Ⅱm:シオミシンヤ
「はあ……」
打ち合わせが終わり、エレベーターに乗るとため息が出た。
あたしはトートバッグから、スマホとイヤホンを取り出した。プラグをスマホに差し込み、白くつるんとした塊で両耳を塞ぐ。
いつからか、時間が空くと音楽を聴くのが癖になっていた。余計なことを考えないようにするために。暇になると、将来への不安がたちまち頭を埋め尽くしてしまうのだ。
ストリーミングアプリを開こうとしたとき、ふと、さっき山代さんから聞いた名前が頭に浮かんだ。
――シオミシンヤ、か。
画面を検索アプリに切り替え、さっそくその名前を入力してみる。
「へえ……」
シオミシンヤは、無名の地下アイドルや新人声優を中心に、楽曲を提供しているようだった。あたしは音楽をよく聴く方だと自負しているけど、正直耳にしたことのないタイトルばかり。プロって言ったって、やっぱりこの人も売れてないんだろう。
(まあ、とりあえず聴いてみようかな……)
提供楽曲の中で、なんとなく目に留まった『サニーサイド・シーサイド』を検索してみる。去年デビューした女性アイドルユニットが歌っているらしい。さっそく動画サイトで曲名を入力し、MVを開いて再生ボタンを押してみる。
「やば……」
曲が流れるとともに、全身の毛が逆立つのがわかった。
ピアノのグリッサンドに続いて、ストリングスの音が、勢いよく駆け上がっていく。まるで、青空を吹き抜けていく海風みたいだ。聴いた瞬間に、海辺のリゾートに来たような高揚を感じる。
そしてその合間を縫うように鳴っている、ポロン、ポロンという繊細なハープの音は、太陽の光を反射してきらきらと輝く海面を思わせる。
あたしは目を閉じて、耳をよく澄ませた。押し寄せては返す波のように、シャラララ……という穏やかなリズムで、アコースティックギターがアルペジオを紡いでいくのが聞こえた。
音だけで、海辺のイメージをこんなに鮮明に表現できるんだ。そう思うと、体が熱くなって胸がどきどきした。
イントロが終わりボーカルが入ると、あたしはうっとりとため息をついた。すべての言葉が、あるべき場所に置かれている。
アクセントも、譜割りも、言葉の選び方も。曲と溶け合うような一体感をもつ歌詞が、ますます夏の海辺の雰囲気を盛り上げている。
まさに、完璧という言葉がふさわしい。心の底から、そう感じた。
「行き先ボタンを押してください」
エレベーターから流れる機械音声で、はっと我に返った。
「や、やだ、やばいやばい」
慌てて階のボタンを押そうにも、心ここにあらずで、手がもたついてしまう。
――こんなに誰かの音楽に夢中になったのは、いつぶりだろうか。
「シオミシンヤ、一体なんなの」
狭いエレベーターの中で、あたしはひとりでにそう呟いていた。
「ひとひとひと、ひとひとひとひと……」
打ち合わせ当日、あたしはレコーディングスタジオに来ていた。ブレザーにリュックなのは学校帰りだから仕方ないとしても、髪や靴下の長さ、シャツが出ていないかなど、身だしなみが不安になる。
ゆっくりと深呼吸をし、ロビーへと向かおうとしたけど、胸の高鳴りはちっとも収まらない。
あれから山代さんと何度か連絡をし、レコーディングスタジオでシオミシンヤとの打ち合わせを行うことになったのだった。
リミックスなんてくそくらえ。そう思っていたあたしは一転、今はワクワクしっぱなしだ。
シオミシンヤが関わった曲は全部聴いた。こんなすごい人と音楽ができるとおもうと、緊張しすぎてどうにかなってしまいそうだった。おかげで、「人」という文字を何度も手のひらに書き続けてつぶやくという、傍から見たら完全に危ない人になっている。
「ひとひとひとひと……わあっ!」
おまじないに没頭していたあたしは、前から歩いてきた人影と盛大にぶつかってしまった。
「す、すみませんっ、大丈夫ですか」
慌てて前を見やると、そこには女の人が立っていた。
センター分けの、おそらくウルフカットという髪型だろうか。軽くウェーブのかかった亜麻色の髪が綺麗だ。くっきりとした目鼻立ちだけど、どことなく儚い雰囲気をもつ美人。スタイルが良く、キャメル色のジャケットとスラックスのセットアップが良く似合っていて、中性的なかっこよさがあった。
「いいよ、大丈夫。それより急いでたんでしょう。邪魔しちゃってごめんなさい」
女の人はそう言って俯き、そそくさと廊下の角へ消えていった。なんだか不思議な人だな。そう思いつつ視界に飛び込んできたのは、打ち合わせ時刻の五分前を指す時計だった。
「うわっ、どうしよう! ええと、エレベーターエレベーター、どこ? ああもういいや、階段で行こう」
あたしは階段に向かって、勢いよく走りだした。
「失礼します、イクタニソプラです」
スタジオのドアを開けると、そこにはさっき見たばかりの姿があった。
「あれ、さっきの」
「えっ、えっと、ロビーで会いましたよね……」
あたしと目の前の女の人は、ぽかんと口を開けてしばらく見つめ合っていた。
「シオミシンヤさんって、あなただったんですね」
「ええ」
あたしがそう言うと、女の人はこくりと頷いた。そこそこ歳のいった男の人を想像していたあたしは、目の前に座っているのが若い女の人であることを、信じられずにいた。
「そっか、あたし、名前からてっきり男の人かと……」
「よく言われる」
なんとなく重たい空気に包まれる。しまった、性別なんてデリケートな話題に切り込むんじゃなかった。あたしはなんとか重い雰囲気を打開しようと、頭をフル回転させた。
「あのっ、あたし、シオミシンヤさんとお仕事ができるなんて、すっごく嬉しいです! 本当にすごい作品ばっかりで」
「よく言われる。大して売れてないし、無理してお世辞言わなくていいよ」
シオミシンヤは無表情のまま、そう吐き捨てた。
「あ、はあ……」
また、地雷を踏んでしまったみたいだ。シオミシンヤは俯いたまま、右耳にかかった髪をかきあげる。アンニュイな表情と相まって、なんだか絵になるな。素直に、そう思った。
「イクタニソプラさん、でよかったよね」
シオミシンヤがおもむろに椅子を立ち、あたしの方に向かって足を踏み出した。
「はっ、はいっ」
「そう、よかった。曲、聴いたよ、曲……あたっ」
シオミシンヤが、何も無いところで盛大にこけた。
「えっ、うわ、だっ、大丈夫ですか?」
まるで、コントとかでバナナの皮に引っかかったかのように、お見事なずっこけ方だった。
吹き出しそうになるのを堪えてあたしが駆け寄ると、彼女は無表情のまま、グーサインをして見せた。
「ああ、うん。大丈夫。私は二十二世紀からタイムスリップしてきたサイボーグであり、鋼のボディを持つため全くダメージを受けない」
「えっ……」
しかし、そう言ってすぐ、彼女は顔を歪めてうずくまった。
「嘘だけど。膝小僧打った……いっ……超いたい……」
「なんでそんな意味不明な嘘つくんですか!」
思わず突っ込んでしまったあたしを見て、シオミシンヤは笑った。
「ふふっ、あははは」
口元に手を当て、彼女はそのまま愉快そうに顔を綻ばせた。
まるで、何十年に一度しか咲かない花が、ふわっと咲いたかのよう。周りの空気までぱっと明るくしてしまうような、眩い笑顔だった。
そんなにおもしろいことかなあ。なんとなく納得できない気持ちもあるけれど、シオミシンヤが笑ってくれたのは純粋に嬉しかった。
今まで無表情だった彼女が、あたしの言葉で笑顔を見せてくれたのは。
「シシヤミオン」
シオミシンヤは涙を拭い、いたずらっぽく微笑んであたしを見た。
「えっ」
「
「……」
どうして、と言う疑問が口をつく前に、シオミシンヤ、いや、獅子屋美音が口を開いた。
「くだらない冗談を言ったときにどんな反応を見せるかで、だいたい人となりが分かるの」
獅子屋美音は、おもむろに立ち上がって遠い目をした。
「『こいつ、おかしいんじゃないのか』って眉間に皺を寄せたり、見下すような笑みを浮かべる人とは、ちょっと波長が合わなくて」
そう言ったあと、彼女はあたしをすっと見据えた。
「でも、ソプラさんは本気でびっくりしたみたいな顔したし、本気になって突っ込んでくれたから、すごく良い人」
そう言われれば、そうなんだろうか。いまいち、実感がない。
「そう、なんですかね……」
「きっと、そう。自分では気がつかないのかもしれないけどね、真面目な人なんだと思うよ。いつも一生懸命で」
目の前に佇む笑顔の人は、そう優しげな声で言って手を差し伸べた。
真面目な人。一生懸命。
女子高生という色眼鏡を通してしか見てもらえなかったあたしが、そんな言葉をかけられたのは初めてだった。今までの努力が、なんだか報われそうな気がした。
「ソプラさん、改めてよろしくお願いします」
ぼけっとしていたあたしは、慌てて差し出された手を握り返した。
「こ、こちらこそっ。あ、あの」
「なに?」
「ええと。ミオンさん、って呼んでもいいですか」
なんか、「ミオン」って綺麗な響きで良いな。そう思った。
獅子屋美音はあたしの言葉に、にっこりと笑って頷いた。
「もちろん。これから、よろしくね」
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