不変なれ、となりのよもぎさん

あば あばば

不変なれ、となりのよもぎさん

 私は変わらないものが好きだ。朝は同じ時間に起きて、いつも買うのは同じジュース。文房具もずっと同じメーカーのを買い足して使っているし、私服より制服が好き。

 しかし――いや、だからこそ。最近、毎日が落ち着かないのだ。

 原因は隣の席の少女。毎朝教室の扉を開いた瞬間、どうしても目に入ってきてしまうその少女は、変化と流転の化身のような生徒なのだから。


「おはよう、園田さん」

「おはようございます、園山さん」

「やあやあ、前園くん」


 日によって挨拶を変える。私の名前も毎日間違える。声の高さもまちまち。

 よく見れば髪のハネかたも、制服の着崩しかたも、匂いさえもほんの少しずつ違う。

 彼女の名前は四方木よもぎれん。それだけはどうやら、変わらない。


 その奇妙な性質を気にしているのはクラスでも私だけのようだった。同じクラスとはいえ一匹狼の彼女は、朝の挨拶以外はほとんど話すこともない相手なのだけれど……私にはその微妙な差異がどうしても見過ごせなかった。


四方木よもぎさん? ああ……確かに浮いてるよね。でも、別に気にするほどでもなくない?」

「ううん、やっぱりおかしいわよ。上着の裾も、スカートの丈も毎日ちょっとずつ違うの。毎日替えてるとしか思えないけど、一体何のために? おかしい……」

「毎日そんなのチェックしてんの? おかしいのはあんただよ」


 昼食時に友人に相談もしてみたが、理解は得られず。

 私は仕方なく、次の席替えまでの数ヶ月を快適に過ごすことをあきらめたのだった。


 ――そうして、四方木蓮観察メモの容量がキロからメガ単位に差し掛かったある朝。


「おはよ、御園みそのさん」

「……!」


 突如として彼女は、私の正しい名前を読んだ。

 知り合って以来初めてのことだ。驚き凝視する私にもまるで気づかない様子で、淡々と鉛筆、ノートと教科書を机に並べていく。


「今、なんて……?」

「御園さん、だよね。あれ、違った?」

「ううん、合ってるけど……四方木さん、いつも私の名前間違うじゃない。急にどうしたの?」


 私の的確な指摘に、四方木さんは目をぱちくりさせた。


「……あ。そうか、一周してきたのか。番号をチェックしてなかったな……」

「番号?」

「なんでもない。いつも間違えてごめんね」


 悪びれず微笑む四方木さんにむっとしつつも、謝られた以上はもう責めるわけにもいかない。私はため息をついて、少しは寛大なところを見せることにする。


「別にいいわ。明日からはもう間違えないでね。あと、服装は毎日整えて。気になるから」

「んー……約束はできないかも。でも、努力はしてみる。明日の私をよろしくね!」


 爽やかにそう言って、彼女は強引に会話を打ち切った。


 その曖昧かつ不可解な回答のせいで、翌朝の私が少しそわそわしながら登校したのも仕方ないことだろう。

 今日はちゃんと正しい名前で呼んでくれるのかどうか。そもそも、どうして彼女は毎日間違えていたのだろう? 毎日の奇妙な変化の原因は? 疑問が次々に湧いてくる。明らかに反りの合わない彼女と仲良くなるのは避けていたけれど、こうなっては聞かずにいられない。

 そして、教室の扉を開けると――


「ハロー。園崎さん」


 その一言で、私は抱いていた小さな期待を全て、心のゴミ箱に捨てた。


「おはよう」


 小声で一言返して、私は机に座ってうつむいた。

 昨日、正しい名前を呼ばれて。今日、また間違えられた。

 たったそれだけのことなのに。私は何か大きなものを失った気がした。


 私はそれ以降、彼女と一切話さなくなった。

 毎日変わらぬ「おはよう」の冷たい返事のほかは。



 それから――1年過ぎた。

 学生の一年は長い。学年が変わると住む世界が変わる。周りの景色も変わる。

 変わるのは苦手だ。私は世界のほとんど全てが苦手だった。


 私はいつものように、背をぴんと伸ばしながらも、目線をうつむけて放課後の廊下を歩いていた。

 心は固く閉じて、他人の間を歩く時に誰もがするように、きゅっと唇も閉じていた。

 そして、


「おはよ、御園さん」


 その一言を聞いた。

 私は思わず顔を上げて目を見開き、すれ違って過ぎていく背中を凝視した。間違いない。四方木蓮だ。学年が変わり、クラスも変わり、とっくに隣の席ではなくなった少女。

 あの女。今更、名前を思い出したとでも言うのか。


 廊下をだんだん小さくなるその背中を、私はカツカツと怒りに満ちた足音で追った。

 文句を言ってやらねば気が済まない。私の生活を乱し、心を乱した挙句に、傷を残していった者に対して。


 しかし、四方木さんの背中はやけに素早かった。

 生徒たちの間を縫って、海から海へ、階段を上っては下り。まるで私を撒こうとしているようだ。なるものか。執念深き復讐者の足音を、背中で間近に聞くがいい。


「四方木さん!」


 追いついた。そう思った瞬間、目の前でばたんと扉が閉じた。

 扉と言えば引き戸ばかりの学校で、数少ない開き戸は中庭へ通じている。本校の中庭は広い。私の声などすぐに生徒たちの喧騒に呑まれてしまっただろう。


 ――逃げられた。そう思った途端、ぽろっと涙が落ちた。

 何の涙なのか、自分でもわからない。ただただ、無性に悔しかった。


「……御園さん?」


 いつの間にか、扉がまた開いていた。そこから、彼女がひょっこり顔を出して私の顔を見ていた。


「なんで泣いてるの。いつからそこにいたの」

「なんでって……あなたが……名前……ずっと……なんなの……」


 私の口からは、要領を得ない言葉が漏れた。


「あー……ごめん。そっか。名前、ずっと間違っちゃってたのか」


 どういう特殊能力を以ってしてか、彼女は私の心情を正確に捉えたようだ。

 私は涙を止めて何か言おうとしたが、涙は止まらず「えぐ、えぐ」という意味不明のうめき声だけがこぼれていた。


「……しょうがない。混乱するかもだけど、説明しちゃうか。泣かせた人には、説明することにしてるから」


 そう言うと、四方木蓮は私を近くのベンチに座らせ、自分も隣に座った。私はまるで泣かせた相手が何人もいるような口ぶりに少し苛立ちを感じつつも、黙って話を聞いた。


「簡単に言うと、私は無数の並行世界を常に旅しているんだよ。昨日の私は、今いる私ではない。明日の私も、また別世界の私なんだ。そうやって毎日ローテーションして、無数の私が無数の世界の教室をぐるぐる回っているわけ」


「は?」


「だから、私が御園さんに会ったのは本当はこれが三回目。始業式の日、名前を呼んだ日、それから今日。本当はずっと未知の教室を見て回りたいんだけど、どうしてもときどき同じ世界に戻ってきちゃうんだよね」


「……はぁ」


「世界の区別を付けるには、裏口側の自販機の裏にずっと落ちてる空き缶の製造番号をチェックすればいい。あれはなぜかどの世界でも必ず違う番号になるから。その世界番号と、クラスメートの名前をいつかリスト化しなきゃと思うんだけど、手間だし、スマホの中身も世界に合わせて変わっちゃうしでさ……」


「…………」


「あの日、御園さんの名前をメモに書いて机に入れといたんだよ。そうすれば次の私も間違えないと思って。でも、私あんまり始業前に机の中見ないんだよね、そういえば。今度は机に彫っておくから」


「……無駄よ」


 私は耳から流れ込んできた突拍子もない情報をどうにか処理しながら、ぽつりと言った。


「なんで?」

「もう、クラス違うから」


 彼女の話を信じるか信じないかはともかくとして。私の気持ちはそれだった。

 つまり、もう手遅れだということ。あの時私の中で始まるかもしれなかった変化は、始まらないまま過去になってしまったのだということ。この変な言い訳の真偽は、その事実を変えはしない。


「……そっか。この世界ではそうなんだ」

「まだ隣同士の世界もあるの?」

「うん。ここ以外は大体そう」

「……ふうん」


 私はいつの間にか止まっていた涙の跡を、手の甲で拭った。


「その並行世界には、どうやって移動するの?」

「この鍵を使うんだ。これで扉を開けると、どんな扉も『向こう』へのドアになる」


 全てが変わってしまう別世界。私にとっては地獄だろう。絶対に通りたくない。


「四方木さんは、もうそっちへ行くわけね」

「うん。そろそろ行かないと、次の私が来ちゃうから」


 二人のパラレル四方木さんが出会ったら、パラドックスで消滅したりするのだろうか。おかしくなって、ふっと邪悪にほくそ笑む。


「……あなたも、もう泣いてないみたいだし」


 私の笑顔を都合よく解釈して、四方木蓮は立ち上がった。つられて、私も立ち上がる。


「次は何年後にここへ来るの」

「う~ん、どうだろう。不確かだから。明日かもしれないし、数年後かもしれないし」

「ふぅん」


 四方木さんは、手で弄んでいた鍵を、かちりと中庭の扉の鍵穴に差し込んだ。

 そのアンティークな鍵はなぜだか、明らかに時代の違う校舎のアルミの扉と合致したようだった。胸が、ざわつく。


「じゃ。またね、御園さん」


 ――そうか。

 私がこの声でこうして呼ばれることは、もう二度とないかもしれないのか。

 そして明日学校のどこかにいる四方木さんは、もう私の知らない人になる。


 扉が、閉じてゆく。

 そして――がちりと止まる。


「あの……御園さん?」


 閉じかけた扉の隙間に、私は反射的につま先をつっこんでいた。


「話してないから、四方木さんは知らないかもしれないけど。私は変わらないものが好きなの。変わってしまうものは嫌い。あなたが明日別の人間になっていたら、私はその変化が気になってしまって毎日が台無しになるわ。あなたがこの扉の向こうに行くんなら、私も一緒にこの扉をくぐったら、私とあなたはずっと同じ私とあなたなのよね?」


 私の早口の質問に、四方木さんは目をぱちくりさせてうなづいた。


「まぁ、理屈で言えばそうなるかな」

「じゃあ、そうするわ」


 私は扉の隙間につっこんだ足を、さらにすすめて、体ごと扉の向こうへと押し込む。その瞬間、近くに四方木さんの横顔があった。

 実質三度目だけれど、見慣れた安心感。そう、これこれ。

 変わらない、隣の横顔。


「……わかった。これから、私をよろしくね」


 四方木さんの顔が困惑から許容に、そして微笑みに変わっていくのを見ながら、私は後ろ手に扉を閉じた。後ろに置いてきた世界は、もう振り返らなかった。


(おわり)

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