(7)

 妊娠した。赤ちゃんができた。もちろん、ガーネットとの子だ。わたしはガーネット以外を知らないのだから、絶対に。


 妊娠した。それはつまり、ガーネットとの生活に明確な期限を設定されたのと同じだった。


 主治医からは「ガーネットさんにはこちらからご連絡いたしましょうか?」と気を利かせられたものの、「いえ、わたしから言いたいので!」と食い気味に言い切った。


 そしてわたしはガーネットに妊娠した事実を言おう言おうと思いながら、ずるずるとその日を引き延ばしているうちに――おどろくべきことに一週間が経っていた。


 すべきことを後回しにし続けるのは気持ちが悪い。落ち着かない気分になる。当たり前のことだ。


 けれどもそれをわかっていながら、わたしは一週間もガーネットに妊娠の事実を告げていない。


 またガーネットは忙しくなって、家には寝に帰るような状況が続いていたこともある。


 ……いや、これは言い訳だ。言おうと思えばいつだって言える。


「わたし、妊娠したんだ」と、サクッと言ってしまえばいいのだ。


 なのに、それができていない。一週間も。


 その日も憂鬱な気持ちを抱えて登校した。


 早く言わなければならないと急かされる気持ちだけがあって、でも口は重くて。


 ガーネットの子供を産んだあとの――未来のことを、きちんと考えなければならないときがきたのだ。


 ガーネットとの子供とは面会するのかとか、逆にわたしの名前すら知らせずに育ててもらうのかとか。


 そうやって、ガーネットといっしょにいる暮らしを解消したあとのことを考えると、無性に胸が痛くなった。


 大好きなガーネットの子供が産めるならそれでいいと思っていた。


 彼の人生に少しでも足跡そくせきを残せるのならば満足だと思っていた。思い込んでいた。


 けれどもどうやら、わたしは思っていたよりも欲張りだったようだ。


 考える時間が欲しくて、多くのひとが授業に出ている時間に中庭のベンチへと向かった。青々しい草の匂いを嗅いで、夏が近づいていることを感じ取る。


 まだ薄い腹に手をやる。これからどんどんお腹が大きくなっていくのだと思うと不思議な気持ちになった。


 つわりはまだ始まっていないが、状況によっては夏前の卒業式には出られないかもしれない。そのことは残念に思うが、赤ちゃんを優先せねばならないのは当たり前だから、イヤではない。


 そうやってお腹の中にいる、ガーネットとの子に思いを馳せていれば、中庭にざくざくと音を立てて入ってくる人影に気づいた。


「やあ」


 と、気安げに声をかけられたものの、わたしは名前を思い出せず曖昧に微笑むのにとどめる。


 相手は同学年の男子生徒だ。授業が被ることが多かったので、顔だけはなんとなく見知っている。きっと、相手もそうだろう。


 ちょうど、顔見知りのわたしの姿が見えたから声をかけたといったところだろうか。


 卒業も近いし、もしかしたら少しセンチメンタルな気分に駆られて声をかけたのかもしれない。


 ……しかし、どうもそう感じたのはわたしだけだったらしい。


「今日は君に話したいことがあって……」


 男子生徒は少し恥ずかしげにしながらも、どこか自信をにじませた様子で言う。


「ガーネットとの子供を産んだら、僕のところにこないか?」


 「は?」と言いたい気持ちをどうにかこうにか呑み込む。


 わたしがそうやって言葉を探しているあいだに、男子生徒は立て板に水とばかりに勝手に話を続ける。


 彼の話を総合すると、わたしはガーネットの子供を産んだあとに行くところがなくなるらしい。そこを、助けてあげると言いたいらしい。


 そして凄腕の占術師であるガーネットの「運命の相手」に選ばれるくらいだから、きっとわたしは子供の母親となる人間として優秀だろうから男子生徒の厳しいご両親も納得してくれる……とかなんとか。


 「は?」と言いたい気持ちを、再度どうにかこうにか封印する。


 わたしは卒業後は占術省の占星術部門に就職が内定している。だから、「行くところがなくなる」という男子生徒の主張がよくわからなかった。おまけにわたしの親は両方とも健在だし、故郷には親族だってたくさんいる。


 ガーネットの「運命の相手」だから、母親として優秀……という主張は、事実は置いておくとしても話としては理解できなくもない。しかしそれがどうして彼のところへ嫁げるという話に繋がるのだろう。


 「は?」と言いたい気持ちを三度みたび押し込む。


 わたしが引きつった曖昧な笑みを浮かべていれば、男子生徒はなにを勘違いしたのかこちらへと近づく。


「君にとっていい話だろう?」

「そうですか?」

「大丈夫! 両親は説得するから……」

「……しなくていいです。わたしはひとりでも生きていけますから」


 自分で言って、なんとなく傷つく。


 そうか、ガーネットと、ガーネットとのあいだにできた赤ちゃんとは、まったく無関係に生きて行くこともできるのか。


 そうなるかはわたしの選択次第ではあったものの、そのひとつの可能性を思うとなんだか切ない気持ちになった。


 妊娠したこと、それを自覚したことで、わたしは自分でも情緒不安定気味になっていると認めざるを得ない。


 このときも勝手にきてもいない未来を想像して、勝手に不安になって――


「俺のローザになにをしているの?」


 気がつけば、ぽろぽろと涙を流していた。


 そして歪む視界の中で、わたしに近づいてきていた男子生徒の肩をつかむガーネットの姿を認めた。

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