第6話 デート、デート?でーと!


「ぼーす」


ポスッと小さな天使が、2メートルではあろう大男、ボスの裾にダイブする。ついでに鋭利な角の先がボスの脛に直撃した。


「なっ、なーに、メグルちゃん?」


痛いからやめてくれ。そう言う間もなく、彼女は無垢な瞳を向けてくる。


「セイタは?」


「ああ、セイタね。セイタは今デートなの」


「でーと?」


「そ!」


プププッと楽しそうに笑うボス。今朝の事を思い出していた。



突然メグルの子守を頼んできたものだから、何かと思えば、


「いやぁ…あの、ガイド頼まれて」


とセイタはそんな事を言ってきた。


「ガイド…君が?」


「うん」


とセイタは頷いたが、何故か彼はボスと目を合わせようとしない。ははーん、これは何かあるなと察したボスは、とことん彼を追い詰める事にしたわけである。


「何、女の子?」


「…まあ」


「あら………」


「あらって…」


「デート?」


「いや、だから、案内頼まれたんだよ」


「ふふふ、必死になっちゃって。もしかして好きな子?」


「全然。ほぼ初対面だよ」


「わーお!!一目惚れってやつね!素敵!!」


「だから、違うって!!」


「で、種族は?確か君、いっぱい足があるの好きみたいなこと言ってたから、蛸か烏賊の子かしら?確か4丁目にいたよね?よくフィオの所に—」


「だ!か!ら!ちがーーーう!!何だそれ!やめろ!!勝手に話を進めるな!」


「っ………」


そのあまりの声の迫力に、少しの間、時が止まった感覚さえあった。


(何もそこまで全力で否定しなくてもいいのに)


心なしが、驚きすぎて髪型まで変わっている気がした。ほら、ブラシの端の毛も、明後日の方に跳ねている。思春期って難しい。

きっと親ならこの辺で止めてあげるのが普通なのだろう。


「ええ…別に、良いじゃん。ケチ」


だが、ボスはここで止めるようなお人好しではない。


「ケチってなんだよ」


「私、一応君の保護者だったんだけどナァ。好きな子がどんな子かも教えてくれないなんて、ちょっぴり寂しい」


正攻法がダメなら、罪悪感を掻き立てる作戦だ。全力でセイタを弄り倒す。これがボスの流儀だ!


「…ウゼェ」


「……まぁ、そんなお年頃か」


「ますます、ウゼェ」


…なるほど。この作戦はセイタには上手くいかないらしい。ならば、素直に聞くのが一番だろう。じゃないと、セイタがまるでゴミでも見るような目で、ボスを見るようになってしまう。“数日に渡って口を聞いてくれなかった時”と同じだ。と言うか、今まさに“その目”になりかけている。


「ガイドって言ってたけど、観光かしら?」


「………社会科見学?って言ってた」


「社会科…あらら、ひょっとして学生さん?人間なの?」


「……うん。耐性はかなり高いみたい。護符持ってる様子は無かった」


「……なるほどねぇー。通りでガイドを頼まれるわけだ」


「何だよ、コロコロ態度変えやがって。最初から普通に聞け」



あれこれ詮索しようとするボスに、セイタは心底迷惑そうにしていたが、ボスとしては彼の交友関係が増えるのは、とても喜ばしい事だった。見送る時も「邪魔するなよ」と釘を刺されたが、そんな反抗的な態度も可愛いものである。


(いいカッコしたいのねぇー。やっぱり男の子だなぁ)


「でーと、でーと!でーと!」


そう連呼しながら、謎のダンスを始めるメグル。それを眺めながら、ボスは思いを馳せる。


(普段はなーんにも興味ないって顔して、妙に冷めてるからなぁ…)


「ねぇ、ねぇ、ねぇ、ボス」


またメグルが呼びかけてくる。


「ん、何だい?」


「でーと、おいしい?」


「…美味しい、かぁ。まぁ、でも、美味しいもの食べたりはするかもね」


「わあ!!ボス、でーと、したい?」


メグルはコテっと首を傾げた。


「あらやだ。何それ、かわいい…」


齢200歳超のおじさんの胸を鷲掴みにしてしまうなんて、末恐ろしい子だわ。


「コホンッ。よろしい」


ボスは指をパチンッと鳴らし、メグルの頭に掃除屋の帽子を被せた。角のせいでモコモコしてるが、まあ、これはこれで可愛い。さすが、メグルだ。

それからまた指を、パチンッ、パチンッと2回鳴らした。ボスの手元に出てきたのは、お出かけ用のコートとベレー帽。ボスはまず、ギュッとベレー帽を被った。


「よし、行こうか、デート」


「おー!」





午前10時。セイタはサイカから指定された宿へと辿り着いた。

中に入って直ぐ、鳥の仮面を付けた管理人が「宿泊者以外の立ち入りは遠慮してもらってるよ、掃除屋さん」と言ってきたので、数畳ほどしかない狭いロビーで彼女を待った。すると、上からドタドタと慌ただしい音が聞こえてくる。


「うっわー!!ごめん!髪型決まらなくて。待った!?」


階段を駆け下りながら、早口で尋ねてくるサイカ。朝から随分と元気な彼女に、セイタは少しだけうんざりした。


「…まぁ」


「…ぷっはははは!そう言う時は、嘘でも“全然”って言うもんでしょ!!」


何が面白かったのか。サイカはケラケラと笑った。彼女の笑い声が頭によく響いて、少し耳が痛い。


「何だよ。そう言う決まりなんか知らねぇし…」


「セイタ…お前さん」


「いやいや、良いの良いの!私、正直なのは嫌いじゃないし!じゃ、行きましょ!」


ブラシが何か言いたそうにしていたが、またサイカのペースに圧倒される。彼女はセイタよりも先に宿から出た。


「あ、おい。行くって、どこに?」


慌てて彼女の後を追うと、宿の外でサイカは少し考える素振りを見せた。どうやら行き先を決めていなかったらしい。大体、こう言う時は目的の場所に来る前に何からしら下調べをするものだろうが、彼女にはそう言う考えが一切無かったようだ。おまけにここは安全とは程遠い魔境、二区だ。命知らずにも程があるだろう。或いは、それだけ護身に自信があるとも取れるが…。


「そうね。まずは此処に住んでる人たちの生活が知りたいかな。生活の中心になってる場所はどこ?繁華街とかある?」


「…あるけど、その前に仮面屋に行こう」


「仮面屋?何それ」


と、彼女は首をかしげる。

やっぱり知らなかったらしい。ブラシも「まあ、そうだよな」と呆れていた。


「駅の近くにある。繁華街はそれからだ」



駅の裏。怪しい屋台が軒を連ねるそこは、入手ルートが不明な貴重品や、前時代の骨董品が多く出回る市場が広がっている。怪しい異形達が、思い思いに風呂敷を広げて商品を売り込んでいた。


「あ、ケータイ」


と、サイカは興味ありげに店の一つを覗き込む。そして手に取ったのは、機械仕掛けの一枚板だ。


「ああ、それ。ボスも一つ持ってたな」


「うっそー!未だにこんなの使ってる人いるんだ。だって連絡取れないでしょ?」


「…連絡?」


一体、サイカは何を言っているのだろう。セイタは首を傾げた。


「娯楽機器じゃないのか。うちのボスはそれでパズル遊びやってたけど」


「…ああ、なるほどね。そう言う使い方も出来るのか。へぇ…二区の人って物を大事にするのね」


「…」


彼女にとっては正直な感想なのだろうが、何か腑に落ちないセイタとブラシ。それからサイカは仮面屋に着くまでに、何かを見つけては、「あ、これ!教科書に載ってた〜」とあれやこれやと、思いのままに物色して回る。最初こそ好きにさせていたセイタだったが、いよいよ、その度に止まっていては埒が明かない事に気が付いた。


「へぇー、じゃ、コレ—ッ…ぐっ!ちょ、何よ!!せっかく面白い壺見つけたのに!!」


そして遂に、セイタは彼女の首根っこを捕まえ、引きずりだした。


「あ、ほら!あそこに前時代の宝石が!ちょっと見たーい!!」


「その前に仮面屋だ!見ろ!」


「何よ?」


セイタは何かを指を刺す。そしてブーっと膨れるサイカに耳打ちをしてきた。


「あいつとあいつ、妙にぶかぶかな衣を着てる。多分人間だ」


指さす先には、四角い仮面を付けた、二人組。体全体を布で覆い、市場の商品を物色しているようだった。


「……へぇ。どうして分かるの?」


「仮面は異形への敬意の“象徴”だ。布で肌を隠すのは回収屋対策。あとは歩き方で大体、人かどうか判断がつく」


「ふーん。その、回収屋?それ、昨日会った異形も言ってたけど、一体何なの?」


「死体回収の連中。知能はそんなに高くないから、対策してれば問題ないけど、人に近い二区ここではよく売れるんだ」


「しっ……」


ショッキングな内容にサイカは固まる。セイタは淡々と続けた。


「それと、神主の祈祷があって初めて人は正式に二区に入れる」


「……知らなかったわ。二区に入るのに、そんなに準備が必要なのね」


「ああ。昨日、あんたが異形から酷い扱いを受けたのはそれが理由。だから仮面は必須なの」


「ふむふむ。なるほどねぇ。どうしてそんな大事な事、誰も教えてくれなかったのかしら」


と彼女はポロッとぼやく。セイタはため息をついた。


「先ず普通は、二区に来ようとは思わないからな。そもそも耐性が強くないと、呪いで異形化しちゃうし。異形連中にとっては、作法を知られてない方が都合が良いのかも知れないけど」


「…興味本位でくる人はトバッチリね」


「……そもそも、興味本位で来るなと言いたい所だけどな」


セイタは少しだけ、やるせない気持ちになった。今までも作法さえ知ってれば、死ななかった奴なんて大勢いたのだ。そう言う意味で彼女は本当に運がいい。


「……帰ったら下層区の連中にしっかり伝えておいてくれよ。安物の仮面は使うなって」


「分かったわ」


やれやれ。そんな会話をして直ぐに、セイタは前方にやっと仮面屋を見つけた。四方を暖簾に囲まれた小さな屋台。外から見ると食べ物屋みたいだが、二区じゃ結構有名な店だ。長めの暖簾をくぐれば、中には翁の面が一つあるだけ。


「…仮面屋って、仮面一つしかないけど」


セイタの後に続いて、サイカも暖簾をくぐる。すると、翁の面がカタカタと笑い出した。


「わ!」


「よお、掃除屋。何だい、その子は。見たところ、世間知らずのお嬢さんみたいだけど」


「ご名答。翁、適当に面を一つ、見繕ってくれる?」


「ははは、良いよ。お嬢さん、いくらまでなら出せる?」


宙に浮いた面がサイカをとらえる。サイカは目をぱちくりさせていた。


「値段かぁ。幾らが相場なんですか?」


そして、興味津々と言った様子でその目を輝かせる。セイタは黙って彼女を横目に見ていた。初めて会った時もそうだったが、全く物怖じしないというか、こんな不気味な仮面を前にしているのに、サイカは何でもない事のように振る舞う。


(まあ、これぐらい図太くないと二区に来ようなんて思わないか…)


そんな事をセイタがぼんやり考えている間、翁の面は調子良く、彼女の質問に答えていた。


「ピンキリさ。面はお前さんの顔同然。安い物ならそれなりだし、高い物なら相手から好かれるぐらいには出来る。どうする?」


「へぇ、効果から選べるのね!なら、とびっきりのを!」


「あ、おい」


とセイタが忠告しようとした、その時。


「っぷはははは!随分と気前のいいお嬢さんだ」


翁は大声で笑った。


「異形から好かれたいなんて、物好きだね。良いよ、気に入った。500でいいよ」


「ごっ……」


予想外の金額にセイタは言葉に詰まった。確かに、いい物だと500〜1000ぐらいはするだろうが、彼女は単に二区に観光しにきただけ。そんな高級品よりも、高くてもせいぜい100ぐらいの仮面で十分なはずだ。それに500なんて大金、普通は、そうポンッと簡単に出せる値段では無いのだが…


「わかったわ」


しかし、そんなセイタの心配はよそに、サイカは惜しげもなく金を支払った。おまけに「思ったより安いのね」と耳打ちしてくる始末。いや、安いって…彼女がセイタに指定した日給よりも高いのだが。


「はいよ」


と翁が言うと、いつの間にか、黒いうさぎの面がサイカに差し出されていた。


ジリリリリリと、メーターの動く音が屋台に鳴り響く。チーンッという音がすると「毎度あり〜」と翁は言う。セイタが瞬きすると、次の瞬間には翁の面は消えていた。


「…結構いい面だな」


サイカの手元の面を見て、ブラシが感心しているようだった。


「……うん」


嬉しそうなサイカ。口角が自然と上がる。どうやら彼女にも、これの価値が分かるらしい。


「じゃ、行こうか」


準備は出来た。セイタが屋台を出ると、サイカが面をつけながら尋ねてきた。


「あれ、良いの?布買ったり、神主の祈祷は?」


「あー、それは大丈夫だよ。あんた、強いみたいだし」


「強い?私が?」


「ああ。昨日、『返り討ちにした』って言ってたろ。自衛できるなら、かえって隠れない方が雑魚連中は寄ってこない」


「なるほど。“攻撃は最大の防御!”みたいな事ね!」


「……ああ、うん、そんな所だ」


そうだろうか。セイタの返答にブラシは思うところがあったが、何も言わずに彼らの話を聞いている。


「でも、祈祷は?」


「あんた、馬鹿みたいに呪いの耐性強いから必要ない」


サイカは少し腑に落ちない顔をしていたが、そんな彼女に、ブラシが「ああ、その面さえありゃ、街は問題なく歩けるぜ」と付け加えてくれた。彼がそう言うのだから間違いないだろう。翁は本当に最高の仕事をしたらしい。


(…相変わらず、変な面にしか見えないけどな)


「そう、なら良かったわ」


サイカはブラシの言葉に納得したのか、笑顔で彼らの後に続くのだった。




「ぼす。これおいしい」


「うん。そうね」


「ちゃいろい、にゅうにゅう」


飲みながら、口の周りにココアの髭を作ってニンマリ笑うメグル。ボスは行きつけのバルでコーヒーを嗜みながら、メグルと共に一息ついていた。


「ふふ。メグルちゃん、デート楽しい?」


「でーと?これのむのが、でーとなの?」


「まぁ、一緒に出かけて何かするって言うのがデートかな」


「ほー」


と、メグルは相槌を打って、また手元のココアをズズズッとすすった。


「それにしても、中々見つからないねぇ、セイタ達」


彼らの跡をつける為に態々変装までしたって言うのに、中々繁華街に現れないセイタ達。





その頃、セイタたちはやっと、二区1番の大通りの入口へやってきた。


「此処が、繁華街?」


ギラギラとネオンが光る大通りの門。軒を連ねる殆どの店は、ガラクタの寄せ集めで出来ていて、独特な雰囲気を醸し出している。

此処は四六時中、大勢の異形で絶えない、二区で最も賑やかな場所だ。


「へぇ…廃材を利用してるのね。何だかとってもエコだわ」


「あら、お嬢さん、素敵な仮面ですね」


街の雰囲気に圧倒されていると、シルクハットを首の付け根まで被った異形がサイカに声をかけてきた。


「え、あはは、そうかな?おじさんの帽子も素敵だね」


「おや、ありがとう。これはとても有名な職人さんが作った物なんですよ」


「へぇ…その職人さんもここの人なの?」


「はは、まあね」


そんなこんなで世間話を始める二人。なんか妙だなと、セイタは顔を顰めた。


「それで…人間のお友達がいたんですね、掃除屋さん」


シルクハットの男はセイタに向かってそう声をかけてきた。なんだ、彼はセイタを知っているらしい。


「…友達じゃない。雇い主だ」


「おや。おほほほ、そうでしたか」


「なんか文句あるか?」


「いえいえ、失礼。ただ、お連れの方がこのような素晴らしい面を付けているのに、掃除屋さんときたら、いつも素顔のままでいらっしゃるものですから。この際、掃除屋さんも付けてみては?」


シルクハットがグイッとセイタの顔に寄る。また面倒なのに絡まれた。


「俺は別に良いだろ。ここの住人なんだし」


「ええ。しかし、住人だからと言うのは理由にはなりませんよ。異形でも仮面を付けてらっしゃる方もいますし、ここへ来る際は是非とも仮面を—」


「あーはいはい。でも俺は良いよ。悪いけど、急いでるんだ。話はまた今度ね」


「あ、ちょっ」


セイタはサイカの手を掴み、無理やり人混みに引っ張った。

わいわいと賑わう街。提灯やネオンの灯りが景色の中を流れてゆく。

セイタ達は、小道の角までやってきて、やっと一息ついた。


「何だったの、あれ」


とサイカ。すると、セイタは頭をボリボリと掻いた。


「他の仮面屋だな。その面、質がいいから、金持ってると思って売り込みに来たんだろ」


「ああ、あれってそう言う…。五区の店にも良くいるわ。私、ついつい調子に乗せられて、いっつも買いすぎちゃうのよね」


「……」


アレもコレもと、両手をショッピングバッグでいっぱいにするサイカ。そんな光景が容易に目に浮かぶようだ。


「にしても、この面、凄いわね。異形の態度が激変したわ!こんなに沢山いるのに襲って来ないし」


「キキキッ。連中、掟と法は重んじるからな。それでも突っかかってくる奴は、相当な—」


その時だった。彼らの背後で、ザッと土を滑る音がした。咄嗟に振り返ると、いつぞやの蜘蛛男が口をわらわらと動かしている。


「見つけたぞ!!掃除屋!!今日こそは僕と勝———っブッ!?」


肘。……いや、これは、膝だ!!!

セイタの膝が蜘蛛男の頬に直撃し、彼は吹っ飛んだ。


「おいおい、セイタ。せめて最後まで言わせてやれよ」


「悪い。“喧嘩”はするつもりないからさ」


一体何が起きたのか。あまりの一瞬の事で、そばに居たサイカは目を丸くしていた。


「ええー…。するつもり無いって、思いっきり売られた喧嘩買ってるんじゃ…」


「え?」


はて、セイタとしては、そんなつもりはさらさら無かったのだが、何故サイカは少し困っているのだろう。


「はっはっはー!!掃除屋、不意打ちとはやるな」


吹っ飛ばした筈の蜘蛛男の声が、今度は上から降ってくる。視線を上げると、逆さ吊りになって高笑いをする彼がいた。セイタの右膝をくらったせいで左頬がぷっくり腫れていたが、平気らしい。やっぱり異形。もう少し強め蹴っても問題なかったか。


「悪いけど、仕事中なんだ。邪魔するな」


「おや、それは失敬。なら、勝負は後日かな?」


「やらねぇよ。“決闘”も興味ない」


「何でさぁ!」


と蜘蛛男が口を窄めてきた。そもそも、喧嘩どうこうよりも、セイタとしては、そのワラワラした口が気持ち悪いから、さっさと退散したかった。そう思うのに、街行く誰かもが一緒になってブーブー言い始めるではないか。また、面倒な事になった。


「お、掃除屋じゃねぇか。蜘蛛野郎って事は再戦か?」

「いや、それが掃除屋さん連れないのよ」

「何だよ、つまらんなぁ」

「さっさとやっちまえよー!!」

「そうだ!戦え!!殴り合え!!」


どいつもこいつも、血の気が多くてかなわない。そんなに殴り合いがしたいなら、勝手に自分たちでやってれば良いのだ。


「…なんか、よくわからないけど……貴方って人気者なのね?」


「どこをどうしたら、そう見えるんだ…」


人の気も知らないで、サイカは呑気にそんな事を言う。さて、この状況、どうしたものか。四方には異形達。普段だったら、こんな事にはならないのだが、これも先日の一件のせい。今のセイタは彼らの話題の人物、注目の的だった。


(これじゃ、まともに社会科見学なんて………待てよ)


セイタはふと、サイカの方を振り返った。


(そう言えば、こいつ…)


「どうしたの?」


サイカの質問にも応えず、セイタは黙って腕を組む。そして、徐に口を開いた。


「……なぁ、お前ら。そんなに勝負がしたいならこいつが相手になるって」


「なっ!!」


セイタの親指が彼女を指差した。


「ちょっ、セイタ!お前さん、何考えて—」


「よっしゃあああ!!お嬢さん、僕と勝負だ!」


ブラシが止める間もなく、異形達の歓声が上がる。こうなっては、もう後戻りは出来ない。当然、サイカもセイタのとんでもない発言に面食らっていた。


「ちょ、どう言う事ー!?」


慌てて声をあげるサイカを尻目に、セイタはサッと身を引く。この男、実は鬼なのだろうか。


「あ、ちょっと!逃げるの!?」


セイタは近くにあった建物の外階段へ、ぴょいっと飛び上がり、それからくるりと向きを変えて、手すりに寄りかかった。自分は高みの見物、といった様子だ。


「これも見学の一環だ!“喧嘩”も“決闘”も、この街の名物。体験して損はないぞ!」


「おい、セイタ…」


間違ってはいないが、死ぬかも知れない喧嘩なんて、とても勧められるものではないのは確かだ。セイタは一体何を考えているのか。ブラシも彼の謎な行動に呆れる始末だ。


「名物…これが?」


さて、サイカの目の前には、逆さ吊りでニヤリと笑う蜘蛛の異形と、それを取り囲む無数の異形達。蜘蛛男は関節をポキポキと鳴らして、やる気満々なのは痛いほど伝わってくる。


「珍しいねぇ、作法を弁えてる人間は。これは丁重にしなくては」


異形達が笑い出す。随分とふざけただ。そもそも、サイカが仮面を付ける前も、彼らの振る舞いは酷いものだったが、下手したらこれ、もっとまずい状況になってないだろうか。


(ちょっと!トラブルに巻き込まれない為のガイドだったのに!!何よ、あいつ!!)


サイカがギロリとセイタの方を睨めば、セイタは冷ややかな視線でこちらを見下ろしている。


「あ、怒ってるぞ」


とブラシ。


「ああ」


言われるまでもなく、見ればわかる。最悪、危なくなったら途中で乱入して逃げ出せばいいだけの話だ。


「ガイドするって言ったじゃない!!私を騙したのね!!」


何が何だか分からない様子のサイカは、セイタに向かってそう大声で叫んできた。


「……これもここの文化みたいなもんだ。ルールを決めれば、そこまで危険はない」


「ルールって…」


すると、ふふふと不気味に笑う蜘蛛男。


「僕はルール決めるの好きじゃないんだけどねぇ。ま、仕方ないからここはお嬢さんに花を持たせてあげよう」


「そんな事言われても…」


「なら、なんでも有りのデスマッチでどう?」


「いや…それは極端すぎない?もっとこう、平和で穏やかな感じにできないの?」


「おいおい、お嬢さん。テーブルゲームじゃないんだから」


「うっ…そうね」


(そう言えば私、テーブルゲーム、苦手だったわ)


思い返して見れば、今まで一度だってテーブルゲームで友達に勝てた事がない。サイカはちょっとだけ悲しい過去を思い出した。


(いやいや、落ち着け。今はそんな事どうでもいい。これは、文化だって言ってたし…)


周りの様子を見るに、これは恐らく戦って賭け事をする系の娯楽なのだろう。格闘技とかそう言う類のものと一緒だ。


「なら…楽しまないと」


「あ、何か言ったかい?お嬢さん」


蜘蛛男の問いかけに、サイカはニコッと微笑み返した。


「ええ。ルール、決めたわ。一つ、先に降参を宣言した方が負け」


すると、観客達の方から「なんだ、殺しはなしか」とあからさまに残念がる声がチラホラ聞こえた。だが、そんなの関係ない。これはサイカ達の戦いだ。


「二つ。負けた方がとびっきり美味しいご飯を奢る事」


「……ふふ、いいよ」


「そして、三つ」


「まだあるの?」


「ええ。敗者は勝者の質問に全て答えること」


蜘蛛男は首を傾げた。


「……ほお。因みに、君は一体何が知りたいんだい?」


「別に大した事じゃないわ。私はただ、この街について知りたいだけ」


「なるほど。……面白いお嬢さんだ」


蜘蛛男は少し嬉しそうだった。


「僕はそれでいいよ。じゃ、早速始めようか」


戦いのゴングが鳴った。と言うか、誰が持っていたのだろう。用意周到な奴がいたものだ。そんな呑気な事を考えていたら、蜘蛛男の方から何かが飛んできた。


「んっ!!」


サイカの口元を面ごと塞ぐ、何か粘つくフワフワしたもの。これでは、何も話せない。すると、蜘蛛男が不気味に笑う。


「直ぐに降参されちゃつまらないからね」


「いいぞ!やっちまえー!」


そんな野次が飛んでくる。ついでに蜘蛛の糸の塊も。サイカの口を塞いだのはこれだ。蜘蛛男の口元から飛ばされるいくつもの白い塊。


(うっわっ!)


そのあまりの気持ち悪さに、サイカはサッと避けると、何か背中に当たるものがあった。


(いった……何これ、琴線みたいな)


微かに光を反射する極細の線が宙を走っている。触れればピリッと小さな痛みがあった。指先には、綺麗で真っ直ぐな傷が出来ていた。


「はは、気付いたかい?既にお嬢さんは僕の巣の中さ」


(うっわ…ホントに気持ち悪っ)


思わず身震いしたサイカだが、何を勘違いしたのか、蜘蛛男はニタニタとさらに嬉しそうに笑う。


「怖いかい?ふふふ」


また糸の塊が飛んできた。その瞬間、パッと避けようとしたのだが、身体が反対方向に引っ張られ、サイカはそれに直撃してしまう。おかげでジャケットはベッタベタだ。


(あああー!このジャケット、お気に入りだったのに!!)


おまけに引っ張られた時、宙の糸に何箇所か身体が触れてしまったらしく、頬と脚に切り傷が出来ていた。


(流石に、ちょっと本気出さないとマズイかな…)


そうこうしてると、サイカは自分の首に糸が巻き付いている感覚がある事に気がついた。


(!?いつの間に!)


「死んで負けを宣言できない場合は、僕の勝ちで良いよね?」


ハッとして蜘蛛男を睨むと、彼は両拳で何かを握っている。そこから伸びるキラリと光る細い線。


(あ)


「えいっ!」


結び目を閉じるように、蜘蛛男が拳を勢いよく両側に引っ張った。


「あれ?」


殺したと思ったのに、引っ張った糸が何処かでグッと詰まる感覚がある。糸が何処かで絡まってしまったのだろうか。目の前のサイカはただ棒立ちでいるだけ。


「それっ!」


蜘蛛男はもう一度、強く両拳を引いてみる。でも、やっぱり首は落ちない。目を凝らしてよく見ても、サイカの首元から伸びる糸は、蜘蛛男の指の動きに合わせて上下に少し動き、相変わらずピンと張っていた。


「……随分、硬いね」


糸は絡まってなどいない。首には確かに巻きついている。が、糸はただ彼女の肌を滑るだけ。傷すら付けられていない。


「……」


サイカは首元から伸びる糸をスッとなぞった。それから、しっかりとそれを握る。その瞬間、もの凄い力で蜘蛛男の身体はサイカの方へと引っ張られた。


「は?」


サイカが再び糸を強く引き上げ、反動で宙を舞う蜘蛛男。


(あ、月提灯がまん丸だ)


街の空を薄暗く照らす、大きな飾り照明。それは昔、常夜のこの街に“昼”をもたらそうとした芸術家の失敗作だ。


(こんなに美しく見えることもあるんだなぁ)


宙高く舞い、その光を遮るウサギの面の少女。その両手には糸が握られていた。


「はあああ!?」


クルクルと蜘蛛男の首元に巻き付く糸。落下していく自分の身体。このままだと自重で首を吊ることになる。蜘蛛男は咄嗟に追加の糸を張って、空宙で体勢を整えた。が、いつの間にか、その背中にはサイカがピッタリとくっついていた。暴れて落としてやろうとしたが、彼女の服についた糸の塊が身体に粘ついて、中々取れない。


「クソッ!」


ヌッと蜘蛛男の背後から伸びていく両の腕。サイカはゆっくりと、蜘蛛男の首に巻きつく糸を引っ張っていく。


「なっ……」


徐々にと締まっていく首。つうっと生暖かい感覚が蜘蛛男の首筋に流れた。


「まっ…参りました」


「………」


すると、サイカはサッと糸から手を離し、蜘蛛男の顔を覗き込みながら、口元の糸を剥がす様に促してきた。


(喋れないんだけど!)


「あ、ああ。分かったよ」


蜘蛛男が指を鳴らすと、全ての糸がシュルシュルと男の手元に集まり、サイカ達はやっと地に脚を付けることができたのだった。


「ふぅ…。やっと、まともに息できるわ」


「…おお」


その軽やかな立ち回り。勝負はこれにて決着。異形達はサイカへ賞賛の拍手を送った。


「やるじゃねぇか」

「ああ、あの身のこなし。久しぶりに楽しませてもらった」

「まさか蜘蛛の糸の反動で、飛び上がるとはな!」

「あれはアツかったな!普通じゃ、足ごと切れてるぜ!?」

「こりゃ、歓迎会やるしかねぇな!」

「おお、そりゃいい!」

「お嬢ちゃん!飲みいくぞ!!」


先程まで、とんでもない野次を飛ばしていたのに、一変した態度。これにはサイカもびっくりだ。


「…えへ、そうかな」


でも、褒められて嬉しい事には変わらない。少し小っ恥ずかしそうにしながらも、サイカは仮面の下でえへへと笑うのだった。





「そうかい、そうかい。お嬢ちゃんは社会科見学に来たのかい!」


「そうなの。学校のレポートで提出しなくちゃいけなくて。私、修了試験の筆記が悪かったから、課題を追加されちゃったの」


「そりゃ、大変だ。で、良いものは書けそうかい?」


「ええ!だってこんなに素敵な人たちと知り合えたんだし、色んな話聞けて…きっと満足いく内容になるわ!」


「はっはっはっ!!素敵だってよ!みんな喜べ!!」


無事、勝負に勝つことが出来たサイカは、野次馬だった異形達と一緒に街一番の料理屋に来ていた。


「盛り上がってるな」


「……」


そんな中、セイタは楽しく会話する彼らを横目に、独り隅の方で麦茶を飲む。あの後、異形たちに半ば無理やり連れていかれたので、少しばかり虫の居所が悪かった。


「それにしても、お嬢さんは良い仮面を持ってるねぇ」


異形の誰かがそんなことを言った。


「そう?」


「ああ。ワシらへの親しみが伝わってくるいい仮面だね」


(親しみ…ねぇ)


サイカはそっと自分の仮面に触れた。ふと、視線の先に一人で飲むセイタの姿が映り込む。麦茶、もう三杯目になるのだろうか。


「…そんなに仮面って重要なの?」


サイカは同じように仮面をつけている異形にたずねた。


「そりゃ勿論。異形になると、人だった頃の感覚が少なからず喪失して、暴走する事があるからね。昔は面をつける事で、欲望を抑えつけ、互いに敬意を表してたんだよ」

「人にとっては身を守るためのものであり、俺たちにとっては、俺たちが俺たちらしくあるためのものでもある」

「そうだな。最近はそんな文化を蔑ろにする若者が増えたがなぁ…」


「ふーん」


「……」


(なんか…背中がチクチクする)


セイタは相変わらずそっぽを向いていたのだが、背後から集まる視線が痛いのは感じていた。


「“面をつければ、心は人。皆仲間”って言うのが、私たちの教えにあってね」


また誰かが仮面について話し始めた。


「そうそう。だけど、面をつけずに来る人の子が、たまーにいたりするんだよなぁ」

「全く…耐性持ちならまだしも、面なしで異形化して暴走されちゃかなわねぇよ」

「あ、そう言えば、100年前くらいに居たよな?面も付けずにノコノコやってきて、挙句、異形にになって街で好き放題暴れた奴」

「あーいたいた。確かこの辺の被害、凄かったよな」


「へぇ…。何が起きたの?」


サイカは彼らの話に興味津々だった。


「巨大なトカゲだか、ワニだかの爬虫類が街に突然現れたんだよ。調べたら何処ぞの下層区から忍び込んだガキだったみたいで。異形化してから街をどんどん破壊していってな…」

「いやぁ、ありゃ、酷い事件だったよ。当時、私はここに引っ越して来たばかりでねぇ」

「俺もだ。あの頃は、異形化したら、直ぐに二区に移動させられてたからな。似たような奴らは、大勢いたと思うぜ」

「私もだよ。お陰で家族と離れ離れだ。もう100年も昔の話になるんだねぇ」

「確か、異形化したその子供も、父親を追って来たんじゃなかったっけ?」


「……」


「あー、そうだそうだ」と一瞬の沈黙を破って誰かが言う。サイカはずっと黙って真剣に彼らの話を聴いていた。


「まさかガキがあんなデカい異形になるなんてな」

「そりゃもう。もう少しで一区へのトンネル付近まで届くんじゃないかってぐらい、こーんなデカかった!」


とある一人の異形が腕を大きく広げて見せる。彼らはケタケタと笑っていた。


「おうよ。今じゃ懐かしいな。ゴ○ラ事件」

「そうだそうだ。確か、そんな名前だった」


「ゴ○ラ?」


とサイカは首を傾げる。


「地上時代の文献にある伝説上の生き物だよ。口から火を吹いて、訪れる街を一掃したって言われてる」


「ええ…地上ってそんなものがいるの?危険だわ」


「ははは。どうだろうねぇ」


異形たちは酒を飲み交わし、本当に楽しそうにしている。彼らは昔話に花を咲かせ、先刻とは打って変わって、とても平和な時間を過ごしていた。


「…からかわれてる」


そんな彼らの様子を見守っていたブラシが、ボソリとそうこぼす。


「あれ、揶揄われてるのか」


セイタのコップに残る氷がカラッと音を立てた。


「…お前さんまで、本気にしてないだろうな」


「え?」


とセイタはとぼけた顔をする。ブラシは毛束を萎れさせ、ため息をついた。


(こいつも、仲間に入ればいいのに)


ブラシが勧めても、セイタは絶対にあの中には入らない。少し、寂しい気持ちで独り麦茶を飲み続けるセイタを眺めていると、カチ、カチと動いていた時計が20時を指し示す。カーンと夕刻を知らせる鐘が二区の街に鳴り響いた。


「もう、そんな時間か」


セイタは立ち上がり、サイカ達が集まっているテーブルへ向かう。すると、異形達は機嫌が余程良かったのか、はたまた単に酔ってるだけなのか「よっ、大将!やっと一緒に飲む気になったか!」と声を掛けてきた。


「なぁ。そろそろ…」


「なんだ、帰るのか?」


相変わらず虚無の表情でいるセイタ。彼の発言に異形達は眉を顰める。


「なんだよぉ、つまんねぇな」

「もうちょっと飲もうよ〜」

「良いね〜、賛成ー!!」


そう調子よく言って、異形たちはサイカの肩にどっしりと腕を絡める。サイカはケロッとしていたが、異形のムキムキの腕が重くない訳が無かった。


「お前ら、そいつは人間だぞ。もう少し、丁重に扱え」


「なーに?怒っちゃって!あ、もしかして自分が構ってもらえないからヤキモチぃ?」

「仕方ない。掃除屋、俺の胸に飛び込んでこい。特別だ」


ムキムキの腕を広げて、自慢の胸元を晒す異形。わざと胸筋をピクピクと動かし、見せつけてきた。


(どうやったら、そんな風に…)


一瞬、自分のいつもの筋トレ方法が頭をよぎったが、今はそんなのどうでも良いのだ。


「何が特別だよ。いらねぇーよ、そんな特別」


「連れないなぁ」


「あの、私、帰るね。今日はありがとう」


すると、サイカはセイタに気を利かせてか、席を立ち上がった。


「え、帰るの?」


「ええ。皆んなとたくさんお話しできたし、報告にまとめなきゃ。また、お話聞かせて。あと4日は滞在する予定だから」


「そっか」

「…寂しいけど、そればっかりは仕方ないな」

「残り数日、楽しんでいけよ」


異形の奴ら。サイカには随分甘い態度だ。これも面の効果なのだろうか。セイタは思わずため息をつく。


「うん!もちろん!」


そんなこんなで、サイカとセイタは店の外へ出たのだった。ガラガラと店の扉を閉じ、ジャケットを着直す二人。


「……」


「………悪かったな、今日は」


なんか気まずい。セイタは取り敢えず、謝った。ガイドすると言ったは良いものの、結構な無茶をさせたのだ。サイカが怒っていても不思議ではない。タイミングを見計らって、謝るのが“今”になったわけだが、恐る恐る彼女の方をみると、意外なことに、サイカは怒るでもなく、ただ目を丸くしていた。


「……ぷっははははは!!何で謝るの?てか、何その顔、こっわーーー!はははは!」


そして、突然笑い出す。今のは笑う所だったのだろうか。理解できなくて、セイタの眉間の皺は更に深くなった。「いや、だって…」とセイタが続けようとすると、彼女は手をひらひらと横に振っだ。


「いいよ。そりゃ、蜘蛛さんとの勝負はちょっとびっくりしたけど、結果的にはここの人たちと仲良くなれたし」


そう言って彼女は店の二階の方を見上げる。店からは楽しそうな宴の音頭が聞こえてきた。異形達はまだまだ飲み足りないようだ。


「異形って悪い人ばかりじゃないのね」


「……そう思ってくれるなら良かった」


「ああ、でも、ガイドはもう良いかな」


「………へ?」


今、何と言っただろうか。てっきり、明日の予定でも立てるつもりでいたのに。断られた、と言う事なのか。すぐに理解できなくて、セイタの頭の中は一瞬、真っ白になった。


「うん。なんかこの面あれば、皆んなと仲良くなれるみたいだし。私、話聞けるなら何でも良いの」


「そ、そう?」


やっぱり、本心では怒っていたのだろうか。そう思うと、少し切ないものがあった。いや、自分のせいなのは、分かっているのだが。


「うん。だから、はい。300レイ」


そうして、セイタに差し出される3枚の紙。心なしが、札に刻まれた前天仙、加茂仙人の顔がより萎れて見える。


「なんか…随分、急だな」


サイカの勢いに押されながら、セイタはぎこちなく報酬を受け取った。


「いやー、ごめんね。実はこの面で予算オーバーしちゃって。先生からお叱りの連絡が来ててびっくりしてさぁ。節約しなきゃいけないの…」


どうやら彼女に悪気はないらしい。そりゃそうだ。面を買わせたのはセイタなわけであるし。


「ああ、そう…」


「でも、また時間あったら一緒に出かけましょ!“掃除屋”の方に電話すれば良いんだよね?」


「……おう」


「じゃ、今日はこの辺で!見送りは大丈夫!私、“強いみたい”だから!じゃあね!」


なんだそりゃ……。


「あは、あはははーばいばーい……」


もうヤケクソだ。虚しく振られる手。自信なさげに下がっていく腕。


「あーあ、セイタ。残念だったね」


そして、ふと、背後から聞こえる身内の声。

咄嗟に振り返れば、2メートル程ある大男と、その肩に乗る、角あり少女のシルエットが!!一体いつからそこにいたのか。ギョッとしてセイタは肩をすくめた。


「げっ!ボス…見てたんですか?しかもメグルまで…」


「セイタ!」


「デート失敗かぁ。楽しませてあげられなかったの?」


建物の影から姿を現しながら、ボスはわざとらしく尋ねてきた。


「う、うるさい!ていうか、覗き見してたんですか!?悪趣味ですよ」


「いやぁ、そのつもりだったんだけどねぇ。メグルちゃんがさ、、行きたいって言うもんだからさ。私たちも、してきたの」


何でそんな貯めて言うんだ。すっごく鼻につくぞ!


「セイタ!でーと、とっておいしい!もっと、でーとする!!」


ボスの肩の上で、メグルがキャッキャと喜んだ。その両手には、ドーナツとペロペロキャンディ。


「ふふふ。ご覧よ、セイタ。デートマスターの手にかかればこんなもんよ。ズバリ、“デート”とは、相手の好みを熟知し、不快感を与えずに、かつ自然なプレゼンテーションによって相手を満足させること!!」


「どーなつ、おいしい!!」


ボロボロと溢れるドーナツのカス。


「いやいや好みを熟知って、こんな分かりやすい奴いないだろー!メグルと比べるなよ!大体それは、デートの話だろ!!」


「チッチッチ。ガイドも同じさ。呼び方が違うだけで、やってる事は一緒」


ムカつく。その人差し指、やめろ!

と言う間もなく、ボスは続ける。


「ちなみに、一つテクニックとして、満足させる手前で止めると言うのもアリだ。不足感が相手を“次”に誘いやすくする。人は“足りない“と思うと、“もっと”っと強く思うものだからね」


「うん!メグル、つぎは、きゃらめるそふと?たべたい」


いつの間にか、キャンディまで消えている。ボリボリ噛み砕いて食べてしまったらしい。


「だからメグルとは比べても仕方ないだろ!こいつの胃袋は底なしだ!」


「…まあ、でも、“次”を求められていることには変わらないからね」


「………チッ」


「さてさて、冗談はこれくらいにして、私は君を求めてるよ」


そう言ってボスから差し出されたのは、一枚の紙。


「気持ち悪い言い方やめてください」


仕事の依頼書だ。


「やーね、ノリが悪くって。どうしてこんなになっちゃったんだか…」


「ボスがそんなだからでしょ」


セイタが嫌味でそう言ってやれば、ふむ。と、ボスは顎に手を当てる。


「…まあ、そう言うツンとしたところが愛らしい面ではあるのだけどね」


「……良い加減にして下さい」


「それもそうだね。じゃ、疲れてるだろうけど、頼んだよ」


「…わかりました。じゃあ、メグルの事、お願いできますか?」


「もちろん。そのつもりだよ」


そう自信満々に言うボスだが、どうも心配だ。セイタは渋い顔をして、じとっと彼を見つめた。


「……寝る前にちゃんと歯磨きさせて下さいね。あと、トイレも!」


「う、うん」


「それから、夜更かしさせないように!」


「うん、分かったから、行っておいで」


「……んじゃ」


踵を返し、常夜の街へ駆り出すセイタ。小さくなっていく彼の背中は街の闇に溶けていく。


「すっかり、父親やっちゃってるね」


「ちち?」


「はぁ。息子の成長が嬉しいような、寂しいような」





ザザッ

ザサーッ プツ


(だいぶ、ノイズが入るなぁ)


「あ」


『あっじゃない!!この馬鹿者おおお!!』


鼓膜を劈くような激しい怒号。通信が繋がるなりこれだ。だから通話での連絡は嫌いなのだ。


「す、すみません、先生」


それでも実際に本人を目の前にするよりはマシかもしれない。サイカはそう思った。


『全くお前は何を考えているんじゃ!もう少し、計算して使わんかい!!』


「すみません!どうしても必要で…」


サイカがそう伝えると、向こう側で、フーッと先生の長い息の音がした。気持ちを切り替えようとする時、先生はいつもこれをする。


『…それで、何か分かったか?』


「あ、はい。取り敢えず、街の様子を見て回りました。異形たちは、敬意を持って接すれば、基本的には気の良い人たちみたいです」


殺されそうになりましたが。まあ、大丈夫。


私、強いから。


サイカは自分の力の手応えに、ガッツポーズをした。


『油断するな。奴らは暗い感情の泥沼に落ちた連中だ。万が一に分かり合えたとしても、決して救えない。あまり思い入れるでないぞ』


「…何でそんな悲しい言い方するんですか?あれはあれで楽しそうでしたけど」


『馬鹿者!!手懐けて懐に入れとは言ったが、自分が手懐けられてどうする!!もっと仙として自覚を持たんかっ!!その場の空気に流されてはならぬ!目的を見失うな!!』


「は、はい!すみません!」


『……兎に角、目的は“たまご”じゃ。先日、除名された仙が、それらしきモノを見つけたらしい』


急な怒号からの、この落ち着きよう。さすが先生である。感情の使い方を心得てるからこそ出来る技。やられる方は少々、心臓に悪いが…。


「そうなんですか!?それはどんな?」


『“たまご”はまだ幼い少女の姿をしていて、特徴である角はと』


「そんな…!じゃあ、どうやって探せば…」


『慌てるな。その子は“掃除屋”と行動を共にしているようだ』


「えっ…」


『恐らく、我々を警戒して角は其奴らに折られたのであろう…。全く酷い事をする』


「………」


『…どうした?』


「あ、いえ…。その掃除屋、たぶん今日会いました」


少しの沈黙があった。先生にしては珍しく、驚いているようだった。


『……そうか。なら話は早い。今回は視察だけの予定だったが、状況を見て“たまご”を連れて戻れそうなのであれば、そのように動いても構わん』


「え、ええー!!?そんな事言われても…。そんな大仕事、私に出来ますかねぇ…」


『サイカ。お前は頭は悪いが、やる時はやる子じゃ。正直、こんなに早く見つけるとは思ってなかったし、なんなら見つけて来られなくても、わしは良いと思っておった』


「うわぁ…なんか地味に傷つく」


『だが、この好機、逃しては損だ。実技試験満点の実力、しかと他の仙にも見せつけてやれ』


それを言われちゃ、サイカだって頑張らない訳にはいかない!


「は、はい!!先生!!」


『では、またな』


通話を切り、サイカは脳内で、先生の言葉を反芻する。


「“実力を、見せつけてやれ”…か!!」


先生が期待してくれている。今までかつてこんな事があっただろうか。俄然やる気が湧いてきた!



セイタは今夜も掃除に励む。


「…なぁ、セイタ。あの時、サイカを試したんだろ」


ブラシが聞いてきた。あの時とは、蜘蛛男との勝負にサイカを差し出した時のことだろう。セイタはブラシについた黒い汚れを払い、またクルリと回す。


「ああ。本当に仙かどうか、知りたかったんだ」


「……お前さん、性格悪くなってきたな」


「……否定はしないけど、俺、やっぱり仙は嫌いなんだよ」


ブチュッと念の塊が、また悲鳴をあげて潰れる。


「反吐が出る」

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