第5話 理由

セイタの仕事はいつもメグルを寝かせてから始まる。


この日も高い所に登っては、念が溜まりやすい場所を見つけ、掃除に励んでいた。


「……熱心だな」


念の塊を潰しながら、ブラシが言った。セイタは返り血をぬぐい、ため息をつく。


「まあね。ボスがああ言ってたろ」


「……」





先日、ボスに連れられて行った現場は、セイタが普段担当している場所とは比べ物にならない程、酷く澱んでいた。


「この先は一区なのさ」


目の前に聳え立つ、巨大で丸い鉄の壁。地下都市の中で唯一、一区に繋がるこのトンネルは、分厚く光を一切通さないこの鉄の扉によって、遥か昔に閉鎖されたらしい。メグルの話をしようと、そう言う話だった筈なのに、ボスはこんな所までセイタを連れてきて、一体どう言うつもりなのだろうか。


「……酷い空気ですね」


普段鈍感なセイタでも淀みのせいで気分が悪かった。この場所は異形でも殆ど立ち寄らない場所らしいが、ボスは特に何とも無いらしい。


「そろそろ、封印の交換時期なんだけど、ここ」


ボスが指差した扉の隙間。そもそも、隙間という隙間は、紙の護符でほぼ埋められていたのだが、ボスが指し示したその場所だけ、護符が剥がれ、何か黒いものがポツポツと溢れ出していた。


「何ですか?これ」


「私たちが犠牲にした者のだ」


ボスは言う。なるほど、この扉から漏れ出す黒い液体が、“恨みつらみ”……。うむ。


「………何ですか、それ」


一応考えてみたが、結局セイタには分からなかった。


「地上での戦争は教科書で読んだでしょ?」


それと何の関係があるのか。疑問に思いながらも、セイタは質問に応える。


「はい。長い戦争で、人々は殺し合って、それが呪いになったって」


「…ぷっ。面白いよね。そんなんで呪いになるわけなんか無いのに。大事なところはいつも抜けてる」


馬鹿にしたように笑うボス。その口ぶりは、まるで、呪いとは何か知っているような感じがしないわけでも無い。ボスは続ける。


「恨みをかってこその呪い。愛を賜ってこその祝福。どう呼ばれるかは人の采配で、結局は、どれも神の気まぐれにしか過ぎない」


「……“神の気まぐれ”って、何です?ひょっとして、天仙のこと言ってるんですか?」


「天仙…?」


そしたら、ボス、いきなり吹き出した。


「ぷっははははは!!セイタ!!まさか君の口からそんな言葉が出て来る日が来るとは!!!」


「な、何ですか、いきなり!俺は別に…一般的に、天仙が“神”と崇められてるから、応えただけであって、個人的には嫌いです」


「ふふふ、分かってるよ。分かっていたんだけど、なんか面白くてさ」


ボスはケタケタと笑いながら、懐から数枚の紙を取り出した。それから、ふっとそれらに息を吹き掛ければ、風が勝手紙を舞上げ、影が集まり、ボスお手製のまんまる雑面式神になる。

ボスはさながら、女児向けの物語に出てくる“小鳥と触れ合うお姫様”の如く、長い指先をクルクルと回して、式神達を宙で転がした。


「フフフッ」


(………なんか、すごい光景だな)


悍ましくも微笑ましい。何とも形容し難いその光景は、セイタを微妙な気持ちにさせた。そうやって、式神達と楽しそうにしてるボスは「天仙が“神”かぁ…」としみじみと溢す。


「…まぁ、実際、“人を超越した存在が神だ”とするなら、天仙は確かに“神”と言える。並外れた神通力を使い、人々を束ね、まつりごとを司る。何も間違った事は言ってない」


雑面をつけた小さな式神達は、ボスの元を離れると、扉の隙間に集まり、黒い溜まり場をじっと見つめ始めた。


「なら私たち、異形はどうだい?セイタ」


また意味ありげな聞き方だ。


「……まさか異形も“神”だって言うんじゃないですよね?」


セイタは少し考えてから、冗談のつもりでそう尋ねた。だが、ボスは笑わない。その声色は妙に落ち着いていた。


「…人の寿命を遠の昔に超え、その形をも失った成れの果て。不思議な力を持つ者も多くいる。腕は千切れても生えて来るし、その場から動く事は叶わないが、時空を操れる者だっている」


トカゲの事、トビラの事だ。


「ねぇ、セイタ。異形とは何だと思う?」


そして、また質問を投げかけてくる。セイタは返答に困った。


「……正直、俺にはわかりません」


そもそも自分如きがその質問に答えられていたなら、人類は呪いに怯え、300年もここに閉じこもってなどいないだろうに。


「君の考えが聞きたいんだ」


それでもボスはセイタの応えを待っている。だから改めて考えてみよう。異形とは何か。

セイタは自分の右手を見つめ、自分が異形になりかけた時の感覚を思い出してみた。


「俺は……色々思うところはあるけど、結局は、“自分で自分を呪った姿“だと思います。右腕が異形化した時、自分の中の抑えきれないこの激情を形に出来るなら、どうなったって良いとさえ思えたんです。今思うと……幼稚で馬鹿馬鹿しい話ですが…」


仙人達に対する恨み。死んだ母への同情。メグルの生い立ちに対するやるせなさ。怒り、悲しみ。あの時、そんな負の感情が一気に膨れ上がった。

実際、あの思いは今まで自分が表現してこなかっただけで、長年、セイタが胸の奥底に閉まっていたものなのだろう。だから妙に馴染むし、心地がよかったのだ。

セイタはボスに視線を戻した。


「そうか」


だがそれは、どうやらボスの欲しい答えでは無かったらしい。その背中は少し残念そうだった。


「……そう言うボスは何だと思ってるんです?」


「そうねぇ。神になれなかった、…かな」


すると、ボスの声色は急に明るくなった。


「まー別な言い方するなら、妖怪だね」


ペリッと封印が剥がれる音がする。ドロっとした何かが、隙間から急に飛び出して、ボスの背後を襲う。


「ちょっ!!ボス!!」


思わず叫んだセイタだったが、そんなのは杞憂に終わった。次の瞬間、ボスの式神達が、一斉にしめ縄でそれを縛り上げ、飛び出た黒い塊は隙間からぎゅうぎゅうに押し戻された。完全に引っ込む頃には、新しい護符がボスの手によって付けられる。


「…ちゃんとみた?」


雑面が少しだけ揺れた。


「見たって…何ですかあれ。目玉がたくさん…」


「君がいつも掃除してるものの超怖い版」


ボスは指を立てて、何故か得意げに教えてくれた。


「さっきののせいで私たちは地上に出られないのさ。ま、自業自得なんだけど」


そう言って式神達を懐にしまい、襟を正す。


「?」


「爆発的に広がった呪いから身を守る為に、私たちは彼らを見殺しにしたんだ。200年くらい前にね」


「…じゃあ、あれも元は人?」


「いや、あれらはただの念の塊さ。見殺しにされた連中の苦しみや怒りがこの場所に集まって、それらが可視化した。あれは私たちの罪悪感を呼び覚ます。呪いはそうやって勝手に生まれ、増幅して、思いの重みに身体が耐えきれなくなった時、人は異形に化ける」


ボスは自分の背丈より何倍も巨大な扉を、見上げた。


「昔、メグルちゃんに似た子がいたんだ」


そして、徐にそんな事を呟いた。


「メグルに…?」


「うん。まあ、似てるって言っても、共通点は角が生えてるってだけなのだけどね。その子は天仙の側近で、200年前の一区封鎖の時に死んでる」


セイタもまたボスと同じように、扉を見上げる。改めて見ると、その冷たさが伝わってくる。大きく、不気味な扉だ。


「呪いを肩代わり出来る体質だった。この扉を閉める時、一区むこうがわに残ったんだ」


すっと長い指が、護符に触れた。ボスにとって、思い入れがある人物だったのだろうか。声に切なさを感じる。


「メグルちゃんも、そうだったんだね?」


「……」


その瞬間、セイタは確信した。やっぱりボスは最初から分かっていたのだ。…いや、と言うより、ボスのことだから、ひょっとしたら、で無い事を願っていたのかも知れない。セイタはゆっくりと頷いた。


「…はい。俺の呪いを取ってくれました」


するとボスは、深いため息をつく。


「また同じ事をするのか、天仙…」


暗く響くボスの声。彼もまた、天仙に少なからず恨みを持っている。少しだけ嫌な予感がした。


「ボス…。ボスはメグルの事、どうしたいんですか?」


セイタは恐る恐るそう尋ねると、ボスからは「別に、どうも」と返ってきた。それはそれで意外な答えだった。


「私はただ…天仙のやり方が気に食わないんだ。また呪いが濃くなれば大勢を切り捨てるんだろう。一区のように」


「“切り捨てる”って……まさか、次は二区が封鎖されるって言いませんよね?」


「…分からない。でも天仙ならやりかね無い。私は、メグルちゃんはその為に用意された、次のなんじゃないかと思ってる」


「そんな。そんなのって、あんまりじゃないですか…」


「ああ。私はもう、あんな光景を見るのは御免だよ」


ボスの拳が、鉄の扉の前でぎゅっと硬くなる。


「これ以上、業を深くしてはダメだ」


ボスは、振り返った。雑面が少しだけ揺れた。


「だから、私たちは掃除屋なんだよ」





また、念の塊が潰れる。ボス曰く、二区に蔓延る念の塊は、暗くて強いものが多いらしい。呪いの瘴気が濃くなる原因は少しでも排除しなくてはならない。だから、“掃除”は必要なのだ、と。


「…こんな事言うのも野暮だけどよぉ、“掃除”はただの気休めっていうか、時間稼ぎにしかならねぇんだろうな」


どこか諦めたような様子で、ブラシが言った。


「本当に二区とメグルを救いたいなら、天仙とやり合うしかねぇ」


「分かってるよ…」


セイタだって馬鹿では無い。そんなのは薄々勘づいてはいた。ボスはああ言っていたが、掃除はあくまで対処療法でしかない。


「まぁ、ボスも分かってて掃除屋やってるんだろうが…」


ブラシはしみじみと溢す。セイタは、すこし悲しい気持ちになった。


「うん。一区封鎖から200年だもんね。俺たちの考える事なんて、ボスはとっくの昔に思い至ってるよな…」


「ああ、全く。水臭いぜ。昔から他人に心配かけたがらない奴ではあったが…。もっと頼ってくれればいいのに、やるべき事がいつもと変わらぬ“掃除”とは」


ブラシはブルブルと毛束を震わせた。ちょっも怒っているみたいだ。そんな彼を見て、セイタにも少し笑顔が戻る。


「はは。そうだな。まぁそれでも、しないよりはマシだろ」


「へー、何?二区の掃除屋って人間なんだ」


ふと、上から女の声がした。随分と気安い調子だった。セイタが見上げると、個性的な髪型の女がいた。頭にお団子二つ、そこから、だらんと伸びた髪の束が揺れている。彼女は壁から伸びる鉄塔に腰を掛け、こちらを見下ろしていた。


「…なんだ、あいつ。人間?」


自分と同じ耐性持ちだろうか?おまけに、随分と高そうな服を着てる。大きめのジャケットに、ショートパンツとニーソックス。前時代的ファッションだが、着こなしは様になっていた。おそらく下層区からの観光客か、何かか。

セイタが不審に思っていると、隣のブラシが興奮気味に言ってきた。


「おい、セイタ。俺、あの髪型知ってるぜ!ありゃ、セーラーm—」


「違うわよ!仙女の決まりなの!!伝統的な髪型なんだから!!」


「…は?」


急に怒鳴られて、セイタもブラシも拍子抜けだ。彼女は何を必死になっているのだろう。呆気に取られていると、彼女は鉄塔から飛び降りた。


「なっ………!」


叫び声をあげそうになった束の間、セイタの目の前で、彼女がピタリと静止する。長い二つの髪の束がブランッと勢いよく揺れると、彼女の両足は、フッと地面に降り立った。


「私の名前はサイカ。二区の社会科見学に来たの」


「……は?」


意味がわからなくて、セイタは眉を顰める。すると、ブラシが慌ててフォローを入れてきた。


「ちょ、悪りぃな!!こいつ、同年代の友達とか、そう言う仲間が全くいなかったからよぉ、人との交流の仕方を知らなくてだなぁ…。おい、セイタ、挨拶ぐらいしろって!!」


ブラシがあまりにも必死に言うものだから、セイタは渋々「どうも」と頭を軽く下げた。派手な装飾に、ジャラジャラキラキラとよく分からない化粧をして、近くで見るとより頭が悪そうだと思った。彼女は一体何者なのだろう。もし彼女が本当に仙女なら、治安の悪い二区こんな場所で、自分から仙女だと仄めかすような言動は、あまりにも世間知らずというか、馬鹿すぎないだろうか。だが、そうじゃ無いとしたら、先ほど見たそれっぽい飛行術の説明がつかない。


「へぇ、デッキブラシが喋ってる。面白いもの持ってるのね」


あるいは、どうせ信じない。と思ったから、こんなに無防備なのか。


「……」


プイッと体を背け、セイタはさっと踵を返す。深く考えるのは辞めることにした。こう言う時は、さっさと退散するのが吉だ。


「あ、ちょっと何よ!無視ー!?」


女がなんか言っている。


「おい、良いのか…セイタ」


とブラシ。セイタは吐き捨てるように言った。


「俺は、も、も嫌いだ」


「…っ、そ、そうだったな」


ブラシはうっかりしていたのだ。先日、異形化した一件があった事。また、余計な事でセイタの感情に波を立てて、面倒ごとになったら敵わない。


(こいつには、暫く“仙人“とか、それに関する事は禁止だな…)


実際、セイタ自身、それを自分でよく分かっているのだ。それに、またメグルの角を重くさせたい訳じゃない。セイタは、自分たちがいた建物から、パッと飛び降りて、二区の街に張り巡らされた太い排気パイプを滑り落ちた。


「ちょっとおー!何で逃げるの!?」


「ぶっ!!」


一体どうやったのか。滑り落ちようとした先にお団子頭の彼女がいる。気に食わないと言った様子で、仁王立ちでこちらを睨みつけているが、このままではぶつかってしまう。セイタは慌てて止まろうとしたが、勢い余ってブレーキが効かない。仕方なく、滑走する勢いのままブラシを壁に突き立てた。


「っ!!」


ゴンっと言う衝撃音の後、ボロボロとモルタル製の壁が崩れ落ちる。顔スレスレにブラシが突き立てられ、壁にまでめり込んだと言うのに、彼女は瞬き一つしなかった。


「……」


「………なんか用?」


肝の据わった女である。無言の圧力とその図太さにこれまた面食らって、セイタは気がついたらそう尋ねていた。すると彼女はでっかいため息をついた。


「はぁー、やっと会話してくれた。街の異形に話しかけても、丁寧な対応されたと思ったら、みんな襲ってくるし、話が通じないのよ。だから、ちょっと手助けしてもらいたくて」


彼女は真剣な表情で言う。顔の横に棒を突きつけられたままでいる事は、心底どうでも良いらしい。


「……何で俺に?」


「だって、あなた人間なんでしょ?異形たちが噂してたわ」


「噂?」


「うん。掃除屋で人間が働いてるって」


「……人間に用があったらなら、別な人紹介するけど」


フィオなら対処してくれるだろうか。押し付けたら、それはそれで文句を言われそうだが、セイタにとってはマシな選択肢だと思った。すると彼女は、


「必要ないわ」


と簡単に拒否する。


「私は社会科見学に来たの。安全に二区の街の様子を見てまわりたいから、案内をお願いしたくて」


社会科見学?


それは確か昔、学校でやらされた遠足的な何かだと、セイタは認識していた。


「………嫌だね。街のガイドに頼みなよ」


「だーかーらー!あいつらしたたかなのよ!依頼しても直ぐ変なとこ案内して、バラして回収屋に売るとか、訳の分からない事を言ってきて…。まあ、全員返り討ちにしてやったけど」


「返り討ち…?」


彼女、可愛い格好して結構お転婆らしい。


「ああ、だから今日サイレンが…」


とブラシが溢す。すると、彼女が身振り手振りを大きくしながら懇願してきた。


「兎に角、異形には頼めないのよ!お願い!報酬はきっちり支払うから!ね!」


「……俺、仕事で忙しいんだけど」


「幾ら?」


「は?」


「だから、その仕事、幾ら?」


「え…時給じゅぅ—」


ビシッとセイタの前に“3“の指が差し出される。


「さんびゃくっ!」


「……30じゃなくて?計算間違ってないか?」


セイタの掃除屋の仕事は時給15レイだ。その倍ならともかく、300は流石にないだろう。すると、彼女は一瞬、眉を顰めた。


「日給よ。時給換算だと面倒だから。期間は5日間。合計で、1500レイ。どう?」


「せんごひゃく…」


何だそれは。ベビーシッター2ヶ月分よりも高い。ジリリリリと、頭の中でメーターが動く。そんな大金がたった5日で手に入る。そんな事があって良いのか!?


「……ん?」


目の前に差し出された手に、彼女は気が付いた。


「よろしく頼む」


見上げると、無表情だが何処かやる気に満ちている掃除屋の青年。彼女はニコッと笑い、その手を取った。


「交渉成立!」


何度でも言おう。

セイタは押しに弱かった。

特に金銭が絡んだ場合は!

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