Ⅳ:恋愛って、ほんとおかしい

 程なくしてミオンさん、もといシオミシンヤによるリミックスは完成し、あたしの原曲とともに配信でリリースされることが決まった。

 ピコピコと鳴る電子音を組み合わせ、おもちゃのロボットのように騒がしいあたしの原曲と、ピアノを中心とした生音系の楽器で、すっきりと聴かせるミオンさんの完璧なリミックスは、対照的だった。

 最初こそ注目されなかったものの、同業者の口コミにより評判が広がっていき、再生数は着実に伸びていった。今では大手音楽メディアに「コンテストが生んだ化学反応! 女子高生×新進気鋭のクリエイターが作り出す未来」と取り上げられちゃったりなんかしている。まあ、「女子高生」という言葉で人々の目を引こうとするタイトルは、なんかむかつくけど。

「本当に、ミオンさんにリミックスしてもらえてよかったです。ありがとうございました」

 駅前のカフェで、あたしとミオンさんはお茶をしていた。ささやかな打ち上げ、ということでミオンさんが誘ってくれたのだった。

 前を見れば、丸くてかわいいショートケーキと、おしゃれな長方形型のチョコレートケーキ。そして、奥に座るミオンさんは、水色のラッフルブラウスに身を包んでいた。肩回りを飾るひらひらとしたフリルは透け感のある生地で、彼女の白い肌によく似合っている。ときおり亜麻色の髪が揺れ、透明な赤い石のピアスがきらめいて綺麗だ。

 ――水色と赤。なんだかこういう魚、いたなあ。ネオンテトラだっけ。あたしは、幼いころに読んだ図鑑の、熱帯魚のページに書かれていた小さな魚を思い出した。鮮やかな配色がおしゃれだな、と子供ながらに感じた記憶がある。

 ミオンさんは「ん」とケーキを頬張ったまま返事をし、飲み込み終わってから口を開いた。

「ソプラさんの原曲が良かったからだよ。実際、原曲の方が好きだって言ってる人ばかりだし」

「いやいや、原曲って言っても、出会ったときのミオンさんのアドバイスがあったからですって。エンジニアさんに手伝ってもらって、アドバイス通りに直したらすごく良くなったんですよ」

「……音作りとか音色のこと? あんなの、それなりに音楽やってる人だったら誰でも言えることだから、私なんか」

「……」

 あたしは、思わず黙ってしまった。出会った時からなんとなく思っていたけど、この人、プロの矜持とかないのかな。謙虚というか、自信がないというか……。

 あたしはおとなしく、目の前のショートケーキを頬張った。苺のほのかな酸っぱさと、クリームの優しい甘さが口いっぱいに広がってとてもおいしい。

 もう一口、とケーキにフォークを伸ばそうとすると、ふと隣の男性客の会話が耳に入ってきた。


「ケンヤって、OCCULTICオカルティック SEAシーのこと、本当に好きだよなあ」

「だって、めっちゃよくね? 特にこないだ出たばっかの曲。『君を思うだけで笑顔になれる』っつーベタな言葉がさ、一周まわっていい」

「まあ、それはわかる。実際、好きな子のこと考えるとにやけちゃう、ってのはあるよな」

「あー、それ、リコのことじゃん! お前さ、視線でバレバレだよ、マジで」

「はあ? そんなことないって! 今はオカシーの話なんですけど」

「はいはい、わかりましたよ。……なんかさ、オカシーはそういうさー、なんつーかな、素直な気持ちを書くのがうまいっつーか」

「わかるわかる」

 バンドの楽曲に自らを重ね、恥ずかしげもなく恋愛を語る男性客二人組。そんな彼らが癪に障った。

 なんか、むかつく。

「『君のためならー、竜宮城百軒建てられちゃう、アッハァン』とか、さ。めっちゃ良くね?」

「やー、それは流石におかしいわ。オカシーだけに」


「恋愛って、ほんとおかしい」

 気がつくと、あたしはそう呟いていた。

「おかしい、って?」

 顔を上げると、ミオンさんはケーキを食べる手を止め、目を丸くしていた。

「ああ、いや……なんていうか、恋愛に浮かれてる人って、ちょっとおかしい、みたいな」

 こんなこと言うつもり、なかったのに。必死に慌てるあたしと、きょとんと首を傾げるミオンさん。対照的だ。

「そうなの?」

「だって、『君を思うだけで笑顔になれる』みたいな、月並みな言葉でキャーキャーできちゃうんですよ? そんなありふれた言葉に、自分を重ねて舞い上がったりしちゃって。なんかそういうのっておかしいし、ダサい」

 あたしはぐっと手を握りしめた。つい、正直な気持ちをこぼしてしまった。あたし、何言ってるんだろう。恥ずかしさに、体の奥が熱くなっていくのを感じる。

「そっか、ソプラさんはそう思うんだ。興味深いな」

 否定も肯定もしない、予想と違うミオンさんの反応。あたしは目を丸くした。同時に、目の前にいるこの相手が何を考えているのか、ものすごく気になった。

「……ミオンさんは、どう思うんですか」

 あたしの言葉のあと、ミオンさんは顎に手を当てて「うーん」と唸った。あたしたちの周りに、少しの沈黙が流れる。

「私はね、恋愛をすると感受性が研ぎ澄まされると思うんだ。だからこそ、すべての言葉にさまざまな意味や感情を見出せて、美しいと思うことができるようになるのだと思う」

 ミオンさんはそう言って、首に手を当てた。

「だから、月並みな言葉に心を動かされるのは、良いことでもあると思うよ。そう考えると、恋愛って案外悪いものでもないのかも」

 柔らかな声で意見を述べるミオンさんの顔をそっと覗き込む。彼女は、大人っぽくて艶やかで、ちょっと切ない笑みを携えていた。そこにはあたしには分からない世界があるようで、すごくもどかしい気持ちがした。

「……どういうことですか」

 あたしがそう尋ねると、ミオンさんはふっと笑った。

「さっきの『君を思うだけで笑顔になれる』っていう言葉。一見ありふれていて、つまらないように思えるかもしれないけど。いろいろな解釈ができるよ。例えば『君』と自分の関係によって、どんなことを表現しているのかは全然違う」

 ミオンさんはテーブルの隅に置かれた箱からミルクポーションを手に取り、蓋を開けてホットコーヒーの中に注ぎ入れた。黒くつやつやとした面に、ふんわりとした白い模様が広がっていく。

「『君』とは、まだ付き合っていなくて、片思いの状態だとする。そうすると、『君』の思わせぶりな態度がふと浮かんできて、顔がにやけちゃったり、なんてこととか。あるかもしれないでしょ」

 ミオンさんは穏やかな声でそう言いながら、スプーンでコーヒーを混ぜた。ミルクの白とコーヒーの黒は、たちまち混ざって柔らかな茶色に変わっていく。

「あるいは、『君』とはもう恋人同士なのかもしれない。そうしたら、愛する人とともに過ごせることの喜びを噛み締めているのかもしれないね」

「ともに過ごせる喜び……」

「うん。『君』が生きていてくれることを思うと、嬉しくて自然と笑みがこぼれてくる、なんてこととかね」

 君を思うだけで笑顔になれる。さっきまで軽蔑していたその言葉が、たくさんの意味を抱えた、少しだけいいものに思えるような気がした。

「そっか……」

 あたしは、氷の溶けてしまったアイスティーを口に含んだ。

 ――ミオンさんって、こんなに情緒豊かに恋愛の話をするんだ。

 ミオンさんのことは、音楽にストイックで、どこか人間味のない人だと勝手に思い込んでいたのだ。仕事が恋人で、恋愛なんかには興味がない、なんていうタイプなんじゃないかって。

 だから、今の姿がちょっとショックだった。

 それでも、ミオンさんの言葉選びは不思議と心地よく感じた。彼女は深く物事と向き合って、言葉を丁寧に選んで説明をしてくれるのだ。だから、彼女の言うことは素直に受け入れてもいいかなって、そんな気持ちの自分もいる。

「だれかに恋をするとね、そんな感じで、簡単に思える言葉でもいろいろな受け止め方ができると思うよ。やっぱり、体験しないと分からないことって、あるから」

「……」

「まあ、あくまでも私はこう思う、っていう話なんだけどね」

 ミオンさんはそう言って、照れたように笑いながら首を傾げ、亜麻色の髪を触った。

「なるほど……」

 あたしは腕を組み、ソファに深く腰掛けた。ミオンさんはというと、またミルクポーションの箱に手を伸ばしている。

「えっ、あの、ミオンさん、さっきもミルク入れてませんでした?」

「ええと、そうだけど。それがどうかしたの」

「いや、そんなに入れたら、甘くなりすぎちゃうし体に悪いですよ!」

 あたしが口を尖らせると、ミオンさんは不満げな顔をした。

「むしろ今日は二個に収まってるんだから、少ない方だよ。音楽やってると頭使って、糖分不足なんだもん」

「そんなこと言ったって」

「いつも五個ぐらいは入れてる」

「五個!」

 あたしは箱の中からミルクポーションを二つ掴んだ。そして自分の両目の前に掲げ、前後に動かしてみる。

「ゴコオオスギ、イレスギー、ケンコウワルイ、ほらっ、ミルク星人も怒ってますよっ」

 そうあたしが言った瞬間、ミオンさんが口を押えて笑い出した。

「ひっ……あははは、あははははは……」

 こんなくだらないギャグがツボに入ったのか、ミオンさんはしばらく体をくの字に折り曲げて笑っていた。ときおり元に戻ろうと背筋を伸ばし、無表情を作ろうとするも、次の瞬間にはくしゃくしゃの笑顔になってソファに倒れ込んでしまう。クールな美人が台無しだ。

「も、もう……」

 周りの人もちらちらとあたしたちを振り返る。ふざけたこっちが恥ずかしくなってきてしまった。

「ああ、笑いすぎて死ぬかと思った」

 ミオンさんは目元を拭いながら、ゆっくりと座り直した。

「ソプラさんって、本当におもしろい」

「……おもしろいんですかね」

「そうそう、おもしろいよ。自信もっていいと思う」

 正直、ツボが微妙なミオンさんに言われると不安なんだけどなあ。そう思いながらも、何気ない仕草で目の前の人が笑ってくれたことを思うと、なんだかあたたかい気持ちになった。

「ソプラさん、今度は歌詞がある曲、書いてみたらいいのに」

 ミオンさんが、あたしを見据えてそう言った。

「歌詞……」

「そう。私、ソプラさんがどんな言葉を綴るのか、すごく気になるよ。ソプラさんのこと、もっと知りたいから」

 また、あの時のまっすぐな澄んだ瞳だ。リミックスさせてください、と言ってきたときと、同じ瞳。

「……考えてみます」

 あたしは彼女の瞳の輝きに圧倒され、思わず、そう答えていた。

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