『宝物』

 一夜明け、その日は朝から雨だった。



「雨やだな〜・・・」


「なんで雨なんてあるの〜?」


「おもしろくなぁい。」


 

 朝食の後、広間で時間を過ごす子供たちは口々に、雨に対して八つ当たりしている。

 そんな中、一人つまらなそうに雨粒が点々と付いた窓の外を、頬に手を置き眺めるミリ。

 ミリはまだ気になっていた。しかし外は雨。行くか止めるかをずっと考えていた。

 

 まさにその時、広間に集まる子供たちを前にしてシスターが話をしていた。

 昨晩の4匹のオオカミの話である。

 ミリはそんな話をよそに思い耽っていて、全く話を聞いていなかった。



「オオカミだって。こわいね・・・」


「え?あぁ。うん。そうだね・・・」



 そばにいた2つ程年上の少女が声を掛けるも、ミリは上の空と言った感じで返事をする。


 しばらくして、5歳以下の子供たちが昼寝の時間になると、世話役などもいなくなり賑やかだった広間は落ち着きを取り戻した。



「大丈夫かな?」



 ミリはポツリと呟くとスッと立ち上がり、辺りを見回す。

 辺りに大人の目は無い。取りに行くなら今しかないとミリは思った。

 外は雨、大人がいたら絶対に怒られる。その考えでミリの頭は一杯だった。



「いこっ」



 そう自分に言い聞かせるように言うとミリは行動に移す。

 広間を出る時に、2つ上の先ほどの少女が声を掛けてきたがミリは咄嗟にトイレへ行くと言いその場を取り繕う。

 広間を出たミリは孤児院の玄関口へと急いだ。途中、自分の赤いお気に入りの傘も忘れない。



「ひゃあっ・・・」



 玄関口から外へと傘を差し飛び出したミリは、傘を伝って落ちる冷たい雫が額に落ちると、その冷たさに声を上げる。

 片手でそれを拭いながら、目標に向けて一直線に走り続けるミリ。

 しばらくすると、湖へと差し掛かる。

 昨日とは打って変わって雨の中、重くのしかかるような雲を反射した灰色の湖に少し恐怖を感じるミリであった。



「もう少し・・・」



 多少の恐怖は今のミリには問題ではなかった。

 ミリはリズの喜ぶ顔を思い浮かべ、勇気が溢れてくるのを感じていた。

 


「ハッハッハ・・・あ、あそこだっ!」



 息を切らして、湖の周りをなぞるようにしばらく走ると、リズと昨日入った森へ続く自然の通路を見つけるミリ。


 

「ちょっとだけだから、大丈夫・・・」


 

 森の中に入ると辺りの木々が雨を防ぐのを知っていたミリは、雨あがりのように傘を畳みながら言う。

 それは、シスターの躾に反する自分への言い訳のようにも聞こえた。

 しばらくすると、森の中を走るミリの視界の先には、森の中ポッカリとドーナツの穴のように空いた空き地が見えてきた。



「あ!見つけた!」



 記憶がミリの頭の中で再生されていく。

 昨日は日の光に照らされて楽園の様だった所も、今日はどんよりとした魔界の様相を呈していた。

 しかしミリには何かがキラリと光った、あの場所がすぐに分かった。

 その場所へと傘を差し直しながら、空き地を進む。


 

 ガサッ、ガサガサガサッ・・・



 突然、近くの茂みが音をたて大きく揺れる。

 その音に反応するミリが反射的にそちらへ振り向く。

 しばらくし茂みが2つに割れ、その奥から1匹のオオカミが姿を表した。



「ひっ!」



 反射的にうわずった声を上げるミリは大きく1歩後ずさると、次の瞬間背後から強い衝撃を受け意識を失う。

 ミリの背後から2匹目が体当たりを食らわしたのである。すぐにそれを確認した別の2匹が、茂みから姿を表す。

 

 跳ね飛ばされ転がったミリの周りを4匹のオオカミが、ジリジリと距離を詰める。

 近くには赤い傘がひっくり返っていた。


 

 時を同じくして、孤児院ではミリが見当たらないと、建物の中をシスターを始め世話係から農夫までが駆り出され捜索をしていた。



「そっち、いましたか!?」


「いや、こっちはいないぞ!」


「こっちもいない!!」



 慌てる大人たちと一緒になってゲーム感覚でミリを探す子供たちもいた。

 大人たちのミリを探す異様な雰囲気を感じてか、乳飲み子たちは不思議とそのほとんどが泣き叫んでいる。



「もしかしたら、リズの部屋に行ってるのかも・・・

 わたし行ってきます!!」



 世話係の女性がそういうと、リズのいる部屋へと駆け出した。



「まったくミリは・・・治るまでリズのところはダメってあれ程言ったのに・・・」



 女性はミリがリズのところへこっそりと行っているのでは無いかと、密かに確信していた。

 

 コン、コン・・・



「リズ?入るわよ。」


「どうぞ。」


「ミリ?いるんでしょ?出てきなさい。」



 世話役の女性が軽く2回ノックをした後、リズの返事を聞いて扉をゆっくり開けながら言った。



「・・・え?ここにミリはいないよ?」


「ここにミリ来てないの?」


「うん。ずっと一人だった。

 ミリ、どうしたの?」


「うん。・・・なんでもないの・・・」



 世話役の女性はリズの言葉を聞いてさっきまでとは打って変わり、言いながら顔色がみるみる変わっていく。

 しばらく唖然としていた様子の女性は、何かを思い出したかの様にリズの部屋を飛び出した。

 ミリに何かあったのかと思うとリズは居ても立っても居られなかった。

 体調もだいぶ良く身体も軽くなったリズは、ベッドから立ち上がり女性の後を追う。

 

 女性は広間に戻るとヨロヨロと力なくそばにいたシスターへもたれかかると口を開いた。


 

「ミリがミリが、いなかったんです・・・」


「大丈夫あなた!しっかりなさいっ!」



 話はするが心ここにあらずといったリズの部屋から戻った女性の表情を見て、シスターは彼女の頬を軽く叩いて声を掛けた。


 

 「み、ミリ・・・ミリどこに行ったの?」


 

 広間についたリズは大人たちが血相を変えてミリを探すその姿を見て、自分の足が震えている事に気がつく。



「いたぞっ!!見つけた!!湖近くの森だ!!!」



 突然、大きな男の声が広間に響き渡る。

 外を探しに行っていた、農夫の二人が戻ってきていた。

 

 ミリの発見の報告を耳にした次の瞬間、リズの頭の中に昨日の光景が映し出される。

 その瞬間さっきまで震えていた足は気が付くと、全速力で走り出していた。



「リズ!待ちなさいっ!!

 あなたたち、リズを追って!!」



 それを見たシスターが、リズに制止を掛けるがリズには聞こえていない。止まらないリズを見てシスターは外の捜索から戻った農夫二人に指示を出す。

 

 リズは孤児院の玄関を出ると脇目も振らず、頭の中の光景の場所へと直走る。

 雨で足場の悪くなった地面を裸足で疾走する。もちろん、傘など差していなかった。

 途中で足がもつれ大きく転がり倒れ込むが、何事もなかったかのようにすぐに立ち上がる。

 転んで膝が擦り剥け、肉が剥き出しになっているだけではなく、裸足の足は石が所々食い込み濡れた足跡に血が滲む程だった。



「待て!止まれ!!待つんだ!!!」



 後からだいぶ遅れて二人の農夫がリズを追ってきている。その一人が大声をあげるが、彼女には届かない。

 ひたすらに全速力で走るリズは不思議と呼吸の苦しさや、体の疲れを感じていなかった。

 それは、あらゆる脳内物質が彼女の体を強靭な物へと変えている様だった。


 リズの視界に湖が目に入り、その周りを大きく周りノンストップで駆け抜ける。

 すぐに昨日ミリと入った森が視界に入ってきた。


 

「ミリもうすぐだよ・・・もう少し待っててね。」



 全速力で走りながら小さく唱えるように囁くと、リズのスピードはさらに加速する。

 すぐに、木が生えていない昨日の空き地がリズの視界に広がってきた。



「ミリ・・・来たよ・・・ドコ?」


 

 リズは速度を徐々に落としながら周りを見回し、どこかにいるはずのミリに向かって話しかける。

 

 返事はない。

 

 空き地の中程で屈んだ農夫に抱えられた少女の姿がリズの目に飛び込んできた。

 リズはぴたりと足を一度止め、確認する様にゆっくりとその少女の元へと近づいていく。



「ねぇ。どうしたの?

 ・・・なんで?

 やだよ・・・なんで・・・?」



 ミリだった ───


 いいいィィィィィィ!!!!


 言葉にならない単なる音のような、リズの叫びが辺り一帯に響き渡った。


 農夫に抱えられたその体は血だらけで、顔、腕、足見えている部分の全てに傷や咬まれた跡がびっしりとついている。まるで犬に弄ばれた人形の様に。

 右手は折れているようで関節のない所で力なく垂れ下がり、左足は曲がらない方へ関節が曲がっていた。


 リズは変わり果てたミリの姿を見ると、自分の周りだけ時間が止まったように立ち尽くす。

 間もなくミリを包み込む様に陽の光が差し込む。雨は上がっていた。

 近くには裏返しの赤い傘に溜まった水が、昨日の湖の様にキラキラと光る。

 

 俯いたリズは視界の端で何かがキラリと光ると、そちらへと目だけを動かした。

 そこには柄の部分に幾何学模様が施された、古びたナイフが落ちていた。

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