(6)

 わたしのうしろで渡り廊下への出入り扉が閉まる音がした。


 わたしは、ガーネットの突然の登場に混乱して、彼がいるだろうほうへと振り返ることができなかった。先ほど、くだらない虚勢を張ってしまったあとだからなおさら。


 気まずさいっぱいに思わずベリラを見れば、彼女も気まずさに顔を引きつらせてわたしの背後へと視線を向けている。


 異性からの評価をなによりも気にして、取りつくろうのがベリラだ。だから、先ほどの同性――つまりわたし――への横柄な態度を見られたんじゃないかと考えて、きっと今は気が気じゃないんだろう。


「ガ、ガーネット……ひ、久しぶりだね」

「うん、久しぶり。ベリラは元気そうだね」

「う、うん……」

「それで……俺がローザのことを好いていないって、どういうこと?」


 ガーネットがこちらに近づいていくる音がする。その音を聞きながら、わたしは自然とうつむきがちになってしまう。


 「ガーネットに愛されている」だなんて、派手な嘘をついてしまった。


 その気まずさから、どんな顔をしてガーネットを見ればいいのかわからなかった。


 しかしぐい、と肩を引っ張られて、ガーネットがわたしの隣にきたこと、そして彼がわたしの体を抱き寄せたことを一拍遅れて理解する。


 困惑から思わずガーネットの顔を見上げた。彼はごく普通の顔をしていた。いつもの、柔和な顔だ。けれども今日はどこか――そこに硬さがあるような気がした。


「え……だ、だって」

「だって?」

「う、うーん、えっと……あの……か、勘違いだったみたい! ごめんね!」


 同性には威張って顎で使うが、異性に対してはおもねるばかりのベリラが、ガーネットに強く出られないのは必然のことだった。


 わたしには月が落ちてきたって謝らないだろうに、ガーネットにはいともたやすく謝罪の言葉を口にする。その落差には悪い意味で舌を巻く。


「ベリラ、今俺がどこに勤めてるか知ってるよね?」

「え……?」

「口だけで証拠がないから今は見逃すけど……。次に俺の前に現れたら――わかってるよね?」


 ガーネットは暗にふたつのことを言った。


 ひとつはベリラが迂闊にもおしゃべりした占術の結果を偽造させたという罪を聞いたぞ、ということ。


 もうひとつは再びガーネットの前に姿を現せば占術省にベリラの所業を伝えるぞ、という脅し。


 こんな穏当ではないことをガーネットがほのめかすだけにしても口にするのは珍しかった。彼はいつだって穏やかで平和主義的なところがあったから。


 ベリラは無言のまま何度もコクコクとうなずいて、それからつむじ風みたいにわたしたちの前から走り去った。


 それを見届けたガーネットは、ひどく疲れたようなため息を漏らす。


 その吐息を聞いて、わたしはガーネットが心配になった。


 二足の草鞋を履いていることもそうだが、なによりベリラへの初恋を無惨に散らせてしまったのではないかという懸念だ。


 それから、思ってもいないだろう嘘をつかせてしまったこと。


 ガーネットはわたしをベリラから助けるために、「今俺が愛しているのはローザ」などと言ったのだろう。


 口から出まかせを言ったのはわたしもガーネットも同じだったが、その性質はまったく違う。


「あの、ガーネット……」

「ん?」

「なんか、ごめん……」

「え? なんで謝るの? あー……ベリラのこと?」


 わたしが「うん」と肯定すれば、今度はガーネットが気まずげに視線をそらした。


 さすがにガーネットも、ベリラへの恋心をわたしに告白したことを覚えているのだろう。そして先ほどのやり取りから、ガーネットの初恋をわたしが覚えていることも、聡い彼は気づいたはずだ。


「まあ……なんとなくそうなんじゃないかとは思ってたよ、ベリラのことはさ」

「え? そうなの?」

「昔はわからなかったけどね。今思い返すと……ってことは色々あったから」


 さすがに占術師として名を馳せているだけのことはある。記憶力もあれば、観察眼も備わっているのだ。


 わたしはそのことに感心しつつも、やはりガーネットに初恋のひとの真実を突きつけてしまったことに申し訳なさを感じた。


「そっか……」


 けれどもこれ以上蒸し返すのはガーネットのためにもやめておこうと考える。


 それから、薮蛇になるのが怖かったこともある。


 ガーネットはどういうわけかわたしの「ガーネットに愛されている」というあからさまな嘘については突っ込んでこなかった。


 きっと、ガーネットのことだからわたしが無茶な虚勢を張ってしまったことを察して、あえて触れないでおいているのだろう。


 今はそのありがたさを噛み締めつつ、己の言動に反省することしきりだ。


 どぎまぎしつつガーネットとの会話をどうやって終えようか考えていたとき、タイミングよく授業の終わりを告げるベルが鳴った。


「あ、アクアにカフェテリアに行くって言ってたから……」

「そうなの? 足首大丈夫? いっしょについて行こうか?」

「大丈夫! ガーネットも用事があって学園こっちに顔出したんでしょ?」

「まあ、そうだけど……でも」

「大丈夫、大丈夫。――それじゃ、また家でね!」


 ベリラみたくつむじ風のように去れはしなかったけれども、気持ちだけは負けていなかったと思う。


 その後、妙に疲弊していたことをアクアに訝られたけれども、これもテキトーなことを言って誤魔化した。


 それでもその日は授業に集中できなかった。


 ガーネットに、「ガーネットは私を愛している」という宣言を聞かれてしまったのだと思うと、どうにも気持ちが落ち着かなかった。


 しばらくはこの件で気を揉むことになるのかもしれない。


 そう思っていたわたしの心を塗り替えたのは、ガーネットの「運命の相手」として決まった日から月に一度、通うことが定められている婦人科でのこのひとこと。


「おめでとうございます。懐妊ですよ」

「……え?」

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