ。異形自治区であるここで、仙人がこれだけ暴れたってなったら、流石の民主派も黙ってないんじゃない?」


景吾は揺さぶりを掛けられている。右へ左へと、やじろべえの様にゆらやゆら揺れる大男に。


「他の下層区でも仙に対する風当たり、更に強くなるかもね」


「……盗人のくせに小賢しい」


「え?なんか言った?」


ここで民主派の話を持ち出すとは、二区の住民も嫌な手を使ってくる。こんな馬鹿馬鹿しい事で民衆の反発心を買っては分が悪い。


「……はあ。良いだろう。今日のところは退散する」


「良かった。話が分かるみたいで。タツマさんには僕から口止めしておくよ」


この発言に、フィオは何か文句を言いたそうにしていたが、ボスは彼女を牽制し、続けた。


「で、代わりと言ってはなんだけど、請求書は、八区に直接届ければ良いかな?」


「……調子がいいな」


掃除屋の大男は鼻で笑う。


「よく言われるよ」


景吾は駅の方へ戻る。すれ違いざま、彼は掃除屋の雑面をじっと見つめた。


「……」


一瞬、ピンと張り詰めた緊張感が辺りを支配したが、結局何事もなく景吾は去っていった。


「はぁ…」


肩の力が一気に抜ける。フィオも、その周りにいた異形たちも、一様にホッと胸を撫で下ろした。


「さ、一旦戻って…って!」


フィオが振り返ると、突然ことキレた様にセイタがその場に倒れ込んだ。


「ちょっと、セイタ!!」



暖かい。胸の辺りにかかる重みが心地よい。思わず抱きしめずにはいられない、懐かしい香りがした。


「……あれ、重い」


「セイタ?…ボスぅ!セイタ、おきた!」


「ああ、ほんと?良かったねぇ」


段々と鮮明になる視界。メグルが自分の上に寄りかかってこちらを覗き込んでいた。


「メグル…ここ…」


「フィオの家の隣。町医者のイエアツさんとこだよ」


「ああ、だから…」


だから、周りがカーテンで仕切られているのだ。セイタは起きあがろうとした上体を再び、ベッドに沈ませる。枕からポスッと空気の抜ける音がした。


「大変だったね、セイタ」


半開きだったカーテンをシャーっと音を立てて引いて、ボスが顔を出した。いつもと変わらない雑面だが、心なしがいつもより心配しているように見えた。


「ええ。でも、メグルが無事で良かった。俺、てっきり…」


メグルは相変わらずセイタに抱きついて離れようとしなかった。きっと怖い思いをさせたのだろう。サイカに連れ去られたのかと思ったが、傷もなく無事で良かった。


「ああ、もう少しで連れていかれる所だったよ」


「え」


ブスッとメグルの角がセイタの頬に突き刺さる。


「ワニさんとそこで寝てる、仙女のサイカちゃん?だったかな。2人のお陰。彼女に頼まれて、ワニさんがメグルちゃんを連れて逃げたんだと」


「サイカが…?」


セイタは耳を疑った。彼女は自分を襲った張本人だ。そんな彼女が、なぜ他の仙からメグルを保護しようとしたのか。仲間割れでもしたのだろうか。訳がわからずセイタは眉を潜めた。カーテンの隙間から斜め向かいのベッドに見覚えのある髪型の女性が横たわっているのが見えていた。


「……傷は深いんですか?」


「まあ、普通の人間なら死んでてもおかしくない。流石、元仙の候補生って具合だね」


「……」


「心配かい?」


「……分かりません」


「そうだよねぇ。君に深傷負わせた後、メグルちゃんを誘拐したの、彼女だし」


どう答えて良いのか分からなかった。サイカはセイタを襲い、メグルを危険な目に合わせた。本来なら、すぐ怒鳴り散らしてやりたい所なのだが、彼女のお陰で最終的には助かったらしい。怒りたくても怒れない。何より自分の不甲斐なさが、情けなくて、どうしていいか分からなかった。ボスはそんなセイタの様子に気付いてか、彼女が横たわるベッドの方に視線を向けた。


「何があったのかは分からないけど、途中で心変わりしたみたいだね。お陰でメグルちゃんは無事こうしているわけだし、彼女は彼女で、代償って言い方は変かも知れないけど、大事な物を失ったんだ。今回は痛み分けって事で、セイタ」


つらつらと取り留めのない事を述べていたボスは、ふと、妙に優しく付け加えた。


「彼女のこと、許してあげてね」


許す。それとこれとは問題が違う気もする。彼女が目的のためにセイタを襲った事と、彼女が大事なものを失ったのは別の事だ。彼女の痛みは彼女の問題で、セイタには関係ない。でも、優しくボスにそう言われたら、反論する気にもならなかった。


「……大事なものって?彼女は何を失ったんですか?」


「んー、仙なる資格、みたいな?」


「じゃあ、あいつ、もう仙にはなれないのか」


「うん」


「……」


何がしたかったんだろう。我ながら薄情だとは思うが、心配よりも先に、彼女に対して思った正直な感想だった。


「とりあえず、喧嘩は無し、ね」


ボスはポンと両腿を叩いて立ち上がった。


「…分かった」


「んじゃ、私は少し出てくるから。大人しくしてるんだよ」


「子供扱いやめてください」


「ふふ。メグルちゃんに言ったの。ね」


相変わらずセイタにべったりのメグルはベッドに寄りかかったまま「はーい」と返事を返す。ボスはカーテンを閉め、それから病室を後にしたのだった。


「セイタ、げんき?」


メグルはまんまるの目でセイタを見上げてくる。セイタはその小さな頭にポンと手を乗せた。


「ああ、ごめんな。心配かけたみたいで」


「ううん。でも、おきたらセイタいないの、こわかった」


「…ごめん」


「うん」


風が窓の外から流れてきて、カーテンを揺らした。斜め向かいのベッドにいるサイカが体を起こして、外を眺めているのがチラリと目に入る。


「…」


「ごめん、セイタ」


揺れるカーテンから見える彼女は、悲しげな表情を浮かべていた。ふと何を思ったか、メグルがセイタから離れて、セイタのベッドを仕切っていたカーテンを引っ張った。


「セイタもおねぇちゃんも、どうしてごめんなの?」


「…私、あなたの事、セイタから引き離そうとしたの」


「……?」


首を傾げるメグル。彼女はサイカに対して全く嫌な感情を抱いていないのだろう。誘拐にあったというのに、彼女の中では未だ、サイカは、怪我したセイタの元へ案内しようとしたお姉さん、でしかないのだ。そんなあどけない無垢な表情を浮かべるメグルに、サイカは微笑んだ。


「メグルちゃん、セイタの事、大好きだもんね」


「うん!」


無邪気なメグルの返事に、彼女が無事ならそれで良いかと一瞬絆されそうになったセイタだったが、直ぐに、いや、冷静になれ。と自分に言い聞かせた。ボスに“喧嘩はなし”と言われた手前、病室で派手に揉める様なことをするつもりはないが、いくら心変わりしたとは言え、簡単にサイカを信用できるわけがない。


「…一体どう言う風の吹き回しだよ」


セイタが尋ねると、サイカは肩を落とした。


「……別に。私、やっぱり仙に向いてないって気付いたの」


「分からないな。こうしてメグルが無事で済んでるのは、あんたのお陰だってボスが言ってたから、そこは有り難く思うことにするよ。でも、あんたの事そう簡単に信用も出来ない」


「それは、そうよね…。でも、もう何も出来ないわ。八区にももう二度と戻れないし……」


八区に戻れない。仙になる資格を剥奪されたのは本当のようだ。セイタの脳裏には以前、メグルを捕まえようとしていた天下りの仙の姿が思い出された。彼はあの後、異形化が進行し、自ら人のまま死んでいくことを選んだ。あの時の彼の表情はには、なんとも言い難い苦しみや悔しさが滲み出ていた。


「仙になるのって凄く難しいんだろ?そんな簡単に諦められるものなのか?」


「……簡単じゃないわよ」


サイカの目には涙が浮かんでいた。


「父さんと母さんになんで言えば…先生だってあんなに期待してくれてたのに……」


「え、ちょっ…」


彼女の声が震えている。泣くくらいなら、なんで途中で心変わりしたんだと思ったセイタだったが、今それを聞くのは野暮過ぎるだろう。どうしたものか、かけるべき言葉が見つからない。怒ったと思ったら泣き出すなんて、まるでメグルみたいだ。いや、というより、女という生き物は皆こうなのだろうか。そんな風にセイタがオドオドと戸惑っていると、彼女はズビーッと鼻をかみ、伏せ目がちにポロっとこぼした。


「私、ほとんど勢いだけで、兄さんに逆らったの」


兄さん、とはあの場に居た、半分だけ顔を隠したもう1人の仙の事だろうか。


「……あれ、あんたの兄貴だったのか」


「兄弟子。血は繋がってないの。先生が同じで」


「ああ、そういう…」


「うん。兄さんは優秀で、同世代の中で一番に仙になったの。私がグズだから任務の手助けに来てくれたんだけど、私、兄さんの考えにはどうしても賛同できなくて……」


「……意見の食い違いってやつか?」


すると、サイカは力の抜けた顔でヘラッと笑った。


「……どうだろう?本当は単に悔しくて羨しかっただけなのかも……。兄さんは多分間違ったことは言ってない。ただ、私は兄さんみたいに非情な考えが好きじゃ無かったのよ。封鎖の件も有耶無耶にされるし……。そもそも理由もわからないのに、メグルちゃんを親代わりの君から引き離すのも可哀想じゃない?余計なことは知らなくて良いなんて、人の事をバカにしすぎよ。そりゃ反抗したくもなるわ」


「…変わってるな、あんた」


「そう?だって、何事もちゃんと自分で納得してから行動したいじゃない?それが、善か悪かはおいておいて」


やっと彼女と視線があったと思ったら、さっきまで落ち込んでいた彼女はどこへやら。初めて会った時と同じ、少し生意気そうで、どこか強気な瞳がこちらを見つめていた。確かに、彼女の言い分はもっともだとセイタは思うのだが、それでも、自分の意思を通した結果、仙の資格を失っては元も子もないではないか。さっきまで半べそかいていたくせに、全く何を言っているんだか。思わずため息が漏れた。


「善か悪ね……。曖昧な基準だな。人や仙にとっちゃ二区ここも異形もただ疎ましいだけの存在だろ。俺たちは悪でしかない」


窓の外を眺めると、常夜の街の無数の灯りが目に煩く反射する。悍ましいと言われ忌み嫌われていたこの街の景色は、遠くから見れば星空の様でもあった。すると「そうかしら?」とサイカの剽軽な声がする。


「少なくとも私はこの街の事、嫌いじゃないわよ」


サイカはそう真顔で返してきた。なるほど、やっと理解できた。それが今回の彼女の行動理由らしい。セイタは深くため息をついた。


「あんた、本当に仙に向かないな」



ボスは病室を出た後、隣のフィオの歯医者へと出向いた。相変わらず、外観は悪趣味で派手な照明だ。目がチカチカするなと思いながら、ボスは勝手口から彼女の家の中へ入った。


「おじゃまぁー…」


入るなり、キッチン脇でお湯をティーポットに捧ぐフィオと目が合った。


「どう、掃除屋さん。セイタの様子は」


「ああ。胸の傷は深かったみたいだけど、大丈夫みたい。応急処置が良かったんじゃないかな」


テーブルの上にはケーキが二つ。フィオの席前に一つと、向かいの席に一つ用意されていた。相変わらず用意がいい。ボスはウキウキしながら彼女と共に向かい合うように座った。


「応急処置……」


何故か首を傾げるフィオ。ボスは不思議に思いながら付け加えた。


「うん。ってお医者さんが言ってたよ」


「…あの子、自分でやったのかしら」


「さあ?誰かに助けてもらったんじゃない?」


だとしたら親切な異形が居たものだとフィオは思った。良くそのままバラされて回収屋送りにならなかったものである。しかし、最近の掃除屋としてのセイタの活躍を考えれば、そういう事も無くはないのかも知れない。鬼神の如し二区の掃除屋。人間の少年が異形の為に働いているのだ。それをやっかむ者もいれば、崇拝じみた感情を持つ者もいる。きっと後者のような連中に助けられたのだろう。


「…そうね。所で、掃除屋さん。聞きたいことがあるんだけど」


ボスがフォークに手を出す前に、彼女の手がバシンッとそれを押さえつける。これじゃケーキが食べれない。なんだよとボスは眉を潜めた。まあ、彼女にはボスの顔は見えないのだけど。


「うむ。ケーキ食べてからじゃだめ?」


「だめ」


即答だった。


「うむ。なんだい?」


「あの子。メグルちゃんの事だけど、何者なの?」


「何者って…ただの子供だよ」


「ただの子供を追って八区から仙人がやって来るわけないでしょ」


「はは。それは、ごもっとも」


「ったく。良い加減誤魔化すのは止めて。大体、この所ずっと怪しいと思ってたのよ。セイタをあの子の保護者にしたり、出掛けてばかりいるし…。何企んでるのよ」


そう言って両腕を組むフィオ。まあ、彼女になら話しても良いかと、ボスは少し悩みながらも打ち明ける事にした。


「……天仙に、喧嘩売る」


「はあ!?掃除屋さん、あんたバカ?」


フィオは眉を吊り上げ、苦笑する。ボスにとっては予想通りの反応だった。天仙は、この地下世界の最高責任者。異形の殆どは八区の連中や天仙を疎んじゃいるが、それでも、そんな彼に喧嘩を売ろうなんて考える奴、そういない。もしいたとしたら、そいつは確実にイカれた野郎だ。


「バカかぁ…そうかもね」


「……何、その感じ。急にしおらしくならないでよ。調子狂うわぁ」


「ははは」


ヘラヘラとボスが笑えば、眉間に皺を深くするフィオ。そんな彼女は、納得いってないけれど、と言った様子でフォークを差し出して来た。


「…で、どんな喧嘩ふっかけんのよ」


「あ、興味ある?」


ボスはフォークを受け取り、ケーキに刺す。そして、一口運べば、口の中は一瞬で幸せいっぱいの甘い香りだ。思わず強張っていた頬も綻んだ。


「そりゃね。念の為に言っておくけど、メグルちゃんとセイタを泣かせる様な事したらただじゃおかないわよ」


「ははっ。参ったなぁ…」


「何笑ってるのよ」


「…いやぁ、ちょっと難しい状況なんだよね。私はさぁ、天仙がメグルちゃん使って二区の封鎖を考えてるんだと思ったんだけど、タツマさん的にはどうも違うっぽいのよねぇ」


広がる瞳孔。ぱかっと開いて乾燥し始める口。フィオはボスが何を言ってるのか理解できず、暫く固まっていた。


「………ちょっ…はあ!?メグルちゃん使って封鎖!?ちょっと、どう言う事!?説明して!!」


「いや、だからそれはまだ、分からないって。タツマさんの話じゃ、メグルちゃんは前の“たまご”とは違って、まだ未熟で幼いからどうだろうかって」


「…“たまご”。あのさぁ、話がぶっ飛んでて全然分からないんだけど」


「ああ、そうだね。たまごってのは、仙女が宿した子や仙人の血を受け継ぐ子のことだよ」


「……ちょっと待って。仙人って子供持てないんじゃ無いの?“神通力“を失うからどーのって」


「うん。でも、極稀にそうならない仙もいるんだ。そう言う仙の子供は生まれつき優秀な子が多いんだって」


「優秀……ねぇ」


フィオの脳裏に浮かぶのは牛乳と粉まみれのメグルの姿だ。フィオはそりゃ無いだろうと、苦笑した。にわかには信じがたい話な上、説得力がまるでない。ボスは本気で言っているのだろうか。


「まぁ、いくら優秀とは言え、仙にとって子は煩悩の象徴みたいなところがあるから、大抵その存在や関係性は隠されるんだけどね。だから、金の“たまご“はなかなか見つからない」


すると、ボスはそう言って懐に手を伸ばし、一枚の写真をフィオに差し出してきた。


「マドカ」


「…だれ?」


写真には古風な神事服に身を纏う女性が写っていた。その頭には猛々しい角が生えている。


「200年前に犠牲になった特別な“たまご”。メグルちゃんとおんなじでしょ?」


「……うーん。何だか不思議ね。綺麗な人だけど、メグルちゃんとは雰囲気がだいぶ違うわ」


「角のせいかもね。メグルちゃんのはこんなに立派じゃないし」


そういう話でもない気がするのだが。と、フィオは思ったが、敢えてそれについては触れない事にした。


「……そうね。それにしても三浦タツマがこんな物持ってるなんてねぇ」


フィオは写真をつまみ上げてペラペラと揺らすと、ボスは長い指を伸ばして、彼女からサッと取り上げた。


「ああ、ちょっと!大事に扱ってくれよ」


「ああ、ごめん」


「もう…」





「すみません」


景吾は先生に頭を下げた。二区での騒動の後、八区に戻った彼は、神殿に併設されている先生の“島”へ飛んでいったのだった。サイカの件、“たまご”奪還作戦失敗の報告を受けた先生は、何とも言い難い表情をしていた。


「いや、お前のせいではない、景吾。サイカのことに関しては、辛い役目をさせたな」


先生は深く頭を下げる景吾を気遣い、肩にそっと手を当てた。


「いえ…。俺は、仙として自分の仕事を全うしただけなので」


「うむ。そうか。良き心がけじゃ」


そう返してはくれたが、やはり先生の表情は冴えなかった。


「あの子は、誰よりも素質はあったが、性格的には仙に向かない子じゃったからな……。優しすぎたのじゃろう。仕方あるまい」


先生はサイカの事をボロクソに言うことも多かったが、なんだかんだ彼女に一番期待を寄せていたのは彼であった事を、景吾は知っていた。だが、景吾から言わせてみれば、サイカは恵まれた仙力を持て余すだけの、脳筋阿呆だ。学生の時と同じように任務でも感情を優先していては、この先、仙としてはやっていけない。仙になってから“天下り”するよりは、ここで不合格になった方が彼女の為だと景吾は内心思っていた。


(そう、仕方ない)


先生も言っているように、彼女が仙になれなかったのは仕方なのない事なのだ。だって、彼女は任務に逆らい、あまつさえ兄弟子である景吾に攻撃を仕掛けて来たのだから。


「他には?掃除屋と接触したんだろう?どんな奴だった?」


「報告に受けていた青年と、その社長を名乗る2人に会いました。青年の方は耐性持ちらしく、噂の通りの姿で、社長を名乗る男は人型の異形でした。元仙、三浦タツマと親交があったのは社長の方です」


「お前を脅して来た方だな」


景吾は頷いた。


「……なるほど。やはり200年前の生き残りかもな」


「え?」


「掃除屋の青年も封鎖について懸念を抱いていたようだから、社長の方は恐らく当時を詳しく知る者だろう。マドカとも交流があったかも知れん。あの子はちょくちょく一区へ行っていたから」


「それはまずいですね。このままだと、封鎖を恐れて、三区や他の下層区に人や異形が流れたりしないでしょうか」


「…民衆がパニックを起こせば、一区の封鎖時のようになりかねん。が、それはそ奴も望まぬ所だと思う。お前の前で“たまご”について明言するのを避けたのだろう?」


「はい。わざとらしく、とぼけた様子で。それから民主派の事を引き合いに出して来て、俺に退くようにと」


先生は難しい顔をしていた。


「…懸命な判断だな」


「はい」


「うむ。ともかく、お前は報告書に纏めたら通常業務に戻りなさい。ご苦労だった」


「……はい」


景吾は頭を下げ、部屋を後にした。長い廊下を渡り、外へ出るとひんやりとした空気が頬を撫でる。景吾はほっと一つ息を吐くと、先生が住まう島から飛び立ち、風に乗って中央街のある本州へと向かった。今日は心なしか島々を取り囲む雲がいつもより濃くなっているような気がする。先ほども思ったが頬に当たる風もひんやりとしていて、少し痛いぐらいだ。きっと疲れているのだ。薄汚い上層区への長旅のせい。今日は早めに床に着こう。そう心に思いながら、薄らと白く靄が掛かる島の入り口に降り立つと、知った声が聞こえた。


「よぉー、景吾」


「…げ、ハナブサ。何だよ」


同僚のハナブサが馴れ馴れしく声をかけて来た。会うなり肩に手を回してきて、馴れ馴れしい事この上ない。八区に居る時は彼を極力避けて生活していた景吾だったのだが、今日は随分と間が悪い。彼の存在にもっと早く気づいていたら、タイミングを見計らって本州に降り立ったのに!


「えっへへー、ひっさしぶりぃ。どうしたんだよ、いっつも俺のこと見つけるとササッと逃げるくせに。あ、もしかして気づかなかったのか?」


「……考え事してただけだ」


すると、「あー、なるほどねぇ」とハナブサはニンマリ笑う。


「君でも心に霧が掛かることあるんだねぇ。ああ、そういや特別任務の後だもんな。ひょっとしてサイカちゃん?……あー、失敗しちゃったのね」


ベラベラと早口で1人勝手に話し始めるハナブサ。景吾は彼のこう言うところが好きではなかった。


「…人の心読むな」


「読んでないよー。察しが良いだけ」


「察しが良いだけのやつは、そんなデレカシーのない笑顔を見せない」


「えっへへー。まぁさ、落ち込んでるなら、ウチで茶でも飲まない?」


「誰がお前なんかと茶を—っで!」


肩に回っていた腕が今度は首にまで回り、締まっていく。ハナブサはいつも強引なのだ。


「まあまあ、遠慮せずに!」





ハナブサに連れていかれ、彼の家で差し出された茶は、程よく暖かく、白く立つ湯気からは桃の花の香りがした。そういえば、以前、同僚がハナブサの茶を誉めていたのを景吾は思い出した。大きな図体に似合わず、彼は花を愛でるのが趣味らしく、よく庭先や公園で花見をしているのだとか。その現場に居合わせたその同僚は彼の茶を飲んで以来、たびたび茶菓子を持って彼と会っているらしい。巷ではちょっとした恋噂になっていた筈だ。


「…毒は入ってないよ」


そう言ってハナブサは笑う。


「当たり前だ」


「はは、相変わらずひんやりだねぇ」


「何だそれは」


「景吾の周りの空気。仙力にはその人の本質が写るからねぇ」


「またお得意の仙力占いか。俺は信じないぞ」


「うん。俺は俺が見えてるものを伝えてるだけだもの。信じるとか信じないとか、それは景吾の解釈だから任せるよ」


ハナブサはすまし顔で茶を啜り、ほっと胸を撫で下ろした。


「で、サイカちゃん、失敗しちゃったの?」


「…ああ。任務に私情を持ち込んだからな」


「それで、内丹まで奪ってきたんだ」


景吾はその瞬間、耳を疑った。


「お前…」


「言ったろ。見えてるものを伝えてるだけだ」


糸目が薄らと開く。いつも何も映していないように見えたハナブサの瞳は、まるで夏の葉のように青々としていた。


「まあ、君の事だから、それなりの事情はあったのだと思うけど、その内丹は君の中には絶対に溶けないよ」


「…別に、俺はサイカの力が欲しくてこれを奪ったわけじゃない」


「じゃあ、返してあげたら?どのみち、試験は不合格なんでしょ?仙には成れないし」


「これはサイカのためだ」


「うーん。傲慢だと思うけどなぁ」


「傲慢なのは“たまご”のために仙女を次々に“天下り”させようとする輩だ」


すると、ハナブサの目が大きく開いた。


「はは、起こるかも分からない事の為に、サイカちゃんの未来を潰したの?」


「元より仙になる未来なんて碌でもないだろ」


「…それを選ぶのはサイカちゃんなのに。やっぱり傲慢だよ、君は」


「何とでも言え」


景吾は空になった湯呑みを置き、立ち上がる。踵を返し、背中を向ける彼をハナブサは黙って見送った。


「かわいそうに…」



サイカは欠けた月提灯を病室の窓から眺める。


「数日前は満月だったのに」


「ああ、月提灯」


見舞いに戻って来たボスが、窓際のベッドでぼんやりしているサイカに話しかけてきた。最初こそ警戒していたサイカだったが、どうやらボスに敵意は無いらしいと事が分かると、すっかり独りで物思いにふけってしまっていた。


(これから…どうしよう)


仙になる試験に落ちただけで無く、せっかく磨き上げた丹まで取られてしまった。これでは八区どころか七区で教師として働く事も叶わない。これから只人として生きていく他ないのだろう。果たして、今まで仙になるためにの勉強しかしてこなかった自分にそんな事ができるのか。サイカは今まさに絶望の淵にいる感覚をこの病室で味わっていた。


(やっぱ元気ないね…)


そんな彼女を見て、ボスは少しばかり同情した。随分と寂しい横顔だが、無理もない。仙になれるのはほんの一握り。彼女はそんな狭き門をもう少しで通過できるという所で、自ら機会を棒に振ったのだから。そこに葛藤が無かったわけはなかろう。とは言え、そのお陰でメグルは助かったわけだから、ボスとしてはありがとうと言うべきなのかも知れない。そんな考えが一瞬頭をよぎったが、直ぐに彼は考え直した。今の彼女にとって何気ない感謝の言葉は、きっとただ虚しいだけ。ボスは持っていた袋の中身をガシャガシャと漁ると、紙パックのジュースを取り出し、物悲しげに窓の外を見つめる彼女に差し出した。


「はい」


「……ありがとう」


子供向けのイラストが描かれたぶどうジュースだ。サイカはボスからそれを受け取ると、ストローを側面から外し、プスっと穴を開けて勢いよく飲んだ。小さなパックだったから直ぐにペコッと凹んでしまった。


(喉、乾いてたのかな…)


無表情でジュースを最後の一滴まで吸い上げようとするサイカをボスは黙って見つめる。すると、徐に彼女の薄い色の瞳がこちらを向いた。


「ねぇ、あれ。どうしてずっと満月じゃないの?」


「え?」


彼女が指差すのは二区の上空にぶら下がる月提灯だ。さっきからあれを気にしていたが、そんなに興味を引くものだろうかとボスは思った。


「照明ならずっと明るいままの方が合理的じゃない?中身の電灯変えたりしないの?」


なるほど。こう言うところは。情のまま勢いに任せて行動してしまうタイプなのかと思ったら、案外そうでも無いらしい。不思議な子だ。


「ああ…あれはねぇ、最初は太陽を作ろうとしたんだよ」


まだ、地下での生活が始まって間もない頃。今みたいに体制が整っておらず、試行錯誤をして暮らしを豊かにしようと奮闘していた黎明期。ボスはまだ二区にいなかったが、噂程度には月提灯に纏わる話は知っていた。


「昔、とある照明技師が頑張って作ったものらしいけど、当時の二区はどうにも貧乏でね。あれを太陽のように光らせるだけの十分な電力を買うお金が無かったんだよ。それで、あの形になった。暦も分かるし、案外便利だよ」


「…じゃあ、今は十分な電力があるのよね」


「そうねぇ。これだけ、街に灯りがついてるわけだし…。太陽のように、とまでは言わなくても、街にちょっとした昼間を作ることは出来るかもね」


「なら、どうしてそうしないの?」


昼があれば生活も便利になる。作った人だって、そう願ってあれを生み出したのだ。きっとその人はもうこの世にはいないのだろうが、今からでも本来の使い方をしてあげた方が、その人の思いも、あの月提灯に込められた願いも、報われるような気がした。


「うーん。あれはあれで綺麗だからじゃない?」


「……非合理的だわ」


兄さんならそう言うだろうか。サイカは景吾に気持ちを重ねるように呟いた。景吾はきっと自分を許してはくれないだろう。そう言う人だ。

すると、ボスが不意にケタケタと笑い出した。


「ははは。仕方ないよ。それだけが全てじゃないんだし」


肩を大きく揺らして、手を仰ぐ。この大男はこんな豪快な笑い方をするんだと思ってサイカは少しばかり面食らった。もっと落ち着いた人だとばかり思っていたが、笑い方が五区や六区でよく見かけるお節介なオバサンにそっくりだ。


「それに、私たちは不思議とそう言うものに、惹かれてしまうんだよねぇ」


だが、そんな彼は街のオバサンとは違って妙に的を得た事を言う。不思議と彼の言葉はサイカの胸の内にスッと馴染んだ。


「……そっか」


太陽じゃ無くても、良いのだ。そう思ったら何故か自分の気持ちまで楽になった。


「そうよね。別に良いのよ、それで」


「ん?何が?」


声色が明るくなり、どこか吹っ切れた様子のサイカ。そんな彼女を見て、ボスは首を傾げる。すると、サイカはを彼を見上げ、微笑んだ。


「ううん。こっちの話」


「……そう。まあ、君が元気になってくれたなら何でも良いや」


「……掃除屋さんって優しいのね。セイタの上司だって言うから、もっと冷ややかや人なのかと思ったけど全然違う」


「あらそう?まあ、私、見た目がこんなんだから、初対面の子には怖がられちゃうのよね。ああ、それと、セイタのことで気分を悪くしてたらごめんね。あの子は少しぶっきら棒なところがあるから。けど、根は優しいのよ」


「……うん。知ってる。メグルちゃんがベッタリだもん」


そんな彼らは斜め向かいのベッドですやすや規則正しい寝息を立てていた。セイタの傷は深かったし、メグルはメグルでよく眠れていなかったらしい。無理もない。


「あの子達ねぇ。すっかり安心しきちゃって。やっぱり二人だと落ち着くのねぇ」


カーテンの隙間から見える二人の寝顔。穏やかな表情を浮かべる彼らを見て、ボスは微笑んだ。


「今はゆっくり寝かせておきましょうか」


大事な話は夢の後でも良いだろう。ボスはズレた布団をそっと彼らに掛け直してあげた。







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