第3話 掃除屋子育て奮闘記

メグルがまた駄々をこねた。


「やだぁーー!!」


「今度は何だ?」


ブラシが半分呆れて、叫び声のする方を振り返ると、餅を前に頭を抱えるセイタと、椅子に座ったまま両手両足をジタバタと激しく動かすメグルがいた。


「…甘いものがいいって言うから、みたらしにしようとしたんだけど」


「おしょーゆ、いや!いや!いや!いや!」


「困ったなぁ…」


先週は問題なく食べてくれていたのに、昨日ボスが気まぐれで朝にホットケーキを出してくれたせいで、メグルは餅を食べなくなっていた。


「何なら食べるんだよ、メグル。ホットケーキか?」


ブラシがそう尋ねてみるが、メグルは「いやいやいや!」と首を横に振るだけ。仕舞いには、頭をテーブルに突っ伏してぐずり始めた。


「ふぇっ、うっ、ひっく、ひっく、うわあああーん」


「あああ……」


これにはセイタも音を上げる始末。気の毒な彼にブラシは同情した。


「まるで宇宙人だな」


「……俺、もう無理だ。ブラシ」


「は?」


「ちょっと、出てくる」


「あ、おい!!」


何を言い出すかと思えば、セイタは突然事務所を飛び出して行ってしまった。どうしようか。事務所にはぐずるメグルとブラシだけ。ボスは不在だ。


「うう、ううう、ああああああん」


「…メ、メグル、泣いてちゃ分からないぞ?気持ちは言葉にしないと」


「う、うわああああああん」


「…はぁ、ダメだこりゃ」


すると、メグルは何を思ったのか、泣きながらも椅子からヨイショっと降りて、トビラの方へと向かった。セイタを追うつもりだろうか。ブラシはこりゃいけないと思って、咄嗟に彼女の前にパタンッと倒れ落ちた。


「おいおい、どこ行く気だ?セイタなら暫くしたら帰ってくるから、俺と一緒に待とうぜ。な、メグル」


「いっ、いっ、いやだあ。セイタのところがいい…ひっく、ひっく、う、ううう」


「…はぁ、一丁前に親だとは認識してるのな」


それに比べて、セイタにはまだ保護者であると言う自覚が足りない。確かに、18になったばかりの青年に、そんな事を求めるのも酷な話だとも思う。ましてや自分の子供ではないのだ。子育てなんて右も左も分からないのだから、セイタが逃げ出したくなる気持ちも分からないわけでは無かった。


「セイタ、さがしにいく」


「おいおい、だから待とうぜって」


「いやだ!!セイタにおいてかれたくないもん!」


メグルは扉のドアノブに手をかけた。だが、それは簡単に開くような代物では無い。なんせその扉はトビラの意思で存在しているものだからだ。


「おい、トビラ。絶対開けるなよ」


ブラシが言うと、トビラは少しばかり間を置いて答えた。


「…分かってるけどよ、流石に四六時中泣かれるのはごめんだぜ。俺も少し寝たい」


「は?」


「それに、こいつさ…何か妙っていうか—」


ムッとする表情のメグル。キッと鋭くなる眉と瞳。メグルの手が取手ではなく、扉本体の方へと伸びた。その瞬間、ドロっとした瘴気が事務所内に充満する。


「はっ!?おい、トビラ!!」


「あー、やべぇ」


トビラの形が緩々と変形していく。それでも彼は形を保とうと、必死で四隅の位置を戻そうとしている。しかし、このままでは確実に抜かれてしまう。既に小さな隙間から、二区の街並みがチラチラと覗いていた。


「くっそぉ…おい、メグル。分かった。ここは開けてやる」


トビラがそう言うと、メグルはやっと彼から手を離した。もうトビラは観念するしか無かった。


「だが、約束だ—」



—ブラシを連れて行け


「だああ、もう」


服の背中側からブラシを通し、常夜の街を歩き始める少女。その奇怪な光景は街行く異形たちの目を引いた。


「ちっ!見てんじゃねぇーぞ!掃除屋のガキが散歩してるだけだ!手ェ出したら、うちの奴らがタダじゃおかねぇからな!」


ブラシは彼女をじっと見つめる異形に向かって毛束を尖らせる。すると、異形たちも面倒ごとは御免だと、そそくさと見て見ぬふりをしてくれた。


(…ったく。掃除屋の名が広まってて良かったぜ)


そんなブラシの気苦労なんていざ知らず、メグルは随分とご機嫌な様子だ。さっきまでグズっていたのは一体何だったのか。


「おい、メグル。そっちは行くなよ。こっちの大通りを行け」


何か気になったのか。メグルは細い小道を覗き込む。あっちには駅裏の商店街がある。ここよりも治安が落ちるし、言葉を失った異形も多い。今行くべき場所じゃないと、ブラシは遠心力を使って、メグルの視線を大通りの方へ戻した。だが、直ぐに、彼女はまた小道の方へ向き直る。


「こら!」


「いや、こっち!」


暫くそんな攻防が続くと、メグルは背中に刺さっていたブラシを引き抜いた。


「あ、おい、何する気だ!」


「ブラシ、うるさい!!」


その瞬間、メグルの手からゾッとする様な熱が伝わってきた。トビラにやったのと同じように、ブラシも溶かすつもりだろうか。一瞬、ヒヤリとしたブラシだったが、同時に腹が立った。こんなガキ1人に、自分は何怯えているのかと。


「チッ!俺は元御神木だぞ!やれるもんならやってみろ!!」


「うるさい!!!」


「ふんぬううううううあう!!!」


形がぼやけそうになる。意識が曖昧になる感覚に近かった。だが、元御神木のプライドに欠けて、こんな生まれたばかりの子供に負けられない。ブラシは全身に精一杯の力を込めた。


「…うーん、ブラシ、かたいや」


「っはぁ、はぁ…どうだ、分かったか。俺の強さを」


何とかメンツを保ったブラシだったが、ぶっちゃけギリギリだった。どこか、つった気がする。アレはいつの事だったろうか。数トンはあるであろう鉄骨の下敷きになった、壁の異形を助けるために、テコ入れとして使われた時ぐらいの力は使ったと思う。全く末恐ろしいガキだ、メグルは。


「…と、とにかく、あっちは言っちゃダメ。それと、気に入らない事があっても、力でねじ伏せちゃダメ」


息を整えて、ブラシはメグルを叱った。


「…なんで?」


「なんでってそりゃ、危険だから」


「なんできけんなの?」


「…怪我したら痛いだろ。痛いのは誰も好きじゃ無いからだ。お前さんもそうだろ?」


ブラシが尋ねると、メグルは首を傾げた。


「…?えいっ!」


「イデッ!!何すんだよ!!」


突然、ブラシを振り回し、メグルは彼を壁に叩きつけた。思わずブラシは怒鳴ったが、メグルはケタケタと笑う。


「えへへへへ、いたい?」


「いてぇーよ!!だから、止めろって、ってえええ!」


メグルはキャッキャと喜び、またブラシを振り回し、彼方此方へぶつけて回る。


「おい、こら!!いい加減にしろ!!」


ブラシは遂に毛束を尖らせた。その反動でメグルの手からすっぽ抜け、クルクルと回転しながら宙を舞い、落ちる時にメグルの指先を引っ掻いた。


「わっ!」


「チッ。ほらな、いてぇーだろ」


メグルは自分の手のひらを目の前に持ってきて、血がプツっと大きな雫になるまでをじっと見つめていた。


「…うん。いたい」


「それ、嫌だろう」


「…うん、いやだ」


「なら、人が痛がる事はしちゃダメだ。もし、しちゃった時は、こうするんだ」


ブラシは、パタッとメグルの前に倒れた。


「ごめんなさい。こう言って、お前さんは、頭を下げるだけでいい」


「…なんで?」


「……」


流石にキレそうだったが、ブラシは気持ちを保とうと、自分に冷静になれと言い聞かせる。相手は何も知らない子供だ。大事なのは何度でも言葉で伝える事。


「俺は、お前さんに痛いことをした。だから、謝らなきゃいけない。お前さんも、俺が痛がることをした。だから、お前さんも謝らなきゃいけない。分かるか?」


「…いたいのは、いやだから?」


「そういう事。じゃ、もうどうすれば良いか分かるな?」


「うん。…ごめんなさい」


「そう。もう良いよ。分かれば良いんだ」


ほら、ちゃんと伝わった。ものすごく疲れたが、なんとか伝わった。ブラシは大きな達成感を感じていた。

だが、そんな束の間だった。


「誰だ、俺の店を棒で殴ってる奴は。お前か!!」


「わっ!!」


「メグル!!!」


突然現れたトカゲの異形がメグルを蹴飛ばした。体重の軽い彼女は、隣の店の窓に叩きつけられ、そのままガラスを突き破って店の中に落ちていった。悲鳴とガシャーンという派手な音が中で響き渡る。


「何だ、ツノ持ちだが、人間のガキみてぇだな」


トカゲはメグルを蹴飛ばしてから気がついたらしい。ニヤリと笑うと、シュルシュルと細長い舌を鳴らす。すると、窓を突き破られた隣の亭主がカンカンに怒って表に出てきた。彼は豚の異形だった。


「おい、何だ!ヤモリ!!このガキはテメェの仕業か!!!」


「メグル!!」


豚の亭主に首根っこを捕まえられたぐったりとするメグル。頭を切ったのか、金色の髪を伝って真っ赤な血が流れ落ちていた。


「ああ、わりぃわりぃ。ちょいと最近仕入れたんだけどよぉ」


とトカゲが言う。


「おい、コラ!その子は掃ji—」


するとトカゲの異形は、邪魔だと言わんばかりに喋るブラシを蹴り飛ばした。ブラシはクルクルと回転しながら宙高く昇り、通りの店の屋根にコツンと落ちた。


「畜生!!まずいぞ!!」


このままではメグルが殺されてしまう。ブラシは慌てて文字通り棒のような体を動かしてみるが、瓦がデッキ部分に引っかかってガチャガチャと虚しく音が鳴るだけ。下に見えるトカゲの亭主は何事も無かったかのように、会話を続けた。


「そのガキ、言う事聞かないんもんだからさ。窓は弁償するから、返してくれ」


「…?良いけどよ、随分見目の整ったガキじゃねぇか。どこで仕入れたんだ?」


豚の亭主は不審に思ったらしい。こんな人間に近い異形、普通ならトカゲ野郎の手元にある訳がないのだ。


「ああ、ある筋から保護を頼まれてんだよ」


そんなのは嘘っぱちなのは、明らかだった。トカゲの狙いは少女をバラバラにして、回収屋に高値で売る事だ。生身の人間のパーツは希少で需要も高い。所有権が適応されていなければ、二区に迷い込んだ人の子を殺し、売っぱらった所で罪にはならないのだ。


「…にしても随分ちっせえな。頃合いになったら売るのか?」


豚の亭主はそんな事を聞いてきた。


「ああ、死んでなけりゃ、そうする」


ポタポタと血が流れ落ちていく。地面にできたメグルの血溜まりが、少しずつ、少しずつ大きくなっていた。


「だから、ほら、返せ」


トカゲが手を伸ばした時だった。片腕が、パッと消えてしまった。


「え」


何が起こったのか、トカゲは一瞬理解できなかった。


「ギャアアアアア!!俺の腕が!!」


真っ青な血が吹き出す。少女の首根っこを捕まえていた豚の亭主も、驚いて思わず後ずさった。


「えっ、えええ!?」


「…いたいのは、だめ」


メグルは言った。目を見開いて、じっと何処かを見つめている。豚の店の亭主は、咄嗟にメグルを手放し逃げ出した。


「うわあああ!!」


「った…」


途端に自由になったメグルは尻餅を付いた。それからサッと立ち上がり、徐に宙に手を伸ばす。すると、逃げ出したはずの亭主は、まるで何者かに首根っこを掴まれたかのように、突然首元を抑えて苦しみ始め、宙に浮き上がった。


「だっ、くっ!!なんだ、これ!!は、はなせ!!!」


ジタバタと脚を動かす亭主。豚が宙に浮くその光景は二区でも面妖な事で、驚いた野次馬達が次々と集まってきた。一体何が起きているのか。宙舞う豚の近くには、金髪の少女と、痛みに悶え疼くまるトカゲの異形。彼の足元の青い血溜まりが少しずつ広がっている。


「おお!!久しぶりの“喧嘩”かい?」

「いいね!あの角の子、ちょいと個性的な力があるみたいだよ」

「そりゃ、すげえや」


当然、人々はその光景に目を輝かせた。時たまこうして街で起きる“喧嘩”は、娯楽の少ない二区では住民の最高のエンターテイメントだ。だから、当事者以外の連中は皆ウキウキとしてトカゲとブタが苦しむ様を眺めていた。


「あの子、いいねぇ。次は、誰が挑む?」

「魚屋なら良い勝負しそうじゃ無い?」

「そうだね。賭けでもしようか」


そして、“喧嘩”はいつの間にか、賭け事ありの試合になる。誰も敗者を助けない。死ねば回収屋が来て、全部持っていってくれる。使えそうなパーツは市場に出回るだけ。


「ご、ごご、ごめんなさい」


宙に浮いて悶えていた豚が泣き喚き始めた。異形たちはそんな彼の情けない姿を見て、ケタケタと笑う。きっとこのまま死ぬのだろう。そんな風に誰もが思っていたのだが、次の瞬間、豚の亭主の首根っこから圧迫感がフッと消えて、彼は地面に軽く尻餅をついた。


「なんだ?」


「ひっ、ひいいい!!」


豚の亭主は自由になったと分かると脇目も振らずに一目散に逃げていく。野次馬たちは望んでない結果にブーイングを浴びせた。


「おい、殺せよ!!」

「もっと派手なのが見たかった!!」


「…なんで?」


メグルは純粋な疑問をぶつけた。すると、異形の彼らはクスリと笑う。


「そんなもん、その方が楽しいからだよ」

「ほら、そっちのトカゲも痛めつけて!」


誰かがそんな事を言う。メグルは片腕を押さえて未だ疼くまるトカゲを見た。


「…たのしいの?」


「っ…楽しいもんか!!いってぇし、死にたくねぇよ」


「……」


何とも情けない声だった。それは、注意して聞かないと、野次馬の罵倒にかき消されてしまう程、弱々しい。メグルは、辺りを見渡した。


「…めぐるも、いたいのすきじゃない」


「……」


「でも、あんた、めぐるをけった。ちがでた」


メグルの髪に伸びる赤い線。彼女の額からはまだ血が滴り落ちていた。


「…わ、悪かったよ。俺が悪かった」


「わるかったって、なに?」


メグルは首を傾げる。すると、トカゲは勢いよく顔を見上げた。その目には涙が浮かんでいる。


「ごめんなさいっ!!もう、おめぇを殴ったり怪我させたりしないよ!だから、許してくれ!!」


「…うん。ならいいや」


「…え?」


その間抜けな声は、トカゲのものだったのだが、野次馬たちも一斉に固まった。


「めぐるも、ごめんなさい」


そして、少女はトカゲに頭を下げる。もう訳がわからなくて、皆唖然としてその光景を見ていた。


「あ、ああ…じゃ、おあいこって事だな。もう、行っていいか?」


「うん。いいよ」


「そうか、わりぃな。ちょっ、お前らどけ!!」


トカゲは右腕を押さえながら、人垣を掻き分けそそくさと逃げていってしまった。そうなると、面白く無いのは野次馬たちだ。


「何だよ、ビビりやがって!!」

「もっと強い奴じゃねぇと!」

「しょうがないねぇ、次は僕だ!!嬢ちゃん、僕と手合わせ、どうだい?」


野次馬達がまた騒ぎ立てる。いつの間にかこの騒動は規模がどんどん大きくなって、屋根の上にまで、チラホラと見学しに来た異形たちが現れ始めた。


「てあわせ?」


メグルは知らない言葉にまた首を傾げる。すると、人垣を掻き分けて出てきた手脚が8本ある蜘蛛男がその口をワラワラと動かして教えてくれた。


「真剣勝負って事よ!どちらかが死ぬまで戦う!単純でいいだろう?」


「…めぐる、しぬのはいや」


「なら、どちらかが“参った”って言うまでっ戦うのはどうだい?」


「…めぐる、いたいのもいや」


「なんだ、嬢ちゃん。そりゃ無いぜ!さっきの戦いを見せつけておいて」


蜘蛛男は手をゴキゴキと鳴らした。


「なら、無理やりにでもやり合ってみるか!!」


拳が振り上げられる。その時、風が如く、商店街の瓦屋根を走り抜ける影が、大通りの上空に舞い上がった。


「っ!!!」


ブンっと風を切る音が、蜘蛛男の拳と交わる。次の瞬間、反射的に複数ある蜘蛛男の脚と手が、突然上空から現れた青年めがけて攻撃を仕掛けてきた。青年は、またブンッと音を立て、棒で蜘蛛男の攻撃を受け流す。同時に、体勢を低くして勢いのまま蜘蛛男を蹴り上げた。


「うおっと!!」


バランスを崩した蜘蛛男は咄嗟に背後に跳び上がり距離を取った。薄汚れた、青い作業着を身に纏う青年。色素の薄い髪。細くも筋肉質なバランスのいい肉体。ジトっとした目がこちらを睨んでくる。


「あらら」


そして、その手にはデッキブラシ。間違いない。


「噂の“人間の掃除屋“さんじゃないか」


蜘蛛男は嬉しそうに笑った。


「このガキは俺のだ。手ェ出したらタダじゃおかねぇ」


セイタはデッキブラシをカンっと蹴り上げて、再び構え直した。その姿を見て、蜘蛛男はニンマリと嬉しそうに笑う。野次馬の異形連中も「おお!」と声を上げた。


「いいねぇ!僕はそれでもいいよ!」


「…………なんだ。テメェら。ただ賭けがしたいだけか」


やっと盛り上がってきた。と言うのに、少しの沈黙の後、掃除屋の青年は急に構えていたブラシを下ろした。


「え?ちょ、ちょっと」


青年は踵を返し、背後にいた少女の手を取った。


「帰るぞ、メグル」


「…うん」


こくりと頷く少女。そして、そそくさと行こうとする青年を蜘蛛男は呼び止めた。


「いや、帰るぞ、じゃなくて!!勝負は?」


「興味ない。あんたの勝ちで良いよ」


当然、また野次馬達からはブーイングが飛んできたのだが、セイタはガン無視して、メグルを背負って常夜の街を駆け抜けた。追ってくる奴も何人かいたが、建物の屋根や、入り組んだ鉄骨を渡り歩いて行くうちに、結局、背後には1人も居なくなっていた。


「…ったく」


やっと逃げられた。気がついたら、本街から随分離れ、街灯も少ない8丁目の先にまで差し掛かっていた。セイタは深いため息をついて、背負っていたメグルを下ろした。そして、深く息を吸う。


「メグル!勝手に出歩いちゃダメだろう!!心配したんだぞ!!」


セイタは怒鳴った。


「…だって」


「だっても、へったくれもない!俺の知らない所でトラブル起こして、喧嘩に巻き込まれてるなんて!怪我までしてるし、死んだらどうするんだ!!」


「…ご、ごめんなさい」


「……」


メグルは、本当に悪いと思ってるようだった。一体彼女に何があったのだろう。それまで一度だって彼女は何かに対して謝った事が無かったのに、これは新しい変化だ。少し冷静になったセイタは、静かに尋ねた。


「…どうして勝手に外に出たりしたんだ?」


「セイタ、いないのイヤだったから」


「………はあ」


セイタはしゃがみ込み、メグルと視線を合わせた。


「悪かったよ。置いていって」


「…うん」


「…んで、トカゲの腕はお前がやったのか?」


あれはセイタが、偶々大通りを歩いていた時。いつもよりやたら騒がしい商店街から、腕を失ったトカゲが必死に逃げていく姿が目に入ったのだ。周りのもの達が、やれ喧嘩だと騒いでいる中、どうやら「金髪のツノ持ち」が関わってるらしいと、そんな話が聞こえてきて、慌てて駆け付けたのだった。

そしたら案の定、近くの屋根の上で伸びるデッキブラシと、騒ぎの中央にいるメグルを見つけたと言う訳だ。


「うん」


メグルは自分がやった事を認めた。


「どうして?」


「あのひと、めぐるのことけりとばした。めぐる、そのせいでちがでた。いたいのはいやだから、それをわからせるために、やった」


「…分からせるため?」


セイタは眉を潜めた。随分と過激な思想だが、メグル自身は、この件に関しては悪い事をしたという自覚がないようだった。これは実にまずい。倫理観を正さなくては。セイタはメグルを曇なき眼で見つめる。


「いいか。痛みを分からせるために、腕を消しちゃいけない。いくら何でもやり過ぎだ」


「でも、ブラシがそう教えてくれた」


「はあ?」


セイタは握っていたブラシを流し目で睨みつけた。ビクリッとブラシは体を震わせる。


「ち、ちげぇーよ。こいつが俺を壁に何度も叩きつけて遊ぶから、他人が痛がる事をしねぇーようにだなぁ…」


「しつけの為に痛めつけた、と?」


「かすり傷作っただけだよぉ…指んとこ」


セイタはメグルの手を取った。ぷっくりした短い指に、綺麗な赤い線が出来ている。ブラシが付けたもので間違いなさそうだ。


「なるほど。メグルはブラシの真似をしただけってわけか」


「な!俺のせいかよ!!」


「…そう言うつもりは無いよ。でも、気を付けないとな。俺も、お前も」


「…まねしちゃだめだったの?」


2人の会話をじっと聞いていたメグルは首を傾げた。


「ああ。メグルには口があるんだから、まず初めに、ちゃんと言葉で伝えるんだ」


「…ごめんなさい、するの?」


「そう。それで済めば、最初から誰も痛い目見なくて良いんだから。いいな?」


「…うん。わかった」


「とは言ってもよ、お前さん。二区ここじゃ、そう簡単に問題が解決する事なんて稀だぜぇ」


とブラシが茶々を入れる。冗談っぽい言い方だったが、それもまた事実であった。


「その時は俺を呼べ。俺はメグルの保護者なんだから」


「……」


「分かったな?」


セイタはポンッとメグルの頭に手を置く。すると、メグルは目を細め、何故かぐずり始めた。


「ふえっ、ひっく…うううあ」


「え!?」


何で今!?と驚いた束の間、顔をぐちゃぐちゃにするメグルがセイタに抱きついてきた。顔を埋めて、わんわん泣いている。


「…あー、ほんと宇宙人みたいだな」


セイタはメグルを抱き抱え、立ち上がった。


「よし、よし。家、帰ったら飯にするか。フィオ姉に得意料理教わってきたからさ」


セイタはメグルの耳元で明るく言った。彼女はまだグズっていたが、家に帰る頃にはスヤスヤと眠っていた。


「安心したんだな」


事務所の前に着くと、セイタは扉にそっと「開けてくれ」と呼びかける。すると、トビラの目の位置がいつもより、高い場所にギョロリと現れた。


「…どうしたんだ?」


「いやぁ…そのガキのせいで時空間に歪みが生じてよ。直すのに大変で…。取り敢えず形だけ、それっぽくしたんだ。中は問題ないから、ほら、入れ」


ギィッと扉が開く。事務所の中に入ると、何だかホッとした気持ちになった。ここも帰る場所だと思えるようになってきたのだ。胸を撫で下ろすと、何故か視界の端にボロボロの服を着たボスがいた。


「…あれ、ボス?どうしたんですか、それ」


雑面は綺麗なままだが、いつも整えてる髪のお団子はぐちゃぐちゃだし、揉み上げもモッサリ。確かセイタの記憶では、スーツで出掛けていった筈だが、ジャケットは無くなってるし、ワイシャツは汚れと穴だらけ。ズボンも似たようなもの。革靴は底が剥がれて、ボスの足先が露出していた。


「いや、さぁ…トビラから話聞いた?」


「え?…もしかして、時空に歪みが生じたって話?」


「そうそう。彼、ここの時間を保つのに精一杯で、私の出張先の空間の扉はもう殆どダメにしちゃったんだって。お陰で20年、待ったわ」


「…じゃあ、今のボスは20歳老けてるって事!?」


「……200歳超えた時から年齢なんて数えてないから誤差よ、誤差。でも、寂しかったわ」


ボスの長い指が、セイタの腕の中でスヤスヤと眠るメグルを撫でる。


「…ふふ。憎たらしい時もあるけど、こうしてると可愛いね」


「ぐっ!!」


突然悶えるメグル。そして、セイタも思わず苦笑い。


「取り敢えず、ボス…風呂入ってきてくれません?」

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